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87.高嶺の涙

ご覧いただきありがとうございます。

 高嶺は沈んだ面持ちで話を続ける。


「だが、この顛末は公表されなかった。表向きには、メイリーアン嬢はあの場に通りかからなかったことになっている」

「え?」

「真相が公になれば、いくら奇跡の御子でも心象が悪くなると危ぶんだ先代大公テイヤー・ノルギアスが手を回したのだ。侯爵が先代大公に事情を報告したことで事のあらましを把握し、ただちに隠滅を計ったらしい」


 瀕死の者を見捨て、結果その命が儚くなってしまったとなれば、さすがに醜聞として大きすぎる。そう考えたテイヤーは、即座に手を打った。


「同じ大公家が担当する地域で起きた事故だ。本腰を入れて詳細な検分や捜査をされれば、真相が露見してしまうかもしれなかった」


 天威師ほど高精度ではなくとも、過去を見透す方法はある。強力な霊威や聖威を持つ者もしくは高性能の専用霊具を用いれば、ある程度の過去視を行なったり、物質や大気などに記憶された光景を音声付きで読み取ることは可能だ。


「弱くても霊威をお持ちだったなら、母君と奥方は神官でもあられたのですよね。所属者が犠牲になったなら帝国の神官府も動くかもしれない……」


 神官たちに本気で調べられれば、事故の瞬間にメイリーアンが立ち会っていたことが明るみに出てしまう。

 明香の呟きに、高嶺がそうだなと肯定した。


「だが、ただの事故であればそれほど念入りな調査はされない。ゆえにこそ、先代大公は全力で隠蔽工作を行った。金を積んで偽物の通報者を用意し証言をさせたのだ」


 テイヤーが用意した証人は、命じられた通りの台詞を述べた。


『事故が起こった時、現場には犠牲者一行しかいなかった。自分は崖崩れを目撃するとすぐに通報を行い、二次災害の危険性を考えてその場から避難した。巻き込まれた人々を助けたかったが危なくて近付けなかった。まさか帝家と大公家の方だとは思わなかった』


 彼は取り調べを受けているわけではなく、善良な一般人という立場だ。ゆえに、自白や読心の力で発言が真実であるかを調べられることはなかった。


「加えて先代は、ノルギアス家の者が犠牲になった以上、当家に縁がある神官に現場を調査させたいとイステンド大公に申し出、了承を得た。己の息がかかった神官に崖を調べさせ、『崖の気を読んだところ間違いなく自然な事故として崩れたものである』と証言させたのだ。下位神官たちにも崖の気を読ませ、その見立てが間違っていないという言葉を得た」


 自分の手駒である神官に、過去視を行わせるのではなく崖の気を読ませることで、これは事故だという方向に持って行ったのだ。


「また、事故前後における崖の近辺のみの風景を霊威で抽出させ、証拠として提出させた。メイリーアン嬢は少し距離がある場所から見ていたため、映り込まぬよう上手く範囲を加減したのだ」


 そうすれば、崖が自然に崩壊し、巻き込まれた者たちが血だらけで倒れる場面しか映らない。救急部隊が到着した時の状況そのままだ――犠牲者がまだ辛うじて息をしていることを除けば。念のためにと他の神官や捜査員がその映像を確認しても、偽造や工作の痕跡は出ない。

 当たり前だ。範囲を上手く調節しただけで、映像自体はまごうかたなき本物なのだから。


「さらに、御威以外の方法を用いて地質や工学の面から現場状況を検証した外部の専門家たちも、事故だと判断した。現場に駆け付けた救急部隊もだ。実際、崖崩れ自体は正真正銘の不運な天災であったゆえ、当然かつ正しい結果だ」

「それが先代閣下の狙いだったのですね。事故だということが確定的になれば、それ以上深くは調べられませんから。現場には犠牲者と目撃者以外いなかったという証言と合わせれば、メイリーアンさんがその瞬間に立ち合っていた事実は闇の中……」

「ああ。そして狙い通り、各方面からの物証が揃っていたため神官府とイステンド大公は深入りせず、その一件は不幸な事故として早期に幕引きがなされた。ミア義姉上は既に天威師として覚醒されていたが、同様の理由により、ご自身で再度広範囲の過去視を行ったり追加調査をすることはなさらなかった。帝家も同じく」


