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45.帝国分庁へ

ご覧いただきありがとうございます。

 帝国の分庁は皇宮の一角にある。皇宮は基本的に薄い緋色の石畳が敷かれているが、分庁は帝国の領土という扱いなので、淡い翠色の石畳となっている。地面の色が変わる境には簡易な塀がもうけられており、塀の合間にはいくつか門が設置されている。今日は私的かつ非公式な訪問なので、正門ではなく一段格が下がる通用門を使うと聞いていた。

 神使に会うことなく、無事に分庁の正門が見える所までくると、アーネリアが言った。


「まだ少し距離がございますが、お付きの方々はこの辺りで……」

「承知いたしました」


 明香と視線を交わした佳良が頷く。今回は身内のみの茶会であるため、佳良たちは入れない。分庁に入る手前で明香と別れ、宮に引き返すことになっていた。


「――それでは、私どもはこれにて下がらせていただきます」


 深く頭を下げた佳良たちがそつのない動作で去って行くと、明香とアーネリアだけになった。


「殿下、参りましょう」


 アーネリアが明香を先導する形で門に向かう。


(確か、正門の向かって右にある通用門から入るんだったはず)


 だが、アーネリアは左に歩を進めた。


「……使う予定だった門の一部が壊れてしまい、急遽別の門に変えさせていただきました。不手際をお詫び申し上げます」

「あら、そうでしたの」


 だが、明香にはさらに気になることがあった。一つは、アーネリアと二人切りになってから、胸にわだかまる哀しい痛みが大きくなっていくこと。

 そしてもう一つが――


(この子、すっごく緊張してない?)


 御威を使えるようになってから、相手の気を読むこともできるようになったのだが、アーネリアの気配がひどく乱れているように感じるのだ。不安定な位置に置かれた置物のごとくぐらぐら揺れており、視ているこちらの方が心配になる有り様だ。


(宮に来た時から不安定だったよね)


 とはいえ先ほどまでは、『あがり症気味の娘が皇女の迎えを担って緊張している』と考えられる範囲内だった。しかし、佳良たちがいなくなった後から、急に乱れがひどくなり始めた。


(私と二人になったから、一気に心臓ばくばく状態になっちゃったの? にしても何か変。緊張してるっていうより、怖がってる?)


「あの……」


 意を決して声を掛けようとするが、その前に左側の通用門が開いたので、ひとまずアーネリアに続いてくぐる。


 ――場に満ちる気配が変わった。

 凛とした涼やかな天威から、力強く苛烈な天威へ。

 蒼月皇が治める皇宮から橙日帝が統べる帝城に領域が切り替わったことによる変化だ。この分庁は皇宮内にありながらも、帝城の一部と見なされ、橙日帝の(たなごころ)にある地となっている。


(これが橙日帝陛下のお力――)


 沁み入るように静かで穏やかな白珠の力とは正反対の、芯から突き上げるような凄みと迫力があるものだ。だが、どちらも底なしに大きく深く、相手を無条件に平伏させる神秘性を備えているところは共通している。


(なんかあったかい。お日様に当てたふかふかの布団にくるまれてるみたい。こんなに重厚な気なのに不思議。でも、どこかで同じ気を感じたことがあるような……)


 背後で通用門が閉じる音を聞きながら、分庁の建物と庭に目を向ける。

 淡い色彩を好む皇国とは対照的に、帝国の建造物にははっきりとした鮮やかな色が使われることが多い。また、皇宮では花や草木をなるべく自然のままで咲かせているが、帝城は草花を等間隔で植えるなど細かく手入れし、花の色や形、向きまで見目良くそろえて管理しているようだ。

 協調と調和を大切にする皇国と、支配と制御を重視する帝国の違いだろう。


(へ~、分庁って大きいなぁ)


 列をなして植えこまれた花の道を歩き、分庁の建物に近付いていく。見上げるように高い分庁の最上階には屋上庭園があるのだと、テアとミアが言っていた。


「――すみません、レディ!」


 目に突き刺さるような色彩の壁を見上げていると、一人の青年が小走りで近付いてきた。年は明香より少し下くらいか、その顔立ちにはまだ少年の面影が残っている。金髪に青い瞳をしており、白に近い薄翠色の衣をまとっていた。


(この法衣……もしかしなくても帝国の神官じゃない?)


「……どちら様ですか。何か御用ですの?」


 興味津々の明香を背後に隠すようにしながら、アーネリアが警戒した声音で言う。額にうっすらと汗をかいた青年は、僅かに息を乱しながら腰の玉飾りを見せ、早口で告げた。


「突然不躾に申し訳ありません。自分は神官のフルード・レシスと申します。実はあなたに折り入ってお願いがありまして。その、精神の集中を補強するための霊具をお貸しいただきたいのです」

「はい?」


 余りにもいきなりの言葉に、アーネリアが眉を顰める。そして、唇を引き結んで自分の胸元に手を当てた。フルードが焦った様子で再び口を開く。


「実は、もうすぐ庭で神喚びの儀式を行なうのですが、自分の霊具が調子を悪くしてしまって」

「神喚び?」

「ええ。分庁の裏手の森を司る神を、定期的にご機嫌伺いでお喚びしているのです。自分は今日初めて一人で勧請を担当することになりました。まだ未熟なので集中力を上げる補助霊具を使用しているのですが、先ほど取り出した時に落としてしまい、壊れてしまったようなのです」


