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91.交錯する状況

ご覧いただきありがとうございます。

最終章は一話あたりの文字数が多めになるかもしれません。


「はぁ……」


 明香は皇女宮の庭から暗い空を眺め、陰鬱な息を漏らした。空にかかった月は明るいが、ちらつく粉雪で僅かにぼやけていた。


(佳良様や皆に心配かけちゃったなぁ)


 宮に帰還すると、佳良たちが文字通り飛んできた。偽者であったアーネリアを見抜けずに明香を引き渡してしまったことに始まり、次は明香がいる分庁で森の太古神が暴走しかかったという報があり、しかも麒麟と鳳凰が二度も皇宮の空を飛んだのだ。

 高嶺、それにラウとティルの意を受けた宮城の遣いが定期的に経緯や状況を報告し、心配ないことを伝えに来てくれていたそうだが、相当に気を揉んでいたらしい。改めて明香自身の口から、佳良たちに心配をかけた詫びと礼を言うと感涙されてしまった。


(本当は私が自分で気付いて、宮への報告とかも采配しないといけなかったんだよね)


 そこまで頭が回らず、すっかり高嶺とラウ、ティル任せになってしまっていた。


(皆すごいなぁ)


 茶会の最中、高嶺と義兄たちは終始優しい態度で和やかに話してくれていた。だがそれと並行しながら、遠視で外の様子を見通し、念話で的確に指示を出し、兄弟で連携しながら迅速に立ち回っていたのだ。


(陛下には怒られちゃった……)


 宮に戻った時点で、必ず全て読むようにとの伝言付きで、白珠から長い長い手紙が届いていた。

 曰く、畏れ多くも最高神であらせられる四大高位神様に己を追いかけ回させ、同士討ちをさせた挙句に最後は窓にぶつけるとは何ということか、そもそも神とは、皇家とは、真皇族とは、神官とは……云々(うんぬん)

 流れるように美しい達筆で、それはもう巻物のように長い手紙に延々と説教が書かれており、読んでいる内に心が折れそうになった。


(まあ陛下の方が正しいんだけど。怒られるの当たり前なんだけど)


 また、手紙にはこうも書かれていた。


『至高神と四大高位神を含めた全ての神々は、感情豊かであり人間に近いと感じるかもしれない。しかし、神がそのような面をお見せになるのはそなたが天威師であるゆえだ。ただ人に対しても同じように親しみやすく接するわけではない。いかに人間のようだと思っても、神は神だ。それを忘れてはならぬ』


(確かに……追いかけっこを楽しんでくれたり、喜んだり焦ったり驚いたり、人間とそれ程変わらなかったよね)


 だが、それは相手が明香だったからなのだ。

 東の四大高位神と初めて対面した時のことを思い出す。刹那の間だけ見せた、心胆寒からしめるような大いなる怒りの兆し。おそらくはあれも、高嶺と明香の前であったためにまだ抑えていた方だったのだろう。

 文の中の、神は神であるという文章が全てを物語っている気がした。


(きっと、天威師が相手じゃなかったら全然違うんだ。人間的な思考が通じると勘違いしたら大失敗する)


 神は人ではない。表に出ている親近に惑わされ、その点を見誤れば大惨事を招くだろう。

 そして、文には続けてこうしたためられていた。


『そなたもまた、人間ではなく神なのだ』


(私も神……)


 明香としては、人間側の代表の一人として神と対話している意識が強い。だが実際は、天威師である自分は神側の存在なのだ。今まで人の世の中で暮らし、問題なく溶け込んできたように思っていても、きっとどこかに越えられない壁があるのだろう。


 四大高位神の相手をした時、上空を見上げて呆然としていた民たちを思い出す。一般的な人間であれば、鳳凰の姿で駆け回り、最高神に自分を追いかけさせ、追撃をかわすために衝突させようなどと思い付くだろうか。思い付いたとして、実行に移せるだろうか。

 明香が至高神であるからこそ、そのような発想と行動ができたのかもしれない。


(私は人間を統べる皇族だけど、人ではなくて神。でも、人と暮らして、世界を護って、他の神々を宥め鎮めてる。それを念頭に置かないと駄目なんだ。そうしないと、きっと人への対応も神への対応も、どこかで間違えてしまう)


 ラウたちが容認したことから、今日の行動に関しては許容の範疇だったのだろう。だが、自らの在り方と立ち位置を正しく自覚しなければ、いつかは破綻してしまう。


(気を付けないと)


 高嶺とミアが、白珠から教示があるだろうと予想していたことを思い出す。


(高嶺様方は、陛下が釘を刺すって分かっていらしたんだ。……うん、今日はちょっと調子に乗っちゃったかも)


 しかし、激辛の岩塩のような手紙の最後には、『だが、そなたが頑張っていることはよく知っている。何事にも真っ直ぐに向き合い、懸命に己のできることを実践する姿勢は素晴らしい』という砂糖成分も含ませてくれていたので、辛うじて持ち直した。


(さすが陛下、ぎりぎりで相手を折れさせない塩と砂糖の両刀使い!)


