78.始まりの神器と皇家への罰
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(いきなり重要そうな話がきた!)
内心で悲鳴を上げながら、明香はその言葉を咀嚼した。
「始まりの神器ですか。人界に留まる根拠、というのは?」
「うん。緋日皇陛下は、世界と人類を助けようと下界へ降りた。自分が地上を平定して皇帝になり、世界を統べることで信仰心を復活させて神々を宥める、っていう大義名分でね。けどそれって禁忌なんだよ。神は人界に関わらないんだから。いくら神格を抑えても、結局その本質は神なんだし。だから緋日皇陛下は、祖神様方から降臨を強く止められた」
明香への説明が行われている中、テアとミアが空の皿などを揃えて整理し始めている。片付け役を任せてしまっているのが申し訳なかったが、明香が今やるべきことは、この話をしっかりと聞くことだ。
次いで高嶺が続けた。
「それでも意思を変えなかった緋日皇陛下に、至高神様方は条件を出された。専用の神器を創り、『地上と人間をどうしても救いたいゆえ、神格を抑えて地上に在ることを許して欲しい』という想いを込め続けよ。神器が想いを受けて輝く限り、我らは緋日皇とその末裔が地上に在ることを許そうと」
「――それが始まりの神器ってことですね」
「ああ。万一その光が失われれば、地上の真皇族は至高神様により天界に連れ戻される。真皇族がいなくなれば、真帝族も地上に留まる意味はなくなるため、自発的に神格を開放して天に還る。さすれば天威師の加護を失くした世界は、未だ怒れる神々に世界もろとも滅亡させられる」
(ええ!?)
恐ろしい話に、明香の心臓がぎゅっと縮まる。そんなことになれば、まさに負の連鎖ではないか。
「ゆえに、何としても無事に移送を成功させねばならない。ただでさえかの神器は消えかけている。緋日皇陛下が想定していた天威師の統治期間は、長くても千年であった。だが神々の怒りが長引き、既に三千年が経過しようとしている。本来の使用期間を大幅に超過した神器は摩耗し、何か衝撃があればその時点で消えてしまうかもしれない」
「ま、また新しく作り直せませんか?」
「その場合、始まりの神器の変更ないし交換を至高神様方に願い出て許可を得る必要がある。だが、おそらく許可はいただけない。元々、至高神様方は末裔が地上にいることに反対していらっしゃるのだから」
むしろ、これを好機として還らせようとするかもしれないのだという。
そこから先は、箱に菓子を入れ終わったラウが説明を引き取った。
「動かす瞬間が神器に最も衝撃がかかりやすい。同時に周辺環境まで変われば、さらに刺激が与えられてしまう。変化を最小限にするため、旧宮と新宮の気の波長が近くなる時を見計らっていた。両者がある土地は気候も風土も異なるゆえ、なかなか合う時が無かったが――7日頃、極めて気の流れが近くなることが分かった。その日に天威にて移送する」
「あ、あの……無理に危険な橋を渡らなくても、今のまま新旧の皇宮を併用していればいいのではないですか?」
替えの効かない大切な神器を、そこまでして動かす必要があるのだろうか。恐る恐る提案すると、皆は揃って小さな吐息を漏らした。
ティルがやれやれと言わんばかりに頷く。
「そう思うよねぇ。でも、移送しないといけないんだ。ちょっと事件が起こってさ。――今から5年前に、天界にいらっしゃる祖神様方から俺たちに天勅が下された。5年以内に遷都し、真帝族と真皇族の本拠を同じ地に移せと」
「ええぇ!?」
(いや、何があってそうなったの!?)
「じ、じゃあ、国境で皇宮と帝城を隣接させる遷都計画を立てた本当の理由は……」
「天命の通り、真帝族と真皇族の拠点を同じ場所に移すためですわ。ですから、国境への遷都は必須なのです。そして、始まりの神器は皇国皇帝と共に在るものと定められておりますの」
遷都が完了すれば、皇国皇帝の拠点は新たな皇宮となる。皇帝の御座所に始まりの神器もなくてはならないため、新たな皇宮に移すしかないのだという。
「はぁ……」
明香の喉から、もう何度目か分からない溜め息が相づちと共に漏れる。テアが補足した。
「新たな皇宮が出来上がり政務機能の移行が完了し、いよいよ後は神器を移すだけとなった。七日後に新旧の都の波長が合う日が絶好のチャンスなんだ。失敗すれば私たちは天に強制送還され、神々は即座に地上を滅ぼす」
(ぎゃー!)
