表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/155

72.ラウの過去

ご覧いただきありがとうございます。

 


 ◆◆◆



 巨大な鏡面に映像が投影されるがごとく、鮮やかな光景が頭の中に流れる。


『あなたのような素敵な方が婚約者になってくれて嬉しい』


 どこかの室内で、現在よりやや若い年齢のラウが、淡くはにかみながら挨拶を述べている。室の奥には御簾が降ろされていた。


 ラウの前に立つ幼い少女ーーメイリーアンは、絵に描いたような仏頂面だ。礼どころか会釈すら返さない。細い首にかけた花型の水晶は、赤、青、緑、黄の四色の仄かな煌めきを放ち、淡い虹のごとく輝いている。

 彼女の背後にはカイシスが控えている。


『君の伴侶として相応しい者になれるよう精進するよ。私のことはラウと呼んで欲しい。どうかよろしく』


 笑顔を浮かべて言葉を重ねたラウが手を伸ばそうとした。次の瞬間、メイリーアンは甲高い音を立ててその手を引っぱたいていた。


『触らないで下さいますかしら! この私に、下賎な霊威師ごときが!』


 そして、ぎっと大きな瞳をぎらつかせて背後の後見役を睨む。最高級の翡翠を削り出したような双眸が、溢れんばかりの悲憤を滾らせて燃えていた。


『モンザート侯、酷うございましてよ。まさか奇跡の御子たる高貴な私が、たかだか霊威しか持たぬ末端帝子と婚約させられるなんて……耐えられませんわ! これからは恥ずかしくて外を歩けませんのよ!』


 一方的に言い放ち、メイリーアンは『ごめんあそばせ』と言い捨てて部屋の外へ駆け去って行った。澄ました顔をしたカイシスが御簾に向かって跪き、深く頭を下げた。


『橙日帝陛下、大変申し訳ございません。大変な無礼を――ひとえに後見たる私の教育不行き届きにございます』


 伏せた面は隠され、殊勝な声音だけが空々しく響く。御簾の内から応えはなかった。重苦しい空気の中、ラウが呆然とした声音で告げた。


『……問題ない。メイリーアン嬢はきっと、緊張で少し心が乱れてしまったのだろう。まだ11歳なのだから無理もない。何も気にしていないゆえ、侯爵は面を上げてくれ』


 上げかけた状態で宙ぶらりんに行き場をなくした手が、未だ虚しく宙をさ迷っている。


『殿下におかれましては誠に申し訳なく……』


 当事者からの許しが出ても、依然叩頭したままのカイシスが繰り返し紡ぐわざとらしい陳謝だけが、温度の下がった室内に響いていた。


 鏡面が揺れ、映り込む景色が変わる。


『リーア、君もパーティーに来ていたのか。あちらに君が好きだという菓子がある』


 宴の会場と思われる場所で、先程と同じ年頃のラウが微笑んで手を差し伸べていた。熟し過ぎた桃のような色をした衣の裾を翻し、メイリーアンがその手を払いのける。


『馴れ馴れしく呼びかけないで下さる? 私は四大高位神全ての加護を頂戴した奇跡の御子。ラウ様がどの程度の霊威を得られたのかは存じませんが、私の足元にも及ばないものでしょうね』


 優雅に扇を開いて言い捨てたその姿は、滴るような驕慢と尊大さに満ち溢れていた。


『橙日帝陛下は、ラウ様がただ徴を発現させ御威を得たと発表されるばかり。仔細を語られないのは大した霊威ではないからでしょう』


(いや、ちょっと……酷くない?)


 明香はぽかんと口を開け、唖然とその光景を見ていた。これがあの、おどおどとしていたメイリーアンなのか。


(確かラウ様は、最初は全き天威師だってことを秘密になさってたんだよね。先に覚醒されたティル様の立太子だけが公表されてて、ラウ様は表向きにはただの帝子だったはず)


 だからこそのメイリーアンの台詞なのだろうが。


(……というか私、今もしかして過去を視てたりする? だけど天威師の力でも、同じ天威師が関わってることは上手く見通せないんじゃなかったっけ?)


