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52.荒神を鎮めよ

ご覧いただきありがとうございます。

 天を仰いだ狼神が濁った遠吠えを上げた。鋭い牙が並んだ口から赤いものがこぼれ出る。一瞬血を吐いたのかと思ったが、すぐに思い違いに気付いた。


(――炎!)


 カァッと口を開いた狼神の喉から、真紅の焔の渦が噴射される。灼熱の熱線が大気を焼き焦がしながら上空へ迸った。そして、空を漂っていた雲を蹴散らし、彼方へと消える。


(い、今の……当たってたら街の一つや二つ、簡単に消し飛んでたんじゃ……)


 硬直する明香と官吏たちに構わず、ティルがくくっと笑った。


「やっぱりあの神は優しい。すごく手加減している」


 そしてふっとかき消えたかと思うと、一瞬でフルードの横に転移する。


「で、殿下! 神が、神が荒れて……対話できません。お言葉が聞こえないのです。きっと何か間違ってしまったのです。自分が未熟なせいで、自分が――徴が出てもう5年になるのにいつまでも上達しないから」


 声を引き攣らせて恐慌状態に陥っているフルードを、海色の碧眼が見据えた。


「神官フルード・レシス」

「――はっ……」


 名を呼ばれた瞬間、フルードが肩を跳ね上げた。ティルの目を見返した瞳の焦点が結ばれ、冷や水を浴びせられたように冷静さを取り戻す。落ち着けと、ティルは彼の名を呼ぶことで言外に命じていた。それを本能で理解したフルードは、反射的にその意に従ったのだ。


「お前の力不足ではない。俺は天威でお前の神喚びを視ていた。お前は間違ったことをしてはいない。自信を失うな、ここで崩れてはならない。大きく息を吸って。神を見ろ。お前が向き合うべき相手を」

「で、ですが、自分ではお言葉が聞き取れず……15歳になったからとようやく一人で勧請を任せていただいたのに、全く駄目で」

「言葉を聞くだけが神官ではない。神の意を感じ取れ。何を言いたいか、何を訴えているか。感情という名の声を聞け。それが神と繋がり、交信するということだ。これ以上神に不快な思いをさせてはならない。一刻も早く御身のご平穏をお返しすることに注力しろ」


(ティル様、森の狼神様とフルードさん、どっちも助けようとされてる)


 明香はちらりとラウたちを見た。ラウ、高嶺、テアとミア。全員が泰然とした表情を崩さず、些かの緊迫感も険しさも見られない。おそらく、彼らは既に、狼神が荒ぶっている原因を見抜いている。もちろんティルも。


 彼らが狼神を鎮めれば一瞬で解決するのだろう。神を敬い尊ぶ帝家の者としては、本来ならばすぐに狼神が荒れる原因を取り除くべきだ。

 だがティルは、あえてフルードにそれをやらせようとしている。


(ティル様が片を付けちゃったら、今後フルードさんが一人で立てなくなってしまうかもしれないから……)


 下の者を、あるいは後進を育てることもまた、帝家の者の務めであるからだ。


「私がここで見ている」


 ティルの言葉に励まされたフルードが、狼神に目を向け直した。その怒りの奥に潜むものを感じ取ろうとするように、必死に意識を集中させている。


 狼神が苛立ったように前足で地面を抉り、激しく首を振りながら空めがけて幾度も神威の熱線を吐き出した。直撃すれば皇宮全域を丸ごと蒸発させそうな威力の神炎だ。

 明香は小さく首を傾げた。


(ん? 今の……。そういえばさっきも)


 その時、ガシャンと小さな音が響いた。そちらを見ると、メイリーアンが細長い筒の先端を狼に向けている。


(あれは……霊道砲?)


 霊道砲とは、専用の器に充填した霊威を凝縮し、弾丸や光線などにして撃ち出す霊具だ。大気中や地面などに宿る霊威を吸い上げることもできるため、御威を持たない一般人でも扱うことができる。

 小型のものは殺傷力が低いため護身用に用いられているが、一定以上の威力を放てるものは、所定の申請と許可を経なければ所持できない。


(大型のだったら建物も破壊できるって聞いたけど――それでも荒神には効かない。霊威は神威には勝てないもの)


 ましてやあんな小さな霊道砲での射撃など、当たったところで痛くもかゆくもないだろう。明香と同じくメイリーアンの行動を認識していたラウたちも、彼女が持つ霊具に厳しい視線を注いでいる。


「止めろ。レディ・メイリーアン。それは何だ」


 メイリーアンが振り向き、説明する。


「護身用の霊具にございますわ。フュ……家の者が持たせてくれました」

「違う、何の真似かと聞いているのだ。人間が神に刃を向ける気か」


 荒神が暴走した際、その被害に対処するため特殊な装備を用いて出動する部隊はいるが、神そのものに直接攻撃を行うことは基本的にはない。


「ここは分庁とはいえ帝城の一部。いかに神といえども、神聖なる帝城で暴れられることは看過できませんわ」

「帝城の主は帝族だ。その帝族が、今まさに事態を打開するために神官を導いている。それを無視し、独断で神を攻撃するのか。そもそも、神に霊具など効かない。下手に刺激すれば状況を悪化させるだけだ。もう一度言う。霊具を降ろせ」