 現実逃避気味にそんなことを考える。


(まるで義兄様みたい。……今日のこと、義兄様に知られたらすごい目で睨まれちゃうかも)


 泰斗のことを考えると、ずんと心が重くなった。今、明香の側には誰もいない。茶会で満腹になってしまったため夕餉を断り、今夜はゆっくりしたいと伝えて女官たちを下がらせ、一人庭に出たためだ。懐からそっと神布を取り出すと、月光に透かして見る。


(……ただの布)


 アドルフとクルーセラに断言された言葉が胸に染み込んでいった。


(高嶺様は――単に間違えられたの? それとも、故意に偽りを言ったの?)


 おそらく後者だろう。ローアンとソフィーヌは高嶺と同様の見解を示しつつ、ごまかす時の癖を出していた。つまり、本当は神器ではないと分かっていながら意図的にうそを吐いたのだ。

 ならばあの時の高嶺も同じだろう。彼は明香に対して、息をするように自然に偽りを述べたのだ。……いや、思い返してみれば、神布が本物だと告げた際に僅かな間があった気もするが。


(……それでも、それでも私は高嶺様を信じる)


 傷付く家族を見ていられなかったと言いながら、懸命に涙を堪えていた優しい人。分庁の塔の中で、明香の肩に顔をうずめ、押し殺すようにして泣いていた姿が蘇る。あの時、明香の衣を濡らした滴の温かさは本物だ。決して偽りではない。もしも高嶺が明香を悪意で利用しようとしてうそを吐いたのなら、あんな涙は見せなかっただろう。


(きっと何か理由があったんだよ。本当のことを言えない理由が。だって次期皇帝だよ。真っ白じゃいられない時もある)


 そう考え、再び泰斗のことに意識を戻す。この神布が模造品ならば、ただの夢となったはずのあの光景が再び真実味を帯びてくる。神布をすり替え、恵奈と従者たちの前で次期皇を宣言していた泰斗。


(もしかして高嶺様は……義兄様を庇ってるの?)


 だが、だとしたら何故。皇家への反逆に等しい言動をしている者を、よりによって太子が庇うことなど有り得るのだろうか。


(義兄様は高嶺様とも交流があったみたいだけど――もしかして私の義兄だから? ……違う、高嶺様はそういう公私混同はされない。それにフー君とエリちゃんまでごまかしたのは何で?)


 分からないことだらけだ。薄い布地をぎゅっと握り、緩く頭を振った。


(リィおじさんとサァおばさん……ううん、アドルフ様とクルーセラ様も遷都の儀の会議に呼ばれるって言ってた。なら高嶺様とも会うはずだから――塔の中での話をするかもしれない)


 明香と会ったこと、神布だと言い張るものを見せられたので違うと言ったこと。報告と共有も兼ねて、きっと全てを話すだろう。さらに言えば、ローアンとソフィーヌも、本物の神器だと言い直したことを高嶺に伝えに行くのではないか。


(多分、高嶺様にすぐ全貌が伝わる)


 そもそも、あの塔には帝族の天威が張られていないらしいが、それは中だけの話だ。塔の外の様子は視えているのだから、神布が風で飛ばされたこと、明香がそれを取りに再び塔に入ったことは、ラウとティルは把握しているはず。その後、明香がローアンとソフィーヌと共に出て来て親しく言葉を交わしていたのも視ているだろう。

 つまり、塔で明香と会ったのかという話題は、従兄弟姉妹の会話の中で自然に出る。


(そうしたら高嶺様は、私に対してどう動かれるんだろう)


 できるなら、今すぐ自分から高嶺に会いに行きたい。きちんと話がしたい。だが、世界の存亡がかかっている遷都の儀の会議中に乗り込むことなどできない。

 もどかしい思いを抱えて眉を寄せる。


(……とにかく、もう少し待ってみるしかないか。私は高嶺様を信じる、これは決まってるんだから)


