71.イステンド大公家
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努めて明るい声で言うと、つやつやと輝く葡萄の粒を口に放り込んだティルがさっそく反応した。
「もちろんいいよ、聞きたいことってなーに?」
「モンザート侯爵のことです。今日のことは結局侯爵の企みで、緋日皇陛下の再現を狙って私と食事をしようと目論んでいたのですよね?」
「ああ、その通りだよ。メイリーアンは汚れ役を押し付けるための生贄で使われたんだ。全くけしからん奴だ!」
テアが憤然とした顔で頷く。たかが食事のためにそこまでするのかという思いもあるが、帝国民の基準では、皇家の日神との共食は相当に重要なことらしい。
「でも、私を勝手に接待したら帝家の不興を買いますよね? その泥はメイリーアンさんに押し付けるつもりだったとしても……おかしいと思われて調査されたらボロが出るんじゃないでしょうか。計画だってずさんでしたし」
もしかしたら、帝家は詳しく調べないのかもしれない。メイリーアンとカイシスには深く干渉できないと言っていたのだから。だが、他の要職者や高位神官が訝しみ、己の伝手で調査するかもしれない。メイリーアンを取り調べるという名目で、御威や霊具を用いて彼女の心を読むこともできるだろう。
テアが芋や肉の軽食を皿に乗せながら、苦い顔をした。
「いいや、メイリーアンは過去に羽目を外し過ぎているからね。それくらい突拍子もない行動をしてもおかしくないと納得されてしまう。何より、イステンド家の当主はモンザート侯爵と交流がある。おそらく侯爵に肩入れするのではないかな」
イステンド大公は神の寵を受けた高位神官であり、最高位の貴族でもある。彼が侯爵側に付いていたならば、疑われてももみ消せるだろう。
「それに、メイリーアンは生育環境や邪……諸事情があってね、御威持ちではあるけれど、柔軟で複雑な思考がしづらい状態にあるんだ」
言いにくそうに告げたテアに、ミアも同意を示す。
「おそらくモンザート侯爵は、彼女がどれくらいの計画であれば立てられるかを把握していたのですわ。後見としてずっと側にいたのですから。ゆえにこそ、彼女のレベルに合わせあえて稚拙な作戦を立てたのです。なまじ高度な計画にしてしまうと、逆に不自然になってしまいますもの」
あの穴だらけの計画は、メイリーアンの器量も見越した上で組まれたものだったのだ。
(そうだったんだ……。侯爵ってほんとやな奴すぎない?)
だが考えてみれば、個人的な宴で当主への相談もせずに重要な神器を持ち出したり、初対面であろうフルードに最高峰の神器をあっさりと渡してしまったり、メイリーアンはどこか世慣れていないような……一般的な常識や世間の渡り方を知らないような印象を受ける。
「あの娘とラウ兄上が一時でも婚約していたなんてぞっとするよ。まぁ今の彼女はもう別の奴の……イステンド家のアランの婚約者だからね。移籍制度を使って既に所属をイステンドに移してるし」
半年前の宴が開かれるより早くに、イステンド大公から婚約の打診が来ており、メイリーアンは宴の終了に伴ってイステンド家に移ることが内定していたのだという。ラウとの婚約解消および四大高位神からの失寵、それに当主の代替わりなどにより、ノルギアス家での立場も居場所もなくしていたメイリーアン自身が、イステンド大公の申し出を受け、婚約と移籍を望んだそうだ。
