77.橙日帝からの報せ
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「あの……?」
ひやりとした明香が声をかけようとした時、空気を変えるようにテアとミアが笑顔を作った。
「けれど危機に陥った皇家の者がいれば、その窮状が対である帝家の者に伝わるんだ。対でなくても、天命の伴侶や近しい家族、あるいはその皇家の者を宝玉と定めている場合などでも窮状が分かるから、助けに行ける」
「今回の場合、明香の対である私とお姉様が何も感じませんでしたので、明香の蜜不足はそこまで深刻な不足ではなかったですわ」
(……へ……?)
思わぬ情報に、明香は目が点になった。テアとミアを交互に見ながら言う。
「あの、お姉様方って私の対なんですか?」
「そうだよ!」
「そうですわよ」
テアが元気に、ミアがにっこりと微笑んで肯定する。
「対って皇家と帝家が一人ずつ組になるんですよね。何で私一人にテアお姉様とミアお姉様の二人が対でいるんですか?」
(それに自分の対は、一目見れば魂が呼応して分かるはず。でも、お姉様方と斎縁家で会ってた時も、御威に覚醒して対面した今も、そんなびびっとくる感じはないんだけど)
御威を持つ者であれば、覚醒するまでは呼応が起こらない場合もあると習ったため、斎縁邸で無反応だったことについては理解できる。だが、天威に目覚めたはずの現在でも呼応が起こっているようには思えない。
「明香。お前の対は間違いなく私とミアだよ」
納得できないでいる明香に、テアがきっぱりと言った。ミアも笑みを崩さない。釈然とせずに二人を見返すと、不意に視界が揺らいだ。
新月の夜のごとき暗闇の中に広がる、天の川をひっくり返したような光の洪水。その彼方に佇む女性。哀しい笑みを浮かべる、自分と同じ顔をした人。その唇が小さく動き、自分の名を呼ぶ。
――日香。
「っ……」
ドクンと鼓動が高鳴った。
(私の中にいる、もう一人……)
ぎゅっと目を閉じて胸を抑えると、温かな手がそっと背を撫でた。隣に座る高嶺が、優しく背をさすってくれている。
(高嶺様)
自分を案じてくれている。そう悟った瞬間、高嶺の手のひらから伝わる温もりが瞬く間に体に行き渡り、内部までほぐしていった。
(あったかい……)
那由多の言葉を尽くして気遣われるよりも、この一挙が心に沁みる。目で礼を伝えた時、頭の中がぴかりと光った。
(――待って。てことは)
「あの、ちょっと聞いてもいいですか」
「もちろんですわ。どうしましたの?」
紅茶椀を優雅に傾けながら、ミアが微笑む。
「花梨さ――西の御子にも対がいるのですよね。どなたかご存知ですか?」
(花梨様の対には天蜜不足の危機が伝わってるはず。対なら助けてくれるかも。花梨様は真皇族じゃないから、真帝族の蜜でなくてもいいんだし)
真帝族が創り出す高濃度かつ高純度の蜜でしか渇きを癒せないのは、真皇族のみだ。
(花梨様の対に連絡が取れれば……)
己の直系尊属である天威師から七代以上を隔てて皇家あるいは帝家の特性を失えば、以降の子孫は対を持たなくなる。しかし、花梨はまだそこまでは代を経ていないので、対がいるはずだった。しかし、返ってきた答えは残酷だった。
「西の御子の対はいないよ。数年前に亡くなっているから」
一口大の肉と野菜を小さな串に刺した軽食を高嶺の皿に取り分けてやりながら、ティルが静かに告げる。
「え……」
「帝家の庶子でね、海が大好きで夏が終わりかけても入っていて、泳ぎもとても得意な子だったんだけど――出先で高所から足を滑らせて滑落してしまった」
(そんな)
固まる明香に、ラウがほろ苦い目で微笑した。精緻な模様が描かれた陶磁の砂糖壺を眺めながら語る。
「帝家と皇家の者は亡くなりやすい。何かにつけて病や事故、被災などが降り掛かる。擬帝族や擬皇族、庶子の場合、己の中に継がれる至高神の血脈にただ人の魂が耐えられず、早期に死を招き寄せてしまうと言われている」
