76.見られていました
ご覧いただきありがとうございます。
「あ、お帰りぃ」
ティルが笑っている。
(……はっ!?)
明香が瞠目して辺りを見回すと、帝城分庁の茶会会場だった。椅子に腰かけたまま意識を飛ばしていたらしい。暗い空間に脳が慣れたせいか、きらきらと差し込む日差しや明色の調度品が目にしみる。
(――そうだ。皆でお茶会してて、アラン大公子の話題になったんだ。で、義兄様が怪我させられた話からメイリーアンさんのことに飛んで、そしたら意識が切り替わって過去が視えて)
紅茶碗を持っている時に思考を放浪させなくて良かったと、ずれたことを考えてしまう。混乱しつつも今までのことを整理し、恐る恐る聞いた。
「あの、私ぼーっとしていましたか? どれくらいおかしくなっていましたか?」
ラウが落ち着かせるように優しく言う。
「ほんの一瞬だけだ」
かなり長い間映像を視ていたはずだが、現実での時間はほとんど経っていなかったようだ。それに関しては良かったが、せっかく教えてくれたラウの顔を正視できない。
(どうしよう、勝手に過去を覗いちゃったよ)
しかも、かなり深いところに踏み込んだ部分だ。つい食い入るように眺めてしまっていたが、目を瞑り耳をふさぐなりして視聴しないようにした方が良かったのではないか。
今更ながらそのことに思い辺り、罪悪感で胸がいっぱいになる。いくら腹を割って話そうと合意したとはいえ、記憶を盗み見るなど論外だろう。
すると、明香の表情から何かを読み取ったのか、当人のラウが困ったように微笑んだ。
「大丈夫だ。そなたがどういう状態であったか、何を視たのかはある程度把握している。それらは私たちがあえて開示したことゆえ」
「そうだぞ、明香は何も悪くない」
テアも励ますように続ける。きょとんとする明香に、ミアが説明してくれた。
「例え天威師であれど、別の天威師が関わっている事象については上手く見通せません。けれど、関わっている別の天威師がその情報を視せることを自分の意思で承認したのであれば、承認部分については視ることができるようになるのですわ」
「えっ……」
天威師同士では互いの過去や未来を読むことができないのが原則だが、抜け道があるらしい。
ティルがてきぱきと新しい紅茶椀に飲み物を注いだ。天威か、あるいは何かの霊具で冷めないようにしているらしく、淹れたての飲料からは湯気と濃厚な甘い香りが立ち昇る。とろりとした茶色い液体で満たされた碗が、音もなく明香の前に置かれた。
「どうぞ。ホットショコラだよ。甘いチョコレートとミルク、それにちょっぴりの蜂蜜が入ってるんだ。気持ちも落ち着くと思う。追加の砂糖やシナモンはご自由に」
「ありがとうございます……」
(あったかい)
甘い香りとほんわりとした温みに、強張っていた心がほぐれていく。小さく礼を言う明香に、ラウとミアが重ねて説明した。
「私の過去のうち、元婚約者にまつわる部分はそなたが視てもいいと私自身が認めたため、そなたに過去が視えたのだ」
「むしろ、家族になる明香には知っておいて欲しいとすら思っていましたの。ですのでメイリーアンの話が出たことをきっかけに、過去を視せたい私たちの意思と、過去が気になる明香の思いが相互に作用し、天威が発動して過去の投影が始まったのですわ」
二人の言葉を聞いた明香は少しだけ肩の力を抜いた。どうやら勝手に盗み見してしまったわけではなかったらしい。そのことに安堵しながら、甘い飲料を一口飲んで小さく息を吐く。
「私たちの承認がない部分、今はまだ視るべきではない部分、私たちでも及ばぬ至高神様方が関わっている部分などは、視えなかったはずですわ」
(うん、確かにそうだった)
無数にあった欠片の中で白いもの、あるいは途中から白くなって何も見えなくなったものが混ざっていたことを思い出す。
「はい、そういう欠けもあったと思います。でも大まかなことは分かりました」
映像が映っていた欠片の全てをじっくり見られたわけではなかったため、見落としも多いだろうが、大体の事情は呑み込めた。
「メイリーアンさんとは、その……色々と大変だったのですね」
(あーもう、もっと気の利いたこと言えればいいのに!)
