47.帝国の料理は濃いです
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「小刀と叉子が使いにくければ箸もご用意いたしますが。あるいは匙で――」
「いいえ、お気遣いなきよう。貴国の食事は何度かいただいたことがありますの」
カイシスの申し出を丁重に断り、明香は迷わず一番外側に置かれていた食器を取り、食事を始める。目上の者が口を付けなければ、下の者が食べられない。
「それから、私は基本的に、貴国の用語や単語などは可能な限りそのまま使うようにしております。皇国語に誇りはありますが、異なる国の言葉を無理に自国語に合わせることはないと思っておりますので」
皇国にも帝国にも、それぞれが三千年かけて育んできた文化や言語があるのだ。
「ですから、小刀と叉子ではなく、ナイフとフォークと言っていただいて構いません。匙もスプーンと。チーズやサラダ、スープ、ローストやジャムなどの語も、そのまま帝国語でお話し下さい。ナプキン、コーヒー、それにカップやドレスといった言葉も全てです」
ほぉ、と見守る官吏たちが吐息を漏らす。自分たちの国の言葉をそのまま使ってくれるということに悪い気はしないのだろう。皇家と帝家は互いの文化を尊重していると聞いていたが、カイシスが皇国の単語を多用したのは気を遣ったのだろうか。
(皇族相手なら自分の方が遠慮するよね。こっちになるべく合わせようって思うかも)
気を読む限り、カイシスからは腐った泥沼のように醜悪な気配しか感じないが――上流階級にある者であれば、大なり小なり灰色な部分を持ち合わせるのは当然だ。汚職や収賄などの明らかな黒い行為は別にしても、社会の営みの中で暮らし、家を維持している以上、純白のままでいられる者など存在しない。
皇家や帝家であっても、叩けば埃は出てくるだろう。それは当たり前のことだ。
――それを踏まえたとしても、目の前の男気の澱みは尋常ではない醜さだが。
「……では、いっそ完全に帝国語で話しますか」
「今回に限ってであれば構いませんわ。本日は公務ではなく非公式で訪れたのですし、こちらは帝国領ですから、貴国の言語や文化に合わせましょう」
(この人と顔を突き合わせてのご飯とか、食欲減退すぎるんだけど)
ため息をつきたい気持ちを堪えている間にも、食事は次々に運ばれてくる。歓迎の料理であり正式な食事会ではないため、一口食べればすぐに次の皿が用意される。正規の手順で食事を進めていれば、それだけで何時間も消費してしまうからだ。余った料理は分庁の者に下げ渡されるのだという。
「こちらの貝はイラック地方のグロウ湾で採れたものでございます。魚はバンゲラのシュトール湖で、肉はフェンディウル山脈で放牧している子羊のものです。南部は昨年の冷夏により若干不作気味でして」
(あーうるさいなぁもう)
帝国語でぺらぺらと喋りかけてくるカイシスにいらいらしながらも、おくびに出さず頷く。
「そうでしたの。イラック地方は漁業や織物業が盛んで、服飾工房が多数あると伺っております。グロウ湾では以前とても大型の鮪が揚がったと話題でしたわね。シュトール湖と言えば一日に四回水の色を変えるとか。ぜひ見てみたいものです」
皇国と帝国の情報は常に最新のものを仕入れておくようにと泰斗に言い聞かされ、抜き打ちで試験を課されたりもしていたので、この程度は朝飯前だ。
「フェンディウル山脈は空気と水が澄み切っているため、家畜の味も良質になるとお聞きします。上質な鉱石も採れるそうですね。我が国でもフェンディウル産の宝石を輸入しておりますが、とても美しいと評判ですわ。南部の状況は若干ながら聞き及んでおります。不作を受け、天候に依存しない工業分野などの基盤強化を目指されているとのこと、及ばずながら応援いたしております」
「えぇ……不況や災害などで経済的に難しい地方では、復興策として関税の見直しなども視野に入れておりますが、皇女殿下はどう思われますか?」
「政治経済や外交の方針については、貴国と我が国の陛下並びに太子殿下方がお決めになることですので、現段階で私から申し上げることはありません。ただ、我が国の場合、各種の見直しに加えて国による助成、費用物資の援助、公的機関での産品の取り入れなどを検討しつつ多方面から支援を行っております。貴国も同様と伺っておりますわ。様々に調整が必要なことではありますが、一日も早い復興を心よりお祈りしております」
――等々、会話をこなしていくうちに、明香の胸中にはある推測が浮かび上がってきていた。
(橙日帝陛下と帝家の太子殿下方は様子見をされてる感じかも?)
