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88.謙帝兄妹

ご覧いただきありがとうございます。

 時計は17の時の少し前を指している。


「高嶺様、行きましょう」


 明香は高嶺と手を繋ぎ、先導するように前を歩きながら塔の外に出た。


「ああ」


 既に通常通りの鉄壁の仮面を貼り付けた高嶺が微笑む。だが、その目元はほんの僅かに赤い。


(少しだけでも泣けたなら)


 抱き合っていた時間はそれほど長くなかった。だが、刹那の間だけでも、高嶺の魂が解放されて伸びやかであってくれたなら、それでいい。


「あっという間でしたね」


 外に出ると、一日の終わりの色に染まった紅い陽光が地上に降り注いでいた。冬の花が風にそよいで揺れている。高嶺をその下に導くように手を引いて進むと、夕焼けの輝きを全身に浴びた高嶺は眩しそうに目を細めた。


「綺麗な光だな」

「そうですね」


 数瞬、二人そろって空を見上げる。美しく照り輝く空は、しかし、端の方から雲が忍び寄って来ている。


(これから雪になるんだっけ)


 少し強めの風が吹いて髪をさらっていくのはその兆候だろうか。


「一人で帰れるか?」

「はい、大丈夫です」


 高嶺の問いには自信を持って頷いた。何しろここから既に帝国分庁の門が見えるのだ。いくら方向音痴の自分でも迷わないだろう。そして門さえくぐれば、そこはもう皇国の皇宮だ。


「では明香、私はもう行く。――遷都の儀までに時間を見付けて講義をしよう。幾つか話しておかねばならない大切なことがある」

「分かりました。日時が決まりましたら連絡をお願いいたします」


 頷き、高嶺が小さく手を振る。明香が振り返すと、その姿がふっと消える。天威で移動したのだろう。


「私も帰ろっと」


 呟いて足を踏み出しかけた時、胸元の袷から布がはみ出しているのに気付いた。高嶺から預かった神布だ。


(あ、これちゃんと持ってないと。落としたら大変)


 小さくたたみ直して懐の奥に押し込んでおいた方がいいかもしれない。さっと周囲に視線を走らせ、誰も見ていないことを確認してから神布を引き出した。


(しっかりたたんで――)


 だが生地を広げた瞬間、唐突に強い風が吹いた。弾みで指の間から神布が抜け、宙に舞い上がる。


「え、あ……あー!」


 明香の声に押し上げられるように、大事な証拠品はひらひらと上に飛んで行き――塔の最上部にある窓枠の装飾に絡まってしまった。


「ひぃ、あんなとこに絡まっちゃった」


(早く取らないと。そうだ、天威で取り寄せて――)


 だがその時、少し離れた所から数人ほどの話し声が聴こえて来た。


(だ、誰か来る!)


 明香は瞬時に頭を回転させる。


(上手く取り寄せられなくてもたついたら見付かっちゃう)


 黒髪黒目の自分は、金髪碧眼が多い分庁では目立つ。素性に気付かれる可能性もあった。


(何してるか聞かれて、代わりに取ってあげましょうかとか言われるかも。でも、あの神布は重要な証拠品だから無関係な人には触って欲しくない)


 しかも神布自体も高位の神器なのだからなおさらだ。帝国風の意匠をしているため、これは帝国のものではないかと興味を持たれればさらに厄介である。万一相手が御威の扱いに熟達した者であれば、神器だと気付かれてしまうかもしれない。


(どうしよう……そうだ!)


 素早く考えを巡らせた後、さっと身を翻し、声の主に見付かる前に再び塔の中に滑り込んだ。ほっと一息つく。


(このまま上に登って直接取っちゃえばいいんだよ)


 実は窓がはめ殺しで開きませんでしたというおちがないことを願いながら、転移の力を発動させる。


(最上階の窓に絡まったから、一番上まで行けばいいよね)


 今、外にいる誰かが塔を見上げれば、絡まった布に気付かれてしまう。見付からないよう目くらましをかけることもできるだろうが、いかんせん細かい力の制御にはまだ自信がない。

 塔の外側の光景は帝族たちが視ているだろうから、まずい事態になりそうであればラウやティルが助けてくれるかもしれないが――彼らの手を煩わせたくはない。


(よーし、着いた!)


 転移で飛んだ先は細い廊下であり、目の前には扉があった。気のせいか、何か懐かしいような気配を感じる。


(きっとここだ)


 少しだけ空いていた扉を押し開けて中に踏み込み――ぎょっと凍り付いた。部屋の中には人がいた。それも二人も。

 男性が一人、女性が一人。共に金髪で、どちらも若い。思ったよりも広さがある部屋の奥に設えられた玉座の前で、恭しく片膝を付いて拝礼している。()()()と胸が鳴った。


「やあ」

「あら」


 二人は揃って同時に顔を上げ、鏡写しのような仕草で青い目を細めて笑った。男性は穏やかさを感じさせる涼やかな垂れ目、女性は逆に凛とした切れ長の目元をしていた。

 その容貌は、息の根が止まりそうな程に整っている。天の頂の更に上に坐す至高の神たるに相応しい麗姿。


 次の瞬間、明香は条件反射で跪拝していた。額付いた顔にじっとりと冷や汗が滲み出す。


(こ、この方々……帝族じゃない!?)