 テイヤーは間一髪で難を逃れたのだ。

 明香は渋面を作って唸った。


「犠牲者の魂が干渉できない状態になっていたことも、先代大公に味方したのかもしれませんね。転生せずに留まっていたら、御威や霊魂召喚の霊具で喚び出せます。そうしたら侯爵とメイリーアンさんが助けてくれなかったという証言が得られていたかも」


 それを思うと残念ではある。この世界では死は忌むべきものや穢れではなく、次に進むための崇高かつ大切な過程であるとされている。ゆえに、死した者は潔くすぐに転生することが多い。

 もしも犠牲者の魂が今しばらく現世に留まっていればと考え、明香は首を横に振った。


「……いえ、それでも無理だったかもしれませんね。瀕死の状態だったのなら意識も朦朧としていて、目撃者がいたなんて気付かなかったでしょうし。証言するとしても、いきなり崖が崩れてきて後は覚えていないと言うのが精々だったかもしれません」


 そうだな、と高嶺も悔しげな気配を醸して頷く。


(先代大公は悪運が強い)


 早期に真相が判明していれば、メイリーアンがいくら奇跡の御子であろうとラウとの婚約は取りやめになっていただろう。そうすればラウは傷付くことはなく、後に己に一目惚れしたテアと自然に惹かれ合い、メイリーアンも失寵せずに済んでいたかもしれない。


「でも、帝家の御子様まで犠牲になったのですから、大事になる可能性は高かったでしょうし……先代閣下もきっと相当焦ったでしょうね」

「それはどうであろうな」

「え?」


 予想外の言葉に、明香は首を傾げた。


「義姉上方の父君は確かに帝家の血筋だが、庶子だ。御威無しの御子は種馬以外の価値を認められない。亡くなったところで大多数の臣民はどうとも思わぬ。むしろ、犠牲者が御威を持つ帝族でなくて良かったと言って笑うだろう」


 どこか投げやりに、高嶺は言う。その双眸に昏い光が宿った気がして、明香の背に悪寒が走った。


(どうしたの、高嶺様?)


「先帝陛下の代のように帝家の人員が圧倒的に不足している頃であればともかく、現在は天威師が充実しているゆえ、なおさらだ。むしろ、徴を発現させていた奥方の方がまだ重宝される」


 やり切れなさを滲ませた声音で言い切った高嶺は、しかし、気持ちを切り替えるように雰囲気を緩めた。


「私たちも、この一件の真相を知ったのは最近のことなのだ」


「現大公閣下もメイリーアンさんに怒っている気配がしました。もしかして真相をご存知だからですか?」


 大半はカイシスのせいであるように思うものの、愛妻を見殺しにする形になってしまったメイリーアンを恨んでいるのだろうか。


「ああ。黙っているわけにもいかず、私たちが伝えた。だが、そもそも彼女のことは以前から良く思っておられなかったようだ。――あの崖崩れの後、ライハルト殿が奥方の葬儀の連絡のためにノルギアス本邸を訪れると、モンザート侯爵は笑いながらこう吐き捨てたという」


『奥様がお亡くなりになられたとか。はっはっは、ま、弱い霊威しか持たぬ出来の悪いお方でしたからなぁ。たかが霊威師など塵も同然。そんなことよりもお嬢様、今夜のデザートはプディングでございますよ。トッピングはクリームとストロベリー、それにチェリーでよろしいでしょうかな?』


「……」


 あまりの内容に声も出せない。

 明香が絶句していると、高嶺は溜め息を零した。


「メイリーアン嬢は、奥方があの崖崩れで亡くなったことを知らなかったのだと思う。先代大公は何も言っていなかったはずだからな。だが、モンザート侯は知りながらあえてとぼけ、そのような罵声を吐き出した。そしてメイリーアン嬢も彼をたしなめることなく、無邪気に『よろしくてよ』と答えていたと聞く。ゆえに、現大公は元からメイリーアン嬢を快く思っていない」

