54.紅き鳳凰は羽ばたく
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大昔からある自然の神は、総じて強い力を有している。もしや、この狼神はかなり格が高い神ではないだろうか。ラウたちを横目で窺うと、皆表情一つ変えずに首肯しているため、知っていたようだ。
(そんな神様でもあの水晶を外せなかったってこと? 一体どんな神が創られた神器なの、あれ)
次いでふと思い出す。あれは覚醒したばかりの明香が、天界の神々を宥めに行った時のことだ。
花梨に対して怒り狂い、荒神化も目前であった神々の中で、それでも何柱かは幾分か穏やかな神威を保った神々もいた。その中に、目の前の狼神と同じ気配も含まれていた記憶がある。きっとこの神は、本当に人に対して好意を抱いている神なのだ。
『程なくして、翠月帝陛下が皇宮内に帝国の分庁を創られました。その敷地に我が森が含まれたため、畏れ多くも翠月帝陛下からもご挨拶をいただいたのです』
遠い遠い記憶を懐かしむように、狼神は空を見上げる。風にそよぐ耳が、時折感情を反映するようにピクピクと動いていた。
『二人で共に国を作っていくのだと、寄り添って微笑まれている両陛下のお姿は実に慕わしいものでありました。両陛下の跡を継がれ、二代目の皇帝や后となられた御子様方も同様でございます。その後の代もずっと。――そして、殿下方が作られる次の御代も』
狼神の意識が、遥かな思い出の彼方を遡って現在へと戻って来た。両の目が再び明香たちに向けられる。
『神と心を通わせるため、皇国と帝国が協力し合う。建国時代からずっと変わらぬお姿は、今もなお受け継がれ続けている。それを今日改めて確認できたことに感激しております。両国の次代も安泰でございましょう』
「もったいなきお言葉、恐悦至極にて。御身が司る森の一部は、新たな帝城と皇宮に移植させていただく。新しき都でも変わらぬご加護をいただけるよう、我ら一同精進して参る所存」
ティルが恭しく返答する。柔らかに煌めく狼神の眼が、ラウ、高嶺、テア、ミア、そしてティルと明香を映し、広間の隅を見てから、最後に皇宮の一点を見据えた。神官府がある方角だ。
『それは誠に嬉しきこと。殿下方、どうか良き御代を創られませ』
そしてフルードを見る。
『若き神官よ』
その声は穏やかなものだったが、平伏していたフルードは分かりやすく強張り、緊張を全身に貼り付けた様相で言う。
「こ、このたびは私の未熟な勧請により多大なご不快をおかけしましたことを平にお詫び申し上げます」
掠れた声で紡がれた言葉に、狼神はぴょんと尻尾を一振りして応えた。
『こなたは自身に足りぬ分を補おうと懸命にやったのであろ。何度も何度も真摯に語りかける声は聴こえておったぞ。こなたが決して逃げ出さず、身を投げ出して声を届け続けてくれたゆえ、私は辛うじて理性を保つことができたのだ。これに懲りず、今後もまた喚んでおくれ』
「は、はい……! お喚びいたします、これからも。誠心誠意お仕えさせていただきますので、どうかよろしくお願い申し上げます!」
(この狼神様、良い神様すぎる!)
