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68.消えない悪夢

ご覧いただきありがとうございます。

この第3章が終われば最終章に入ります。

1日3話投稿のペースを保てれば、第3章は一週間くらいで終われるかなと思います。



◆◆◆



(ぎゃぁああぁぁぁ!)


 耳をつんざく濁った悲鳴は、己の声だった。


(痛い。痛い。痛い痛いいたいぅぁぁいだいいだい)


 ぼやけた虹色が煌めく。激痛が体中を貫き、絶望と諦観が心を支配する。精神の僅かな断片まで悉くすり潰されるような辛苦の中、嗤笑が響いている。


(いや――いやだ)


 頭を抱え、体を丸めて呻くように声を上げる。


(あつい……いた、いたい……いだいぃ……やめて、やめでください)


 熱い。

 だが冷たい。

 痛い。

 苦しい。

 うわ言のような懇願が漏れる。


(やめでくだざいおねがいじます。もうやめでぐだざおねがぃやめてやめでやめで……)



◆◆◆



「若」


 痛みが、苦しみが、絶望が、水面(みなも)に浮かぶ泡のように消え果てる。

 凍える灼熱の獄に、仄かに暖かさを帯びた清涼な雫が滴り落ちるように――その声は苦痛に満ちた記憶から自分を掬い上げた。

 暗闇に沈んでいた意識が引き戻される。


「……栄生(さこう)


 己の忠実な従者が控えてくれていたことに安堵しながら、泰斗は目を開けた。


「――私は眠っていたのか」


 皇宮から斎縁邸に戻り、縁側に座ったまま微睡んでいたようだ。


「はい。すぐに茶をお持ちいたします」


 言い置き、栄生が一礼して立ち上がった。


「お具合はいかがですか」


 章波が気遣うように言い、厚手の上衣を泰斗に着せかける。


「ご疲労が強くなられておいでのご様子。夜はきちんと休めておられますか?」

「ああ……」


 生返事をして明確な答えを濁す。実を言うと、余り眠れず寝不足だ。最近は悪夢を見ることが格段に増えた。自分を照らしてくれていた光がここを去り、皇宮に入ってしまってからは、特に。


「よろしければご就寝時はお側で不寝番をさせていただきますが。悪い夢をご覧になっているようであればお起こしいたします」


 泰斗は寸の間黙考した。この忠臣には全てお見通しのようだ。少しの間を置いてから、照れ臭さを隠すようにそっぽを向いて言う。


「……ではそうしてくれるか、章波」

「喜んで。お熱や倦怠感などは……」

「無い。そう案じずともいいのだ。蘭、鈴、連も仕事に戻れ。心配をかけたな」


 肩を竦めて言い、心配そうな表情をした三兄弟が渋々持ち場に戻るのを見送りながら、小さく舌打ちする。


「いや、このような言葉遣いをしているところを視られれば厄介だ。気を付けなくては。先日のここでの光景を明香に視られていたようだ。……ただの夢であったということにできたがな」


 この様子を再び視れば、あの娘は目を剥くだろう。自分の視た、夢であったはずのあの光景が、実は夢ではなかったと悟って。

 そう――()()()()()()()()()()()()()()()

 推測していた通り、天威でこちらを遠視していたのだ。


「さすがに二度目は取り繕えぬ」

「それはそれは。あなた様方にすら気取られぬとは、なかなか……」


 章波が軽く喫驚を浮かべる。


「全く、私としたことが油断した」


 唸るように呟いていると、湯気の立つ茶杯を乗せた盆を持って来た栄生が、大らかに笑う。


「何と。さすがはお嬢様ですなぁ。蒼月皇陛下も頼もしく思われることでしょう」


 茶の用意が早いところを見ると、必要になることを見越し、あらかじめ茶葉や湯を用意していたのだろう。


「悠長なことを言っているが、私は肝が冷えたぞ。何とかごまかせたものの……」


 恭しく差し出された茶杯を口に含むと、まろやかな甘みが味覚を刺激した。(おも)(だる)かった体がすっと楽になる。

 泰斗は不機嫌な顔で空になった杯を盆に返し、立ち上がると自室に足を運んだ。少しばかり散らかった室内を進み、棚にしまってある小さな箱を取り出す。その中には、神威の気配を和らげる神布が収まっていた。それを冷ややかに睥睨しながら、ふと思い出して口を開く。