元々子を授かりにくいことに加え、生まれても相当の確率で命を落としていってしまうため、現在も生存しているのは花梨以外では天威師ばかりなのだという。
「真帝族や真皇族でも、人間の器が天威に耐え切れず衰弱していくこともある。力を使いすぎたり無理をすると、抑えている神格が出て来てしまうんだ」
続けて言ったテアの言葉を聞いた高嶺が、軽食を上品に咀嚼しながら思い出すように宙を見た。
「そういえば叔父上が――母方の叔父が一度そうなりかけましたね」
「まあ、そうでしたの?」
「何と、そうだったのですか!」
その言葉に、明香だけでなくミアとテアまで驚きを露わにした。二人も知らない情報だったらしい。
(母方ってことは蒼月皇陛下の弟君か。確かお名前は――)
明香は記憶を掘り起こそうとするが、高嶺の言葉で中断した。
「叔父上は陽神の神格を持っている。明香とお揃いだな」
(あ、ほんとだ。日神の神格が抑えられると陽神になるから……)
ということは、同じ太陽神なので力の波長も合うだろう。今は公務で都外に出ているというが、いずれ会った暁には色々と教えてもらえるかもしれない。話の続きをラウが引き取った。
「それなら私も覚えている。少々ご無理をなさったために反動で先祖返りが進み、陽神から本来の日神の神格に昇華しかかったのだったな。――通常の天威師は、人として纏う仮の器が全き天威師より小さい。ゆえに、本能的に先祖返りを一時停止し、容量に収まるよう神格を一段低い仮のものに抑えた状態で生まれてくる」
そして一呼吸置いたのを見計らい、今度はティルが言葉を繋ぐ。
「で、人間の生を終えて神に戻る時に、停止中で不完全な状態だった先祖返りが再開・完了して本来の神格が解放される。一方の全き天威師は、器が特別強大で耐えられるから、最初から先祖返りを完了して本来の神格で誕生する」
ラウとティルにとっては基礎的な教養であろう内容を丁寧に話すのは、覚醒したばかりの明香に配慮してだろう。それを察した明香は、高嶺の講義で習った内容を思い出しながら会話に加わる。
「通常の天威師と全き天威師の違いは、人間としての器の容積なんですよね。才能や素質に差があるわけじゃない」
ラウとティルがにっこり明香に笑いかけ、首を縦に振った。ミアとテアが交互に言う。
「ええ。そして通常の天威師が力を使いすぎた場合、その弾みで先祖返りが再開してしまうことがあるのですわ」
「それに呼応して本来の神格も出てくるが、通常の天威師の器では溢れてしまう。そうなれば神になったと見なされ、天界に昇らないといけなくなる」
力を使いすぎると抑えきれなくなった神格が出てきてしまうのは、全き天威師も通常の天威師も同じだが、後者の方が前者より遥かにその限界点が低いのだ。
テアが言葉を切った間合いに合わせ、高嶺が再び口を開く。
「叔父上もまさにそのようになりかけた。幸いにも、何とか先祖返りを再停止させて踏み止まられたが。他にも、諸事情により許容範囲の制限を超えて天威を使ってしまい、強制的に天に還らされた方もいらっしゃる」
ラウが困ったような微苦笑を乗せて明香を見た。
「こうした様々な理由で、皇家と帝家の者は真擬庶を問わず長生きできないことが多い。明香が西の御子の対を問うた理由は想像がつくが――該当の者もまたゆえ人だ。残念ながら望む答えは返せそうにない」
「そうですか……」
明香はしょんぼりと肩を落とした。だが、落ち込んでもどうにもならない。ない袖は振れないのだから。沈む気分を引き上げようと、皿に乗っている菓子を眺める。
「明香、残念だけど西の御子のことは諦めなよ。俺たちだって怒ってるんだ。本当は西の御子にあげる天蜜はもっと少なくして、ぎりぎり生命維持できるくらいの量にしたい。でも、兄上がそれだけは許してやって欲しいと仰るから……」
(ラウお義兄様が?)
