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74.もう遅い

ご覧いただきありがとうございます。


『何度も言ったよね、兄上と向き合って欲しいと。父親や後見役に拘泥(こうでい)せず、何者にも縛られず何処にも寄り過ぎない位置から物事を見極めることを学ぶべきだとも言った。帝族の妃にはそれが必要だから』


 ラウよりも濃い海色の双眸がメイリーアンを貫く。底知れぬ深さを湛えた海の色。そして、月明かりが輝き始める宵の夜とも同じ色だ。


『けれど、君は結局何も変わらなかった。もう限界だし、時間切れだよ』


 メイリーアンが助けを求めるようにラウを見るが、ティルよりも淡い晴空色の瞳に浮かぶ覚悟を見て取ると、一気に焦燥を浮かばせる。突き付けるように、ティルは決別を言い渡した。


『期待も慈悲も猶予も無限にあるわけではない。君は幾度も与えられ続けてきた機会を掴めなかった。ずっと差し伸べられてきた手を、かけられてきた言葉を、ただ拒絶するばかりだった。婚約解消はその結果だ。俺たちは君を家族にはできない』


 きっぱりと放たれた言葉に、メイリーアンは小刻みに全身を震わせた。

 ティルがふぅと小さな吐息を漏らし、一呼吸置いてから続けた。


『だから兄上の話をきちんと聞くよう言ったのに。兄上は君に全てを話そうとしていた。本当はまだ臣民には公表しない段階だけれど、君は自分の家族になる人だからきちんと伝えておくと仰って。それで君が掌を返しておもねるようになっても、最初はそれで構わない。これから長い年月を一緒に過ごす中で、少しずつ解り合って行ければいいと、そう仰っていたのに。君は一度も耳を傾けなかった』


 食い入るように映像を見ていた明香は目を瞬いた。メイリーアンに向かって、話したいことがあると何度も言っていたラウの姿を思い出す。


(ラウお義兄様はきっと……自分が本当は天威師だってメイリーアンさんに伝えようとなさってたんだ)


『は、話なら今から聞きますわ。今から……』

『もう遅い。今さら話すことなんかもうないよ。――兄上と君の婚約解消および、兄上とテアの婚姻に関しては、正式な書類と共に橙日帝陛下の玉璽が押された勅書も発行された。さらにそれらを至高神様にもご報告し、全柱から許可と賛同をいただいている。どう足掻いても、ここからひっくり返すことはできない』


 正式な書類。

 玉璽。

 勅書。

 ――至高神全柱の許可と賛同。


 決して覆せぬ決定打の数々に、メイリーアンが呆然と壁に寄りかかる。


『ティル、もういい』


 ラウがそっとティルを静止した。メイリーアンを見て姿勢を正し、軽く頭を下げる。


『今までありがとう。レディ・メイリーアン。至らぬ私を婚約者にしたせいで、そなたには様々に苦労をかけた。だが、もう私のことは気にせずともいい。これからは互いの道を自由に歩めるのだから。私は一個人として、そなたの今後の幸せを心から祈っている』


 その瞳の奥には、哀しい焔の残り火が揺れている。いくら神の糸を得、全ての愛をテアに向け直したとしても、一足飛びに気持ちが切り替えられるわけではない。


 映像を映し出す欠片が淡く光を放っている。ラウが胸の内で流す涙の輝きを反射しているかのように。


『我が妃となる未来がなくなっても、そなたは私が慈しむべき臣下だ。今後は純粋に、一人の民として帝家に仕え、我が国のより良き未来のためにその力を活用してくれることを望む』