「しかも彼女、宴で勝手に神器を持ち出して盗まれたせいで、ノルギアス大公から縁を切られてるから。仮にイステンド家で何か不測の事態が起こったとしても、もうノルギアス家には戻れないんだけど――あ、ごめん。さっきから普通に話しちゃってるけど、明香はイステンド家って分かる?」
凍えるような表情で、ティルが人差し指でとんと卓を叩いた――最後に明香に向けた笑みは優しかったが。
明香が置いた紅茶碗がかちゃりと微かな音を立てる。
(うん、知ってる……。あいつの家だから)
込み上げる忿怒を抑え、明香は気を落ち着けながら首肯した。
「はい。イステンド家は、ノルギアス家と同じく帝国最高格の大貴族ですね。ティルお義兄様が仰っているのは、当代イステンド大公ジェレク殿のご次男・アラン大公子のことかと。確か曽祖母君が帝家の庶子で、当時のイステンド大公に嫁がれたのでしたっけ」
「うん、バッチリだね。――曽祖母は直近の天威師から六代隔てていたから、帝家を出ることになったんだよ」
ティルの声を聞きながら、明香は高嶺の講義で教わった内容を思い出す。
「五代目以降は臣籍降下できるんですよね」
途端にラウたちの表情が優しくなった。テアが頷く。
「そうだよ。そこまでいったらもう先祖返りしなくなって、真帝族や真皇族になることもなくなるから」
(自分の直系先祖を遡った時、五代以上に渡って真皇族と真帝族が一人もいない人が臣籍降下の対象になるんだよね。五代以上間隔が空いたらそれ以降の子孫は先祖返りを起こさなくなって、天威師になることはなくなる。太古の約定でそう決められたから)
初代の緋日神と翠月神が地上に降りる際、祖神たる至高神たちと取り決めた規定だという。
(五代以上を隔てた子孫は、皇家と帝家の特性が一気に薄れてくみたいだし)
さらに代を重ねて七代目以降の者になると力はほぼ消え失せ、通常のただ人と変わらなくなる。それに従い、対や宝玉を持つこともなくなるという。
ゆえにそういった者たちの一部が、宗基家やノルギアス家を始めとした家に出されてきた。皇家と帝家の者であるという桎梏から解き放たれ、臣下として伸び伸びと才を花開かせてほしいという願いと共に。
「まあ、アラン大公子の器量がみじん切りの野菜並みに小さくても、大公家のご子息ですしね」
明香が胸中をそのまま吐露すると、皆が一斉に瞬きして明香を見た。
「み、みじん切りの野菜? ぷっ、ふふ……ははっ」
復唱したティルが紅茶碗を持ったまま噴き出す。
「あっはっは……みじん切り……み、みじん……」
息を詰まらせながら笑い転げているが、その最中でも紅茶碗の中の茶を僅かも揺らしていないのはある意味すごい。
「そなたははっきり言うな」
「アランのことを話す時は顔つきが変わっている気がするぞ」
「何か怒っていますの?」
「ああ、先ほどから目が笑っていない」
ラウ、テア、ミア、高嶺が順に言う。ティルも笑いながらこちらを見ていた。どうやら全員気付いていたようだ。
(あ、ばれてた……どうしよう)
肩を竦めながら、明香は目を泳がせた。上目遣いに皆を見ると、興味津々といった視線が向けられている。
(うわぁ……こ、これはごまかせない感じかな)
内心で零しつつ、ごくりと生唾を飲み込んで口を開く。
「ええと、実は以前、斎縁家で……アラン大公子との間にちょっと事件がありまして」
そう――アランは泰斗を相手に揉め事を起こしているのだ。
「え、何かあったの? 斎縁家の当主には俺たちもよく装飾品作ってもらってるから、何度も会ったことあるよ」
(ほーらそうなるよね!)
