60.奇跡の御子
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「お義父様も?」
最後に独白のように紡がれた一言に、明香は思わず瞬きした。神妙な口調になって呟く。
「そうだったの。……お義父様とお義母様が亡くなられてからもう1年以上になるね」
泰斗の父親――斎縁家の先代当主は、明香が16歳の時に妻と共に亡くなってしまった。伏せりがちだった身には珍しく、二人で外出した際に事故にあったのだという。遺体は損傷が激しいからと明香には見せられず、棺越しに最後の挨拶をした。
「栄生さんたちを通じて手紙のやり取りはしてたけど、直接お会いする機会がなかったのが残念」
(養女にしていただいた時に対面したのも御簾ごしだったからなぁ。お姿は見えなかったし)
ただ、確かに御簾の向こうにいて、じっとこちらを見ていることは分かった。
とても病弱とは思えない、全てを見透かすような重厚な視線に緊張しつつ挨拶した明香に、義理の父親となった先代当主は一言だけ声をかけた。
『歓迎する、我が義娘たち。どうか息子を支えてやってくれ』
その瞬間、明香はまるで脊髄に電流が走ったような感触に襲われ、気付けば床に頭を打ち付けてひれ伏していた。御簾の近くで控えていた泰斗は驚いた顔をしていたが、それは直に声をかけた父親に対してか、それとも過剰な反応をした明香に対しての驚きだったのか。
先代の言葉を聞いたのは、後にも先にもそれきりだ。
(……あれ? そういえば、何で複数形なんだろう?)
思い起こした記憶を反芻し、疑問が浮かんだ時、それをかき消すように泰斗が声を上げた。
「僕の親に会いたかったの?」
「そりゃあ、義理とはいえ両親だもの」
「ふーん」
頷いた明香に、何故か満足そうに笑う。
「いつかお墓参りに行けたらいいなあ」
(養家でも斎縁家は私の実家なんだから、たまには帰れるかもしれないし)
と、泰斗が神妙な顔になって口を開いた。
「……あぁそうだ。明香。もう一つ言っておきたいことがある。今までの話とは矛盾することを言うかもしれないけれど、皇族の在るべき姿として最も重要かつ最優先なのは――明香?」
だが、自分の思考に没頭している明香はその声に気付かない。
泰斗が重ねて呼びかけようとしたところで、はっとあることに気が付く。
「あっ! ねえ義兄様、ここで話し込んじゃってるけど、場所を変えるって言ってたよね」
「え? ……あ、本当だ」
泰斗も言葉を止め、瞬きして周囲を見回した。一瞬、花梨がいる方を気にするような素振りを見せたが、すぐに平静に戻る。
「いったん出ようか」
「うん」
頷いて共に足を踏み出しながら、明香も振り返って花梨の牢がある方角を見た。
「……義兄様、斎縁家で私の食事に混ぜてくれてた蜜って、まだ残ってたりしないよね?」
「もうないよ。君が皇宮に入るのと同時に、君用の蜜の支給は止まったから。一番最近届いた蜜はまだ少し残ってるけど、期限切れでただの水や粉になってる」
無情な答えに、明香はがっくりと肩を落とした。
「だよね」
(まだ蜜があったら花梨様にあげられないかと思ったんだけど。でも、そんなことしたら陛下に怒られちゃうかな)
「ただ――天蜜ってね、皇族間で互いに譲渡できるんだよ。自分の体内にある蜜を他の皇族に分けられる。相手に自分の天蜜をあげたいと、心の中で強く思うだけでいいんだ」
不意に泰斗が声を潜めて言った。
「そうなの?」
「うん。だから、明香が急に天蜜不足になっても、他の皇族が側にいれば分けてもらうことができる。……その前にテアとミアが飛んできそうだけど」
最後は苦情交じりに呟いた泰斗は、しかし、すぐに真面目な顔になった。さっと花梨の方に目を向けた明香に、ぴしゃりと告げる。
「だけど、明香の蜜を西の御子にあげるのは駄目。今の明香はまだ未熟だから、あげる量を調節できない。最悪、死に物狂いで蜜を欲している西の御子に全部吸い取られて、自分が枯渇してしまう」
それは絶対にいけないと、泰斗はきっぱりと言い切った。
「そうなれば明香が窮地になるのはもちろん、陛下や太子殿下、帝家の方々も心配させてしまうし、それで責められるのは明香じゃなくて西の御子なんだよ。だから自分のを分けようなんて考えたら駄目。約束して」
「は、はい」
(うぅ、考え読まれちゃった。……花梨様、何もできなくてごめんなさい)
心の中で苦く呟きながら、明香は泰斗に手を引かれて静殿を出た。
◆◆◆
「わぁ、あったかい」
重い気分のまま神官府の貴賓室に移動した明香は、思わずそう呟いていた。
貴人や要人を迎えるための広い部屋は、御威で気温と空調が整えられ、快適な空間となっている。
