51.新たな事件発生
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『そこまでよ。あなたはまだ干渉禁止のことを知らないから、少し大目に見てあげたけれど、これ以上は駄目』
頭の中で、澄み切った女性の声が弾け、玄い光の紐が喉に絡みつく。同時に声が出なくなった。
(こ、これ……高嶺様を縛った光だ)
害意は感じない。むしろ安心感すら覚えるほどの慈悲深い光だ。その光はどこまでも優しく穏やかに、しかし容赦なく明香を封じにかかっていた。思わぬことに狼狽しかかると、両脇にいたテアとミアが小さく呟いた。
「申し訳ありません、これ以上は介入させませんから、今回は許してやって下さい」
「どうかお願いいたしますわ」
すると、玄い光がふっと消失した。
「お、お姉様……」
「明香、これ以上はいけない。今この場では詳しく話せないが、ここまでで我慢してくれ」
「メイリーアンとモンザート侯のことに、私たちは余り深くは関われないのですわ。私たちだけでなくノルギアス大公も同様に」
(……ど、どうして?)
ひそひそと告げられた言葉を聞いてラウとティルを見ると、彼らも凍るような目でカイシスを見ている。だが、カイシスに向ける視線は氷点下で一致しているが、メイリーアンへの眼差しはラウとティル、テアとミアでそれぞれ異なっている気がした。明香は天威を込めた双眸を凝らし、メイリーアンに対する皆の心情を読み取ってみる。
(天威師同士はお互いのこと読めないって言うけど、大体の想いを感じるくらいならできるかも……)
ラウからは怒りと哀しみを感じた。
ティルは怒りと失望を抱いているようだった。
テアとミアは、怒りと悲憤の想いを持っているようだ。
(皆、怒ってるのは共通してる。メイリーアンさんと何かあったのかな)
ラウがメイリーアンを見据えた。側から見れば無表情に見えるだろう。だが天威を宿す明香の瞳には、その奥に隠された痛みと傷跡が感知できる。
「――レディ・メイリーアンはしばし謹慎せよ。紅日皇女の恩情を以って、そなたの処遇はイステンド大公に一任することとする」
「はい……」
静かに放たれた宣告に、メイリーアンが項垂れて頭を下げた。
(イステンド大公? ノルギアス大公じゃなくて?)
疑問を抱いた明香に、素早くテアとミアが耳打ちしてくれる。
「イステンド大公家はメイリーアンの婚約者の家だよ。彼女はもう婚家に移っているんだ」
「正式な婚姻を待たずして婚家の家に所属を移す制度がありますので、それを用いてノルギアス家から離れましたのよ」
(そうなんだ。……って、イステンドってあいつの家じゃない?)
嫌な記憶が蘇って眉を顰めた直後、荘厳な藍色の気配が広間の一点に出現した。それは瞬く間に全体に拡散し、さざ波のようにうねり広がりながら分庁を覆い尽くす。
(――高嶺様!)
