63.打ち明けた苦悩
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「高――殿下!」
「皇女、すまない……私がきちんと確認せず、思い違いをして話を進めたせいで」
(え? あ……)
明香ははっとした。
(高嶺様、全部天威でご覧になってたんだ)
ようやくその事実に思い当たった途端、血の気が引く。どう返したものか分からずに喉を凍り付かせていると、泰斗が進み出た。無駄という概念を削ぎ落とした完璧な所作で礼を取る。
「太子殿下。卑賎の身で発言することをお許し下さい。恐れながら申し上げます。力の扱い方や習熟度というものは、個々によって異なります。天性の感覚や従来の環境、個人差など多くの要因が影響するのだと思います」
流れるような口調で、しかし控えめな態度を崩さぬようにしながら、泰斗は言う。
「例えば、五体満足で生まれそのまま成長した者と、初めは四肢が不自由だったものの後天的に治癒して動かせるようになった者とでは、手足というものに抱く認識や使う際の苦労が異なります」
静かに相手を見上げる丸く大きな瞳と、それを見つめ返す切れ長の涼やかな瞳は、どちらも吸い込まれそうに深い漆黒だ。
同じ色、同じ深さ、同じ強さを放つ二対の双眸が、正面から視線を絡み合わせる。
「前者はごく自然に自身の一部として四肢を操りますが、後者は今まで使っていなかった部位を己の中に落とし込み、受け入れて操作できるようにしなければならない」
穏やかに言葉を発する泰斗は、どこか諭すような表情で高嶺を見つめていた。怒りや詰りは微塵も感じられない。ただ静かに言い聞かせるような眼差しだけがあった。
「御威も同じでございます。殿下は僅か1歳のみぎりより天威に目覚められました。そして力と共に成長なされ、手足の使い方を覚えるがごとき自然さで天威を己がものとされて来られました」
御威は一桁か、遅くとも十代前半までには目覚めることがほとんどだ。高嶺はティルと並び、特に早期となる1歳で覚醒している。だがそうでない者もいるのだと、泰斗は示す。
「対する皇女殿下は自我が確立した十代後半に覚醒した上、未だ羽化されて間もない時分にございます。強大な力の扱いに苦慮されるのは無理からぬことと愚考いたします」
その言葉は、深淵まで澄み切った湖水のようだった。柔らかに優しく、明香を労わるように、そして高嶺を導くように紡がれる。
「力をそれなりに扱えるということに関して、習熟されておられる太子殿下と修練中の皇女殿下では基準が異なるのです。そしてこの皇宮に置いて、紅日皇女殿下の第一の味方となられるのはご夫君たる太子殿下にございます。どうか皇女殿下のお心とお言葉に寄り添ってあげて下さいませ」
「……」
無言で聞き入る高嶺は一見無表情に見えるものの、よく見るとしょんぼりと眉を下げている。僅かに俯いて唇を噛み締める様子を見ていた泰斗は、小さく微笑んだ。
「むろん、太子殿下は私に言われずとも、今申し上げたことをきちんと分かっておられます。ただ、こたびに限っては皇女殿下との間に認識の齟齬があったものと推察いたします」
高嶺がしゅんとしたまま頷いた。
「斎縁当主の言うとおりだ。皇女、本当にすまない」
「え? あ、いえ違うんです。できていないのにできるような感じで伝えてしまった私が良くなかったんです。見栄を張ってしまったから。私失敗しちゃいけないのに、ちゃんとしないといけないのに」
泰斗と高嶺が同時に目を瞬かせた。
「皇女殿下。先程からご様子が気になるのですが、ご自分を追い込まれておられませんか?」
高嶺が現れたからか、泰斗が丁寧な言葉遣いになってしまった。もう義兄妹の時間は終わってしまったのかと、ズキリと胸が痛んだ。
高嶺も重ねて問いかけてくる。
「先日散策した時も同じようなことを言っていた。何かあったのか」
明香はぎゅっと唇を引き結んだ。両手で胸を抑え、潜めた声を絞り出す。
「……私が間違えたら、お祖母様とお父様が悪く言われるから」
脳裏に幾つもの声が蘇る。
「皇女になってすぐ、臣下の要職者にお会いしました。宰相や総督、大臣、将軍……」
宰相は文官の頂点として百官を従え、総督は武官の頂点にあって軍を統率する。共に一位貴族に連なる家の者であり、かつ高い御威を持つ高位神官でもあり、大神官と神官長に次ぐ力を誇っている。彼らのさらに上に皇族が君臨しているため、やや存在感は薄いが、臣下では最高峰の要職者だ。