この広間に連れて来られてから少し経つが、この状況を打開してくれそうな助け船が現れない。本館からこの別館まではそれほど離れてはおらず、転移すれば一瞬だ。来るのに手間取っているとは思えない。
(もしかして……これ程度の予定外には上手く対応してくれよってことなのかも。――うん! 確かに皇女ならそれくらいできて当然だよね!)
泰斗から徹底的にしごき抜かれてきた明香は、色々な基準や水準が一般人と大きくずれていた――もちろん、上にだ。
(てことは、お姉様方がいらっしゃるまで乗り切るしかない?)
癪ではあるが、食事が終わってもテアとミアが到着しなければ、どれくらいかかりそうかカイシスに聞いてみようか。そう逡巡している間にも、カイシスは様々な話を振ってくる。
(それにしてもよく喋るなぁこの人)
帝国には、食事中に話を途切れさせるのは失礼という文化などなかったはずだが。
服飾や宝飾、風土や名産品、世情や市場動向、歴史や文学、果ては神話など、手を替え品を替え振られる話題をさばきつつ料理を腹に詰め込んでいく。
好みを聞かれれば個人的な意見を強調した上で明言を避け、政治や国家運営に関する話題では言質を取られないようにし、しかし礼を失した物言いにはならないよう、言葉の端々にまで気を配る。
そのうち例の神器の話題がくるかもしれないと身構えているが、今のところは出ていない。そうして、ようやく最後の甘味――帝国語で言えばデザートが運ばれてきた。
(あー、やっと終わりだぁ。ちょっとずつしか食べてないのにお腹ぱんぱんだよ……。ていうかどの料理もたれをかけすぎ! 帝国語ではソースっていうんだよね。味が濃すぎて舌おかしくなりそう)
素材本来の味を活かした繊細な味付けをする皇国の料理とは対照的だ。帝国の食事作法を習得するため、泰斗が帝国の料理を何度も作ってくれたが、その時のソースは皇国人の舌に合わせてあっさりした味付けにしてくれていた。
甘味を食し終わると、明香は口を開いた。これは言っておかねばならない大切なことだ。
「美味しゅうございました。貴国では訪れた客に対し、料理を以って歓迎の意を示す習慣があると聞いております。ゆえに私はそれを鑑み、この席に応じました。我が国が懇意にしている貴国の風習を経験でき、私にとって学びとなりました。モンザート侯爵、歓待に対し礼を言います」
ある逸話を考えれば、念には念を入れてここでこうして釘を刺しておくべきだと思った。だが、これは自身を傷つける刃にもなる。今後帝国に行くたびに、皇女とお近付きになりたいという野心を持つ者たちが、今の言葉を言質に取って次々と歓待に誘って来る可能性が生じるからだ。だからこそ、もう一つ念を押しておく。
「ただ、こたびは私的な訪いであり、帝女殿下に急件が入られたという事情もあってのこと。今後においては、予定や進捗によっては歓待を次の機会にせざるを得ないこともあるでしょう。こちらとしても大変遺憾ではありますが、その際はどうぞご理解をお願い下さい。重ねて申しますが、このたびはありがとう、侯爵」
自分は忙しいのだから、いつでも歓待に応じられるわけではないのだと予防線を張っておく。そうしておけば、事前に予定を工夫するなり高嶺や関係者と示し合せるなりして、柔軟に断ることもできるだろう。
モンザート侯爵の笑顔が明らかに引きつっている。やはり釘を刺しておいて正解だったのかもしれない。……そして、それはそれとして、膨らんだお腹も問題だった。これから茶会だというのに、どうすればいいのだろうか。
(うぅん、お菓子ならいくらでも食べられるんだけど料理はなぁ……帝国の人と正式な食事会とかすることになったらどうしよう)
昼餐会や晩餐会などであれば、一定量は食べなければ失礼になるだろう。そういったことを考えて頭を痛くしていると、何とか笑みを維持したカイシスが言った。
「――ところで皇女殿下。この後は分庁をご散策されるとお伺いしております。ですが帝女殿下方はまだ到着されないようですし、こちらとしても遅れがどの程度になるか具体的なご案内ができない状況でしてな。よろしければ分庁は私がご案内させていただきますが」
「まあ、そうですの? どうしましょう」
(はあぁ~!? 冗談でしょ!)