だが、月並みな表現しか出てこなくとも、正直な感想ではあった。まさかメイリーアンがあそこまで酷い振る舞いをしていたとは予想していなかった。
ミアが困ったように小首を傾げた。
「ラウお義兄様を巡るお姉様とメイリーアンの件では、私はどちらの味方もせず中立を保っておりましたわ。お姉様は誰の贔屓も肩入れも受けず、正々堂々とラウ様の御心と太子妃の座を勝ち取ったのです」
誇らしげなミアの台詞に異論はない。明香は力強く同意する。
「はい、テアお姉様、かっこよかったです!」
「ふふ、びっくりしただろう。昔の私は弱虫で大人しかったんだぞ。義母上――蒼月皇陛下からご指南を受けて、悪戦苦闘しながら何とか変われたんだ」
明香の顔色がだいぶ良くなったためか、ほっとした様子のテアが明るく笑う。なお、白珠もテアに偏って味方したわけではなかったという。
(蒼月皇陛下はメイリーアンさんにだってちゃんと将来の妃の教えを授けていらしたんだよね。あの子は媚びるだけでまともに聞いてなかったみたいだけど)
内心では好感度に差があったとしても、それを表に出して待遇を差別することはなかったのだ。
そう考えたところで、ある疑問が沸き上がる。
「そういえば、テアお姉様の神格は何なのですか? ミアお姉様は闇神ですよね。灰闇真帝女の称号をお持ちですし」
ミアはその神格の通り闇神に属し、淑やかな薄墨のごとき気を持っている。また、真帝族であるため、正式な地位は真帝女だ。
(でもテアお姉様、ご自分の正式な称号を公表されてないからなぁ。神格は日神か月神か闇神か……どれだろう)
テアの気の色が深い紫であり、かつ全き天威師だということは分かっているので、後は神格に応じて日か月あるいは闇の語を入れるだけだ。
テアが悪戯っぽい笑みで片目を瞑った。
「私の神格は内緒にしているんだ。夫たるラウ様が何年も本来の格を秘して霊威師に甘んじて来られたのだから、妻の私もそれに倣ってしばし神格のお披露目は延期すると言ってね。橙日帝陛下にもご許可をいただいた措置だ」
「でも、皆早く知りたいと思うのですが。私も気になります」
(お姉様を疑う人はいないにしても……)
神格を公開していなくとも、テアが天威師であること自体に疑義は出ない。彼女自身が虹色を帯びた気を持ち、他の天威師たちがテアも天威師であると断言しているのだから。
「お姉様が覚醒されて私と会ってから、もう半年以上経ちます。そろそろ公開してもいいんじゃないでしょうか」
18歳で覚醒したテアは、17歳で目覚めた明香より年齢的には遅い開花だった。御威は遅くとも十代前半までに目覚めるため、特に異例の遅咲きだ。だが、その先例があったからこそ、花梨や明香が十代後半で覚醒してもすんなりと納得された。そうしてテアが天威師となり太子妃に立てられた直後、泰斗に弟子入りしようと斎縁家にやってきて明香と知り合ったのだ。
「そうだね、そろそろかな」
ティルがふふっと笑って口を挟んできた。
「もうすぐ神託の日が訪れるからね」
「え?」
(神託の日?)
明香は首を傾げて聞き返そうとするが、ティルの視線は既に卓上の菓子に移っていた。
「あ、これも食べなよ。パンプディングだよ」
皿に取り分けられた菓子はふんわりとした陽だまりの色をしていた。砂糖と卵の優しい香りが鼻腔をくすぐった途端、既にかなり食べたはずの胃が、『まだ入る!』と主張を始める。礼を言って受け取りながら、えへへと照れ笑いする。
「どれも本当に美味しいお菓子ですね。何だかいくらでも食べられちゃって。作った方の腕が良いんですね」
(御用達の店があるか、専属の菓子職人がいるのかも)
そんなことを思っていると、ラウが気遣わしそうに明香と高嶺を見る。
「高嶺も今日はよく食べている。二人とも天蜜が不足気味だったろう。ここの茶菓には全て天蜜をふんだんに混ぜ込んであるゆえ、体がそれを求めているのでは?」
「そうそう、高嶺にはさっき蜜あげたけど取り急ぎの補給だったし、明香も高嶺にあげてたし」
続けてさらりと放たれたティルの発言に、明香は反射的に咳き込みそうになりながらも何とか堪えた。
「え、えっと、あの」
(やっぱりさっきの口づけ視てらしたんだー!)