 締めくくるように告げたそれが、別れの合図だった。切なさと苦しさの残滓が宿る瞳で微笑むと、ラウは身を翻してティルと共に歩き出す。


『お――お待ち下さいまし。違うのですわ。その、誤解なのです』


 メイリーアンが囁くような声で呟き、ふらふらと腕を上げた。遠ざかるラウの背に向かって必死に手を伸ばす。


『……待って。違う、違うの。本当は、私は本当は……最初からずっとあなたを、ラウ様のことを……』


 だが、ラウはもはや振り返ることはなく、背を向けたまま言った。


「レディ・メイリーアン。そなたはもう、私をラウと呼ぶ資格はない。今後は改めよ」


 その隣に浮かぶ欠片の中では、細部まで手入れされた花々が咲き誇る広大な庭園が映っていた。

 鷹揚な微笑みを浮かべたラウとティル、テアとミアがゆったりと歩き、遠巻きに貴族たちが見守っている。


『それにしても驚きましたわ。帝子殿下が全き天威師であられたとは』

『本来のご身分たる黈日太子として立たれているお姿の何と凛々しいこと』


『両太子殿下は、ご兄弟で次代の統治に関するすり合わせを行っておられたとか。先日その打ち合わせに区切りが着いたために真実を公表されたそうですね』

『紺月太子殿下の方が先に覚醒なされて全き天威師だと周知されていましたので、後発の黈日太子殿下で調整されたのでしょう』

『大神官様や神官長様など一部のお方はご存知で、殿下方に協力しておられたのですってね』


 次期皇帝たる太子が複数立つ場合、船頭の多い船が沈む事態にならないよう、事前に太子たちで統治について話し合いを行う。それぞれの価値観や思考、適正などを共有し、絆と連携を深め、共同統治を円滑に行えるよう足場を固める期間が設けられるのだ。


 また、すり合わせに目処が着くまでは、太子全員あるいは一部の太子について、その者が世継ぎであることを秘する場合がある。太子たち自身の方針や考えが定まり切らないうちに後継だと発表し、臣下が派閥を作って別々の太子に近づけば厄介なことになるからだ。もちろん花梨の時のように、天威師であるという情報が事前に広まってしまうこともあるが。


 また、上手く伏せられたとしても、協力者なしでは長期間完全に隠すことは難しいため、一部の高位神官や要職者、信頼できる忠臣などには真実が開示される。


『そういえば、大公女様――黈日太子殿下の元婚約者の方は……』


 一人がポツリと発した言葉に、周囲が一瞬にして静まり返った。そして少しの間黙り込み、一人がこほんと咳払いして口火を切った。


『……まあ、あれでございますわ。大公女様は正直な話、度を超えたお振る舞いで有名なお方でしたし』

『己の身分を傘に威張り散らされ、皆が散々な目に遭っておりました』


『私の家は大公家のお茶会にお招きいただいたことがあるのです。その際、娘が大公女様に容姿を馬鹿にされ、罵られて熱い紅茶をかけられました』

『まあ。そのようなことを頻繁になさっているという噂を聞いていましたが』

『はい。それもティーポットごと投げつけられまして、娘はしばらくの間、恐怖で茶会に行けなくなってしまいましたの』


『私の妹も同じです。大公家の舞踏会に招かれた際、大公女様に髪の色がおかしいと笑われ、綺麗にしてあげると怪しげな染料をかけられてまだら模様になってしまい……毎日部屋で泣き明かしておりました』

『ええ!?』

『けれど、それを聞き付けた黈日太子殿下が起こしになり、すぐに御威で元通りにして下さいましたわ。まだ天威師だと公表されていない時期でしたが、何とお優しいお方かと感服いたしました』


 ほぅ、と皆が感嘆の声を漏らす。茶会で娘が紅茶をかけられたという夫人も勢い込んで同調した。


『我が家にも黈日太子殿下がいらっしゃいました。丁寧にケアをして下さったため、娘は何とか茶会への恐怖を克服できたのです。もちろん、殿下は常に私共や側仕えも同伴なさり、娘にあらぬ誤解をさせるような言動や振る舞いもなさらず、きちんと節度を守られておいででした』


 妹が被害に遭ったという令嬢も大きく頷いている。それを聞いた女性たちが、小さく溜め息を吐きながら目を見交わした。メイリーアンの後始末を、ラウはずっと陰で行ってきたのだ。


『殿下がお労しくてなりません。陰で尻拭いをなさっておられたのですね』

『婚約者とはいえ、帝家ではなく大公家主催の行事での出来事。自分には無関係だという立場を貫くこともできたというのに』

『臣民を大事にされるお方なのですね』


 ただでさえ忙しい帝族としての日々に、我儘な婚約者のお守りまで加わっていた。さぞ苦労してきただろう。一人の夫人が眉を顰め、苦々しい口調で言う。


『黈日太子殿下だけでなく、紺月太子殿下も共に奔走しておられたそうですよ。何しろ大公女様のなさりようは目に余りましたから』

『気に入らない令嬢の宝飾品を奪う、踏み付ける、ドレスを汚す……そういった行為は日常茶飯事だったそうですわ。その度に殿下方がフォローされていらしたと聞きます』


『そうそう、大公閣下のお従弟君のユールス公爵ライハルト様も、被害に遭った家や当事者のフォローに駆けずり回っておられましたわ。それはもう平伏せんばかりのお詫び行脚で、いくら加害者の家の者とはいえお気の毒でしたのよ』