明香がラウの方を見ると、ティルはすぐに付け足した。
「あ、ごめん、言葉が足りなかった。兄上ってのは皇家の――ええと、北の御子って呼ばれてる方だよ」
「え……しゅほ様ですか」
脳裏に、図書館で会った青年の優しげな面立ちが蘇る。あの時の彼は花梨に対して冷淡な態度だったが、裏では助けようと動いてくれていたのだろうか。一方、僅かに驚いた顔を浮かべたティルが瞬きする。
「あれ、その名前知ってるんだ?」
「はい、呼び方だけは。字は存じませんけれど」
高嶺が申し訳なさそうに言った。
「私がうっかり呼んでしまったのです」
「あーそうだったんだ。字はねぇ、宝珠の珠に歩くで珠歩だよ。母上の御名である白珠から一文字と、一歩一歩進むっていう意味で歩。で、その珠歩兄上が幾度も減刑の嘆願書を送って来られててさ。ねえラウ兄上」
今度こそラウに向けての言葉だった。ラウが不本意な顔で頷く。
「ああ。珠歩は優しすぎる。あのような者を庇うとは」
「珠歩兄上直筆の嘆願書じゃなければ無視してやるのになぁ」
その様子を見ていた明香は少し安堵する。
(北の御子様とお義兄様方、ちゃんと交流あるんだ。良かった。でも、そっか。珠歩って書くのか)
また一つ発見をしたと思いながら、たっぷりの生乳がかかったふわふわの菓子を口に放り込むと、濃厚な甘みが舌の上で広がった。菓子に挟まれている薄切りの果実は酸味が効いていて、こってりした生乳の味を絶妙に中和してくれる。
(うん、これ夕食は要らないね……)
口をもぐもぐさせながら思っていると、ラウ、ティル、高嶺が僅かに瞠目した。一斉に虚空を見つめて姿勢を正す。そしてそのまま動かず、じっと何かに耳を傾けている。
(どうなさったの……もしかして、何か連絡が来た?)
明香は一気に緊張し、急いで菓子を飲み込んだ。太子3名への一斉連絡となると、相当な重要事ではないだろうか。やがて話が終わったのか、ラウたちは力を抜くと視線を下ろした。
「何かありましたか」
「どなたからかの念話ですの?」
テアとミアが素早く確認する。明香も高嶺に目を向けた。最初に答えたのはラウだ。
「橙日帝――父上からだ。遷都の儀式の日取りが7日後に決まったと」
姉妹が瞬時に表情を引き締める。
「まぁ」
「いよいよですか」
「となれば打ち合わせに入らなくては。ーー残念だが、そろそろお開きの準備を始めよう。明香、日保ちのする菓子は包むゆえ、持って帰ればいい」
ラウが名残惜し気に言うと、卓の隅に置いてあった容器を手に取った。持ち帰り用にあらかじめ準備してあったらしい。
「いえ、自分でやります。私はたくさんいただきましたし、少しだけでいいので。余った分は帝城の方々に配ってあげて下さい」
慌てて立ち上がり、ラウから箱を取ろうとする明香に、ティルが明るく笑った。
「いいのいいの、今日の君はお客さんなんだから。――それより高嶺、遷都の儀式について明香にどれくらいまで話している?」
「はい、遷都は皇宮の政務機能を移すだけでなく、皇宮に安置されている皇家の秘宝を新都に移す必要があると話しています。移行の儀式が済むことで遷都が完了すると。秘宝が何かについてはまだ。今ここで説明してしまいましょうか」
「そうだね。――明香」
頷いたティルが、今度は明香を見る。
「はい」
手際よく菓子を詰めていくラウを横目に耳を傾けていた明香は、さっと反応した。
「遷都にて移さなければならない皇家の秘宝とは、三千年前に初代陛下が遺された神器だよ。『始まりの神器』と呼ばれるそれこそが、皇家が人界に留まる根拠となる」
ありがとうございました。




