61.許せない
ご覧いただきありがとうございます。
(この水晶が四大高位神様の神器!?)
明香は驚愕して水晶を眺めた。同時に納得もする。相当格が高いであろうあの森の狼神ですら、この神器を振りほどけなかったのはそのためか。
(ていうか、そんな大事な物ならちゃんと自分で管理してよー!)
明香に見られて焦ってしまったのだろうが、あっさり初対面のフルードに貸し出してしまうなど危機管理が甘すぎる。
(まぁでも、一つ謎が解けた……)
少しすっきりしている間に、泰斗は盆に乗せた茶杯を卓に運んでいく。
「この後は帝国の太子殿下と茶会なんだよね? 少なめにしておいたよ」
見ると、茶は小さな黒銀の杯に半分も入っていない。
「ありがとう」
(結局全部やってもらっちゃった)
こっそり肩を竦めながら、泰斗と向かい合う形で座る。一口茶を飲むと、ふんわりとした芳香と仄かな甘みを含む繊細な味が口の中に広がった。
「ん~美味しい! 義兄様が淹れるお茶は美味しいから大好き。お茶淹れの名人だね!」
心からの賛辞に、しかし、泰斗の反応は素っ気ない。茶と共に用意されていた菓子を卓に出しながら、連れない口調で言う。
「茶葉がいいからね。茶器も上等だから、余計に高級で美味しく感じるんだよ。僕の腕は関係ない」
「もう、どうして義兄様はそう自己評価が低いの」
精緻な硝子細工のごとき味わいを醸し出す星鏡茶は、最高級のものとなれば金と同等の値が付くこともあり、大変に貴重なものだ。その分扱いは難しく、淹れる際に茶葉と湯の量、温度、蒸らす時間、気温、湿度などの条件を僅かでも読み間違えると、瞬く間にその風味を損ねてしまう。
明香との会話を行いながら、完璧ともいえる精度で茶葉の真価を引き出した泰斗の手際は、絶賛されて然るべきものだ。なのに――
(義兄様って全然自分を褒めないんだよね。自画自賛とか自慢とか一切しないし。自分以外の人のことはきちんと認めたり褒めたりするのに)
厳しい言い方をすることも多いが、褒めるべきところや認めるべき部分では惜しみなく賛辞を送る。何故か辛辣な評価を繰り出している北の御子と蒼の使途への対応は例外なのだ。
「明香、お菓子食べないの? 珍しいね。いつもならこの後茶会でもお菓子は別腹! って言うのに」
「う……ちょっとお腹いっぱいで」
(侯爵の接待でかなり食べちゃったもの)
用意されていたのは、花や蝶、鳥などの形を模した美しい餅菓子だった。柔らかい薄生地の中に、さっぱりとした柑橘系の餡や仄かに甘い蜜餡などがたっぷり包まれており、星鏡茶の繊細な味わいを壊さず引き立てるものとなっていた。
「このお菓子、こっそり包んで持って帰っちゃ駄目かな?」
(陛下と殿下が視られてたら呆れられるかな)
迷っていると、泰斗が何度目かの溜め息を吐き出した。
「あ、の、ね。明香は皇女なんだよ。『貴賓室のお菓子が大変美味しゅうございましたわぁ。ほほほ~』とでも言っておけば、後は周りが勝手に忖度してくれるの」
有り難い助言に、明香は目を輝かせた。握り拳を作って頷く。
「分かった! 賓室のお菓子が大変美味しゅうございましたわぁ。ほほほ~。って言えばいいんだね。ちょっと恥ずかしいけど頑張る!」
「いや表現は適当に調節してよ!? 一言一句そのまま言っちゃ駄目だからね!」
珍しく焦った顔で突っ込んで来る泰斗が面白くて、明香は小さく吹き出した。
「うん、大丈夫。分かってるよ」
その顔を見た泰斗も、目を瞬かせた後に思わずといったように相好を崩す。少しだけ眉を下げて唇を綻ばせた、本心からの笑みだ。
(義兄様)
ぽわんと心が温かくなる。
自分と――自分の中にいるもう一人が共に笑っているのだ。
(大丈夫。義兄様はやっぱり、私の優しい義兄様だ)
そうして穏やかな空気の中で微笑み合った後で、表情を改めた泰斗が再び口を開いた。
「ところで……明香がメイリーアン嬢の神器を持ってるってことは、やっぱりさっき何かあったんだ。帝国分庁の方から光と炎が上がって皇宮でも騒いでいたよ。で、少ししたら神様が空に昇って、麒麟と鳳凰が飛んで来た。明香は茶会のために太子殿下と分庁に行って、メイリーアン嬢と会ったんだね」
