82.お義兄様の笑いが止まらない
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(ぎゃー! 最高神様方が!)
明香は慌てて、窓に張り付いたままぴくぴくとしている四つの光に駆け寄る。
「大事ございませんか!? 申し訳ございません、私が勢いづいてしまったせいで、本当に申し訳――」
慌てて陳謝した声は、不意に聞こえてきた含み笑いに遮られた。
(え?)
ふるふると震える四つの光は、次第にその振動を大きくしていき、ついにはっきりと笑い出した。
『あぁ、負けてしまいました! 皇女様はお強いこと』
『追いかけっこというのも楽しいものですな!』
『人間の言葉で言うと、何でしたか……童心に帰るというものでしょうか』
『これほど無心になったのは久方ぶり。すっきりさせていただきました』
明香は瞬きした。咄嗟にひねり出した追いかけっこという提案は、以外に上手くいったようだ。
「もったいなきお言葉にございます。けれど、途中で御身をぶつけさせてしまいました。あってはならぬ非礼をお詫び申し上げます」
深く頭を下げると、黄、青、緑、赤が口々に応えを発する。
『良いのですよ。手合わせのように激しい動きをしたい、それにより清々したいと所望したのはこちらなのですから』
『左様にございます。多少衝突したくらいどうともございませぬゆえ、お気になさらず』
『勢い余ってぶつかるほど、のびのびと動いていたということ。楽しいひと時でございました』
『恐れ多くも天威師を追いかけさせていただく機会など、そうそうございません。貴重な体験をさせていただき満足にございます』
そして、すっかり満ち足りた気配となってふわりと浮き上がる。いつの間にか高嶺が恭しく跪拝していることに気が付いた明香は、急いで同じ体勢を取る。ラウたちも跪いて神々の前に控えていた。
『さて、我らは気分が良くなりましたゆえ、これにて失礼をば』
緑の光を揺らがせ、風神が言う。
『ええ。あの無礼な娘のことなど、もはやどうでも良くなりました』
赤い光が膨らみ、火神も声を上げた。無礼な娘とはメイリーアンのことだろう。
「御心が安寧を取り戻されたのであれば、それに越したことはございません」
「大いなる神々よ、伏してお見送り申し上げる」
ラウとティルが胸に手を当てて頭を下げる。
『太子様方にも礼を言います。――皇女様、ぜひまたお相手下さいませ』
『今度は天威師様全員のお顔を拝見しとうございます』
地神と水神も言い、西の四大高位神は光を絡ませながらうきうきと天へ昇って行った。その光が雲間に消えると、明香はぺたんとへたり込んだ。
このような破天荒な対処で本当に良かったのだろうか。……一応、悪くはなかったはずだ。終わりよければ何とやら、である。泰斗とて言っていたではないか。例え子供じみた方法であっても、結果的に神が満足すればそれでいいのだと。
テアとミアが我先にと抱きついてくる。
「明香、やったな!」
「頑張りましたわね、明香」
「でも……私、皆を驚かせてしまったかもしれません。お義兄様方、何も相談せず独断で動いてしまい、申し訳ありませんでした――え?」
ラウとティルの方を振り向くと、先程まで凛と拝礼して神々を見送っていたはずのティルが腹を抑えて蹲っている。
「ティルお義兄様?」
(どうしたの、まさか急な腹痛とか? もしかして私が無茶したから胃が痛くなったとか……)
悪い想像が胸中をよぎった時、ティルがくぐもった声を漏らした。
「――っはは……ふふ、ははは!」
(へ?)