 懸命に説明するフルードだが、アーネリアの返事はつれないものだった。


「……帝城の本部に念話なさって、新しいものを御威か転送の霊具で送っていただけばいいではありませんの。こちらの分庁にも予備くらいあるのでは?」

「いえそれが、本部でも大掛かりな神喚びを行うらしく、予備も含めてそちらに全て貸し出されてしまっておりまして。霊具を修理しようにも自分の技量ではできませんし、修復霊具も他の場所で使用中なのです。熟練の神官に修復を頼もうとしたのですが、皆仕事で手が離せない状況で、困り果てておりました」


 懇願するように、フルードが目線を下げてアーネリアの首回りに目を向ける。


「あなたのその首飾りは、所有者の心を安定させ集中力を増幅させる効力を持つ霊具ですね。自分の霊具と同じ波動を感じます。お願いします、必ず返しますから、少しだけ貸していただけませんか?」


 帝国語で行われるやり取りを聞きながら、明香は分庁の奥に広がっている森を見つめた。


(多分あの森だよね。分庁は皇宮の中にあるから、森の神自体は皇国の神様のはず)


 御威は世界共通の力だ。帝国の神官だからといって、帝国の神――つまり西の天界の神としか話せないわけではない。皇国の神とも問題なく交流可能だ。

 そして力の扱いが未熟な神官でも、霊具を併用すれば安定して業務を遂行できるのであれば、単独の仕事が割り振られることもある。


「どうかお願いします」


 もはや涙目になって頼み込んでいるフルードが、薄緋色の衣を着て緊張していた少し前の自分と重なった。


(アーネリアさんさえ良ければ、霊具を貸してあげたらとは思うけど)


 だが、彼女にも事情があるだろうから、安易に口を挟むことはできない。アーネリアはしばし迷うように視線を揺らしていたが、渋々といった様子で首飾りを外した。


「……分かりましたわ。けれど、必ずお返し下さいましね。とても大事なものですので」


 首飾りは三連になっている。長い金の鎖に、花の形を模った大きな水晶が付いた美しいものだ。水晶の中には金箔が散らされている。


(ん?)


 首飾りを見た明香は、何か違和感を感じて小首を傾げた。もっとよく見ようと、一歩前に踏み出す。


(あの水晶……)


 鎖から水晶を外そうとしていたアーネリアだが、近付いて注視しようとしている明香に気付くと、何故か慌てたように水晶を手の中に隠すようにして握り込んだ。鎖から外すのは諦めたのか、掌に水晶を包んだままフルードに渡す。


「落とさないよう懐に入れて下さいまし」

「ああ、ありがとうございます!」


 心から安堵した様子で、フルードが押し戴くように首飾りを受け取った。言われた通りそのまま懐に押し込んでしまったので、明香からは見えなくなってしまう。


「助かりました。神喚びは夕刻には終わりますので、返しに伺います。本日はずっと分庁にいらっしゃいますか?」

「ええ。その予定ですわ。では、夕刻の鐘が鳴る頃にこちらで待ち合わせいたしましょう」

「承知いたしました」


 何度も頭を下げながら、フルードが走り去って行く。その姿が見えなくなると、アーネリアが即座に明香に向き直った。深く頭を下げ、皇国語で言う。


「大変申し訳ございませんでしたわ。皇女殿下の御前でこのような……」


 あの水晶に僅かな引っ掛かりを覚えるものの、それはそれとしてフルードが窮地を脱したことには安堵したため、やんわりと微笑んだ。


「構いません。どうやらあなたのおかげで丸く収まったようですし、よろしゅうございました」

「恐縮でございますわ。……お待たせしましたことを重ねてお詫び申し上げます。参りましょう」


 再び先導を再開したアーネリアに付いて、足取り軽く歩み始めた明香だが、進むに連れて瞬きした。


(……あれ? こっちに入るの? これ本館じゃないよね。離れっぽくない?)


 アーネリアは、最も大きな建物――おそらく本館だろう――を迂回し、脇ある一回り小さな別棟の扉に手を伸ばしたのだ。


(お茶会って本館でやるんだよね? ……それに、何かこの離れ、変な感じがする)


 中から不快な気配が漂ってくるのだが、気のせいだろうか。


(非常事態が起こったとか、官吏が揉めてるとか?)


 何となく足が竦むのは何故だろう。胸につかえているしこりも一向に引かない。内心で首をひねっていると、扉の取っ手に手をかけたアーネリアが、何故か動きを止めた。


「…………」


 波打つ金髪が震えている。後ろ姿でもはっきり分かるほど緊張しているようだ。


(声、かけた方がいいかな)


 明香が逡巡していると、アーネリアが絞り出すように呟いた。


「……申し訳ございません、皇女殿下」


(え?)


「ど、どうかお逃げ――」


 だが、その言葉を遮るようにギイィと扉が開き、皇国語の挨拶が差し込まれた。


「――ようこそ、皇女殿下」


ありがとうございました。

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