的を射た推測に、明香は素直に頷いた。
「うん、そうなの」
(多分すぐ話が広まるよね。太子殿下方も緘口令とか出されてる感じじゃなかったから……)
遅かれ早かれある程度の事実は知れ渡るはずで、お抱え職人として皇家と帝家の近くにいる泰斗の耳にもきっとすぐに事の次第が入る。
「皇宮でも帝国の分庁でも騒ぎになったから、いずれ知るところになると思うけど……今はまだここだけの話にしてくれる?」
腹を決めて問うと、泰斗はあっさりと約束してくれた。
「分かった。誰にも言わないよ」
「ありがとう」
色よい返事が得られたため、アーネリアに扮したメイリーアンが迎えに来たところから始まり、カイシスの接待、狼神の暴走、鳳凰になって皇宮に帰って来るまでの経緯を全て話した。
「――というわけなの」
(ふぅ……さすがに話し疲れたかも)
説明を終え、既に湯気の消えた茶を一口含むと、冷えた感触が喉に優しく染み渡った。
冷めてしまっても温かい時とは別の深みが出るのは星鏡茶の特徴であり、淹れた泰斗の腕の良さでもある。
当の泰斗は難しい顔をして、卓上を睨むように見つめていた。
「そのような愚行をするとは……あの娘はやはり父親の邪気に囚われている。肉親の鎖とは何と根深い――」
独白のように紡がれた言の葉に、あの娘とは誰なのか一瞬考え、すぐにメイリーアンのことだと理解する。
(父親……って、先代の大公閣下?)
何か知っているなら、聞いてもいいのだろうか。だが、そっと伺った泰斗の顔色はお世辞にも良いとは言い難く、雰囲気もぴりりと強張っていた。
(義兄様にとっては嫌なことなのかも)
ならば無理に掘り下げるべきではないのかもしれない。話す必要があるなら、この義兄は自分からきちんと話してくれるだろう。切り込むべきか退くべきか考えつつ、ひとまず無難な言葉を口にする。
「でも、まあ……今日はとにかく大変だったけど、何とか乗り切れてよかった」
(肝心のお茶会はまだなんだけどね)
あえて明るめに言うと、我に返ったように明香を見つめた泰斗は、さっと眼差しを緩める。
「ん? うん、そうだね」
「義兄様にみっちり教わってなかったらとても乗り切れなかったよ」
「明香が頑張って食らい付いて修得したからね。君自身の手柄だよ、僕は何もしてない」
「もう、またそういうこと言って」
謙遜は泰斗の性分なのだろうかと苦笑いする。泰斗も笑い返してきたが、先ほどとは違う硬い表情だ。明らかに無理して笑っている。それを認識した瞬間、ぽろりと問いかけが零れ落ちた。
「義兄様? ……メイリーアンさんのこと、気になるの? ――もしかして心配なの?」
(そうだったら……何か嫌)
どうしてか分からないが、急に心がとてももやもやし始めた。自分の中にいる誰かが気分を損ね、不安になっているのだ。
『泰斗様、あの子のことを気遣っていらっしゃるの?』
そんなの納得できないと叫んでいる。
「まさか」
そして、泰斗は明香の懸念を華麗に一刀両断した。
「心配はしていないよ。僕は彼女を許さない」
硬質な声音に、底知れぬ怒りと悲しみが閃く。漆黒の眼に燃える瞋恚の炎。そしてその中に灯る――僅かな憐憫の情。
(義兄様……)
泰斗は決してメイリーアンに味方しているわけではない。そう悟ると、明香の憤っていた心がふっと落ち着いた。自分の中にいる誰かが安堵したからだ。そして、泰斗に強く同調している。
『そうよ、私だって許さない。あの子が悪いのではないのだとしても……それでも、どうしても許せない』
声なき感情の叫びと共に己の内から湧き上がる悲憤の大きさに、明香は息を呑んだ。
(何で、ここまで)
不意に、脳裏一面に無数の赤い花が咲いた。大鷲の翼のように広がったそれは、真っ赤な血飛沫だ。
いつか見た記憶の断片が蘇る。
忘れてしまった血濡れの思い出の残像が。
真紅の鮮血に染まった視界の中で、若い男女の悲痛な絶叫が聞こえる。心臓を貫かれるような哀しみが全身を襲う。
(ひっ……何なのこれ!?)
