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83.橙日帝の実母

ご覧いただきありがとうございます。

(転移って便利だなぁ。でも運動不足になるかも)


 移動先は、ちょうど大きな木の陰になる位置だった。少し離れた所にある通用門の前には門番であろう騎士が二名佇んでいるが、木の向こうにいるこちらには気付いていない。


「すまない、少し待っていてくれ」


 断った高嶺が虚空を見上げ、数瞬後に軽く眉根を寄せた。そして明香に向き直る。


「仕方がない。――明香、すまないがこれを持っていてくれないか」


 言いながら懐から取り出したのは、神威の気配を抑えるあの神布だ。高嶺の一時預かりになっているが、本来であれば茶会の後に新しい保管場所に持って行く予定だった。


「少し時間があるゆえ、置きに行けるかと思ったのだが……今、大神官と念話をしたところ、遷都の儀に向けた準備が本格化した影響で人手が駆り出され、新しい保管場所の準備が遅れているようなのだ。夜には終わるとのことだが」

「そうですか……」


 鳳凰と化して四大高位神と競う明香を、青ざめて見守っていた恵奈の姿を思い起こし、また時間を見付けて彼女にも謝っておかなくてはと思った。高嶺が少し思案してから続ける。


「私は今宵は皇宮に戻れそうにないゆえ、そなたに預けたい。新たな保管場が整えられ次第、信頼できる者に引き取りに行かせよう」

「分かりました」


 明香は素直に神布を受け取り、軽くたたんで懐にしまった。ありがとうと礼を言った高嶺が、ふと晴れ渡った空を見上げる。


「空の端に雲がある。今夜あたり雪が降るやもしれぬ」

「え、本当ですか」


 明香もはしたなくない程度に上方に視線を走らせ――あれっと声を上げる。


「どうした?」

「あ、すみません……あそこの塔だけ色味が違うなぁと思いまして」


 分庁の本殿から少し離れた位置に、細長い塔が建っている。先端は翠色の龍が巻き付いたような意匠になっていた。


「ああ、あれは帝家とその縁者が私的に使う離れだ。歴代の真帝族方とそのご正室の肖像が飾ってある。見に行こうか?」


 思ってもいない提案に明香は慌てた。


「い、いえ。だってこれから大事な会議でしょう?」


 だが、高嶺はあっけらかんとした様子で微笑んでいる。


「17の時までに戻ればいいのだから大丈夫だ」


 だから行ってみよう、と再び差し出された手を見て、明香はむ〜んと一瞬悩む。


(まあ、確かにまだ16の時だもんね……ちょっとくらいなら)


「では少しだけ」


 そろっと手を重ねると、次の瞬間には塔の入り口が目の前にあった。


「中へ」


 高嶺に促されて中に入り、一番近くにあった扉を開けると広々とした空間が広がっていた。淡い翠色を基調とした大きな広間で、奥には上階への螺旋階段が伸びている。


「この塔は、肖像の形でとはいえ代々の真帝族方が(いま)す神聖な場所だ。ゆえに、例外的に帝族の天威が張られていない。恐れ多くも己が父祖に当たる方々を不躾に眺めるわけにはいかぬためだ」


 ここは分庁なのでまだ規模が小さく、帝国の本城にはもっと本格的な塔があるのだという。


「皇宮の特別区にも同様に、歴代の真皇族方を祀る御座所がある。今度時間が取れたら一緒に行ってみよう。遷都が終わっていれば新宮の方の御座所に行くことになるかもしれないが」


 説明しながら、高嶺がすらりとした指で壁を示した。広々とした空間の四方は、その一面に金髪碧眼の美麗な男女の肖像がずらりと飾られていた。中には皇家と思われる黒髪黒目の者もいるが、帝家の正室となった者たちだろう。


(うっわぁ、すごい――綺麗……)


 実物を正確に写し取る記録霊具を用いて作製された肖像なので、まるで生身の本人がいるかのような臨場感溢れるものばかりだ。市井には出回っておらず、滅多に見られないものである。


(ああ、何て目の保養!)


 帝家と皇家の者たちは皆、天上の美貌を持つ。見ているだけで魂まで洗われるような麗姿にうっとりしていると、高嶺が迷わずにその内の一枚を指差した。


「こちらが我が祖父――帝国の先帝陛下だ」


(えっ、どれどれ!?)