現状としては相当な綱渡りらしい。明香が頭を抱えると、高嶺がぽんぽんと肩を叩いてくれた。
「まぁそう悲観せずに。あ、最後の締めにもう一杯くらい飲めるかな」
ティルが宥めるように言いながら、食後のお茶を淹れる。あっさりと飲みやすい紅茶だ。卓の上の皿や食器、残った菓子は、既にほぼ整理されている。
「ありがとうございます……でも、あの、そんな状況なのにお茶会を開いていただいて良かったんですか?」
この茶会は、明香とラウたちの顔合わせという主旨で開かれた。だが、色々と危機的状況にある今、もっと優先してやるべきことがあったのではないかと思ってしまう。
「うーん、神器の移送に関しては焦ってもどうにもならないからねぇ。かといって、他のこと……遷都後も政務が滞りなく継続できるよう段取りしておくとか、引き継ぎとかはほぼ完了してるし」
ティルが首を傾げて言い、不意に真面目な顔になって明香を見た。
「それに、遷都の儀では明香と俺たちが連携するかもしれない。だからそれまでに接点を持っておいた方がいいよね。初めて会う義兄を信じて動けって言われても咄嗟には難しいだろうから。俺たちは形代越しにでも明香を知ってるけど、明香はそうじゃないんだし」
(あ……確かに)
実際は、ラウとティルならばきっと初対面でも上手く明香に合わせてくれるだろう。だがそれでも、あらかじめ相互に信頼関係が築けていたならば、そちらの方が格段に動きやすいに決まっている。
「そういうことだ。今日の茶会は単なる顔合わせだけではなく、今後も踏まえて私たちと明香が親睦を深めておくという意図もある。――ただでさえ帝家は皇家への特権を持っている。一歩間違えれば信頼されるどころか怖れられてしまいかねないゆえ、きちんと話をする機会が欲しかった」
続けて説明してくれた内容に、明香は一瞬息を止めた。高嶺から教えられた秘伝と花梨の容態が脳裏を巡る。
「ラウお義兄様……その特権とは天蜜と命令のことですか?」
初めて天蜜と命令に関する講義を受けた時、皇家にまさかそのような弱点があるのか、と大きな衝撃を受けたものだ。
「ああ。帝家は皇家に対して優位性を持っている。天蜜の創生権と命令権だ。何故か分かるか。神は人界に干渉してはならぬという決まりを破ったのは緋日皇陛下だからだ。翠月帝陛下は緋日皇陛下に巻き込まれた側である」
もちろん、経緯はどうあれ緋日皇の必死の願いを撥ね付けきれず、最終的に聞き入れると決めたのは翠月帝本人だ。その責任は彼自身にある。しかし、それでも規律違反の主は緋日皇であり、翠月帝はあくまで従。愛する者の訴えに不承不承ながら応じた立場なのだ。
翠月帝本人は、決まり事は守るべきだとして至高神と同じ反対側に立っており、幾度も緋日皇を諫め、人界行きを制止していたという。
「ゆえに至高神様方は、翠月帝陛下に地上における緋日皇陛下の支配権を与えた。天蜜と命令という形で。それもまた、緋日皇陛下方が地上に留まることを許可する条件の一つであり、神々の決め事を破った緋日皇陛下への罰でもあった」
それが天蜜と命令の起源なのだという。そこで、今度はテアが補足する。
「そういう制限を付与しておかなくては、緋日皇陛下は世界と人間のために悉く理由を付けて力を使うかもしれなかった。天に強制送還されないぎりぎりを狙って、横紙破り寸前の行為を繰り返しかねない。強力な抑制者が必要だということで、翠月帝陛下に緋日皇陛下を束縛する力が与えられた」
高嶺が溜め息を吐いて続ける。