 混乱していると、パァンと澄んだ音を立て、脳裏に広がった鏡面が割れた。


 いくつもの欠片がきらきらと輝きながら宙を舞い、天の川のように連なって線を作り出す。その破片の一つ一つには、それぞれ異なる映像が映し出されていた。


 端の欠片には、庭で摘んだ花を手渡そうとするラウに、メイリーアンが『土から抜いた花をそのまま渡すなどレディに対する気遣いが足りませんわ!』と怒鳴っている光景が映っている。はたき落とされた花は、可愛らしい刺繍が施された靴の踵で無残に踏みつけられていた。


 その横の欠片では、メイリーアンはラウを横目で見ながら聞こえよがしに罵倒している。


『ああ、霊威しか持たぬ木偶帝子に嫁がされるとは! 私は一体、前世でどのような大罪を犯したというのでしょう!』


 さらに隣の欠片では、『お退き下さいますかしら! 霊威師ごときが私の前を歩けるとでも思っていらっしゃるの!? 私は天威師の次位に在る奇跡の御子ですのよ!』と叫び、修羅のごとき形相でラウを蹴り飛ばしていた。


 もう一つ横の欠片では、ラウが色とりどりの綺麗な焼き菓子が詰められた籠を渡し、『弟が……皇家の北の御子が帝国の菓子を作ってくれたんだ。これで一緒にお茶を飲もう』と嬉しそうに笑っている。


 だがメイリーアンは目をつり上げ、『皇家の北の御子が作った菓子ですって!? 卑しき庶子ごときが作ったものを、よくもこの高貴な私に出せたものですわね! ああおぞましい、視界に入れたくもありませんのよ!』と喚き、籠ごと菓子を盛大に床にぶちまけ、踏み付けた。


 憤然たる足取りで彼女が立ち去った後、俯いたラウはぐちゃぐちゃに汚れた菓子を拾い集め、一つ一つ籠に詰め直していた。


 その後に連なる欠片にも、散々な物言いをしているメイリーアンの姿が映る。


『ああ、何と口惜しいこと。私は本当に、たかが霊威師の妻になるのですかしら。余りの理不尽さに舌を噛み切ってしまいとうございますわ』


『あらあら、何故私と同じテーブルに座ろうとなさるのです? ご自身の立場をお弁えなさいまし。たかが霊威師がこの私と同じ席に着けるとお思いでございまして?』


『死後天界に昇って以降は、最高神の寵を受ける私は高位の神になり、霊威師でしかないあなたは神に仕える神使になられますのよ。私への対応はお気を付けなさいませ、よろしくて?』


『馴れ馴れしく近寄らないでいただきとうございますわ。下等な霊威が我が身の崇高な聖威の側にあるなど耐え難きこと』


『お父様とモンザート侯は、この私がやることは何でも正しいのだと言ってくれておりましてよ。やはりお二人はきちんと心得ておられますわ』


 端から横へ横へと進むに従って、欠片の中に映り込むメイリーアンたちは徐々に成長していく。だが、どの映像においてもメイリーアンの態度は最悪だった。ある時は椅子にふんぞり返って尊大に言い放ち、ある時は扇や手足を振るって打ち据えながら怒鳴り、ある時は嘲笑と侮蔑を滴らせた瞳で毒を吐く。


 対するラウは悲しみを押し込めた表情で微笑み、穏便に対応していた。


『リーアが私の至らないところを教えてくれるから助かるよ』


『こちらの考えが足りなくてすまない』


『もっと頑張るから』


 そう言って切なく笑っている。とはいえ、柔らかく受け流しながらもそれとなく物申しはしていた。


『もう少し優しい言い方をしてくれると嬉しい』


『リーアは奇跡の御子で、天威師に次いで偉大な存在だけれど、臣たる大公家の娘でもある。私は一応は帝家の者なのだから、そこは配慮して欲しい』


『私たちは夫婦になるのだから、できる限り円満な関係を築いていきたい。一度時間を取って、きちんと話し合おう』


 だが、メイリーアンはその度に激高し、霊威師の分際でおこがましいと叫び散らし、未来の夫の心と言葉を突き放し退けていた。


 そして、ついに堪りかねたラウが『さすがにこれ以上は勘弁して欲しい。言い方や考え方を今一度見直して欲しい』と少し強めに抗議した際などは、噴火中の活火山のごとく怒り狂った。