『私の姉は、行儀見習いも兼ねて大公女様のお話し相手としてお仕えし、奴隷のような扱いを受けて寝たきりになりましたの。殿下やユールス公が治癒して下さり、どうにか起き上がれるようになりました』


 何人もの人々がメイリーアンの後始末に尽力していた。だが、彼女は最後までそのことに気付けなかった。


『大公女様のお振る舞いをお聞きになられた橙日帝陛下が直々に確認されようとした際には、仮病を使い呼び出しを無視したとか。また、蒼月皇陛下が橙日帝陛下の后として、将来の帝族妃となる大公女様をご指導なさった際は、媚びるばかりでおざなりな態度だったそうです』

『ついには四大高位神にも見限られたそうですし、大公家の恥ですわね』


(うーん、皆怒ってるなぁ。当たり前だけど……)


 今までは言えなかったのだろう。

 大公家の娘、最高位聖威師、帝族の婚約者。数々の圧倒的な力と地位に護られたメイリーアンに逆らうことなどできなかったがゆえに。

 しかし、ここに来て彼女の足下が崩れ去ったのだ。神の寵を失い、婚約を解消され、強者がその高みから転がり落ちた。


『けれど、奇跡の御子としての神器――ミラクル・オラクルも、色を失ったとはいえ力は保ったまま彼女の手元にあるそうですよ。加護を失っては制御が難しいようで、集中力を高める霊具と併用されているようですけれど』


(ああ、あの水晶と鎖ね)


 神に愛想を尽かされても、過去に賜った神器を奪われるまでには至らなかったらしい。


(メイリーアンさん――苦しんでるのかな。きっとたくさん後悔してる)


 彼女の未来には、至上の幸福と最高の栄華が待っていた。ほんの少し(わきま)えていれば、最低限の節度を守っていれば、それらは自ずと手に入れられたはずだったのだ。だが、増長した彼女はその全てを自らどぶに投げ捨ててしまった。


(ラウお義兄様の神の糸は、もうテアお姉様と繋がってる)


 己の浅慮と愚行によって手放したものは、もう戻らない。失って初めてその大切さと貴重さに気付き、堪え難いほどの慚愧の念に苛まれても。当たり前に降り注ぐはずだった幸せと光は取り戻せない。


(どうか、今度は間違えないで。次こそは正しい道を)


 広間の壁にへばりつくようにして俯いていたメイリーアンの姿を思い返し、噛み締めるように思う。


 ――その時、()()()()()()()()()が声を上げた。


『そうよ、あの子はまだ生きているのだから、これからいくらでもやり直せるじゃない』


 悲しいような、切ないような、そして怒っているような声だった。

 無数に連なる欠片が一斉に震え出す。


(え、誰?)


 明香は周りを見回すが、暗闇に浮かぶ欠片以外は何も見当たらない。

 だが、確かに声が響き上がる。()()()()から。


『どれだけ辛くても苦しくても大失敗しても、生きていればそれだけで未来は繋がるし、何度だってやり直せるのよ。生きてさえいれば……。それは恵まれていることだわ』


 胸を突くような悲哀の感情が湧き上がる。自分の中の誰かが泣いている。

 欠片に次々とひびが入り、涙のような光の粒子となって崩れ始めた。


(あなたは誰? どこにいるの?)


 問いかけながらなおも辺りを探っていると、姿なき声は絞り出すような口調で呟いた。


『もういなくなってしまったあの子には、未来はないのに。あの子が大きくなっていく姿を見たかった……』


 パァンと全ての欠片が砕けた。

 星屑のような煌めきが空間を覆い尽くし、意識が急速に遠のいていく。


(あ……)


 ぐんと遠ざかる思考に翻弄されながら、明香は目を見張った。


 欠片が消え、満点の煌めきだけが飛び散る漆黒の空間の果てに、一人の若い女性が立っている。思わずそちらに手を伸ばすと、女性はくるりとこちらに顔を向けた。


 少し下がった眉と、ほんのりと赤くなった目元。悲しそうな顔で仄かに笑いながらこちらを見るその顔は――()()()()()()()だった。


『もうこれ以上お寝坊はできないわね。そろそろ起きなきゃ。待っててね、日香(にちか)


 柔らかな声を最後に、無数の光が濁流となって渦を巻き、一気に意識を押し流した。

ありがとうございました。

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