感極まって涙ぐんでいるルードの側で、明香も感動していた。もう一度尾を振ってから、狼神は明香たちに向かって深く頭を下げる。
『それでは殿下方、せっかく地上に降りましたので、少しだけ森の様子を確認してから還らせていただきます。これにて御前を失礼させていただきたく』
「偉大なる神よ、どうか御意のままに」
ティルが返すと、ぶわりと風吹き荒れた。強大な神威が浮き上がり、一直線に森の方へと駆けて行く。その気配の名残が消えるまで叩頭して見送ったはティルたちは、やがて立ち上がった。
「よし、終わった。もう大丈夫だ」
「申し訳ございませんでした! 自分はやはり何年経っても上達しない落ちこぼれなのです、いかような処罰でもお受けいたします!」
フルードが地面にへばりつく勢いでティルに謝罪した。ティルが小さく肩を竦める。
「頭を上げなさい。まさか霊具に神器が付いているとは想定できなかっただろうから仕方ない。何より、当事者たる神がお前を神が許した。ならば罰を受ける必要はない」
そして明香の方を見て明るく言う。
「皇女、援護してくれてありがとう。神器に気付いてくれて助かったよ。俺はこのフルードが原因を究明した後は、神に神威を抑えるよう呼びかけろと指示するつもりでいたんだ。それならフルードでも対処が可能な方法だったから」
おずおずと顔を上げたフルードが、その言葉にきょとんとした。理解していない様子を見て、ティルはさらに説明する。
「お前は森の神を喚び出す時、神が降りる台座にあの霊具を置いただろう」
「は、はい。今回の神喚びでは、神が顕現される台に霊威を注いで勧請を行いますので……霊具は自分の身に着けるのではなく台の上に設置しました」
「その対応は合っている。問題は二つ。一つ目は、実は霊具には神器が付いていたこと。二つ目は、おそらくあの狼神がここに顕現する前に、その神器を創った神々と接触していたこと。狼神の体に神器と同じ波動の神威が残っていた」
フルードだけでなく明香も息を呑んだ。
(メイリーアンさんの持ってた神器なら帝国の神様が創ったはずで、でもあの狼神様は皇国の神様だから)
そこまで考えた明香は、しかし、かつて高嶺が述べていた言葉を思い出した。
――東西の天界は繋がっており、神々は双方を行き来している。
(そうだ、東の神でも西の天界に行くことはある。特に狼神様は皇国とも帝国とも縁が深いみたいだし)
内心で納得していると、ティルが続けた。
「顕現した森の神の体が、置いてあった水晶に直に触れたことで、神器の神威と神の体に残っていた神威とが引かれ合った」
双方が同じ神威であったからこそ起こったことだ。
「結果、神器が神に引き寄せられ、鎖が首に巻き付いてしまった。さらに霊具である鎖の部分にも神器の神威が侵食していた。その上で霊威と神威が絡み合い、さらに神に残っている神威と引き寄せ合って、神自身の神威とも絡まって深くもつれた。だから神は鎖を外せなかった」
まさに、幾重もの要因が複雑に絡み合ってしまった結果だったのだ。おそらくティルたちは、瞬時にそれらを見抜いていたのだろう。
「俺たちも天威で状況を把握していたけれど、それは帝城内のことだけだから、神器が付いた霊具でも問題ないと思っていたんだ。けれど――まさかあの神が、神器を創った神々と直前まで接触していて、こびりついた神威の残滓が神器の神威と共鳴する事態は予想外だった」
(そりゃそうだよね。いくら全き天威師でも天界の様子まで視てはいないもの)
「だから、あの神に自分の神威を抑えてもらえば、もつれ合っている神威の一つが消える。そうすれば神に付いていた神威の残り香は、神から離れて水晶の神器に吸収される。後は霊具の霊威と神器の神威が絡んでいるだけで、あの首飾りだけの問題になるから、神から外せるようになるんだよ」
ティルの説明に、明香や官吏たちはなるほどと頷いた。神威を抑えてもらうよう頼むだけであれば、フルードでもできた可能性が高い。
「でも、深くもつれている神威をその絡み合いから引き抜いて抑えてもらうわけだから、神へ若干の負担がかかる。それに、神に付いた神威が水晶に吸収されるまで僅かとはいえかかっただろうし、神が苦しむ時間が少しであっても延びていた。それを考えると、皇女が神器でスパッと斬ってくれたて助かったよ。ありがとう」
「あ、いえ……」
(私のおかげみたいに言ってくれてるけど……本当にちょっとの差だったんだろうし、ティル様が自分の神器か天威で斬っちゃっても良かったよね)
ティルもおそらく西の銀月神から賜った神器を持っているだろう。また、狼神を傷付けず霊具だけ斬るという緻密な制御で己の天威を使うこともできたはずだ。まだ成長途上の明香とは違うのだから。
(でもあえてフルード様に経験と成長を積ませる方法を取ろうとしてて、そこで私が出張ったから急遽それに合わせて下さったってこと?)