 明香はすぐさま高嶺が指す絵に視線を走らせる。そして、思わず息を呑んだ。

 震えが走るほどに深く大きな慈愛と優しさ、そして僅かな憂いを含んだ眼差しがこちらに微笑みかけている。


(この方が先帝陛下――皓暗帝(こうあんてい)ルーディ様)


 現帝レイティの父にして白珠の伯父、そして皇国の先代皇帝・黒曜の実兄にして対であり、正配待遇でもある者。外見は20代前半頃だが、天威師は老化しないので正確な年齢は分からない。典雅な容貌は微睡むような柔和さを宿しており、どこかふわりとした雰囲気はティルに通じるところがある。

 また、髪と瞳は共に色素が薄い。波打つ長髪は白に近く、ごくごく仄かな金に色付いている。瞳は春の陽気を浴びた湖水のように淡い碧眼だ。そして、たおやかと言っていいほど線の細い身体つき。


「お優しそうな方だろう」

「はい、とっても。蒼月皇陛下も共にいらっしゃるのですね。……いえ、もしかしてこちらは先皇陛下では?」

「正解だ。我が祖母にして神千国先代皇帝、玄暗皇(げんあんこう)陛下だな」


 先帝の隣に寄り添うように佇む、見事な黒髪黒目の華奢な女性。その容貌は、忘我の美しさを誇る先帝と並んでも見劣りすることがないほどに凄絶なもので――蒼月皇白珠と瓜二つであった。


(陛下のお母君……黒曜(こくよう)様)


 ちらりと高嶺を見る。先皇に生き写しである白珠の面差しを受け継いだ高嶺――と北の御子――も、先皇によく似ている。


「親子三代で似ておいでなのですね」


 正直な感想が唇から溢れ出ると、高嶺は苦笑した。


「よく言われる」


 そして再び祖父母の肖像を見遣り、静かに言う。


「先帝陛下は正室を置かれなかった。代わりに先皇陛下が后待遇となっておられた」


 二人が共に描かれているのは兄妹だからというのもあるが、互いが互いの正室待遇であったためという理由もあるのという。


「――うん、これはちょうどいい機会だ。明香、そなたに伝えておくことがある」


 太陽の光すら覆い隠す夜の黙の瞳が、正面から明香を見据えた。その深さと静けさに、息をすることすら忘れそうになる。


「私の祖父は先帝陛下ただお一人。同様に、祖母は先皇陛下のみ。これは私たち四兄弟の共通認識だ。そして、橙日帝陛下にとっての母は生みの親ではなく養母である先皇陛下。蒼月皇陛下にとっての父は実の父ではなく養父たる先帝陛下。これは私たち家族の中での確定事項だ。今後もそれを前提に話をするため、どうか覚えておいて欲しい」


 これは譲れないのだと、高嶺は噛み締めるように言葉を発した。本来は、祖父母は父方と母方にそれぞれいるものだ。だが高嶺たち家族の中では、橙日帝の実母と白珠の実父は存在を無いものとされている。


「どうしてそのようなことになったかは、そなたも知っているだろう。あの事件は、皇国と帝国の隅々にまで仔細が知れ渡っているのだから」

「……ええ、まあ……」


 咄嗟に上手い返しが思い付かず、明香は短く相槌を打った。それは帝国で連続して起きた二つの大事件の結果であったからだ。だが、さすがに自分の口から告げるのは憚られ、もごもごと沈黙していると、高嶺の方が話し始めた。


「先帝陛下は女性運に恵まれぬお方だった。天命の伴侶はいらっしゃらず、后妃候補は幾人か挙がっていたものの絞り込む前に帝位を継がれることになった。そして、ある貴族の娘を一夜の寵で娶ることになった」


(一夜の寵……御威を持たない子女でも、決められた条件を満たせば一晩だけ皇帝や皇族、帝族の相手ができる制度)


 家柄や礼儀作法、経歴や素行、今までに挙げた実績など幾つかの項目を勘案して審査され、合格となれば推挙される資格が得られる。


「だがその娘は、望んで一夜の寵を受けたわけではなかった。親に強要され、不承不承閨に臨んだのだ」


 一晩でも皇帝の寵を受けた時点で、本人と実家には箔がつく。一夜の寵を務めたという経歴は、皇帝をお慰めする大役を全うしたという美点かつ栄誉となり、末永く自慢できるのだ。両親は、何が何でも娘を皇帝の閨に押し込もうと躍起になったという。