尋常ではない状況に明香が慄くと、その様子に気付いた泰斗がすっと激昂を収めた。
「ああごめんね、ちょっと興奮しちゃった」
優しいその声を聞いた途端、脳裏に迸った赤が消える。思考が現実に引き戻され、暴れかけていた記憶は再び意識の底に沈んでいった。
「明香、大丈夫?」
「い、今、変な光景が見えて……」
胸を押さえて忙しなく呼吸している明香を見つめ、泰斗は穏やかに言った。
「しっかり深呼吸して。大丈夫。大丈夫だから」
静かな声が心身の最奥まで染み渡り、旋風のように動揺を晴らしていく。明香の鼓動が平常に戻ると、困ったように苦笑された。
「まだ顔が強張ってる。明香は明るい笑顔が似合うんだから、そんなに思い詰めないで」
「……ねえ義兄様……私、何か忘れてる?」
恐る恐る聞くと、柔らかながらも凛とした答えが返ってきた。
「それはこれから分かるよ。でも何も心配は要らない。君には支えてくれる味方が大勢いてくれるから。陛下方にテアとミア。神官長。帝国の太子たち。他の皇族、帝族。僕もそうだし、何より高嶺太子殿下がいる」
(高嶺様……ああ、そうだ――高嶺様)
心の中で反復し、その姿をはっきりと思い浮かべた途端、魂が引き上げられる感覚と共に精神がぐっと安定した。
「あ、顔色が良くなった」
泰斗が安心したように呟く。
(そうだよ、高嶺様の安心成分は私の特効薬なんだから)
ぎごちないながらも微笑んで頷き、明香は口を開きかけて迷った。
(さっきの記憶とか、もっと深く聞いた方がいいのかな)
だが、泰斗が先んじて明香の唇に人差し指を当てる。
「明香、君が何を言おうとしているかは大体分かるよ。けれど今はやめておこう。全てを話すのはもう少しだけ待ってくれるかな」
今は別のことを話そうよ、と言って笑う。
「ここは気持ちを切り替えて、何か楽しい話をしようよ。そんなこと難しいとは思うけど」
「…………時機が来たらちゃんと話すって、約束してくれる?」
「うん、約束する」
「それなら――分かった。義兄様を信じる」
頭を一つ振って首肯し、明香はひとまず今のことを棚上げした。
「それで、何を話すの?」
「うーん、じゃあ鳳凰になったこととか。分庁から飛んできたあの紅い鳳凰は明香だよね」
「あぁ、あれ。自分でも信じられないよ。鳥になって飛ぶなんて」
鳳凰の姿に変じて飛翔することについて語っていると、高嶺と追いかけっこをした話になった。
泰斗は「何をやっているの」と呆れつつも、「僕だってその気になったら追いかけっこは強いよ」と、何故か対抗心を燃やしていた。
(義兄様は体力が無い分知略と技術で攻めてくるからなぁ)
厳しい教育の合間に、使用人の皆も巻き込んで家人総出で遊び回った光景が懐かしい。
「それからね、この前の公務で神様の遊び相手を仰せつかったんだけど、何とかくれんぼをご所望だったの。神様って意外と子どもっぽいところあるよね」
と言っても、明香にはまだ難しい内容の公務は当てられていない。温厚な神への簡単な対応を任されるくらいだ。
泰斗が苦笑して言った。
「明香。かくれんぼが子どもの遊戯だっていうのは、人間の世界での考え方だよね。だけど、神は人間の基準や価値観に合わせたりはしない。気が向けば、時にはままごとや人形遊びだって所望するかもしれない。でも、それで神が楽しんで下さるなら何も問題はないんだよ」
(うん、高嶺様もそう仰ってた)
神と人では思考も価値基準も異なるのだから。頷きながら話に花を咲かせていると、高嶺からの念話が入った。
『明香、待たせてすまない。こちらはもうすぐ終わる』
(高嶺様!)
口を閉じて嬉しそうに微笑み、目を虚空に向けた明香に、泰斗が察したように聞く。
「もしかして念話が入った?」
「うん。もうすぐ終わるって」
同時に寂しさが胸に去来する。
(てことは、義兄様と話す時間も終わり)
今こうして義兄妹として親しく話せているのは、高嶺と松庵が配慮して特別に場を整えてくれたからだ。
この時間が終わってしまえば、次からはそうはいかない。皇女たる明香と臣下の泰斗が、今のような距離感で話すことは本来有り得ないのだから。
(覚悟を決めないといけない)
明香が唇を噛み締めた時。胸中で踊る哀切の念を吹き飛ばすような爆弾発言が、高嶺から放たれた。
『ああそうだ、明香。ちょうどいいから実習を兼ねてもう一度天威を使ってみないか。この後は共に分庁に戻るが、今度は鳳凰になるのではなく、天威を鳳凰の形で顕現させてそれに乗って飛んでみよう。私の講義で基礎を教えた後、自主的に修練してそれなりにできるようになったとこの前言っていただろう』
(――え?)
『ではもう少ししたら行くゆえ、神官府の裏庭で待っていてくれ。そこなら人も通りにくく目立たない。――ではな』
ぷちっと念話が切れた。
ありがとうございました。
第2章はあと2日で終わる予定です。
皆様、よいお年をお迎え下さい。