「お、追いかけっこ……さ、最高神を、追いかけっこで宥めちゃった……」
切れ切れに呟き、身を折り曲げて笑い出す。テアが慌てた声を上げた。
「まずい、ティル様の笑いの弁がまた取れてしまったぞ。こうなると長いんだ」
「明香が飛び出してからずっと笑っておられましたのよ。神々が戻って来られてからは頑張って堪えておられたのですけれど」
ミアが困ったように頬に手を当てた。肩を震わせるティルの頭を軽くぺしんと叩き、ラウが呟いた。
「4周目だったか、四大高位神様同士が次々にぶつかった時は噴き出していたな」
「――あっはははは!」
思い出してしまったらしく、ティルがますます爆笑する。床にくずおれるようにして笑い転げる様を見て、そろそろ呼吸困難になるのではないかと明香が心配していると、高嶺がティルの背をさすった。
「最後に揃ってべたりと窓に張り付いた時も我慢しておられましたね。兄上、大丈夫ですか。余りお笑いになるとお身体に障ります」
(高嶺様、笑わせたいのか止めたいのかどっちなんですか)
笑いの燃料を投下しながら案じるというずれた行動をしている高嶺に内心で呟く。
「あの……お義兄様方、怒っていらっしゃらないんですか? 私、勝手に……」
おずおずと問いかけると、息も絶え絶えになっていたティルが、何とか呼吸を整えて答える。
「ふ、はは……や、それは、いいんだよ。明香の好きなようにしていいって言ったのは、俺たちなんだから」
ラウも何でもないことのように頷いた。
「ああ。明香の思うように、やりたいようにすればいいと言っただろう。それは上辺だけの儀礼的な言葉ではなく本心だ。そなたは勝手なことなどしていない」
テアが顔中に笑みを浮かべて称賛を注いでくれた。
「明香はよく頑張ったぞ!」
高嶺も首肯する。
「ああ。そなたは立派に尽力した。自信を持つべきだ。……母上から注意の書簡が届けられるかもしれないが、教示だけ素直に身に刻めば、必要以上に落ち込まなくていい」
やや神妙に付け足された言葉に、場がしんと静まり返り、ティルがさっと笑いを引っ込めた。
ミアが軽く額を抑える。
「ええ、そうですね……お義母様からのご指導は少しだけ戴くかもしれませんわね。それはそのままお受け取りなさい」
(うん、あれだけばっさばっさ飛んで大騒ぎしたんだもの。注意の一つや二つはされて当然だよね)
当然のことだと、明香は密かに覚悟を決めた。
ラウが遠い目をして窓の外を見た。
「母上の説教は中々に堪えるからな。滾々と、切々と、粛々と、淡々と、それこそ骨の髄と魂の底に染み渡るくらいまでひたすら言い聞かせるというか」
(これも義兄様みたい)
またもや泰斗の面影が浮かぶ。泰斗はこちらを叱る時、暴力や暴言を振りかざすことはしなかった。ただ静かに、深く、重く、降り積もるように注意してくるのだ。下手に折檻されるよりもよほど怖い。
「だ、だが明香が一生懸命に頑張ったことは分かって下さるはずだぞ」
「ひぇーってなったら俺たちの所に逃げておいでよ。会議中でも匿ってあげるよ、遷都より明香の方が大事だから」
テアが急いで明香を励まし、ティルがはたはたと手を振りながら言った。
(そこは遷都の儀を優先して下さい!)
明香が引き攣った笑みを返した時。ばたばたと足音を鳴らし、幾名もの官吏と騎士が廊下を駆けて来た。
「太子殿下!」
「先ほど四大高位神様の御光と皇女殿下がお空を!」
翠の法衣を纏った神官と思わしき者たちも混ざっており、後ろにはフルードの姿も見える。皆、蒼白な顔になっているものの、冷静さは保っていた。真帝族ならば上手く対応してくれたはずだと信じているのだ。真っ直ぐにラウたちの前まで来ると一斉に跪き、口早に述べる。
「申し訳ありません。すぐに参じようと思ったのですが、四大高位神様の神圧で上手く動けず……」
「情けないことながら、圧倒されその場に縫い止められてしまっておりました」
陳謝を告げられたラウが鷹揚に頷く。
「それは仕方のないことだ。最高神の神威が降り注ぐ中で、人間が常と同じく動けるはずがない。そなたたちの非ではない」
次いで、ティルが声を張り上げる。
「皆聞け。先ほど、諸事情により四大高位神様方の御気色が損なわれ、我が国はご不満の意を賜る寸前であった」
皆が息を呑む。ティルの言葉は、帝国に四大高位神の神罰が落ちる寸前であったという意味だからだ。
「だが、心配は不要だ。皆も見た通り、四大高位神様方はご機嫌をお直しになり、恙無く天にお戻りになられた」
そして、ひょいと明香を背を押して前に立たせる。
(ん?)
「皇国の紅日皇女がお相手を務め、見事に四大高位神様方をお鎮めになったのだ。皇女が我が帝国を救ってくれた!」
(はえぇ!?)
