49.懐かしのお姉様
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明香の耳がぴくりと反応する。
(――この賑々しい足音は!)
斎縁家にいた頃に何度も聞いていた、馴染みのある音だ。
「明香ぁ!」
「明香っ!」
間を開けず、広間に二人の女性が走り込んでくる。帝国の騎士の格好をした長身の女性と、帝国における女性用の衣――緑のドレスに身を包んだ細身の女性だ。
片や男装の麗人、片や正統派の令嬢という風貌の女性たちは、どちらも大層美しい。
長身の女性は力強い走りで、細身の女性はドレスに踵の高い靴で上品に疾走するという高等技術を駆使して、進行上にいたカイシスを弾き飛ばすと一直線に明香めがけて突進してきた。
「テアお姉様、ミアお姉様!」
明香は目を輝かせ、女性たち――テアとミアの方に身を乗り出す。直後、両手を大きく広げた姉妹たちにがばっと抱きしめられた。頰や頭にすりすりされ、溶けかけた砂糖菓子のような猫なで声が降りかかる。
「あぁ明香、会いたかったぞー! 私の可愛い明香! 私の宝玉! 会えなくて寂しかった!」
「元気にしていましたの? お顔を見せてちょうだいな、私の大事な宝玉ちゃん。まぁまぁ、一段と綺麗になりましたこと」
感激と歓喜に彩られた言葉に次いで、髪に軽い口づけが落とされた。
「お姉様……」
テアとミアの懐かしい香りに包まれた明香は、一気に安堵が押し寄せてきて目を潤ませる。この姉妹は、高嶺とはまた違った安心成分を持っているのだ。必死にかぶっていた猫が、にゃおぉぉーんという断末魔を上げてずり落ちていく。
「はっ! 太子殿下方、これは失礼いたしました」
「とんだ無作法をお見せしてしまいましたわ。どうかお許しを」
テアとミアがラウとティルに向き直り、深く頭を下げる――が、明香のことはしっかり抱えたままだ。
「お前の突飛な行動にはもう慣れたから大丈夫だ」
「いいよ。ミアはこれが通常運転なんだしね」
ラウとティルが愛しさを多分に含んだ眼差しで返す。官吏たちも、慣れっこなのか表情を変えない。
(お姉様方……普段からこんな感じなんだ)
帝国では、正式な公務や儀式の場でなければ、多少は礼儀作法が乱れても許容される風潮がある。皇国ではそうはいかない。明香が今の姉妹のような行動をした日には、白珠や佳良の雷が落ちるだろう。
「モンザート侯、これはどういうことだ」
テアが鋭い声を発した。カイシスは平然としており、びくりと身を震わせたのは、壁に体を密着させるようにして平伏していたメイリーアンだ。
「礼はもういい。立て」
ラウが命じると、平伏していた官吏たちが身を起こす。ライハルトとカイシスも立ち上がり、メイリーアンもおずおずとそれに倣った。
テアとミアが凍えるような眼光でカイシスを睥睨する。
「本日は皆も知っての通り、我が義妹・紅日皇女との茶会を予定していた。といっても、身内のみの内輪の茶会だ。こちらが手配する以上の干渉は不要だと、事前に通達してあったはず」
「それが何ですの、このような広間で食事まで出して。まるで見世物ではありませんの。皇女は私たちが出迎えと案内をすることになっていたはずですわよ」
太子妃たちから明確に怒りを孕んだ声音を向けられても、カイシスは平静を崩さない。
「むろんそのご意向は承知しておりましたが、皇女殿下が到着された時、帝女殿下方はまだお見えではございませんでしたので――僭越ながら私の方にてお迎えさせていただきました」
「そんなはずはない。私たちはかなり前から準備を終え、本館で待機していた。にも関わらず、何故かメイリーアンが皇女を連れ出し、左の門を使ってこっそりと別館に通したそうだな。しかもお前が接待まで始めたと。緊急の報告を聞いた時は耳を疑ったぞ」
(そうなの!? 右の門は故障中だって言ってたのに。アーネリアさん……じゃなくてメイリーアンさんがうそを吐いた? あの子気配がぐらぐらしてたから、うそを吐く時の揺らぎが紛れて読み取れなかったんだ)
高嶺たちならば何なく見破れたのだろうが。明香は問いかけるようにメイリーアンを見るが、頑なに床の一点を見つめ続けている彼女は顔を上げてくれない。
続けてミアが溜め息を吐く。
「アーネリアが訪れたところ、皇宮にある皇女の宮は大騒ぎになりましたのよ。時間が早まったと既に使者が来たはずだと。そちらは皇国の藍闇太子殿下が収拾して下さいました。皇女のことは私たちに託され、御自身は今もその残務をなさっておられます。本当は御夫君として真っ先に皇女の元に駆け付けられたいはずですのに、申し訳ないことですわ」
高嶺が未だこの場に到着しない理由が分かり、明香は内心で額を抑えた。
(ひぃ……高嶺様、佳良様、皆、ごめんなさい。まさか佳良様たち、確認不足で処罰なんかされないよね。後で高嶺様に確認しよう)
しばしテアとミアに場を任せて見守っていたティルが、くすくす笑いながら口を挟む。
「今、その藍闇太子殿下が念話してきたよ。皇女の宮の女官たちは、アーネリアを名乗って迎えに来た金髪に緑の目の女性が、帝城関係者の飾り玉と帝女の紋の入ったハンカチーフを持っていたから本物だと信じたんだって」
楽しそうな口調で話す紺の太子の瞳は、しかし、全く笑っていなかった。
「そりゃあ、本物の身分証を持っていて、しかも帝女の紋付きの小物まで見せられてそれが天威を帯びていたら、信用せざるを得ないよね」
