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85.嫌いだ

ご覧いただきありがとうございます。

 虚を突かれたような顔で、今度は高嶺が瞬きした。寸の間の沈黙の後、穏和で情け深い皇家の者に相応しい、鷹揚な笑みを浮かべる。


「彼女は憐れな境遇なのだ。7歳で奇跡の御子となって以降、実の父である先代大公は奇跡の御子たる彼女をただ甘やかし賞賛するのみで、上位者に真に必要な教育を授けなかった。先代が選んだ後見――モンザート侯爵も同様だ」


 メイリーアンの母は産褥熱で死亡し、強い未練から現世に留まって娘を見守ろうとしたものの、先代大公により強制的に次の生に転生させられてしまったという。

 何をしようともどのようなことを願おうとも、ひたすらにそれを肯定され叶えられるだけの環境で育ったメイリーアンは、一般的な常識や価値観、考え方、他者との円滑な接し方を学べなかった。


「結果、彼女は歪み増長し、彼らに依存する傀儡となってしまった。父と侯爵は自分の絶対的味方。至上の存在である自分は、常に相手に対し優位な言動をする。下位である相手はそれをありがたく受け入れ、全霊を賭けて自分を満足させるために尽くす。それが当然であるという認識になっていた」


 最も近くにいる大人二人がそのような態度を示し続け、彼らの傘下に会った大公邸の使用人たちも追従したため、無理もないことだったのだという。


(四大高位神様を怒らせたのも、それでなのかも……)


 失寵という形で明確に愛想を尽かした四大高位神に対し、平然と新たな神器を求めたというメイリーアン。おおよそ信じられない短絡さだが、それは幼い頃の環境に要因があったのかもしれない。肯定ばかりされ、ただ甘やかされ、自分の行いは全て正しく願いはあまねく叶えられることが当然であったならば、状況が読めず相手への配慮が大幅に欠如した行為を自ずとしてしまうだろう。

 小さく嘆息した高嶺が、軽く頭を振って続ける。


「彼女が10歳頃になると、子どもを対象にした社交会に出る機会も増え、その振る舞いや言動が少しずつ噂になっていった。帝家も注意や指導を行ったが……彼女の教育についてはノルギアス家の家庭内の問題であることと、私たちはゆえあって先代とメイリーアン嬢に干渉できない状況になっていたため、注意勧告が精一杯であった」


 メイリーアンが絡むことには手を出せないと呟いていたテアとミアの顔が脳裏をよぎる。


「彼女は、他者への振る舞いに対し葛藤や罪悪感など抱いていなかった。自分は正しいことをしていると信じていたのだから。健全な愛の与え方も受け取り方も知らなかったのだ」


 その後、ラウと帝家からばっさりと切り捨てられた衝撃により、ようやく自らの過信と間違いに気が付き始めたが、時すでに遅しだった。失ったものは大きく、もう取り返せない。


「やがて実父は死に、失寵した彼女は掌を返した侯爵から粗略に扱われ、こたびのような汚れ役や泥かぶり役として利用されるようになった。だが、幼い頃より囲い込まれ精神を依存させられて来たがゆえに、侯爵に逆らうことができないでいる。私たちは静観することしかできず、苦しんでいる彼女への支援が叶わぬことを遺憾に思う」

「……」


 黙っている明香に、高嶺は美しく微笑みかけた。


「それでも、彼女は大きな挫折と苦難の中で己を見つめ直し、考え方を改め、何とか生まれ変わろうともがいている」


(てことは……父親と後見だけを信じて来た今までの自分を変えて、他の人にも目を向けようと頑張ってるってことか。もしかして、それが斜め上に空回りして、最高神様の神器を初対面の人にあっさり貸しちゃったとか……そういう感じだったりするの?)