内心であわあわしていると、ティルが明るく笑う。
「高嶺が苦しそうだったから行った方がいいかなって思ってたら、明香といい雰囲気になり始めたからさ。そのまま様子見をしちゃったんだよ。ここは邪魔しない方がいいってテア義姉上とミアも言うしさ」
明香が姉妹を見ると、ミアは何食わぬ顔で、テアは口笛を吹きながら、さっと目を逸らす。
高嶺がのんびりとした口調で苦笑いした。
「ええ、どうしようかと思いましたよ。義姉上方が念話されてきて、頑張れそこです今です! とか、行け行け押せ押せですわ~! とか仰るので」
(ひいぃ!)
口づけの後、高嶺が挙動不審になっていた原因はこれだったようだ。
「もうお姉様方ったら!」
頬を膨らませつつ、援護射撃をしてもらおうとラウとティルに視線を向ける。すると、自慢気な笑顔を浮かべた義兄たちはそれぞれ口を開いた。
「私は天威で高嶺の足を引っかけて明香の方に転ばせてやったぞ」
「ラ、ラウお義兄様!?」
「俺も背中を押して明香の上に倒してあげたよ。なのにすぐ離れちゃってさぁ」
「ティルお義兄様あぁ!」
(裏切者ー!)
高嶺は呑気ににこにこ微笑んでいる。
「……み、皆さん! いいですか! そこで見たことは、全部、忘れて下さいっ!!」
そして、大きく息を吸い込んで発した明香の全力の叫びが、室内の壁にわんわんと反響するほどの勢いで炸裂したのだった。
ティルが噴き出し、ラウとテアとミアと共に笑い出す。顔を真っ赤にした明香がぷるぷる震えていると、高嶺がおっとりと紅茶碗を傾けながら言った。
「明香、最後にお願いしますという言葉を言わなくては」
「え? あ、はい……お願いします」
一瞬疑問符を浮かべるものの言われるままに付け足すと、ラウたちの表情が一変した。まるで大好きなマタタビをもらった猫のように幸せそうな顔になったのだ。
「承知した、全て忘れよう」
「仕方ないなー分かったよぉ」
「いいぞ、明香が願うなら」
「私たちは何も見ていませんわ」
唖然とする明香に、高嶺が囁く。
「帝家は皇家にお願いされると、それはもう嬉しくて心地好くてとにかく幸せで幸せで堪らなくなるそうだ。ゆえに大抵のことは二つ返事で承諾してくれる。真帝族の場合、真皇族の願いにしか反応しないようだが」
「は、はぁ」
(そんな感じのことは聞いてたけど、ここまでとは……)
帝家から皇家に放たれる『命令』と、皇家から帝家に発される『お願い』は、どちらも強大な威力を持っているそうだ。ただし、前者は絶対に近い強制力があるが、後者については聞き入れるかはあくまで帝家の任意なのだという。
「こほん――けれど、明香。本当に大丈夫ですの? 随分と疲れが溜まっているようですわ」
軽く咳払いして真面目な態度に戻ったミアが、憂慮を帯びた眼差しで明香を見つめた。
「え……と、はい、正直に言いますと疲れてはいたと思います。思考も散漫になりがちでしたし」
「皇家の方々は、心身に負荷がかかるほど天蜜の消費が早くなるのですよね」
テアが高嶺に再確認する。
「はい。蜜が不足すると疲れが取れなくなり、思考が鈍り段々と気怠さが増し、気分が苛立っていきます。そのまま放置すると体を動かすのが億劫になり、蜜が欲しいという欲求が急激に強まるのです。私はここまでしかなったことがありませんが――それ以上進むと、まるで砂漠で水を求める遭難者のごとく蜜が欲しくて堪らなくなると聞きました。それはとてつもない苦痛だと……」
何かを思い出すように語る高嶺の黒眼が痛みを帯びる。
ラウとティルが小さく息を呑み、濃淡の異なる二対の碧眼に深い怒りの感情が煌めいた。
ありがとうございました。