広間に顕現した高嶺が、美しい所作で衣をさばくとラウとティルの前で恭しく跪拝した。
「黈日太子殿下、紺月太子殿下、ご挨拶いたします」
「藍闇太子殿下!」
官吏たちがさっと居住まいを正し、高嶺に向けて帝国式の礼を取って跪く。
ラウとティルがとろけるような笑みを浮かべた。
「よく来てくれた、我が宝玉」
「ああ俺の対、俺の宝玉! 待ってたよ」
そして、自ら膝を付いて高嶺の手を片方ずつ取り、優しく立たせる。そして、二人して弟の髪を一房すくって軽く唇を落とした。明香が呆気に取られていると、またもテアとミアが囁いてきた。
「帝家の者が猫なら、皇家の者はマタタビだ。特に宝玉に該当する者は、別格に極上かつ効果てきめんのマタタビになるんだよ」
「藍闇太子殿下は黈日太子殿下と紺月太子殿下の宝玉ですから」
(ああ……そりゃ弟や対なら宝玉になるよね)
帝家の者にとってかけがえのない大切な存在が宝玉とされ、対や天命の伴侶は原則的には無条件で該当する。また、家族や身内なども宝玉になることが多い。
「藍闇太子殿下、お会いしとうございました!」
「本日をずっと楽しみにしておりましたのよ」
テアとミアも笑顔で高嶺に近付くと、同じように髪へ口づけを行う。そして、ささっと明香の方に戻りまたぎゅむっと抱きしめてきた。
「明香ぁ!」
「明香~」
「もう、お姉様ったら」
この姉妹はこれが通常の対応なので、明香ももはや慣れたものだ。
(髪に口づけるって帝家独特の愛情表現なんだよね。宝玉に対してしかやらないんだっけ。……宝玉がつるっぱげだったらどうするんだろう)
帝国では、親愛を表すために相手の手や頬などに口づけることがある。だが、髪へ接吻を行うのは帝家の者だけだ。己の宝玉と定めた相手に対してのみ、性別を問わず行うのだという。帝国では常識であるため、この場の官吏たちも顔色一つ変えていない。
(ん? てことは、高嶺様は太子殿下方とお姉様方全員の宝玉なんだ)
さすが高嶺様! と何となく誇らしい気持ちになる明香である。
慎まし気に面を伏せた高嶺がラウたちに会釈した。
「到着が遅れましたことをお詫び申し上げます」
そして、そっと明香に視線を流して微笑んだ。
(高嶺様~)
今朝からずっと会いたいと思っていた夫の笑顔に、今までの思考が溶け消えた。安心成分が放出されているのか、自然に頬が緩む。にっこりと視線を絡め合う新婚夫婦を見たラウとティル、テアとミアが、実に満ち足りた表情になった。
その雰囲気に引きずられるように、広間の空気が緩んだ時。ほっこりとした笑みを浮かべていたラウとティルが、あ、と呟いて不意に虚空を見た。
「失敗したな」
「やっちゃったねぇ」
直後、明香を抱きしめるテアとミアの腕に力がこもり――ドォンという轟音が建物を揺らした。体が浮き上がるような衝撃とともに、鈍器をぶつけたような重い咆哮が響き渡る。卓に残っていた食器が倒れて床に落ち、乾いた音と共に砕けた。身を竦ませる官吏たちに向かって飛んだ破片や調度品は、全てラウたちが張った天威の結界で弾かれる。
(な、何!?)
一人の神官が息急き切って駆け込んで来た。
「た、大変です! ただいま中庭にて神喚びを行ったところ、勧請には成功したものの神が急に荒神となられたとのことです!」
広間の空気が張り詰めた。
「荒神だと!?」
「今日の分庁での神喚びは森の神だけだったはず」
「馬鹿な、あの穏やかな神が荒神化されたのか!?」
(神喚び……森の神? まさか)
嫌な予感と共に明香が顔を上げると、官吏たちの幾人かが壁の一面に殺到した。
「中庭はこの向こうだ」
「こちらの壁が可動式の扉になっている。開けろ」
「開けてしまって大丈夫なのか?」
「問題ない、殿下方がいらっしゃる」
殿下の単語に、および腰になっていた皆が一斉に活気と力強さを取り戻す。帝族へ向けられる絶大な期待と、それに応え続けてきたラウたちの姿が、確固たる信頼として彼らの支柱となっている。がらがらと壁が開かれ、中庭が姿を現した。
(わ、ぐちゃぐちゃ……)
そこは散々たる有様であった。美しく手入れされていたであろう緑は無残に破壊され、地面は抉られ噴水は砕け、木も草も花も踏み荒らされている。
庭の中心では、大木を軽々とへし折って咆哮を上げている巨大な狼が、爛々と白金の目を光らせて仁王立ちしていた。
――そしてその眼前で必死に跪き、汗だくで祈りを捧げているのは、薄緑色の衣をまとった神官。
(フルードさん!)
ズゥンと狼が脚を踏みならす。大地に亀裂が入り、悲鳴のような音と共に爆ぜる。吼える神の肢体から竜巻のごとき神威が迸った。上空へ向けて放たれたそれは、雲を割って天高くへと突き抜けて行った。
ありがとうございました。