「天蜜と命令に関する権利や効果は、緋日皇陛下の志を継ぐ皇家と翠月帝陛下の意を継ぐ帝家、両家の末裔にそのまま引き継がれた。本来は天に還らねばならないところを掟破りで留まっているのは真皇族であり、真帝族は自らの意思であってもそれに付き合ってくれている側であるゆえに」
至高神や翠月帝、帝家が横暴なのではない。むしろ、緋日皇と皇家の方が無理を通しているのだ。
「擬皇族や庶子までが天蜜と命令に縛られるのは、真皇族と同じ血を持ち皇家の一員として属している以上、まとめて罰を受ける対象になるためだ。擬帝族や帝家の庶子が蜜や命令を出せるのも同じく」
ただし、細かな条件によって命令が効かないことはある。例えば、擬帝族や庶子は真皇族を支配できない。
「とは言いましても、至高神様方は緋日皇陛下や皇家に本当の意味での罰を与えるおつもりはなかったと思われますわ」
ミアが微笑んで言う。こちらを安心させようとするような笑みだった。
「緋日皇陛下を誰より愛している翠月帝陛下と、皇家が大好きすぎる帝家ですわよ。優位性を与えられたからといって、無体な仕打ちをするはずがありませんもの。それを見越した上で天蜜と命令の権利を与えたのですわ」
ラウが真っ直ぐに明香を見つめ、穏やかに言う。
「その通りだ。至高神は同族を心から愛する。緋日皇陛下のことも真皇族のことも掌中の珠のごとく慈しんでおられるゆえ、愛しい者を本気で苦しめるような処分はなさらない。西の御子のような例外を除けば、我ら帝家が皇家に牙を剥くことは有り得ない」
ティルとテアもそれに追随した。
「仮に帝家でそういうことする奴がいたら、そいつ完全に狂ってるよ。特に真皇族を大事するのは真帝族の性だから、そんなことはまずない」
「私もミアも明香が嫌がるような命令なんかしないからな、天蜜だっていくらでも支給するし、大船に乗った気でいていいんだぞ!」
(私、きっと不安そうな顔してるんだろうな)
心配ないと口々に言う皆を見て、自分の顔色は悪くなっているのだろうと察する。信頼されるどころか怖がられてしまうかもしれないという帝家側の懸念は、きっと的を射ているのだ。
だからこそ、ラウたちは明香としっかり向き合う時間を設けた。自分たちは怖くない、酷いことはしないと分かってもらうために。
(大丈夫――お義兄様方なら大丈夫。酷い命令をしたり、蜜をくれなかったりなんかしない。そんなことする人たちじゃない)
結果としてはラウたちの目的は成功したと言える。明香の心には既に彼らへの信頼が深く根付いているのだから。
この茶会で、彼らは表面を取り繕い耳障りのいい言葉だけを並べて明香を懐柔しようとはしなかった。自分たちの綺麗ではない部分や暗く重い側面も見せ、不利になる要素も臆さず開示した上で、真っ直ぐに明香と向かい合い、胸襟を開いて話をしてくれた。
それは彼らの誠意であり真心なのだと、痛いほど伝わってくる。
(この人たちは――私の家族は信じられる。優しくて暖かくて大きなお義兄様方)
この触れ合いで抱いた認識を改めて確認すると、明香は一度拳を握ってからすっと力を抜き、ふわりと笑った。
「――分かりました。私、皆様を信じます。皆様だけでなく、橙日帝陛下や他の真帝族の方々も信用していいのですよね?」
すぐにティルが頷く。
「もちろん。……でも、父上に関してはちょっと伝えておかないといけないことがあるんだ」
「何でしょうか?」
きょとんと問い返した明香に答えたのは高嶺だった。
「父上は特別なお方だ。皇家だけでなく真帝族すらも支配できる」
「――え」
思いがけない言葉に、一瞬呼吸が止まる。
「それは……帝国皇帝に与えられる特権とかですか?」
「いや、違う。父上だからこそ可能なことだ。父上は――荒神であらせられる」
ありがとうございました。