『霊威師ごときが随分と粋がっていらっしゃること! たかが霊威しか持たぬ末端帝族ふぜいが何を仰っているのやら。身の程をお知りなさいまし! いくら私が寛大とはいえ、情けをかけて差し上げるにも限度がございますのよ!』


 己の聖威だけでなく淡色のあわいの力まで発動してラウをねじ伏せ、周囲の調度品や壁、床などにめちゃくちゃに当たりながら毒を吐き、このままでは周りに被害が出ると感じたラウの方が折れて謝るまで止まらなかった。


(こ、怖い! 正式な帝族をここまで馬鹿にするなんて、帝家への侮辱罪だよこれ)


 明香は思わず心の中で叫んだ。これはあんまりだ。


『リーア……どうしてそういう言い方をするんだ。私たちは夫婦になる。例え愛がない政略で結ばれた関係だとしても、それでも二人で隣り合い共に立つ伴侶になるんだ。妻にそんな言い方をされたら悲しい』


 精一杯の言葉で語り掛けるラウの声は、しかし、婚約者には届かない。

 手を伸ばせば触れ合える距離にいながら、二人の心は天と地よりも遠く隔てられていた。


(この時は、霊威師のラウお義兄様よりメイリーアンさんの方が序列は上って見られてたんだよね。奇跡の御子は天威師の次位だから)


 ゆえに、選ばれし御子であるメイリーアンが罰されることはなかったのだ。また、連なる幾つもの欠片の中で、メイリーアンは幾度も婚約解消を申し出ていた。


『今まで我慢して差し上げておりましたが、もう限界ですの。こちらにご署名と捺印を下さいまし。法に則った正式な婚約解消の書類ですわ。ノルギアス側で必要な様式は全て整えておりましてよ』


 ラウの眼前に書類を突き付け、胸を反らして自慢気に語るその姿は愛らしい――外見だけは。


『後は帝家側の署名捺印をいただけば、婚約解消は完了いたしますわ。うふふ、お父様とモンザート侯も大賛成して下さいましたの。大公家の至宝たる私を、末端帝子でしかない霊威師に嫁がせるなど余りにも不憫だと』


 さぁさぁ、と書類を押し付けるメイリーアンに、ラウは哀しい眼差しを返す。


『私に至らないところがあったのであれば謝る。直すよう努力するゆえ、考え直してくれないか。大公閣下にも婚約解消の件は保留にして欲しいと伝える。この書類は、今回はこちらで処分しておこう』


 すると、メイリーアンは笑った。何故応じないのかと激昂するのではなく、勝ち誇った顔で哄笑したのだ。


『ほほほほっ! お父様とモンザート侯の仰る通りだわ。お二人とも婚約解消には同意して下さいましたが、例え打診したところで、帝家は奇跡の御子たる私を捨てることなどできぬと推測されておりましたの。最高神の愛娘として生まれたばかりに何と憐れな運命なのかと、私の不遇を嘆いて下さいましたのよ』


 明香の胸に焼けるような怒りが走る。


(お父君とあの侯爵は、きっと分かってる。ラウお義兄様は婚約解消に応じないって。仮にメイリーアンさんへの好意が無くなったとしても、帝家の者として奇跡の御子を切ることができないって。全部分かって……いたぶってる)


 連綿と続く欠片の中でそうした光景は幾度も見られ、メイリーアンは何度も婚約解消を盾にラウを困らせていた。


(ラウ様は大事な婚約者なのに。こんなに一生懸命、心を開いてもらおうと寄り添ってるのに。完全に馬鹿にしてる)


 見ていられず、思わず視線を左右に揺らしてしまう。その拍子に目に入った欠片に、10代中頃であろうテアが、ラウに向かって頰を上気させて走っていく光景が映っていた。


(あ、テアお姉様だ!)

ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