 ラウからの重ねての命令に、メイリーアンがぐっと奥歯を噛み締め、のろのろと霊具を持つ手を下げた。

 明香は思わず声をかける。


「メイリーアン殿。あの神は皇国の神です。我が国では、いくら暴れていても、尊き存在であられる神を力ずくで無力化するような鎮め方は推奨しておりません」


 メイリーアンが反論するような眼差しで明香を見た。


「皇女殿下の仰ることはごもっともですわ。けれど、我が帝国の臣民に害が及ぶ恐れがあるのであれば、強行手段も必要ではありませんこと?」

「ええ、その通りです。ですが、あの神は一度も私たちに攻撃を当てようとはなさっていないでしょう」


 怯まずに言い返した明香に、官吏たちがそういえばと小さくざわめく。


「ずっと空にばかり神威を放っておられます。周囲にいる人や建物、草木には当てないようにされているのです」


 それでようやく気付いたか、メイリーアンが表情を変える。あの狼神は、こちらに直接的な攻撃をしようとはしていないのだ。


「荒ぶられていても、狼神様は人間への配慮を忘れてはおられません。そのようなお優しい神を今の段階で攻撃することは尚早ではないでしょうか」

「し……しかし、我が臣民に危険が」

「それは帝国を統べる帝家の方々と、狼神様が属する皇国を治める私たち皇家の者が考えること。自身も臣民であるあなたが判断することではないかと思います。大公家のご息女とはいえ、あなたはあくまで臣下なのですよ」


 なおも食い下がろうとしたメイリーアンに、明香はきっぱりと言う。そして、言葉を詰まらせて黙り込んだメイリーアンから視線を逸らし、唸りを上げ目を血走らせて周囲を睨んでいる狼神を注視した。


(どうしてこんなに怒ってるの。神喚びの過程で何か不手際があった? でも、ティル様はフルードさんは間違ってないって仰ってた。狼神様だってフルードさんに対して威嚇すらしてない。だったら他の原因があるのかも)


 と、その様子を見ていた高嶺が、すっと明香に寄り添った。周囲の官吏に聞こえない小さな声量で囁く。


「表面に出ている怒りの激しさに気を取られてはいけない。その中にある神の想いを察知しなくては」


 テアとミア、ラウが、無言で明香とフルードを見守っている。


(怒りの中にある想い――)


『怒りというのは第二の感情なんだよ』


 不意に泰斗の声が蘇った。


『その奥には源となる第一の感情がある』


(そうだ、義兄様も言ってた。神官は、神が一番奥に抱いている気持ちを読み取って向き合わないといけないって)


 ティルがフルードに、高嶺が明香に、再び声をかけた。


「怯まずに目を合わせて。神の御心を、その真意を感じろ。怒りという形で吐き出している感情を」

「神がこちらに訴えかけていることは何かを考えろ、皇女」


 彼らの導きに従い、狼神の心に添わせるように天威を放ち、感覚を研ぎ澄ませていく。


(……あの神様は――苦しんでる。もしかして痛がってる? 怪我してるの? ……ううん違う。そういう苦しみじゃない)


『何かを振り払おうとしているわよ』


(本当だ、すごく嫌がってる。そういえば、何度も首を振って……)


 ()()()()()()()()()()()()()()()()を自然に受け入れ、明香は瞳に天威を込めて神の首元に目を凝らした。そして息を呑む。


(あ……えっ!?)


 一方、フルードは額に脂汗を滲ませながら声を絞り出す。


「殿下。森の神は……とても苦しんでおられるようです。何とかして欲しいと叫ばれている。ですが、その原因が何なのか……」


 そこで明香が叫んだ。


「フルードさん、首です! 狼神様の首に何か巻き付いています。毛と神威の揺らぎに埋もれて見えにくいですけれど」


 ラウたちが微かに笑い、小さく頷いた。官吏たちが狼神の首元を見ようと視線を上げた。フルードも瞠目し、じっと狼神の首を見つめてあっと声を上げる。


「霊具が……霊威を安定させるための霊具が絡み付いています。しかも相当強く食い込んでいる」


 その言葉に、メイリーアンも喫驚した様子で狼神を見上げた。


(霊具ってつまり、あの首飾りだよね。鎖が絡んで首を絞め上げてるってこと? でも神様って息をしなくてもいいはずじゃ……。そもそも、霊具なんか神威で吹き飛ばせるはずなのに。とにかく、鎖を外しますって声をかけて、一瞬だけ神様に大人しくなっていただけば)


 首が締め付けられる苦痛で暴れているものの、狼神はまだ理性と自我を残している。語りかければ聞いてくれるかもしれない。


(でも、上手く外せるかな。かなり強く首にくっ付いてるみたいだけど。……というか――霊具の霊威と神の神威が絡んでもつれ合ってない? あんなのどうやって外せばいいの)


 ラウたちならば容易く外せるだろう。今回はお手本を見せるということでやってもらい、明香とフルードはそれを見てやり方を学ぶということでもいいのだろうか。


(長引けば苦しむのは神様なんだから。素直に高嶺様たちにお任せする?)


 だが、それでいいのかと心が反発する。


(だけど……私には本当に何もできない? 私だって神様を助けたい。天威に目覚めたんだからそのための力は持ってるはずなのに)


 だが、まだ細かい制御ができないため、やろうとしたところで気持ちばかりが空回りするだろう。


(あの神様は皇国の神様で、私は皇女。だから何とかしたいのに)


 手のひらを握り締めて、強く思う。


(私も私にできることをしたい)


『ならばこれを授けましょう。私の可愛い子』


 突如、玉を振るような可憐な声が脳裏に響き、明香は目を見開いた。


(今の声……)


 少し前、虹色の世界に行った時に聞いた声だ。


(――金日神、様?)


 同時に、体内を灼熱が駆け巡るような感覚と共に、右の手から金の光が溢れ出る。それは瞬く間に細く長く伸び、一振りの細剣の形を取った。



ありがとうございました。

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