53.太古の狼神
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(ええぇ!?)
いきなり手中に現れた金の剣に驚愕していると、ラウが面白そうに呟いた。
「神器か」
官吏たちも食い入るように黄金の剣を見ている。
「金色の神威だ」
「皇女殿下がお持ちならば、東の金日神様の神器では」
フルードに何か言おうとしていたティルが口を閉じ、明香の出方を見るように視線を注いでいる。
剣を持ったまま目を白黒させている明香に、高嶺が小声で告げた。
「金日神様がそなたに神器を下賜して下さった。といっても、恐れ入ることはない。至高神様――祖神様方は、我ら天威師には駄菓子感覚で頻繁に神器を授けて下さるゆえ、よくあることだ」
(だ、駄菓子……)
一般の基準では、伝説を超えた神話級の宝器を下賜されたに等しい事態だが、天威師の基準では別に珍しくもないことのようだ。
「神を助けたいならばその剣を振るえばいい。そなたが真に神を想うならば、神器は神を傷付けず霊具だけを斬り捨てる。御威の詳細な制御は神器が代行してくれる」
「ほ、本当ですか――いえ、何でもありません。分かりました」
条件反射で本当かと聞いてしまいそうになったが、すぐに撤回する。この局面でうそなど言うはずがないのだから。
「ですが、ティル様はフルードさんに解決していただこうとなさっていましたから、私が前に出てしまうのは良くないのでは」
自分にやれることはやりたいが、この場を仕切っているのはティルだ。まずは彼にきちんとどう動くか伺いを立てる方が先である。
(こんな派手に神器をいただいちゃったんだから今更かもだけど)
だが、明香の憂慮を打ち消すようにラウが言った。
「構わない。今回はティルがそなたに合わせる。皇女の御心のままに」
ティルも大丈夫だよと言わんばかりに軽く手を振っている。
「は、はい」
ここは厚意に甘えることにした明香は剣を斜に構え、片足を半歩引いて体軸を調整しながら狼神を見据える。
(栄生さんたちに剣術教わっといてよかった!)
斎縁家にいた頃、栄生たち使用人が対人・対獣を問わず使える護身術を教えてくれていたが、その中に剣術もあったのだ。
(斬るのは霊具、狼神様じゃない。霊具だけを斬る)
自分と神器に強く深く刻み込むように言い聞かせると、金に輝く神器に虹色を帯びた紅の光が混ざり合った。この世のものとは思えぬほどに美しい煌めきを放つ金紅の剣を、官吏たちが言葉もなく眺めている。
と、ティルの声が直接頭に響いた。
『皇女、そのまま聞いて。俺の声は君と兄上、高嶺、テアとミアにしか聞こえてない。えっと、今からの方針なんだけど。その構えからすると武の心得はあるみたいだし、君が荒事にもちゃんと対処できるってことを皆に示すためにも、少し手出しは控えてもいいかな? もちろん必要な時はちゃんと援護するから』
『はい、大丈夫です。それでお願いします』
明香が承諾すると、ティルは一度小さく頷き、次いでフルードに何かを囁く。フルードが首肯し、狼神に向かって叩頭した。
「寛大なる森の神よ。なにとぞ我が声をお聞き届け下さいませ。これより御身を苦しめる鎖を取り外させていただきます。また、取り外しの作業のために必要となりますので、こたびにおかれましては御身の御力に対する対処及び防御等をお許し下さいませ」
下される神威をみだりに回避、防御することは神への反逆と見なされかねないため、こうして事前に慈悲を請うておくのだ。
唸り声を上げていた狼神が、ぴくりと耳を動かした。苦悶の眼でフルードと明香を見遣り――おもむろに動きを止め、頭を差し出すようにしてぎごちなく下げた。おそらく、鎖を外しやすいようにという配慮だ。
(協力して下さるの?)