「それは当然でしょうね……」


 命を落とした自分の妻に対し、そのように情の薄い態度を示す者に、好印象など抱けるはずがない。いくらメイリーアンがまだ10歳という子どもであってもだ。


「加えて彼女の素行の問題もあり、余計に思うところがあったようだ」


 ライハルトの、青玉のように硬質な煌めきを放つ瞳を思い出す。感情を押し殺したような光の無い双眸でメイリーアンを見ていた彼は、その胸中にどのような想いを抱えていたのだろうか。


「辛い思いをした皆が、ただただ労しかった。心身共に傷付けられた者、犠牲になった者、残された者、彼らを見守っていた者……全員が苦しんだ。笑っていたのはメイリーアン嬢の父親と後見くらいだ」


 視線を下げた高嶺が拳を震わせる。声が湿り気を帯び、瞳は薄く濡れていた。


(泣きたいの?)


 そう思った瞬間、明香は反射的に高嶺を抱き締めていた。驚きの気配を浮かべて固まった体をぎゅっと抱擁した瞬間、直感のように悟る。


(ああ、そっか)


 彼はきっと、ずっと泣きたかった。けれどその感情のままに振る舞うことができなかった。

 メイリーアンのことでも、他のことでも。

 真皇族である彼は、人前で涙など見せられない。泣きたいのは神や臣民の方であり、メイリーアンの件で言えば実際に被害に遭っているラウやミア、ライハルトたちの方だからだ。

 ゆえに高嶺は自分が感じている悲しさも苦しさも飲み込んで涙を堪え、平静を装い続けていた。


「泣いて下さい」


 言葉が勝手に唇から零れ出た。高嶺が小さく息を吸い込む気配が伝わる。


「どうか心を殺さないで。私とあなたは家族です。私と二人だけの時は、あなたは真皇族でも太子でも天威師でもなく、ただの高嶺様です。それに、ここには橙日帝陛下やお義兄様方の天威も無くて、誰も視ていないのでしょう。本当に私たち二人きりなんです。だから今は、今くらいは、心が示すままに泣いていいんです」

「……」


 高嶺は答えない。だが、明香が促すようにそっと背をさすると、困惑したようにほんの少し身動ぎした。

 そして数瞬気配を揺らした後――おずおずと、躊躇うような戸惑うような、どこか覚束ない動作で明香を抱き締め返してきた。いつものそつのない仕草とは全く違う、ぎごちない動きで。

 そろりと明香の背に腕を回して肩に顔を埋め、高嶺はしばし黙っていた。


 やがて、彼の伏せた顔から微かな嗚咽が漏れ、温かな水気が肩に染み込んでいくのを感じながら――明香は天を仰いだ。


(高嶺様……ずっと溜め込んできたんですね。きっと、ずーっと我慢してきた。色んなことを我慢して我慢して、たくさんのことを耐えて耐えて……)


 錦を纏い、黄金の御殿で眠り、美食が並べられ、富と権威を有し、全てを持っているはずの皇族。しかし彼らは、本当はとても窮屈で哀しい存在なのかもしれない。


(本当は痛くて寂しくて重くてしょうがなかったんですよね)


 だが、それを口には出さない。市井で緩やかに見守られ、手厚く庇護されてきた明香は、高嶺が歩んできた苦難を豆粒ほども理解できてはいないからだ。


(でも、これからは私もあなたと一緒に歩けるから。しんどくても夫婦で手を繋いで、一つ一つ乗り越えて行ける。高嶺様とならきっと)


 その想いは、はっきりと声に出して発する。高嶺に伝わるように。


「これからは私が隣にいます。あなたが本心のままでいられるように」


(お姉様もお義兄様も陛下も、皆だっていてくれる)


 窓の隙間から差し込む夕暮れに照らされた室内で、壁に飾られた無数の額縁が陽光を反射してきらきらと紅く輝いている。先帝と先皇の肖像が、こちらに向けて慈愛に満ちた眼差しを注いでいる気がした。


「いつでも側にいますから……」


 星くずのような真紅の瞬きが満ちる中、明香と高嶺はじっと身を寄せ合っていた。


ありがとうございました。

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