だとしたら、自分の行為はいわゆる余計なお世話というものだったのではないか。顔面蒼白になりかけた明香に声をかけたのはラウだった。
「皇女。あの森の神は、帝国と皇国の者が協力して事態を打開する姿にこそ、最も感銘を受けられていた。皇女が私たちに任せるのではなく自ら一歩を踏み出して行動してくれたゆえに成し得たことだ。私からも礼を言う」
いえ、多分私が固まっていても高嶺様がどうとでもなさったと思います――と返したかった明香だが、ぐっと堪えて引き攣り笑いで目礼した。帝国の官吏たちの感心したような視線が自分に向いている。ラウとティルが、それぞれの碧眼をフルードに向けた。
「森の神に声を届かせ、皇女を補佐したのはそなただ、フルード。神は今後も勘定役にそなたをと指名された。それに免じてこたびの責任は問わぬ。申し訳なく思うならば、一層業務に励むことで取り返すように。そなたに期待をかけて下さった神を裏切ってはならぬ」
「早咲きの花もあれば遅咲きの花もある。お前がじっくりと育んで来た蕾はいつか大きく開くだろう」
「っ……し、承知いたしました、黈日太子殿下、紺月太子殿下。今後はより精進いたします。――紅日皇女殿下、ありがとうございます。何とお礼を申し上げたら良いか……。迅速な原因特定に的確な状況判断、華麗な剣さばき、全てに惚れ惚れいたしました」
(いや違うから! 原因特定と状況判断は高嶺様が小声で下さった助言のおかげで、剣はたまたま習ってただけなの!)
実のところ、助言あってのことだとしても大事なところはきちんと自力で成し遂げているのだが、本人にはその自覚がない。
(うぅ……何か誇大広告の詐欺みたい。良いとこ総取りさせてもらっちゃってるよ)
申し訳なさで胃が痛くなって来た時。
森から神威の渦が噴き上がった。
「あ、お還りだ」
ティルが呟く。先ほどの狼神が天へと還るようだ。
「高嶺、皇女。お見送りしてきたら。皇国の神様なんだし二人が行けばいいよ」
「え?」
瞬きして聞き返す明香に、高嶺が賛同した。
「そうですね。行こう、皇女。そなたは鳳凰の姿で飛べばいい。この前、だいぶ上手く飛べるようになったと話してくれただろう」
(うそでしょ!)
こんな形で初お目見えになるとは思わなかった。
(れ、練習しといて良かった! ほんとに良かった!!)
心の中で自分を褒めながら、明香は大急ぎで天威を発動した。その間に高嶺がラウたちに頭を下げる。
「では行って参ります。神官府に寄って今の荒神の顛末を報告して参りますので、少し時間がかかるかもしれません。なるべく早く戻るつもりですが、茶会の開始時間が押してしまいましたら申し訳ございません」
「大丈夫! 元から早く着いていたし、茶会の時間自体もたっぷりあるからな」
「ゆっくり行ってらして。お待ちしておりますわ」
テアとミアが微笑み、ラウとティルが頷く。そんな会話をしている間に、明香は何とか天威の準備を整え、ぎごちなくラウたちに礼をした。
「行こう」
それを確認した高嶺がさらりと言い、瞬き一つもしない刹那で天威を練り上げ、藍色の光と共に空の高みへと舞う。追従しようと地を蹴って浮き上がった瞬間、明香ははっと思い出した。
(……あ!)
ずっと手の中に握り込んだまま、いつの間にか忘れていた水晶の神器の存在を。
(これ持ったままだ。どうしよう)
中途半端な位置で虚空に留まり、水晶を見て焦っていると、目敏く気付いたらしいラウが微笑んで見上げて来た。
「その神器は、今回の件の証拠品として帝家で一時預かることになる。後で渡してくれればいいゆえ、今は早く高嶺を追いなさい。帝国の長たる帝家の者として許可する」
「は、はい。ありがとうございます」
ありがたい申し出に頷き、明香は水晶を袂に押し込むと紅色の天威を纏って上昇した。そして、藍と紅の二色の光をさらに虹色の光が包み込んで爆ぜ、快晴の空を紅みがかった鳳凰と藍色の麒麟が翔けて行った。
見上げる官吏たちから歓声が上がる。ラウたちが手を振ってくれているのを眼下に見ながら、鳳凰と化した明香は高嶺に続いて一心に空を羽ばたいた。
ありがとうございました。