「そう言えば、明香が私の両親の墓参りに来たいそうだ」

「おや」


 章波が軽く眉を上げた。


「それは光栄なことでございますね」

「あの娘の貴重な時間を取らせるだけだ。――どうせ骨壺の中は空、張りぼての墓なのだから」


 無感情に言い捨てた時、先程去ったばかりの蘭がひょいと顔を覗かせた。


「若、夕餉は何になさいますか」

「……食欲がない。白湯だけでいい」


 ぼそりと言うと、蘭は栄生を見た。


「でしたら厚焼きをご所望されては?」


 栄生が作る甘い厚焼きは泰斗の大好物なのだ。ただし、余りに言うことを聞かなかったり意固地を通した時は、お仕置きとして砂糖無しの出汁巻きにされてしまう。……その場合でも一切れはちゃんと厚焼きを用意してくれるのだが。

 泰斗は一瞬考え、頷く。


「そうする。栄生、頼めるか」

「承りました」


 蘭がくすりと相好を崩した。


「若、御髪(おぐし)が乱れていらっしゃいます。後で整えましょう」

「分かった」


 鈴と連まで部屋に入ってくる。


「この前蒼月皇陛下から下賜された衣ですが、若に合うように仕立てたいのでお時間があります時に採寸をお願いできますか」

「ああ」

「お顔色が優れませんね。気晴らしに合奏などいたしませんか」

「そうだな。では、後ほど竪琴でも弾こう」


 今日も従者たちはまめまめしく、そして甲斐甲斐しい。泰斗のことを心配しているのだろう、何かと理由を付けて側にいようとする。


「余り私を甘やかすな。怠惰(たいだ)になってしまいそうだ」


(だが、私が彼らの行為を受け容れているのも事実だ)


 内心で苦笑を押し殺し、栄生に向かって問う。


「今のところ、急ぎの注文はなかったな」

「はい。先日納品した分をもちまして、蒼月皇陛下からのご依頼は一段落しております。他の皇族方、帝族方のご依頼もございません」

「そうか」


 その時、ギィ、と門が小さく軋む音がした。


「来訪でしょうか」

「見て参ります」


 章波が呟き、栄生がすっと部屋を出て行った。それを見送った泰斗は、神布を入れてある箱のふたを閉める。そのまま室内の壁に寄りかかり、独りごちた。


「皇宮にある装飾品や調度、建造物は年季が入った物が多い」

「中には三千年の由来がある物もございますからね」


 部屋の中に転がっていた小物や文具を片付けながら、蘭が首肯する。連もそれに追随した。


「新宮にも旧宮の品を移動させるようですから、遷都しても余り代わり映えしないかもしれませんよ」


 そうだな、と頷き、泰斗は思案するように視線を虚空に投げた。


「歴史あるものは大きな価値を持つ大切な宝だが、年月を経ればどうしても劣化や汚損は発生してしまう。保存や修復が難しいものの扱いはよく考えねばならぬ。カビでも生えれば他の品まで腐食させかねない」


 カビはしぶとくて厄介ですからねぇ、と鈴が笑った。

 片付けが終わった卓の上はすっかり綺麗になり、空の花瓶だけが若干寂しげに置かれている。


「邪魔な汚れは落とさねば。皇宮を綺麗に整えておきたい。――いずれ来る我が御世に備えて」


 立派な皇帝になってくれ。

 ()()()()は自分にそう言った。


 双眸に酷烈な光を煌めかせ、泰斗が静謐な声音で告げた時、門を見に行っていた栄生が顔を出した。


「若」

「どうした」

「陛下の御遣いが……玉命を伝えに来られたと」


 その言葉に、泰斗は瞬きする。


「陛下の……新しい依頼か?」


 問うている間に、栄生の後ろから褐色の大鳥が顔を出す。鳥を目にした泰斗は、箱を持ったまま即座に跪拝した。栄生たち従者も同様だ。部屋中の者が頭を垂れる中、悠然と虚空に羽ばたいていた鳥は、一同を順繰りに見回すと嘴を開く。


『聞け。これは勅命だ』


 ――赤い翼が閃いた。



 この日、斎縁泰斗は邸から姿を消した。

 自室の卓にある花瓶には、夜空に浮かぶ満月のごとき菊花が咲き誇っていたという。

ありがとうございました。

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