明香は剣を握り締めた。ただでさえ首が絞まっているところに無理な体勢を取れば、相当に負担が掛かるはずだ。それでもこちらの声に応えてくれた。
(本当にお優しい神様なんだ)
何としてでも助けたい。その意思を込め、明香は地を蹴った。駆け足で狼神に近付くと、荒ぶる神威の余波が稲妻のように炸裂して周囲に飛び散り、幾つかは大小様々な狼の形に変じて牙を剥いた。狼神自身も力を抑え切れておらず、昂る心を反映した神威が発現するのを止められないのだ。
「皇女殿下!」
官吏たちが息を呑むが、ティルたちは事前の話の通りただ見守っている。
(大丈夫、これくらいなら捌ける)
いざとなればティルたちが助けてくれるという安心感はあった。だが、仮に彼らがおらずとも、捌き切れない程の神威であっても、自分は足を止めることはなかっただろう。仮に数撃くらい喰らったとしても天威で治せばいい。怪我の有無や程度は問題ではない。
(神様を鎮める。国と民の盾になる。それが真皇族の使命)
およそ三千年の永きに渡る歳月、天威師たちは皆その信念と共に在り続けてきた。そして自分もまた、連綿と続くその列の末席に加わったのだ。
明香は顔色一つ変えずに剣を振るい、向かい来る狼型の神威を舞うようにして斬り伏せていく。
狼神と神器の力がぶつかり合うごとに火の粉のような光が爆ぜ、金と紅の煌めきが飛沫のように大気を彩る。
(狼神様――どうかお鎮まり下さい)
鎮魂の意思と力を宿して放った斬撃は、ばちばちと閃光を散らしながら唸りを上げていた神威の狼たちを一瞬で宥め、ふわりと霧散させた。
同時に、剣を回転させて稲妻状の余波を弾き、あるいは受け流し、天威を込めた脚で一足飛びに狼神の頭上に飛び上がった。
中空まで迫る神威の波動を刀身の腹で受けていなし、その反動を利用して宙で回転しながら体勢を整えると、天威を地面に向かって放つ。
全方位に広がる円状に放射された紅色の天威は、散らばっていた狼神の神威の余波を全て一掃し、ぴたりと鎮めた。
(よし、今!)
そのまま虚空で剣を構えなおすと、霊具目掛けて刃を真っ直ぐに振り下ろす。
(霊具、だけ、斬る!)
刃が当たる寸前、全霊で強く念じると、虹色の光を纏う金紅の刃が一度脈打った。直後、霊具が切れる音と小さな感触が手に伝わり、その後は虚空を空振りするような手応えのなさで刃は神をすり抜けた。
(や、やった?)
振り抜いた剣を引くと、断ち切られた霊具の鎖がぱらぱらと落ちてくる。同時に空中できらりと何かが光ったのに気付き、反射的に片手で掴み取ると、それは霊具に付いていた花型の水晶だった。傷一つ付いていない狼神が大きく息を吸い込む。荒れ狂っていた神威がみるみるうちに鎮まり、凪いで行った。
『ありがとうございます、殿下』
狼という勇猛な姿に見合わぬ柔和な声が響いた。見上げんばかりであった巨躯はするすると縮まり、通常の狼より少し大きいほどになっている。
『おかげで助かりました』
穏やかな目でこちらを見ている狼神の前に、ティルが片膝を付く。
「慈悲深き神よ。御身に平穏をお返しするために多くの時を要した不始末、この場の責を負う者として深くお詫び申し上げる。また、我らを幾重も慮りいただいたことに心よりの御礼と感謝の意をお伝えする」
いつの間にかラウたちも膝を付き、官吏たちも平伏している。明香も慌てて跪拝した。握っていた剣の神器は、役目を終えたとばかりに明香の体に吸い込まれて消えてしまった。
狼神が優しく目を細めた。
『殿下が気にされることはございません。神でありながら霊具に振り回されるなど以ての外。まさか神器付きとは思わず、ただの霊具と油断した私の落ち度でもございます。神威の気配を中和する箔が付属した神器であったため、恥ずかしながら見落としてしまいました』
(神器!)