今回は私的な茶会のため、迎えの使者に持たせる書簡なども発行されていない。身分証である飾り玉と小物で代用されれば納得してしまうだろう。
すると、カイシスが大仰なほど驚愕した様子でメイリーアンに視線を向ける。
「そんな馬鹿な! メイリーアンお嬢様、一体どういうことです。皇女殿下をお迎えする誉れを賜ったと仰っていたではありませんか。分庁の別館に案内する予定になっているが、帝女殿下方が急用で遅れるらしくどう間を繋いだものか困っていると私に念話して来られましたがゆえに、これは一大事だと馳せ参じたのでございますよ」
(うわ……説明してるなぁ)
明香は口元をひくつかせた。露骨な説明口調の台詞――しかし、内容としては重要なものだ。案の定、それを聞いた官吏たちがどよめく。当のメイリーアンは俯き、カイシスからの声高な詰問に耐えている。
「まさか、全てお嬢様の作り話だったのではありますまいな。大公女であるお嬢様ならば飾り玉も支給されているはず。以前には帝女殿下方からハンカチーフをいただいておられたようですが、そちらを持ち出したのですか」
続けて発された言葉を聞いて、明香は瞬きした。
(手巾をもらったって、お姉様とメイリーアンさんってご友人なの? いや違う。確か……)
脳内に詰め込んだ帝国の貴族名鑑と家系図を引き出すと、高速でめくる。
(そうそう、親戚なんだ。母方の従姉妹だったはず)
だが、明香が知らないと想定してだろう、カイシスが親切に説明してくれる。
「メイリーアンお嬢様は、現大公閣下のお従兄君に当たります先代ノルギアス大公のご息女でしてな。母は没落した伯爵家の娘でした。彼女の姉君が、帝女殿下方のお母上なのです」
メイリーアンの母の姉は、帝家の庶子に嫁してテアとミアを産んだのだという。だが、数年前に夫婦そろって出かけた際、不幸にも起こった崖崩れに巻き込まれて死亡した。
両親を喪ってしまったテアとミアであるが、橙日帝が後見となったために不自由なく帝城で育つことができた。そんなことをつらつらとカイシスが言えば、官吏たちも次々に続く。
「そういえば……従姉妹という関係上、帝女殿下方とメイリーアン嬢は幾ばくかの交流があったようです」
「ええ、殿下方のハンカチーフも何かの祝いか返礼かでいただいたことがあると聞きましたよ」
「大公女として登城することもあるので、飾り玉もお持ちでしたな」
「メイリーアン嬢の母親の実家である伯爵家は結局、後継ぎがいなくなり絶えてしまわれたそうですね」
「今はノルギアス大公家の所領に組み込まれているのでしたか」
さすがに皇族である明香に直接声をかけるのは憚られたのか、自分たちで会話するという体での説明だった。
(……ご丁寧にどうも)
こっそりと嘆息していると、メイリーアンが身を投げ出すようにして崩れ落ちた。
「申し訳ございません! このたびのことは全て私の一存で行いました。半年前、ノルギアス邸で開いた宴で使用人に出す指示を誤り、家宝たる神器をみすみす持ち去られたのは私の不手際によるもの。我が身の失態を取り戻そうとはやる余り、皇女殿下とモンザート侯爵を謀ってしまいました」
(え? 何言ってるの)
ここでいきなり神器の件が突っ込まれた。
状況を見守っていたライハルトが口を開きかけるが、先んじてまたもやカイシスが解説を差し込んできた。
「皇家の西の御子殿が神器をお持ち出になられたパーティーは、メイリーアンお嬢様が主導で開催なされたものでした」
(! やっぱりメイリーアンさんが例の宴の主催者だったんだ)
先代大公の子は娘一人だけなので、メイリーアンが主導していたのだろうとは予想できていた。彼女が一存で神器を公開し、花梨に持ち去られてしまったのだ。
「そうでしたの……宴では我が一族の者が非常に礼を失した行いをいたしました。現在、蒼月皇陛下が適正に対処しております」
花梨の行為については申し訳ないという思いを伝えつつも、そこにつけこまれないよう、対応は皇帝の領分だと言外に含ませる。
だが、カイシスが返事をするより早く、ラウが言葉を発した。
「いや、あの件は皇女や蒼月皇陛下のあずかり知らぬところで起きたことだ。件の御子の行動が問題であったことは間違いないが、宴の場における神器の管理責任はあくまで主催者にあった」
そこで、能面の笑顔を貼り付けたティルが合いの手を入れた。
「うん、そうだよ。それにメイリーアン嬢は家宝とか言っているけれど、あの神器は貸し出していただけで昔も今もずっと帝家のものだから。国宝でも国有物でもない帝家の私財で、皇家は帝家の縁戚。だから、これは突き詰めれば、帝家と皇家という親戚間の問題だってこと。帝国の国益を損なうような事態にもならなかったしね」
さらりと、花梨による神器の持ち出しの件は、皇家と帝家の私的領分に収まる事案なのだと告げた。ラウも淡々とした表情で言う。
「あの宴はメイリーアン嬢の個人的なものであり、西の御子も私人として非公式に招待されたに過ぎなかった。公的行事でも公務でもないプライベートな領域で発生したことならば、皇国や皇家ないし皇族方に直接的な非はない。むろん完全に無関係とはいかずとも、過度な責任を負う立場ではない。これが帝家の見解だ。皆もそのつもりで心得よ」
カイシスも含め、広間の臣下たちが一斉に唱和した。
「御意にございます。太子殿下のお言葉に従います」
ありがとうございました。