叫び出したい気持ちを堪え、検討している振りをしながら、帝国語ではナフキンと呼ばれている布で口元をぬぐって表情を隠す。
(あなたの接待なんかもうごめんなんですけど! もう嫌だよこの人、ほんと気持ち悪い!)
本気で悲鳴を上げたくなった時。
「何をしている」
氷すらも凍て付かせるような絶対零度の音の刃が場を切り裂いた。皆がはっと意識をそちらに向ける。
広間の入り口に、すらりとした男性が佇んでいた。端正な顔立ちに落ち着いた色合いの金髪、青玉のごとき碧眼を持つ青年だった。駆けてくる足音はしなかったので転移で来たのかもしれない。
「大公閣下」
さりげない風を装って見物していた官吏たちが姿勢を正そうとする。片手を上げてそれを押し留め、男性は真っ直ぐに長卓に歩み寄った。明香の前まで来ると、胸に片手を当ててすっと膝を付く。
「恐れ多くも紅日皇女殿下でいらっしゃるとお見受け致します。どうか寛大なるお慈悲をもちまして、御身にご挨拶申し上げる栄誉をお与え下さいませ。私はノルギアス大公家当主、ライハルト・ノルギアスと申します。この度は殿下のご尊顔を拝し奉り恐悦至極にございます」
実に見事な皇国語での挨拶だった。
(た、大公閣下まで来ちゃった!)
内心で白目を剥く明香だが、このカイシスと二人での食事に一石を投じてくれるならばもはや何でもいい。半ば自棄気味になりながら、表向きは優雅に微笑む。
「初めまして、大公閣下。貴家の評判は皇国においても伺っておりますわ。どうぞ顔を上げて。本日は公務ではなく私的な立場で参りましたので、堅苦しい礼は不要ですわ」
「殿下のお心遣いに感謝申し上げます」
再度礼をしてから立ち上がり、ライハルトはカイシスを睨め付けた。硬質な碧眼が剣呑に煌めく。
「これは何の真似だ、モンザート侯。畏れ多くも皇女殿下に何をしているのか」
カイシスが僅かに唇を歪めた。だが、表面上は敬意を込めた態度を崩さない。
「これは大公閣下。本日は公務とお伺いしておりましたが、いらっしゃるとは」
「貴様の不自然な動向が報告されたゆえに急行したのだ。仕事は大公子に任せた。質問しているのはこちらだ、説明せよ」
(代理を任せられるくらいの年齢の御子がいるんだ……)
カイシスもライハルトも、外見は若々しく見える。だが、高位貴族の当主は強い御威を持っているため、外見通りの年齢ではないだろう。
大公に咎められたカイシスは、あくまで慎ましい様子で応対する。
「私はただ、皇女殿下のお相手をお務めしているだけにございます」
そう言って同意を求めるように明香に顔を向け、手を伸ばそうとした――その時だった。
ありがとうございました。