 だが同時に、泰斗のこともアドルフたちのことも信用している。彼らが各々によって異なる思惑と信念を有していたとしても。ぼんやりと庭を眺めると、しんとした空気の中を綿毛のような白雪がひらひらと舞い落ちていく。ちらつく雪が草木の緑を覆っていく様は、あの夢の雪景色を彷彿とさせた。


(遷都したらこの宮ともお別れなんだよね。せっかく義兄様が造ってくれた宮なのに全然使わないうちに引っ越しかぁ)


 そう考えた時、ふっとある予感がよぎった。


(……まさか新宮の皇女宮も義兄様作だったりして)


 有り得ない話ではないと引き攣った時、ぴんと名案が閃いた。


(――そうだ、義兄様の様子を視てみたらいいんだ)


 密かに覗いてみて、あの夢と同じような言葉遣いで話していないか確認するのだ。同時に斎縁邸の中を透視して、本物の神布が隠されていないか探してみる。そうすれば、あれがただの夢だったか否かが確認できるかもしれない。


(うん、その方法があった)


 実は、夢を見てから高嶺に話すまでの10日ほどの間にも、ちらりと同じ方法を考えた。だが、その時点では単に変な夢を見ただけだという意識の方が強かったため、気安く個人の私生活を覗くようなことはできないと躊躇したのだ。

 しかし、今はもう状況が違ってきている。泰斗を信じているとしても、事実の確認と把握はきちんと行わなければならない。


(ごめん、義兄様)


 庭に設置してある椅子に腰掛け、意識を集中させて天威を発動する。


(少しだけ見せて――)


 頭の中で斎縁邸を強く思い浮かべると、意識がぐんと引っ張られるような感覚があり、一瞬後には見慣れた邸が脳裏に広がった。


(視えた!)


 あの時のように、夢か現か判別できない曖昧な現象ではない。明香が自分の意思で発動させた天威で視ている、まぎれもない現実だ。


(義兄様の様子を……あれ?)


 だが、すぐにおかしなことに気が付く。


(邸に明かりが点いてない……誰もいないの?)


 もしや、泊まりがけでの依頼が入ったのだろうか。だが、従者五名を全員引き連れて泊まり込むとなると、相当に大きな注文ではないか。


(遷都の儀式か新都の皇宮関連の依頼とか?)


 泰斗の部屋には大輪の菊が飾られている。夜空を照らす満月のようだ。青や紫の系統の花を好む義兄にしては珍しいと、ちらりと違和感が走る。


(そうだ、斎縁邸じゃなくて義兄様の姿を視てみればいいのか)


 首を傾げながらも、明香は再び意識を集中させた。泰斗の姿をはっきりと思い描く。


(義兄様を視たい)


 念を込めて力を発動させると、脳裏に移る景色が切り替わった。


 視えたのは、固く冷たい灰色の部屋だ。無機質な石造りの室に、太い鉄格子が何本もかかっている。どうやら牢のようだった。

 冷ややかに静まり返った空間に、ぴちょん、ぴちょんと冷たい滴が垂れる音が断続的に響いている。寒さが足元から這い上がってくるような牢内には小さな卓すら置かれておらず、岩肌が剥き出しの床に申し訳程度に擦り切れた薄布が引かれていた。

 周囲に灯りはなく、上部の小さな窓から届く月明かりだけが僅かな光源となっている。


(ここはどこ……?)


 見たこともない景色に尻込みしつつも周囲を見回し――思考が凍り付く。


(にい、さま)


 灰色の牢獄の中に、泰斗がいた。ごつごつした岩壁に背をもたせ掛け、蹲るようにして体を丸めている。胸の前で祈るように両手を組み合わせ、目を閉じたまま微動だにしない。不思議なことに、両手の間からはぼんやりとした光が漏れ出している。


(な――なんで、何で義兄様が牢屋に)


『泰斗様、泰斗様! ――様!』


 混乱の極みにある明香の頭に、突如としてもう一つの声が割り込んで来た。胸の奥がきりきりと軋む。


『ああごめんなさい、――様。私がのんびり休んでいる間に、あなたは一人で……』


 脳裏の石牢に差し込む月光と、実際の肉眼に移る天上の月。

 その双方が眩く輝く。


 朱を帯びた月の光波に照らされた瞬間、明香の思考は急激に遠ざかっていった。


ありがとうございました。

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