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56.横柄な当主

ご覧いただきありがとうございます。

 視界に映り込んだのは、黒い衣を纏ったひょろりとした人影だ。明香たちから少し離れた場所を足早に横切って行く。まるで人目を避けるようにこそこそとした動きが、逆に気になった。


(……あの人――もしかして)


 明香の視線に気付いた永樹も、どうしたのかと背後を振り返っている。目を凝らして人影をよく見た明香は、自分の推測が正しかったと確信した。


(……宗基、豪栄さん……)


 以前会った時と同じ、瘦せぎすの顔に気味の悪い瞳。良くない意味で、一度見たらなかなか忘れられない人だ。向こうはこちらには気付いていないようで、そそくさと歩き去って行った。


「あの者がどうかなされましたか、殿下。宗基家の当主のようでしたが」

「――いいえ、何でもありません。以前お会いしたことがある方なので、つい注視してしまいましたの」


(こんなとこで何してたんだろう)


 首を捻っていると、永樹は幾分か表情を険しくして明香と同じ方角を見た。しばし黙り込んだ後、ぽつりと言う。


「宗基家の当主にはお気を付け下さい」

「え?」


 突然の言葉に永樹を見ると、彼はぐっと眉を顰めて続けた。


「民の間にも彼の評は届いているのではありませんか?」


(まあ確かに……黒い噂とか悪い評判とか盛りだくさんだけど)


 だが、皇女となった立場でそれを率直に口に出すのは良くないだろう。


「――人はそれぞれに思うこと感じることがあるでしょうから、高名な家門の当主ともなれば様々な声や憶測が飛び交うものです。あなたは何か気になることがおありなのですか?」


 苦し紛れに返答を濁して質問んで返すと、永樹はつと唇を歪めた。


「市井に流布している噂は玉石混交ですが、彼にまつわるものに関しては正確性、信憑性共に高いものです。彼の者のなさりようは目に余る。以前から担当地の運営は御子様に任せ切りで遊び呆けるばかり。下手に手を出されて引っ掻き回されるよりましではあるのですが……それはそれとして横柄な振る舞いも目立ちます」


 打ち付けるように放たれた言葉は冷ややかな響きを持っていた。今までのおっとりとした面差しは影を潜め、鋭い双眸になった永樹は続けて唇を開く。


「一例をお話しいたしましょう。ある時、難治の病にかかってしまった幼い息子のため、対応できる希少な治癒霊具を有り金をはたいて購入しようとしている低位官吏がおりました。それを知った宗基家当主は、家の伝手と金を駆使して数少ないその霊具を先に買い占め、官吏の目の前で愉しそうに見せびらかしたのです」


(うん、都でも有名だよ、その話)


 永樹もそれを承知で話題に出したのだろうが、豪栄のやり口は相当に悪趣味だ。しかも、一つだけでいいから譲って下さいと地に頭を擦り付けて懇願する官吏を嘲笑し、まず払えないような常識外の値段での譲渡を提示した上、必死で追い縋る官吏の顔に唾を吐いたという。


「それだけではありません。別の時には、精一杯の装いをして宴に出てきた低位貴族のご令嬢をみすぼらしい身なりだと公衆の面前で貶め、そのような肉付きでは金を落としてくれる男も現れないだろうと大声で中傷し、心に大きな傷を負わせました」

「……」

「とにかく、宗基家当主の横暴には枚挙にいとまがないのです。大神官殿と会える機会を設けるという名目で民から金を巻き上げ、ご自身の趣味嗜好のために費やしていたこともありました」


 もちろん、いつまで経っても大神官との面会など設けられるはずがない。一種の詐欺である。


(うわぁ、それも聞いたことある)


 だが、当の豪栄は最後までこう主張していたという。


『わしはただ困っておる民に対し、大神官がわしの娘であると話しただけ。すると奴らが勝手に勘違いし、無理矢理わしに金を押し付けてきたのだ! わしの方が被害者であるぞ!』


 本当に無理矢理押し付けられてしまった金であれば、いつか返すことを視野に入れ、使わずに取っておきそうなものだが――あの男は巻き上げた端からじゃぶじゃぶ浪費していたようだ。


「他にも、金銭面で困っている民に親切な風を装って有利な契約で金を貸し付け、法外な利子を請求し、返せぬ場合は娘を差し出させたこともありましたね」


 そこには不埒な目的があったであろうことは想像に難くない。情報を掴んだ皇宮側の動きが早かったこともあり、解放された娘たちは最悪の事態――つまり貞節を損なう事態には至っていなかったものの、心には小さくない傷を負っていた。


