59.天威を使う
ご覧いただきありがとうございます。
「うん。知ってたよ」
明香の目をきちんと見て、泰斗が肯定を返した。
「でも、陛下のご命令だけが理由じゃない。僕自身も明香をきちんと導きたいって思った。君が苦労しないように」
「義兄様はどこからどこまで関わって――ううん、今度陛下にお会いした時に直接聞くからいいや。義兄様に聞いても困らせちゃうよね」
「僕だって正直に全部話すよ。ただ、今すぐは難しいかも。準備ができないと話せないんだ。そろそろなんだけど」
「準備?」
(もしかして陛下が私と話す日をなかなかお決めにならないのって、それが原因?)
考えながら、こちらを観察するように注視している泰斗を見つめ返すと、今更ながら彼が分厚い外套を着込んでいることに気付いた。今は被っていないが、顔全体をすっぽりと覆えそうな頭巾も付いている。
「そういえば義兄様、何か珍しい格好してるね」
(こんな格好だと、まるで……)
「――蒼の使徒」
「は?」
明香の口から唐突に零れ落ちた単語に、泰斗が呆気に取られた表情になる。何故か大きな目をさらに見開いていた。
「蒼の使徒様みたいだなぁと思って。いつも外套を目深に羽織ってらっしゃるんでしょ。一度会ってみたいと思ってるんだ。握手お願いしようかなって」
「……何で蒼の使徒に握手して欲しいの?」
目を輝かせて語ると、理解不能だという声音で聞かれた。
「だってかっこいいじゃない。蒼の使徒様は国中の人々の憧れなんだよ。皇族にも匹敵する手腕と業績を誇る人なんて前代未聞じゃない。一体どんな方なんだろう」
「あのねぇ明香。頑張ってるのは蒼の使徒じゃないよ。実務を行う官吏、直接現場に携わる人々、受け入れて順応する民衆、そういった人たちが尽力してるおかげ。蒼の使徒なんか大したことない」
「もう義兄様ったら、どうしてそう頑固なの。上から指揮を執る人だって立派だよ。実際、陛下や太子殿下方はすごいし」
「うん、陛下方は本当にすごいよ。明香も実際に会ったらよく分かったんじゃない?」
即座に認めた泰斗に、何故蒼の使徒に対してだけは辛口なのかと突っ込みたくなる。
「又聞きや風の声は話半分で聞くこと。それは何度も言ったよね。根拠のない噂を鵜呑みにしてはいけない。けれど、時には人伝てや資料越しでしか情報を得られないこともあるし自分で見聞きしたことだけを信じるのもまた良くない」
泰斗は言い聞かせるように話す。断定形を用いた話し方をしているものの、まとう気配は静かで、その口調に押し付けがましさは感じられない。
「何故なら自分が見る景色は、己が目を通して映す一部分の姿でしかないから。人の数だけ正解と真実があり、それらは少しでも条件を違えれば呼応してくるくると形を変える。まるで万華鏡のように」
覗くたびに形ががらりと変わる万華鏡は、この世の真理のようだと泰斗は告げる。この義兄は万華鏡が好きで、よく作っては覗いていた。
「それに、人間自体が変わっていく生き物だから。明日の自分は、今日の自分より一日多くの経験を積んでいる。その中に思考や価値観を変えるようなことが含まれていたら、明日の正解は今日とは違っているかもしれない。だから、周囲の意見を聞きつつ、それに唯々諾々と流されてはいけない。自分の意思ははっきり持つんだよ」
「うん、分かってる。――もしかして義兄様も、考えが変わるようなことを経験したの?」
泰斗の生い立ちや過去については、余り聞いたことはない。両親と従者と共に旅をしていて、都に流れ着いたということくらいだ。
「うん、経験した」
泰斗は何かを思い出すかのように目を細めた。焦点がどこか遠くにぼやけた双眸に、暗い陰が混じる。
「ねぇ、明香。明香はさっき僕に謝ったよね。ごめんなさいって。でも僕は、そうされると聞き返したくなるんだ。何に対して、どういう意図で述べている謝罪なのかって。ごめんとだけ言われても分からない。ただ謝罪の言葉を口にされるだけじゃ、その真意がこちらには伝わらないから」
もちろん相手を萎縮させたり追い詰めたいわけではないから、言い方とか声色とかは気を付けるけどね、と捕捉する。
きっちりした性格の義兄らしいと、明香は思った。
「だけど、太子殿下は違った。開口一番、君が謝ったことにお礼を言われたよね。曖昧でも、意図が不明瞭でも、言葉だけだったとしても、まずは謝りたいと思った君の心を好ましいと思って受け止めたんだよ」
どこかほろ苦さを帯びた表情で、泰斗は微笑んだ。
「太子殿下は素の感性でそういうことができる方だ。神官長だってそうだよ。謝る君を見て、君の境遇に想いを馳せて寄り添おうとしていた。相手を問い詰める方に行ってしまう僕とは違ってね」
どこか自虐を帯びた声音に、明香は堪らず割り込んだ。
「でも、義兄様だって結局聞かなかったじゃない。いいよ怒ってないよって、それだけ言ってくれたよ」
「そうだね。だから僕も変わったんだと思う。まずはただ謝罪を受け入れる。その行為により相手がどれだけ救われるか、身をもって実感する機会があったから、僕は変われた」