 ――そうして悲劇の幕は開かれた。


「聖恩を受けたご令嬢はご懐妊なさったのですよね」

「ああ。両親は狂喜乱舞したが、娘にとっては最悪の展開だった。彼女は自由恋愛による婚姻と妊娠を望んでいたからな。失意の中、娘は密かに決意した。かくなる上は、自分の人生をめちゃくちゃにした憎き実家と皇帝に復讐してやろうと」


 実は娘には密かに慕う相手がいたのではないか、あるいは身分違いのために秘めていた恋人がいたのではないか、などの憶測が囁れているが、真相は定かではない。どれであるにせよ、帝家にとっては見事なまでの逆恨みである。


「娘は表向きは従順な妻を演じながら、昏い心を臨月まで隠し通した。先帝陛下も娘の態度に空々しさを感じておられたそうだが、帝家と貴族の婚姻などそのようなものだ。形ばかりの関係であることも多々あるため、特に不審には思われなかったそうだ」


 とはいえ、娘に対する誠意や心配りを怠っていたわけではなかったという。


「それでも折に触れて娘の元を訪れ、手紙を書き、贈り物を届け、心身を気遣い、何か話したいことや抱えていることがあるならば遠慮なく言って欲しいと働きかけていらっしゃった。娘はその度に満足でございますと答えるばかりで、決して心の内を明かさなかったが」


 しなやかな指で先帝の肖像を撫でる高嶺は、痛みを堪えるような表情をしていた。


「天威で無理矢理に娘の気を読み、本心を暴いておくべきだったと、先帝陛下は後に深く悔やまれている。娘は守るべき臣民であり、かつ一夜のみであっても床を同じくした女性であったゆえ、一縷の情が芽生えて手心を加えてしまったが、それが間違いであったと」


 遠慮も配慮も捨て、容赦なく気配や心を透視して娘の歪んだ怒りを暴き立てていれば、この後の事件は起こっていなかっただろう。そう考えた時、明香は頭の片隅で疑問を感じた。


(先帝陛下、本当にお気付きにならなかったのかな。ご令嬢の不穏な気配に)


 まだ御威の扱いが未熟な自分でさえ、相手の基本的な状態は読み取れる。であれば、おそらく力を自在に使いこなしていた先帝ならば、気を読む間でもなく娘の内に秘められたどす黒い念を察知できたのではないだろうか。


「月日が流れ、ついに出産の時が訪れた。無事に産声を上げた我が子を腕に抱いた娘は、その子を思い切り床に叩き付けて殺そうとした。同席していた先帝陛下が御威で風を起こし、子を受けとめたことで事なきを得たが――」


 だが、助かったからいいという問題ではない。軽く頭を振り、高嶺は続ける。


「娘はその場で舌を噛み切って自害した。その際、声を限りに恨みつらみを絶叫したという」


 曰く――


『自分は自由な恋愛がしたかった。家のためだと両親に脅され、嫌々皇帝の相手を務めた。人生を潰された。両親と実家を呪ってやる。皇帝を恨んでやる。産み落としたそれは我が子などではなく自分の未来を奪った忌まわしい怪物だ。ここで死ねば良かったのにしぶとい餓鬼だ』


 十月十日に渡って溜め込み増長させていきた怨嗟を先帝と子に投げつけ、口から溢れ出した血で顔中を真っ赤に染め上げながら白目を剥いて果てたと聞く。部屋のあちこちに鮮血が迸る地獄絵図の中、狂気を爆発させて息絶えたその死に様はまさに凄絶の一言だったそうだ。


 なお、娘が罵声を炸裂させている間、先帝は腕の中に保護した我が子の目と耳を必死で塞いでいた。


「忌まわしき怪物だと実の母親に面罵された御子こそ、現帝たる橙日帝――我が父だ」


 沈んだ声で呟いた高嶺を、明香は言葉もなく見上げた。自分の祖母が、生まれたばかりの父を殺そうとした――それは高嶺にとって良い話であるはずがない。漆黒の瞳はいつもの輝きを失い、どこか遠くを見ている。


「緘口令を出そうとも隠せる次元にはなく、話は一気に広まってしまった。死した娘は罪人として処理され、全ての身分と権利を剥奪の上、帝家から絶縁された」


 その後、娘の実家はまるで祟られたように、両親と跡継ぎ息子も含め傍系までもが病気や事故で死に絶え、一年と経たずに断絶したという。


ありがとうございました。

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