70.モンザート侯爵の企み
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「ーーで、明香は甘いものが好きなんだって?」
「菓子をたくさん用意しておいて良かった」
ティルとラウが交互に言う。
「はい。本当は大きなお菓子をぱくっとかぶりつきたいんですけど、皇女になったので我慢しないといけませんね」
すっかり素が出た状態で、明香は答えた。包み込むように大きく穏やかな空気を纏う皆の前で、かろうじてかぶっていた猫は完全にずり落ちて足元で丸くなっている。
「ここでは生菓子を中心に食べて、日持ちがするものは包んで持って帰ればいい」
「チョコケーキとプチシュー食べる?」
ラウの素晴らしい提案と共に、ティルが生ものをよそってくれる。
「ありがとうございます!」
いそいそと皿を受け取りながら、明香はしみじみ言った。
「こちらの料理はソース控えめで良かったです」
ソース無しか、かかっていても果物系のあっさりしたものなので食べやすいのだ。
「さっきの料理は正直重くて」
「うん、こてこての帝国料理だったから皇国の人には辛かったと思う。……侯爵の目的、明香も何となく察してたよね? きちんと牽制しててすごいと思ったよ」
皆にお代わりの茶を注ぎながら、ティルが肩を竦める。きめ細かい綿菓子のような湯気と共に、再び部屋の中が馥郁たる芳香で満ちた。今度は檸檬風味の紅茶だ。そっと口に含んでみると、紅茶の甘みとまろやかさに檸檬の酸味が加わり、いい具合に溶け合っていた。
「それは……やっぱり、緋日皇陛下の逸話を利用しようとしてたんですか?」
「ああ。緋日皇陛下と同じ日神であるそなたと同じ食卓につくことは、帝国においては相当なステータスになる。遠き御世に緋日皇陛下と個別に食を共にした者はもれなく出世し、その家系は現在でもなお時めいているのだから」
宗基家はもちろんのこと、ノルギアス家とイステンド家の祖も、緋日皇の陪食を賜っている。そして弱肉強食で序列を重視する帝国において、皇国の日神との共食はまさに栄華への大きな一歩と認識されるのだという。日神と個別に食事を許されたという事実そのものが、実力の一部と見なされるのだ。
「そなたがあそこで牽制していなければ、侯爵は今日の事を自慢げに吹聴し回っていたかもしれない。そうすれば貴族間の均衡に大きな影響が出ていただろう」
そうならぬよう適切な対応をしてくれてありがとう、と礼を言うラウに続き、ミアも口を開く。
「それから、明香のことをリサーチしようともしていましたわね。帝国語の習熟度、嗜好や考え方など」
(そういえばこれでもかってくらい色々話されたし聞かれたよね)
これからも明香をだしにするつもりだったとすれば、その人となりを知っておけば贈り物もしやすくなるだろう。ティルがあははと笑った。
「でも明香はどれも無難に対応してたし、どうとも取れるような答え方をしてたから、あんまり手ごたえは無かったみたいだけどね。躍起になって分庁の案内までしようとしてたじゃん? 目立った成果が得られなくて焦ってたんだよ」
(そりゃもう、びっしばっし鍛えられたからねー……)
思わず茫洋とした眼差しを浮かべながら、明香は紅茶に砂糖を一つ追加した。
脳裏に、微笑みを浮かべて仁王立ちする泰斗の顔が浮かぶ。あの鬼教官には、座学だけでなく処世術や交渉術に至るまでの全てをひたすらしごかれた。
(でも、もっと精進しなきゃ。高嶺様の顔に泥を塗らないためにも)
紅茶を混ぜながらぎゅっと拳を握ると、持っていた匙がぐにゃりと曲がった。
「ああ!? ごめんなさい!」
「わぁ、スプーンが曲がっちゃった。あっはっは」
それを見たティルが身をよじらせて笑い出す。気合いを入れた拍子に天威が指に集まり、僅かに制御を外れてしまったのだ。
「明香」
隣の高嶺がすぐに代わりのスプーンを取ってくれる。
「ティル様は笑い上戸なのですわ」
卓に突っ伏すようにして笑っているティルの背をそっと撫でながら、慣れた様子でミアが教えてくれた。
「でも、こんなに楽しそうに笑われるのは家族の前だけですよね」
「明香はもう私たちの家族だからな」
テアがラウを見て言い、ラウが当然のように答える。明香の胸にぽっと暖かいものが灯った。
(私、義妹だって認めてもらえてるんだ)
「明香もどうか、私とティルを家族だと思って欲しい」
決して強制することなく、ただ心からの想いを宿した声でラウが言う。目じりをぬぐって身を起こしたティルも、まだ笑いの残滓が残る顔でこちらを見た。
「はい――ラウお義兄様」
「ありがとう」
ラウが微笑む。続けてティルにも声をかけた。
「ティルお義兄様」
「ありがとう~」
ティルも笑顔で礼を返してくれた。
――その瞬間。
『懐かしいわね。私もこうやって挨拶したのよ』
明香の心の奥から、内なる声が沸き上がってきた。
(えっ?)