内心で吃驚する明香を他所に、廊下が一気にざわめく。
「皇女殿下が!?」
「何と!」
「それでは先ほどの御光と鳳凰はその時の?」
先輩神官の後ろに控えたフルードが、明香に感嘆の眼差しを注いでいる。
「い、いえその……」
明香はもごもごと口ごもるが、テアとミアが口を開いた。
「報告書はこれから急ぎ作成する。分庁だけでなく皇宮や皇都の人々も驚かせてしまったため、当然皇国や皇都の役所にも説明の使者を遣わすつもりだ」
「帝国の一部たる分庁で起きたことであり、お宥めした神も帝国の神ですから、この件は帝国の領分です。資料と書類一式を作成次第、藍闇太子殿下のご確認とご裁可をいただき、皇国の各所にお届しますわ」
つまり、明香は何もしなくていいということだ。茶会前の一件の場合は、帝国たる分庁で発生した事案だが、相手取った森の狼神は皇国の神であった。ゆえに、皇国と帝国どちらの案件でもあったため、高嶺も自ら動いて神官府に報告を行い、情報の共有と臣民への報告の段取りを付けていた。
しかし、今回は場所も相手神も帝国に属しており、明香が相手をしたのも神から指名されたからであるため、帝国の案件になるのだという。
テアとミアは、続けてこっそりと念話で話して来た。
『と言っても、お付きの女官などには明香から直接話をすることになるだろう』
『報告書ができましたら、先に明香に送りますわ。それを見て説明なさって』
『お姉様、ありがとうございます!』
確かに、佳良たちや松庵には自分の口で説明するのが筋だ。帝国とのすり合わせもできそうだとほっとしていると、ラウとティルが微笑みかけて来た。
「本当にありがとう、皇女」
「皇女のおかげで帝国全土が救われた」
そして、硝子細工でも扱うかのような所作で、明香の髪に口づけた。
(ひゃ〜!)
それを見た官吏たちが息を呑む。
「太子殿下方が……」
「あれは宝玉に対するお仕草のはず」
「では皇女殿下は太子殿下方の宝玉になられたのか」
さざ波のように伝播する声を一顧だにせず、ラウは続けて官吏たちに指示を出す。
「四大高位神様の件は、この後太子妃たちが取りまとめる。また、藍闇太子と紅日皇女との茶会は終了した。私と紺月太子はこれより、藍闇太子と緊急会議を行う。遷都の儀の日取りが7日後に決まったゆえ、その打ち合わせだ。こちらの詳細も、追って各所に連絡する。私たちに充てられていた公務は太子妃が代行する」
「遷都の儀!?」
「ついにか」
一気に広がるざわめきを意に介さぬ様子で、テアとミアもまぐっと明香を抱きしめてきた。やはり髪に唇を落とされてすりすりされる。
「ちょっとの間だけお別れだぞ、明香」
「またすぐに会えますからね」
「茶会の間に何か報告事項が発生したのなら聞くよ。――藍闇太子は皇女を門まで送ってあげて。俺たちは臣下と引き継ぎをしないといけないから、少し時間をくれると助かる。そうだね……17の時になったらここに戻って来てくれたらいいから、ゆっくり挨拶しておいで」
ティルが懐中時計を取り出して一瞥しながら言った。皇国も帝国も、1日の時間は0の時から数えて24時間だ。時計の文字盤は、現在ぴったり16の時を示している。
高嶺が素直に頷く。
「はい」
「皇女殿下はお帰りになられるのですね。ではお供を……」
騎士の一人が声を上げた。
だが、高嶺は緩く微笑む。
「ありがとう。だが転移を使うつもりなので気遣いは不要だ」
「承知仕りました」
騎士はすぐに引き下がった。今日は私的な訪いであるため、公務のようにぞろぞろと随伴を付ける必要はない。皇帝たちの掌にある帝城や皇宮で天威師を襲う馬鹿もいないだろう。……いても返り討ちだ。
明香は最後にもう一度会釈し、差し出された高嶺の手を取る。
景色がぐにゃりと歪んだ。
にこやかに手を振るラウたち、深く頭を下げる官吏たちの姿も揺らぎ、一瞬後、高嶺と共に分庁の外に立っていた。
ありがとうございました。