「あ、お茶とお菓子もある。義兄様、お茶淹れようか? これ、最高級の星鏡茶だよ」
室内には希少な茶葉と上等な菓子も用意されていた。湯を入れてある容器は、冷めないように御威で保温されている。
泰斗が呆れた様子で額を抑えた。
「何で皇女がお茶汲みをするの。僕がやるから。大体、明香に任せたらどんな味になるか分かったもんじゃない」
「ええ〜大丈夫だよ」
茶を淹れる準備をしようと軽く衣の袖をたくし上げると、弾みで袂に入れていた水晶が転がり落ちた。
成り行きで預かったままになってしまった、メイリーアンの神器だ。
「あっ」
(っと……大事な証拠品なのに)
急いで水晶を拾い上げると、小さく息を呑む音が聞こえた。
「っ――」
「え?」
振り向くと、泰斗が真っ青な顔をしてこちらを凝視している。
「義兄様? どうしたの?」
困惑した問いに応えはない。その視線は明香ではなく、その手にある水晶に注がれていた。
「…………」
「義兄様?」
数拍の沈黙の後、ぎりっと唇を噛んだ泰斗は一度目を伏せる。そして顔を上げた時、その表情にはいつもと同じ静けさだけがあった。普段と全く変わらぬ様子で微笑む。
「――何でもない。前に見たものに似ていたから驚いただけだよ。それ、神器だよね」
「う、うん……」
今回の件をどこまで話していいのかと悩む明香を尻目に、泰斗はさらりと核心を突いてきた。
「ノルギアス大公家先代ご当主のご息女、メイリーアン嬢のもの。そうじゃない?」
「え……知ってるの?」
「まぁね。先代大公には……色々と、世話になったから。その時に見た」
含みを込めた言い方に明香が首を捻っていると、さっさと茶器の用意を始めた泰斗が口を開いた。
「メイリーアン嬢は奇跡の御子だったからね。はい、ここで復習。奇跡の御子について簡潔に述べよ。前に教えたよね」
(いきなり抜き打ちがきた!)
内心で叫ぶ明香。かつての厳しい指導を思い出し、自然と背筋が伸びる。
「……奇跡の御子は最高位の聖威師で、四大高位神全てに愛された者のこと。最高神の申し子とも称される」
ほぼ即答で発した答えに、泰斗は茶葉を少量の湯で蒸らしながら静かに頷いた。
「よろしい。――至高神に連なる天威師は完全に別次元だから除外すれば、最も上位に来るのが奇跡の御子」
上品な星鏡茶の香りが部屋を満たす中、すらすらと言葉が述べられる。かつて教わった内容を思い返しながら、明香も合いの手を入れた。
「奇跡の御子はその証に、四大高位神様の色である赤、青、緑、黄を薄めた光を放つ神器を授かるんだっけ?」
「その通り。淡い四色に輝く神器は、『淡色のあわい』と称される。帝国では『ミラクル・オラクル』と呼ばれることもあるね。その光はまるで仄かな虹のように見えるそうだよ」
「うん。ええと……淡色のあわいは、至高神の神器を除けば最高峰の神器なんだよね。それを授かった奇跡の御子は、特例で天威師に次ぐ地位に付く」
正真正銘の虹色を纏う天威師に最も近い存在として特別視され、擬皇族と擬帝族をも上回る身分になるのだ。講義内容をさらい返しながら話に付いていく明香に、泰斗は軽く首肯した。
流れるように腕を動かし、銀箔を散らした小ぶりな茶杯に湯を入れて温めている。
(でも、四大高位神全ての申し子なんか滅多に生まれない。皇国だと擬皇族か、皇家の庶子を賜った一位の大貴族にしか誕生したことがないはず。帝国でもそう。擬帝族か帝家の庶子が降る大公家でしか生まれないって言うし)
正確に言えば、奇跡の御子が生まれる範囲はもう少し広い。皇国では一位貴族の分家である従一位の名家で、帝国では大公家の傍流である公爵家で、奇跡の御子が誕生した前例が僅かながらある。
だが、その二家も大きなくくりでは一位貴族や大公家の一門であり、遡れば皇家と帝家の血を引いているのだ。
(多少遠くても皇家と帝家に繋がる血を持つ者じゃないと、四大高位神様のお眼鏡には叶わないってことなんだろうなぁ)
そんなことを考えつつ、明香はさらに捕捉した。
「それから大神官の宗基恵奈様も奇跡の御子だったはず」
これこそが、恵奈が特別である所以だ。
「で――メイリーアンさんも同じく、奇跡の御子」
一度息を吸ってから告げ、話をメイリーアンのことに戻す。神妙な顔で言葉を紡ぐと、泰斗はあっさりと同調した。準備を整えて杯に注いだ茶を盆に乗せて言う。
「そうだよ。調子に乗って色々やったせいで帝家からも最高神方からも見限られたから、正確には元・奇跡の御子だけどね。その水晶は淡色のあわいじゃないかなぁ。失寵したから色を失っちゃったんだと思うよ。神器の力自体はまだ残ってるかもしれないけど」
「え……これが淡色のあわい!?」
ありがとうございました。