 それはそれで考えものだが。高嶺が眦を下げて続けた。


「私はメイリーアン嬢の姿勢を見事だと思う。誰にでもできることではない。間違いなく賞賛すべき女性だ」

「うそ」


 だが、流れるように紡がれる言葉は、明香が発した一音で溶け消える。

 表情を消した高嶺を、明香はまっすぐに見据えた。


「高嶺様はうそを仰っています。いえ、話された内容は事実なのでしょうけれど、ご自身の本当の気持ちとは異なる思いを述べておられるという点で、うそと申し上げました」


 泰斗ならどう言うかを考えながら、自分の分析を迷いなく告げる。


「高嶺様と私のご縁ができてから経った時間は、まだほんの少しです。それでも、そのほんの少しの時間で精一杯高嶺様と触れ合い、できる限り高嶺様のことを見て参りました。ですから分かります」


 漆黒の双眸の奥を覗き込むようにして、語りかける。太陽さえ覆い隠してしまうぶ厚い夜に、それでも温かな光が届くようにと願いながら。


「高嶺様はご無理をなさっておられます。広間でもお茶会でも、メイリーアンさんの話題が出るとずっと苦しそうなお顔をなさっていました。お怒りを堪えようとされているのではありませんか。きっとお義兄様方も分かっていらっしゃる」

「……」


 無表情でこちらを見返す高嶺からは、感情も思考も気の揺らぎも読み取れない。

 彼はずっとそのように生きてきた。皇族として、そうしなければならなかった。護り慈しみ愛すべき民を、統治者の一族が悪し様に言うなどあり得ない。例えメイリーアンが他国の民であってもだ。

 その前提の下で振る舞っている――自分を殺して。


「高嶺様は言って下さいました。私たち二人だけの時は態度を取り繕う必要は無いと。それは高嶺様にも言えることではないですか? 私の前で猫を被って欲しくないのです。本心を押し殺して苦しんでいる高嶺様を見たくない」


 さらに数瞬の間が流れた後、高嶺が微かに肩の力を抜いた。


「そなたにはお見通しなのだな。きちんと隠していたつもりなのだが」


 確かに、ラウたちはともかく、広間にいた官吏や騎士たちは高嶺の反応に全く気付いていなかった。


「妻の勘です。私、もう高嶺様の妻なのですから! 高嶺様と私は神の糸で結ばれていますし、何より私は高嶺様を信頼しています」

「――うん、そうだな。私もそなたのことを信じている。ならばそなたには見透かされて当然だったな」


 胸を張って言うと、ふふっと高嶺が笑った。固く閉じていた蕾がふんわりと綻ぶような、自然な微笑だった。その笑みが、くしゃりと崩れる。怒っているような、泣き出しそうな、どこか頼りない顔。


「嫌いだ」


 次いで唐突に発された言葉は、メイリーアンへの好悪に対する問いの答えだろう。


「ああ大嫌いだとも、心の底から嫌悪している」


 凍て付いた吹雪と燃え盛る業火、双方を掛け合わせたような冷たく熱い憤怒。


「私は彼女を許せない」


 絞り出すように紡がれた本心が、一直線に明香の魂を打った。


「彼女によりどれだけの者が傷付き苦しんだか。私も大切な家族も、その方々の大切な者達も、多くが被害を受けた。……聞いたであろう、ラウ兄上に投げられ続けたあの鋭利な悪罵と中傷の嵐を。何年も見えない刃物に貫かれ、どれ程お辛かったことか」


 握り締められた拳が小さく震えている。余り爪を食い込ませると血が出るかもしれないと、明香は心配になった。


「そんなラウ兄上をすぐ近くで見続けておられたティル兄上も、どのようなお気持ちであられただろう。兄上方が余りにも……余りにもお可哀想であった」


 とても見ていられなかったと呟く高嶺の目の端に、うっすらと涙の膜がかかる。


(高嶺様――)


「だが、最も許せないことは……」


 低く呟き、しかし、高嶺は途中で言葉を切った。何故か明香を眺めて黙り込み、思考を切り替えるように軽く頭を振って続ける。


「……それだけではない。彼女は珠歩兄上の事も侮辱した。さらに、これは決して故意ではなく結果論ではあるのだが――彼女は義姉上方のご両親を見殺しにしてしまったのだ」

ありがとうございました。

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