狼神の言葉を聞いた明香の中で疑問の欠片が繋がった。先ほど掴み取った水晶にちらりと視線を落とす。
(あの首飾り、霊威を安定させる霊具は鎖の部分だけで、この水晶は神器だったんだ。金箔に神威を抑える効果があるから分からなかったってことか)
首飾りを見た時、水晶の部分に何か微かな違和感を感じた。未熟とはいえ天威師である明香でも僅かに気になった程度だったため、フルードは気が付かなかっただろう。この狼神も、落ち着いてよく見れば気付いたかもしれないが、顕現した直後の忙しない状態で一瞬見落過ごしてしまい、その刹那が命取りになったのではないか。
(神器が一緒に付いてたから外せなかったんだ。息をしなくても平気なはずなのに苦しんでたのは、呼吸ができないからじゃなくて、絡んだ神器の神威が首を絞め上げてたから……)
以前高嶺が話してくれたところによると、神威を中和するといっても気配を和らげるだけであり、神器や神威の威力自体を弱めるわけではないらしい。であれば、水晶は元来の力を発揮して狼神を苛んだのだろう。外せずに苦しんでいたところを見ると、より格上の神が創った神器だったのかもしれない。
(そういえばメイリーアンさん、最初に水晶を外そうとしてた)
だが、明香が見ていることに気付くと、慌てた様子で水晶を隠し、結局外すのは諦めてフルードに渡していた。
「申し訳ありません。そちらの水晶が渡された時、私も側にいました。私が気付いていれば……」
自ら至らぬ部分を自白するのは得策ではないと思いつつも、申し訳なさが先に立って謝罪の言葉が零れ出る。しかし、フルードが即座にその言を否定した。
「いえ、皇女殿下は水晶を気にされておられ、よく確認しようとしていらっしゃいました。ただ……皇女殿下が確認なさる前にお渡しいただきましたので。私もすぐにしまい込んでしまいましたし」
メイリーアンのせいにするような言い方にならないよう気を遣っていたようだが、別の官吏数名が声を上げた。
「その光景でしたら我々も遠目ですが見ておりました。ちょうど門の近くを歩いておりましたので」
「大公女様が神官様に首飾りのような装飾品を渡しており、皇女殿下はそれをよくご覧になろうとしていましたが、大公女様がすぐに握り込んで隠してしまわれたのです」
(わ、見てた人いたんだ)
皇国の装いをしている明香は帝国分庁の中では浮いてしまうため、確かに門を潜った時から幾ばくかの視線を感じてはいた。
「首飾りはそのまま神官様に渡され、神官様はすぐに懐にしまってその場を立ち去ってしまったので、皇女殿下は確認が取れなかったものと思われます」
「あの時点ではまさかこのような事態になるとは予想できませんでしたので、水晶が多少お気になられたとしても、衣の上から透かし視たり見せるよう命令することまではなさらなかったでしょう」
立て続けの言葉に、皆がもの問いたげな顔でメイリーアンを見た。メイリーアンがびくりと震え、か細い声で言う。
「も、申し訳ございません……あの時は本来の身分を隠しておりましたため、確認されるとまずいと思い皇女殿下から見えないようにして渡してしまいましたの。神官殿にも水晶はすぐにしまうよう言いました。こ、こんなことになるとは思わず……」
本当に動揺している声だった。この件に関しては何かを仕組んでいたわけではなく、完全に想定外だったようだ。
(メイリーアンさん……)
だが今、メイリーアンはフルードに非をなすりつけようとはしなかった。自分がすぐに水晶をしまうよう言ったせいだと、きちんと伝えたのだ。もしかしたら、なすりつけても明香に事実を話されればどの道分かってしまうと観念したからなのかもしれないが――何となく、そういう計算ではなく本心からの言動であるように感じた。
(ああぁ……黙っとけばよかった。私の馬鹿! メイリーアンさん、ごめんなさい)
なまじ自分が謝罪したせいで、図らずもメイリーアンの方に飛び火する形になってしまった。明香が内心で頭を抱えていると、荒神騒ぎが起きてから沈黙を貫いていたライハルトが補足した。
「恐れながら申し上げます。そちらの水晶は我がノルギアス大公家の象徴である蓮の花を模しております。それゆえに、皇女殿下に見られれば正体が悟られると危ぶんだのでしょう」
ティルが再び狼神に頭を下げた。
「偉大なる神よ、こちらの不義を重ねてお詫びいたしたく」
狼神はティルと明香、そしてフルードを順に見ると、心なしか嬉しそうに尾を一つ振る。
『私が司る森は、皇宮が建設された頃より存在しているのです。草花を好いて下さった緋日皇陛下にも幾度かお喚びいただき、お話相手となる栄誉を賜ったこともございます」
思いもよらぬ言葉に、明香は驚愕した。
(うそ、そんな昔から!? た、太古神だったんだ!)
ありがとうございました。