「幸いなことに、どの出来事も皇族方や蒼の使途様が主導で捜査や対処に当たられ、被害者は適切な配慮や救済措置を施されております。宗基家当主は罰金や貴族特権の一部停止、名誉職の剥奪などの処分を受けました。ですが、あの当主にはいっかな反省の色はありません」


 他者を傷付ける利己的な振る舞いは健在で、相変わらず強欲かつ吝嗇家(りんしょくか)の女好きだという。


(そういえば、私を見てた時の目も気持ち悪かった……)


 粘液を引いて纏わりつくような、不快な視線だった。いやらしさを存分に含んだあの下卑た目つきを思い出すと、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。思わずそっと腕をさすると、永樹が真っ直ぐな眼差しで告げた。


「お耳汚しをいたしてしまい、申し訳ございません。ですが、皇女殿下。宗基家当主は数々の問題行動を起こしている要注意人物――いえ、危険人物です。もし彼と関わることになった際は、必ず太子殿下にその旨をお知らせ下さい。どうか衷心よりお願い申し上げます」


 余りに真剣なその様子に、明香は気圧されたように頷く。


「そうですか――覚えておきますわ」

「ありがとうございます」


 永樹が安堵したように眦を下げた。ふっと空気が緩む。

 話も区切りがついたようだし、もう豪栄の話は切り上げた方がいいだろうと考えた時、別の方向からぱたぱたと小走りの足音が響いてきた。軽やかな足音が数人分だ。


「本当なの? ここに――神官府に斎縁家当主が来てるって」

「さっき神官府に行った人が見たって言うんだもの。今日は珍しく使用人が一緒じゃないみたいよ」

「じゃあ好機じゃない。頼み込んで細工品を作ってもらいましょうよ」


 幾人かの女官が興奮気味に話しながら駆けていく。明香たちのいる場所はちょうど死角になっていたため、気付かれなかったようだ。


(――義兄様が来てる?)


 だが、彼女たちが放っていた思いもよらぬ言葉に、明香の頭は真っ白になった。豪栄のことは速やかに思考の隅に追いやられる。


(神官府に何しに来たの?)


 いつもは個別に依頼を持って来る者は栄生たちが制止しているが、先程の会話を信じるならば今日は泰斗一人で来ていることになる。


(義兄様――)


 心の中で呼んだ瞬間、無意識に天威が発動した。脳裏に簡素な部屋が映る。最低限の調度だけが揃えられた殺風景な室内は窓と入り口が格子で仕切られ、座敷牢のようになっている。格子の向こうには薄い布団が敷かれ、顔を歪める花梨が横たわっていた。


(何、この部屋……って花梨様!? もしかして静殿なの?)


 貴人が入れられる牢獄・静殿は神官府主殿の一角にある。高位の者は御威を持っていることもあり、神官が近くにいなければ十分な監視や管理ができない場合があるためだ。格子越しに、無表情の泰斗がじっと花梨の様子を見ている。


(っ……何で、何で義兄様が花梨様の所に)


 瞬時にあの夢の光景が蘇った。意識の中に映る泰斗がゆっくりと腕を持ち上げ、格子の向こうで呻いている花梨に手を伸ばそうとした。


「だめ、義兄様……」


 絞り出すように呟き、明香は残った理性をかき集めて永樹に顔を向けた。


「申し訳ないけれど、急用を思い出しました。私は今すぐ神官府の主殿に参ります。天威で移動するので付き添いや護衛は不要ですから、あなたは持ち場へお帰りなさい。これは皇女の決定であり命令です」


(命令されて逆らえなかったことにしたら、私を単独行動させてもそこまで責められないはず。皇宮内は安全だから、皇族が一人で動くこともあるっていうし)


 天威が張り巡らされている場所は、白珠や高嶺の支配下にある。泰斗が万一暴挙に及んでも遠隔で容易く取り押さえられるはずだ。


「え、あの、皇女殿下!?」


 永樹が狼狽した声を上げるのを背後に聞きながら、明香は天威を使って神官府に飛んだ。


(今視えた場所に行きたい)


 強く念じると、視界がぐにゃりと歪み、一瞬後にはこちらを見て丸い双眸を見開く泰斗が目の前に立っていた。


「義兄様!」


ありがとうございました。

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