刹那、脳裏に幾つもの映像が明滅する。
誰かと繋いだ自分の手。
同じ柄の二つの茶碗。
一つの布団に二つの枕。
自分の横を共に走る誰か。
(っ……何――?)
思わず額を抑えると、景色が切り替わった。
色の無い白黒の風景の中、がれきが散らばった空間で、血にまみれた誰かを抱えた泰斗が泣いている。
白熱の閃光が炸裂し、映像を塗り潰した。白一色に染まり、次いで真っ暗になった意識の中、頭の中に木霊がかった声が響く。
――いいかい、時は自ずと満ちる。それまでは下手に手を出してはならない。
泰斗ではない。若い男性の声だ。どこかで聞いたことがある。
――大丈夫、記憶も思い出も愛も、全て変わらぬままでここにある。決して失われたわけではない。魂の奥にある一室にしまわれただけだ。
続いて、若い女性の声も聞こえる。
――しばしの間、お眠りなさい。抱いた傷が癒えるまで。
こちらもやはり、聞き覚えのある声だった。どこで聞いたのだろうと考え、思い出す。
(高嶺様と私を玄い光の紐で縛った声だ。……この方々は誰?)
――時が来れば、閉ざされた記憶の扉は必ず開かれる。だから、それまでは無理にこじ開けてはならないよ。
再び響いた男性の穏やかな声と共に、揺りかごの中にいるような心地よさに満たされる。
(気持ちいい……)
ふっと体が浮くような感覚に襲われた時。かくんと体が傾ぎ、肘が卓に当たる。茶器や食器が音を立て、その衝撃で意識が引き戻された。
「明香?」
はっと周囲を見回すと、高嶺やラウたちがじっとこちらを見ている。
「気分が優れませんの?」
ミアが心配気に言った。
「あ、大丈夫です! ちょっと一瞬ぼうっとして」
「そう」
それ以上深追いせず、皆は微笑むと再び茶菓に手を伸ばした。
(……何か、ある)
雷鳴のごとく、明香の直感が告げた。
(私にはきっと、まだ何かある。皆はそれを知ってる。きっと義兄様も。でも、黙ってる)
それは何故か。
――時が来たら。
(まだ、その時が来てないから?)
ならば、いずれ全てが分かる時が来るのだろうか。皆を伺うと、一様に慈愛に満ちた面差しが返ってきた。その暖かくも力強い双眸に、宙ぶらりんになった心がしっかりと支えられような安堵を感じる。
(……大丈夫。大丈夫、この人たちと一緒なら。家族と一緒なら、絶対に大丈夫)
年単位で付き合いがあるテアとミア、10日間余りとはいえ密に触れ合いを重ねてきた高嶺はともかく、今日会ったばかりのラウとティルにまで揺らがぬ信頼を抱いている。
理屈ではなく魂で、この人たちは信じていいのだと確信できる包容力を、目の前にいる家族たちは明香に向けて放っているから。
(何を知ってるのか聞きたい。でも、きっと今はまだ時期じゃない。皆がそろって黙ってるんだからまだ早いんだよね。じゃあ、別の話をしよう)
天威師としての本能が、閃きのような勘を告げるのだ。『この件はまだ時期尚早だ、今は話題を変えろ』と。
明香はややぎごちないながらも笑みを浮かべ、あえて何でもない様子で口を開く。
「あの……ちょっとお聞きしたいことがあるのですが。先ほどの――侯爵の話に戻ってもいいでしょうか?」
元々はそれについて話していたのに、明香が匙を曲げてしまったことをきっかけに話が別の方向に逸れて行ったのだ。ならば、ここで戻しても問題ないだろう。
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