 そう言えば、ここは帝族とその血縁のための塔だと言っていた。


(真帝族、だよね)


 明香がまだ会ったことがない真帝族を思い起こせば、消去法で誰かは絞り込める。白珠にすら通じる威徳を放つこの男女。突然現れた明香に全く驚く様子を見せないのは、単に胆力があるだけなのか、事前にその存在を察知していたからか。


「き、急な入室をしてしまい大変申し訳ございません。恐れながら……靘朏(せいひ)謙帝陛下と赩暗(きょくあん)謙帝陛下にございますか?」


 謙帝(けんてい)は普段は万事控え目であり、通常の皇帝よりも目立たないようにしている。少し前に会ったローアンとソフィーヌも、発する気迫は控え目だった。だが目の前の二人は、私的な場所ということもあるのか、相応の強さの気を解放している。それが明香を跪かせたのだ。


「そうだよ」


 果たして、男性の方が微笑んで頷いた。


(やっぱり!)


 ならば、彼は靘朏謙帝アドルフ。

 隣の女性は赩暗謙帝クルーセラ。

 橙日帝レイティの弟妹だ。実母についぞ愛されなかった御子たち。


「恐れ多くも謙帝陛下方のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます」


 明香の唇から、叩き込まれた作法がすらすらと零れ出る。


「両陛下にご挨拶申し上げます。私は神千国の――」

「紅日皇女でしょう。知っているわよ」


 女性――クルーセラがさらに相好を和らげる。


「うん、君のことはよく知っている。いいから顔をお上げ」


 アドルフが優しく言った。そろりと跪拝を解いて顔を上げた明香は、おずおずと顔を上げる。二対の碧眼が、ふんわりと愛おしむような暖かさを放ってこちらを見ていた。


「会いたかったよ」

「久しぶりね」


(久しぶり?)


 クルーセラがこぼした一言に、内心で首を傾げた時。ふと視線をずらした明香は、あっと声を上げそうになった。謙帝兄妹の肩越しに見えた窓の外に、神布が引っ掛かっている。


(あそこに――!)


「ん?」


 明香の視線に気付いたアドルフたちもくるりと後ろを振り返り、驚いた顔を浮かべて布を見つめた。


「まぁ、何かしら」

「何故こんなところに布が?」

「申し訳ございません、そちらは私が持っていたものなのです。風で飛ばされてしまいまして……」


 明香が声を上げると、謙帝たちは再び顔を向けてきた。


「もしかして、これを取りに来たのかい?」


 アドルフが右手を軽く振ると、窓の外ではためいていた布が一瞬にしてその掌中に現れる。天威で取り寄せたのだ。息をするように自然に力を操る様は、高嶺を彷彿とさせる。


「まぁ、綺麗なレプリカだわ。良い布地ね」

「そうだね。これを使ってパッチワークをすればいいものができそうだ」


 きりりとした瞳を緩めたクルーセラが言い、アドルフがおっとりと頷く。


(ま、待って、それはちょっと……)


 この神布は元々帝国の物だが、今は皇国で預かっている大事な証拠品だ。切り刻まれるのは困る。


「お待ち下さいませ、それは神器なのです。ですから手を加えるのは……」


 言いかけたところで、松庵の言葉を思い出す。神威の気配を和らげるという特殊な神器ゆえに、その性質を正しく読み取るにはこつがいると話していた。


(真帝族でもぱっと見ただけじゃ神器って分からないんだ)


 軽く驚きつつもアドルフを見つめ、内心でうーむと首を捻る。


(……っていうか私、太陽神だけじゃなくて月の神とも共鳴してるっぽいんだけど、何で?)


 自身と同じく日神であるラウと相対した時には、はっきりと鼓動が高鳴った。陽神であるソフィーヌに対しても、胸がこそばゆいような心地になった気がした。そしてそれと同じような感覚を、白珠とティルにも感じたのだ。白珠の時は緊張していたせい、ティルの時はラウへの共鳴を取り違えているのかと思っていた。

 しかし今、目の前にいる月の神アドルフに対してもやはり胸が小さく疼いている。


(おかしいな、私って日神なんだよね。何で月の神にまで呼応するの?)


 そのようなことを考えている間、アドルフとクルーセラもまた、きょとりとした眼差しで明香を見つめ返していた。次いで神布に視線を落とす。


「お兄様、これはレプリカよね」

「うん、そうだね。とても精巧に似せてあるけど」


(うわぁ、まだご理解がいただけないみたい)


 顔を見合わせて頷き合っている兄妹に、素早く意識を引き戻した明香は、勇気を出して抗弁した。


「いえ、本物でございまして……。模倣品ではないのです。ゆえあって今は皇国で一時保管させていただいておりますので、この後は皇宮に持って帰らなければならないのです」


(あれ、でも謙帝陛下方ならこの神器のこともご承知の上なんじゃ)


 説明しつつ、明香は胸の内に湧き上がってきた疑問に首を捻る。すると、目の前の謙帝たちも同様に首を傾けた。


「これが本物?」

「そんなはずはないと思うわ」


 口々に呟き、布に己の手をかざして注視する。二人の双眼がきらりと輝いた。アドルフは黒みがかった青に、クルーセラは深い赤に。


(高嶺様の時と同じだ!)


 高嶺も神布が本物か確かめる際、布上に手を掲げて瞳を藍色に光らせていた。


(良かった、これで本物だって分かっていただける)


 ほっと一息ついて頰を緩めた明香の前で、しばし布を視ていたアドルフとクルーセラは、やがて瞳から光を消して手を下ろした。

 そして、口を揃えてきっぱりと断言した。


「これは()()()()だよ」

「とても精巧な()()()()だわ」

ありがとうございました。

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