90.偽りと惑いを抱えて
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本日最後の更新です。
「……」
アドルフとクルーセラが消えた空間を呆然と見ていると、ソフィーヌが声をかけてきた。
「もう日が沈みます。皇国にお戻りになられた方が」
「転移で門までお送りしましょう」
ローアンが穏やかに言った。
「あ、はい……お願いします」
ぎごちなく頷いた明香は、ふと胸元に目を落とした。
(おじさんとおばさんは……信用できる人)
懐にしまった神布はただの布だと、アドルフとクルーセラは――リィおじさんとサァおばさんは言った。
(なら、まさか本当に――)
「あのぅ、大丈夫ですか。お顔色が……」
「急に色々と知ってしまわれたから驚かれたのでしょうか」
ローアンとクルーセラが心配そうに眉を下げて覗き込んでくる。はっとした明香は慌てて笑顔を作った。
「いいえ、大丈夫です。もちろん驚きはしましたけれど……えっと、敬語とか無しで今までみたいに話してもいいですか?」
「もちろんですわ」
「どうぞ」
恐る恐る聞くと、二人はすぐに快諾してくれた。
「ありがとう。……うん、本当にびっくりだよ。まさかフー君とエリちゃんがあなたたちだったなんて。でも、この10日余りはもう人生最高の衝撃の連続だったから。驚愕することにも慣れちゃったっていうか」
「そうですよね、人生最大級の激動の日々だったと思います」
ローアンがしみじみと頷いた。彼の方は口調をフー君のものに戻さないところを見ると、今の方が素なのかもしれない。
「けれど、慣れたと仰る割にお顔の色が悪いですわ。……もしや、何かございましたの?」
ソフィーヌが続けて聞いてきた。粘って確認しようとする程に暗い表情になっているようだと、明香は苦笑いした。そして少し考え、意を決して顔を上げる。
「……実はすごく不思議なことがあって、考え込んじゃってたの」
「不思議なこと?」
「――そう」
頷くと、一瞬躊躇った末に懐から神布を取り出す。ローアンとソフィーヌが軽く目を見張った。明香自身も緊張で鼓動が早くなる。
「二人は皇家の花梨……西の御子の件を知ってる?」
「もちろんです。帝国でも語り草ですよ。僕たちは真帝族ですから、一連の経緯や事情、現状なども含めてラウお従兄様方と同程度のことを承知しています」
「そう……。じゃあ、西の御子が持ち出した帝家の神器はこの神布で包まれてたことも?」
「ええ、存じておりますわ」
「……私、この神布が偽物にすり替えられる夢を見たの」
神妙な顔で聞いていた目の前の兄妹が、驚いたように固まった。
「不安になって高嶺様に確認していただいたら、本物だって言って下さったから安心した。でも、さっきリィおじさんとサァおばさんは、これをただの布だと仰った。模倣品で神器じゃないって。それで訳が分からなくなったの。もっと詳しく聞きたかったけど、お忙しそうで言い出せなくて……だからその、もしできたら二人も確認してくれないかな?」
だが、二人とて真帝族なのだから忙しいはずだ。自分のために幾重にも手間を取らせてしまうことに申し訳なさを抱きつつ、おずおず神布を差し出す。ローアンとソフィーヌはさっと目を見交わし、小さく頷き合うと明香を見た。
「分かりました、ぜひ協力いたします」
「お安い御用ですわ」
にこりと笑って神布を受け取り、揃って手をかざす。ローアンの瞳は薄青の縹色に、ソフィーヌの瞳はテアの気より明るい茈色に輝いた。
明香は固唾を飲んで二人を見守る。
(高嶺様と、リィおじさんとサァおばさん……どっちかがうそを言ってる。ううん、うそは言い過ぎで単に勘違いしてるだけかもしれないけど――)
そして明香はどちらのことも信じている。しばしの後、兄妹の双眸から光が消え、碧に戻る。僅かに流れた沈黙を破ったのはローアンだった。一度瞬きしてから口を開く。
「これは神器だと思います」
ソフィーヌも小刻みに頷く。
「私も同感ですわ」
明香は小さく息を呑んだ。
「……でも、おじさんとおばさんは……」
「父と叔母は長旅から戻って気を抜いたところだったので、繊細な読み取りが上手くできなかったのでしょう」
「お二人は所用で神域に行っておられましたの。濃厚な神の気に包まれて過ごしていたため、今は神威を感じる感覚が少々乱れていらっしゃるのですわ」
「……」
二人の言葉を数瞬かけて咀嚼した明香は、ふっと小首を傾げて首肯する。
「――何だ、そうだったんだ」
そして、頰を緩めて破顔した。神布を返してもらいながら明るく笑う。
「ありがとう。心配して損しちゃったよ。うん、これで安心した!」
「それは良かったですわ」
ローアンとソフィーヌがぱちぱちと目を瞬き、小さく微笑んだ。
「時間を取らせちゃってごめんね。……ああ、もう暗くなってきてる。帰らないと」
「門に移動しますね」