宰相に次ぐ大臣たちや、総督の下にいる将軍たちも似たり寄ったりである。
「その方々が言うんです。私が覚醒して良かった、西南の御子方も草葉の陰でお喜びでしょうって」
西南の御子方とは、その方角にある宮を賜っていた明香の父方の祖母と、同居していた明香の父を総称したものだ。
「でも、気を抜いて天威が漏れると聞こえちゃうんです。あの人達の本音が」
地面を見つめ、明香はぽつぽつと言葉を落とす。あの図書館で、御威を持たぬ北の御子にはとても言えなかったことを。
「あの穀潰し親子がようやく役に立った。役立たずの庶子たちは日神の御子を輩出して何とか汚名挽回した。そんな本心が聞こえて来るの」
心から明香を歓迎し丁重に接する裏で、息をするかのごとく自然にその父と祖母に痛罵を吐きかける。どちらも彼らの本心なのだ。
「私が失敗したら、上手くできなかったら、きっと私じゃなくてお祖母様とお父様が悪く言われる。だから……!」
例え顔も知らなくても、彼らとの思い出が何もなくても、それでも自分の実の祖母と父だ。彼らがいてくれたから、自分は生まれてくることができた。そんな彼らが死後まで悪し様に思われていることに、胸がじくじくと痛む。
(お祖母様、お父様)
「明香」
高嶺がそっと抱きしめてくる。
「そなたのせいではない。そなたはもちろん、祖母君と父君とて何も悪くない」
「でも」
「仮にそなたが何か失敗してしまったのならば、それは教えた私の責任だ。ゆえに、文句がある者は私に直接言えと宣言してやる」
「そ、そんなの――」
駄目です、と言いかけるのにかぶせるように、高嶺がふにゃりと笑う。
「こう見えて喧嘩は強いから大丈夫だ。悪口を言われたら返り討ちにするから」
「はぁ……」
場違いな笑みに、明香は調子を崩されてしまった。泰斗も真面目な顔で言う。
「太子殿下は武術面におかれましては総督を瞬殺できますし、弁論をなされば宰相に圧勝なさいますので心配無用でございます。そういった苛烈な面はほとんどお見せになりませんが」
総督や将軍は、皇家の直轄軍を率いる皇国最強の将たちだ。世界中の軍隊を指一本で捻り潰すことができる戦闘力を持つと言われている。彼らに比肩し得るのは、帝国が誇る帝家直属の騎士団を統べる高位騎士のみ。
だが、そんな総督たちですら、天威師の前では大獅子の足元に放り出された小鼠も同然なのだ。白珠と高嶺のほっそりした体を見る限り、そのような戦闘力を有しているとは想像し難いが。
泰斗が明香を気遣うように、そして言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
「けれど、臣下らの言い分も全くの間違いではありません。神に通じる御威が比類なき力であることは事実でございます」
高嶺もそれは承知の上なのだろう。悲憤を宿した表情ながらも、冷静に頷いて同意している。
「そうだな。御威を特別視し、その有無を重視すること自体はやむを得ない」
「はい。皇女殿下は天威で本心を読み取ってしまわれましたが、臣下たち自身はあくまで上辺の言葉や表情は取り繕っていたのでしょう」
明香は苦いものを抱えて首肯した。彼らの本心は天威で直感的に感じ取ったものであり、直接口や態度に出して示されたわけではないのだ。いくら御威至上主義の世界であっても、さすがに明香本人の前で実の祖母と父を貶めるような言葉を口にするはずがない。
(その辺りは皆弁えてた……)
要職者たちは一位や従一位の貴族だが、家の力や賄賂で出世したわけではない。多大な努力と研鑽を重ね、重職に相応しい実力と外面、腹芸をきちんと身に付けてきたのだ。少なくとも、使える者は使うという白珠のお眼鏡に叶う域には達している。
「であれば、歯がゆくはありますが彼らを糾弾することは難しい。心の中で思うことまで制限するわけには参りません。だからこそ、皇女殿下も余計にお辛いのだと思います」
それでも、感情的には納得できなくても、理性では認めて割り切らなければならない。そう呟く泰斗は、瞳の奥で何かを堪えているように見えた。
「それに実際問題として、御威を持つ皇族はとても大切かつ必須な存在でございます。一人でも多くいる方がいいことも確かなのです。特に、天威を持つ真皇族がいなければ世界は滅びます。ですから、御威が重視される世界は容易くは変えられない。神々の怒りが平らかになるまでは、変えてはならぬのです」
(ん?)