「人は変われる……」
永樹が言っていた言葉を繰り返すと、泰斗は頷いた。
「私も皇宮に入る前から成長したかな?」
「うーん、顔つきはきりっとしたかな」
泰斗が明香の顔を覗き込む。間近に寄られると、胸のずっと奥で甘やかな鼓動が疼いた。自分の天命の伴侶は高嶺のはずなのに、これはどういうことなのだろう。困惑していると、泰斗がひょいと顔を離した。
「ねぇ明香、覚えてる? 前に議論した無人島の話」
「え? うん、覚えてるけど」
(思考力を広げるために考えてみろって言われた話だったよね。10名が無人島に漂着して、船から持ち出せた食糧は一日分しかない。そんな時あなたはどうしますかってやつ)
記憶を掘り起こしながら、明香は指折り数えた。
「色々考えたよね、どうやって生き抜くか。食糧の調達方法、遭難者同士の信頼構築、優先順位、救助要請の方法……生き延びるには水が大事だってのは皆言ってた」
栄生たちも加わって熱心に話し合ったことを思い出していると、泰斗が続ける。
「そうだね。人間が生きて行くには水が必要だから。水があれば人が集まる。人が集まれば村ができる。人が増え、村が大きくなり、然るべきまとめ役――指導者が立てられれば、それはいずれ国家となる」
淡々と言うその姿は、どこか侵し難い威厳のようなものを湛えていた。白珠や高嶺のそれに通ずる貫禄――まるであの夢と同じような。
「上に立つ者は指示出しも必要になるって話もしたよね。無人島の場合、上位者がやるべきことは皆をまとめること。一人でも大勢が生き抜ける確率を、少しでも上げるために」
大きな漆黒の瞳が、真っ直ぐに明香を射抜いた。その澄み切った光に、圧倒されそうになる。
「上位者に必要なのは、統率力と判断力。――そして、そのさらに上に君臨する皇族に必要なのは求心力。今、この広い神千国のどこかで様々な危機に陥っている人々が、『何とかこの難局を乗り越えて生き延びていれば、皇族が助けに来てくれる』と思う希望となること」
静かに話す泰斗の声には、しかし、瞳に負けない強さが滲み出ていた。
「きっと来てくれる、そう思えば頑張れる。その希望が消えかけた火を蘇らせ、心と未来を照らす篝火となる。だから、そんな風に思ってもらえるような、民に慕われ頼られる皇族になりなさい。皇族は、その存在自体が民を導く指標なのだから」
明香も泰斗を見つめた。今から言うことは、ある種の勇気を必要とすることだった。
「義兄様。もし今の私が無人島に流れ着いたなら。私は天威を使う。自分が持つ全てを使って、最善だと思う選択をする」
そして、一度言葉を切り、息を吸い込んでから続けた。
「だから今後は、儀式で使う道具が上手く作れなければ、楽器が弾けなければ、絵が描けなければ、料理や刺繍ができなければ、その時は天威で足りない分を補完する」
この言葉を発した瞬間、胸が痛くなった。何故なら、泰斗は御威で己の技量を底上げすることに好感を抱いていないからだ。本人がそう明言していたわけではない。だが、今までの言動の端々からそれを感じることができた。
例えば、自分が創り出す作品がいくら称賛されても、『御威を使えばもっと素晴らしいものができる』と突き放すように言っていた。
『御威がない者がどれだけ努力と工夫を重ねて何かを作り出しても、御威を持つ人がほんの少し力を使えば、あっという間に凌駕されちゃうんだよ』とも。
そんな泰斗にこの言葉を言うのは心苦しい。だが――
高嶺の姿が脳裏に蘇る。上手く描けない絵を天威で技量を補強して描いたのだと、バツが悪そうに言っていた。自分は小狡い卑怯者なのだと言いたげな、苦しそうな瞳で。
(違う。高嶺様は間違ってなんかいない)
「だって御威を使うことは、何も悪いことじゃないもの。力を持つ者がそれを使うだけ。手を持ってる人が落とした手巾を拾うためにその手を伸ばすのと同じように、必要なことを成すために自分が持つものを使うだけだから」
記憶の中の高嶺が笑う。
天威もあなたの力だと言った時、彼はどこか安堵したような笑顔を浮かべた。限界ぎりぎりまで杯に溜めていた水が、ぽろりと一滴だけ零れ落ちてしまったように。
ずるではないと言った時に刹那だけ垣間見せた、あの救われたような顔。
自分が有する力を適正に使っただけの彼が、そんな表情をしなければならないこと自体がおかしいのだ。
「……」
泰斗は答えない。ただ本心の読めない面差しを向けている。
「自分の力なんだから、使うべき時にはちゃんと使わなきゃ」
だが、明香が負けじと声を上げて締めくくると、その顔がふと緩んだ。驚くほどに優しく柔らかな笑み。
「うん、そうだね。それがいいよ。僕も正しいと思う」
余りに穏やかな声音に明香が驚いていると、泰斗は続けた。
「皇族が自分の立場と意思に応じた行動を成すために、御威は必須だ。必要な時には迷わず己の力を使うべき。――そう、僕の父も同じことを言っていた」
ありがとうございました。