窓から外を見た明香が焦ったように呟くと、ローアンが言った。同時に景色が歪み、次の瞬間には三人揃って門の近くに立っていた。ざぁと吹く風の中には、庭園に咲き誇る草花の香りが漂っている。
「どうなさいましたの?」
首を巡らせて塔の方角を見上げる明香に、ソフィーヌが声をかけた。
「あ、ううん。そういえばあの最上階の部屋に入る前、何だか懐かしい力を感じた気がしたなぁって思い出しただけ」
(おじさんとおばさんの気に反応したのかな。でも、真帝族として出て来たフー君とエリちゃんに会った時は何も感じなかったのに)
アドルフとクルーセラは、ローアンとソフィーヌよりも気配や力を多く解放していたようだから、そのせいだろうか。
「殿下」
考えていると、門の左右を守っていた騎士二人がこちらの姿を認め、素早く片膝を付いた。はっとした明香は、笑顔を浮かべて思考を中断させる。
「開けよ。私用でお越し下さっていた皇国の紅日皇女が帰る」
「はっ」
ローアンが告げると、すぐさま門が開かれた。向こう側は皇宮であり、皇国の武官二名が控えていた。
明香たちの姿を見ると、やはり跪拝して敬意を示す。皆で門の前まで近付くと、ローアンとソフィーヌが名残惜しげな視線を送ってきた。
「今度はゆっくりお話ししましょう」
「今日は太子殿下方と太子妃殿下方の親睦会でしたので、私と兄は遠慮しましたの」
「まあ、そうだったの」
本当は一緒に参加したかったのだなと、明香はくすりと笑う。臣下の目があるので、意識と口調を切り替えて言った。
「今度はぜひ、皆でお茶会をいたしましょう。皇子女と帝子女のお茶会にすればいいのです。そうすれば皆が参加できますわ」
「それはいいですね!」
「名案ですわ」
ローアンとソフィーヌが表情を明るくした。まだ若い皇族と帝族たちの仲睦まじげな会話に、騎士と武官も心なしか表情を緩めているようだった。
「では、私は戻ります。今日は本当にありがとう。太子殿下方にもよくお伝え下さい」
「承りました、皇女殿下」
「こちらこそお話しできて嬉しゅうございましたわ」
和やかに語らう明香たちの側に、邪魔にならない程度の距離を保った武官が控える。
「皇女殿下、宮までお供いたします」
門番役の武官は二名いるため、短時間であれば一名が抜けても問題はない。いざとなれば、門の向こうには帝国の騎士も二名いる。だが、明香は扇をはらりと広げ、艶然と微笑んだ。
「お気遣いありがとう。けれど、転移で戻るつもりですから」
「承知いたしました」
武官はすぐに引き下がった。これは皇族ないし帝族と臣下の間ではよくあるやり取りらしい。
「またお会いいたしましょう」
「お気を付けて」
門を潜り皇宮に入ると、ローアンとソフィーヌが別れの声をかけてきた。明香は門越しに首肯すると、天威を発動させる。紅い光が淡く輝き、周囲が揺らいだ。それをぼんやりと眺める。
(ねえ、フー君、エリちゃん。知ってる? 自分たちの癖)
歪む景色の中、二人が笑顔で手を振り、騎士と武官が恭しく頭を下げている。
『お天気ちゃんに僕の子どもたちの癖を教えてあげよう』
『癖?』
『そうだよ。あの子たちはうそを吐いたりごまかそうとする時の癖があるんだ。余所行きの態度で気を張っている時は出さないけれど、信頼している身内に対してはぽろりと出してしまう。きっとお天気ちゃんにも癖を見せるはずだよ』
『どんな癖?』
『うそを言う時、フーは一回だけ瞬きする。エリはいつもよりずっと小さく、少しだけ頷く。少しの仕草だから分かり辛いけれど、よく見ていたら気が付けるよ』
ああ――と、明香は扇の陰で嘆息した。浮かべていた笑顔はもう溶け消えている。投げた視線の先で、ひとひらの花弁が風に乗ってくるくると舞っているのが見えた。
『これはただの布だよ』
『神器ではないわね』
本当のことを言っているのは、アドルフとクルーセラだ。
つまりうそを吐いたのは、ローアンとソフィーヌと、そして――。
(……高嶺様……)
◆◆◆
ふっと明香の姿が搔き消える。見送った騎士と武官が姿勢を正した。
「殿下、閉門してもよろしいでしょうか」
「ああ」
簡潔に許可を出すと、門が再び閉じられる。
ぎぃぃと軽い音を軋ませながら狭まっていく扉を眺め、ローアンが騎士たちには聞こえないくらいの小声で呟いた。
「うーん、ばれてしまったかな」
はぁと微かな溜め息が宙に溶けて消える。
「あのレプリカが神器だって納得してなかったよ」
「私たちの理由付けも苦しかったですものね」
ソフィーヌも苦々しい顔をしている。
「けれど、もう少しの辛抱ですわ」
「そうだね。後少しで終焉の鐘が鳴る」
「私たちはただ、真皇族の想いを尊重するだけです」
「うん、それは違いない」
互いに方針を確認し合い、次代の謙帝たちは踵を返した。
「行こう。僕たちも今に会議に呼ばれる」
「ええ。できるだけのことをしましょう」
天をふり仰ぐと、地平線の彼方に沈もうとする夕日と、夜に染まり行く空の中で仄かに輝きを放ちつつある月が浮かんでいた。
ありがとうございました。
第3章完結です。
明日からは最終章です。