当然のように告げられた内容に、明香は一瞬硬直した。泰斗は構わずに続ける。
「世界の秘事を知らぬ者達も、本能で悟っているのかもしれません。真皇族がいなくなれば世界は滅びると。ゆえにこそ、御威を持つ皇族を渇望するのでしょう。皇家に生まれた者は、否が応でもその思いを受け入れなければなりません。けれど、個々が一人で抱え込むのではなく、皆で一丸となって背負っていくことはできます」
(やっぱり、この言い方は……義兄様は神様が人間に怒ってることを知ってるんだ。これは秘伝のはずなのに。陛下、ちょっと教えすぎじゃない?)
いくら信用しているからといってここまで話していいのだろうか。思いつつ泰斗を見ると、彼は真っ直ぐに明香を見返してきた。
「天威師同士で支え合い、助け合えばいいのです。自分を強くお持ち下さい。相手の不快な本音を悟ってしまっても、それに翻弄されてはなりません」
高嶺も賛同するように続けた。
「先代の御代では、天威師が先皇陛下と先帝陛下のご兄妹しかおらず、お二人とも相当なご苦労をされたと聞く。だが、今は違う。皇国にも帝国にも天威師が複数誕生した。そなたも私も孤独ではない」
辛い時や苦しい時、悲しい時に愚痴を言い合い、頼ることができる同胞が何人もいるのだと、高嶺は微笑んだ。同じ領域に立つ者同士が、手を携え支え合う。それは、北の御子に言われたことにも通じる台詞だった。
そしてもう一つ、泰斗と高嶺の声に重なる言葉がある。
「……蒼月皇陛下も――同じことを仰せでした」
ぽつりと明香が呟くと、二人は揃って軽く目を見張った。
「私が皇女となってすぐ、文を頂きました。優しい労いや励ましが書かれていましたが、その中に私の子についてのことも書いてありました」
流麗な筆使いで書かれた内容を思い返しながら言う。
「『皇家の者は、御威に目覚めること、御威を持つ子を授かることを求められる。もしも将来そなたが生んだ子が徴を発現できなければ、非難の矛先はそなたではなく子に向けられる。自分への陰口は如何様にでも受け流せても、我が子への誹謗は耐えられないものだ』……そう書かれていました」
高嶺と泰斗は黙って聞いている。表情が読めない高嶺の脳裏には、庶兄である北の御子のことがよぎっているのかもしれない。記憶を手繰り寄せながら、明香はさらに続ける。
「けれど、だからこそ己をしかと保ち、周囲に流されぬようにしなさいともありました。『自分や身内へ注がれる毀誉褒貶に惑わされてはならぬ。自身を自身たらしめる芯を持て。それは辛苦の洪水の中でも揺らがぬ楔となろう。誰が何を言おうとも、己の心と信念を抱き続けよ。それでも折れそうになった時は――』」
そこで一度息を吸い込み、夫と義兄を交互に見た。
「『その時は、夫や家族などそなたの周囲に在る者たちが駆け付け、惜しみなく力を貸してくれることだろう。私も及ばすながら、義母として尽力しよう。ゆえに恐れることはない、そなたは一人ではない。同胞と共に支え合い、皇族として在るべき姿を損なうことなく真っ直ぐに伸びてゆくがいい』――そんな内容でした」
高嶺がそっと両肩に手を添えてくる。
「その通りだ。そなたが嬉しい時悲しい時、楽しい時寂しい時、いかなる時であっても私がそなたの側にいる。他人の下らぬ思惑など虫の羽音だと思って聞き流せ」
「……はい」
肩に感じる温もりが、ずっと共にいると主張している。その熱が、心を締め付けていた柔らかな鎖を断ち切ってくれるようだった。
ありがとうございました。