予想通りの展開に、明香は引きつり笑いを浮かべた。
「はい、義兄がお世話になっております。あの、大公子の件は……内容が少々乱暴なものになってしまいます。お世辞にも楽しい話とは言えないのですが、せっかくのお茶会なのにいいのでしょうか?」
流血沙汰の事態だったので、はっきり言って茶会に相応しい話題ではない。躊躇する明香だったが、返ってきた言葉は応だった。
「構わない。私たちは今後、公私ともに深く関わっていくことになる。ならば、今の時点から腹を割って話をしておくのもいいだろう」
「俺も兄上と同意見かな。こうして水入らずでゆっくり話せる時間ってあんまり取れないし。今日はせっかくの機会なんだから、切り込んだ話とかもしちゃっていいと思うよ。俺たちも明香のことを知りたいし、明香にも俺たちのことをちゃんと知ってもらいたい。上辺だけじゃなくてね」
紡がれる真摯な声には誠実な思いが溢れていた。これはラウとティルの本心なのだろう。表向きを取り繕うのではなく、きちんと正面から向き合って言葉と心を通わせ合いたいと言ってくれている。
彼らは明香を懐に入れてくれており、自分たちも願わくば明香に受け入れて欲しいと思っているのだ。その気持ちが素直に嬉しかった。
「――はい、ありがとうございます。では、今日はお互いにじっくりお話ししましょう」
こくんと頷いて了承すると、ミアがにっこり小首を傾げた。
「ええ、ええ、そういたしましょう。それで、アランと斎縁家当主の間に何がありましたの?」
全員、微笑みながら明香をひたと見ている。
(うぅ……あーもう、しょうがない! 話すしかないか)
「義兄……斎縁家当主が――アラン大公子に暴行を受けて大怪我をしたんです」
腹をくくって白状した言葉に、室内が静まり返る。
「ぼうこう」
「おおけが」
ラウとティルが繰り返した。心なしか二人とも台詞が棒読みだ。高嶺から表情が剥がれ落ち、テアとミアの顔から血の気が引いた。
「それは本当ですの?」
「は、はい。その……大公子が私的な依頼を持ち込んで来られたのです。すぐに私用で使う品を作れと。ですが、その時の斎縁家当主は蒼月皇陛下から複数のご注文をいただいていました」
ちょうど納品前の最後の大詰めを迎えており、他の依頼――それも公務ではなく私事で使用する優先度の低いもの――を受注している余裕はなかった。
「当主はその依頼を断りました。詫びの書簡をしたため、依頼は陛下方を通していただきたいことをお伝えしたのです。そうしたら……大公子は怒り狂って斎縁邸に乗り込んで来られたのです」
「は?」
ティルが一段階低い声を出す。
「斎縁邸にいる使用人は、折悪く全員出払っていました。私は食事を持って当主の部屋を訪れたところだったのですが、いきなり空間が歪んだと思ったら大公子が現れて」
それからは修羅場だった。鬼のような顔をした金髪碧眼の青年は、状況が飲み込めない明香を突き飛ばして泰斗に掴みかかると、床に引き倒して何発も殴り蹴り付けた。明香は必死でアランにしがみついて止めたが、彼はますます憤って泰斗の指を踏み付けて折った。
明香は咄嗟に、『もうすぐ皇家からの使者がいらっしゃいます!』と叫んだ。するとアランは攻撃を止め、『使者には俺にやられたと言うな。強盗が入ったとでも言っておけ』と言い捨てて逃げ帰った。
「私たちの怪我は、斎縁家にある治癒の霊具で治しました。でも当主は、自分の怪我よりも作りかけの品に被害がなかったことに安心していたんです。しかも、私の方を先に治療したんですよ。自分の方がよっぽど重症だったのに」
爪が食い込むほどに拳を握り、あの時の悔しさを噛み締める。
「蒼月皇陛下に訴えようと言ったのですが、治ったのだからいいと言うばかりで……。アランの頭を引っつかんで髪の毛をむしり取ってやりたいです」
「そ、それは知らなかった。帝国の者が――それも遠縁とはいえ帝家の血を引く者が、皇国皇帝の専属職人を傷付けるなどあってはならない。詫びを言う」
ラウが怒りを推し秘めた表情で告げた。だが、何故か怯えたようにそっと頭に手をやっている。別にラウの頭の毛をむしると言ったわけではないのにどうしたのだろうか。
「斎縁当主はちっこいし細いし、女の子みたいにか弱そうだからねぇ。アランは自分より弱い奴にはよく吼えるタイプなんだよ。以前のメイリーアン嬢も似たような感じだったから、ある意味似た者同士が婚約したってことだね」
ティルが苛立ちを忍ばせた笑みを浮かべる。泰斗が聞けば笑顔で青筋を立てそうな言葉だ。
「メイリーアンさんもですか?」
「そうだよ。結構えげつないことをしていたんだよ」
その時、横から微かな熱を感じた。視線を滑らせると、紅茶碗を持った高嶺がじっと茶の水面に視線を落としている。横髪がはらりと頰にかかり、陰のかかった面は美しい。伏せられた長い睫毛の下に隠された瞳が僅かに覗く。
その中に宿る、痛烈なまでの悲憤。
(高嶺様?)
どうしたのだろうと思った瞬間、脳裏に光が反射した。
ありがとうございました。




