44.茶会の使者
ご覧いただきありがとうございます。
(うん、やっぱり人生ってそう上手くいかないものだよね!)
翌日、己の宮にこもった明香は内心で叫んでいた。
(まさか急にこんな重要案件が入るなんて!)
現在、皇宮全体がぴりりとした空気に包まれている。
何故ならば、常に皇宮を覆っている白珠や高嶺たちの天威が一時的に取り払われているからだ。
(皇宮の空気がざわざわしてる。きっともういらっしゃってるよね、四大高位神様の御使い)
今朝方、四大高位神から託宣があった。
先日神官府が供物として献上した柑橘を大層気に入ったため、同じものを採らせにこれから自分たちの神使を遣わすというのだ。再度献上すると申し出たものの、神がより好む形や大きさのものを神使に直接選ばせると言われたらしい。
(相当美味しかったんだろうなぁ、その柑橘)
柑橘の木は皇宮のあちこちに植えてあるため、複数の神使が次々に地上に降り立って皇宮中に散らばることになる。
これを受けた高嶺は、すぐに白珠と念話で対応を打ち合わせた。最高神たる四大高位神が直々に遣わす御使いは、通常の神使とは一線を画す特別な存在であるからだ。おそらく中位の神にも匹敵する。
そして、そのような存在を覗き見ることは非礼になりかねないため、四大高位神の神使が降りている間は皇宮に巡らせてある天威を引くことに決めた。
ゆえに、天威の護りが切れている現在の皇宮はかなり緊迫した空気を孕んでいる。
(今は下手に動かない方がいいんだよね)
神託の件を聞いてすぐ、自分が取るべき行動を高嶺に念話で確認したところ、何もせず宮に留まって静観するのが最善だと言われた。神使たちは柑橘を採ればすぐに天に帰るため、歓待の挨拶や迎え、案内や干渉などは不要だと事前に告げられたらしい。
(だけど想定外のことが起こるかもしれないから、高嶺様がいつでも動けるように警戒態勢で待機していらっしゃる。……そのおかげで義兄様のことを相談してる場合じゃなくなっちゃったし)
やむを得ないこととはいえ、上手くいかないものだと溜め息が漏れてしまう。
(茶会の時刻になったら高嶺様も抜けないといけないから、陛下の妹君が戻ってきて引き継いで下さるんだよね)
白珠の妹である謙皇帝、透石。姉に通じる非常に美しい容貌をしていると聞く。
(しょうがない。義兄様のことはまた今度、なるべく早い内に相談しよう。今は気持ちを切り替えて、茶会に集中しなきゃ)
大人しく宮にこもっている間に茶会に向けての準備は恙無く行われ、既に身支度はすっかり整えられてしまった。今は煌びやかな衣に身を包み、髪も化粧もばっちりの状態でちんまりと長椅子に腰掛けている。
「皇女殿下。殿下ならば帝国の作法にも問題はございません。私が保証いたします。どうか御心を安らかにしてお臨み下さいませ」
床を見つめて難しい顔をしていると、側に控える佳良が励ましてくれる。落ち着かない様子の明香を、茶会への緊張のせいだろうと思っているのだ。
(気を遣わせてごめんなさい佳良様! お茶会も緊張してるけど、それじゃないんです)
引きつった微笑みを返して頷いた時。
「失礼いたします」
足早に入室してきた若い女官が、佳良に何事か耳打ちした。心なしか顔が強張っている。
「……まあ」
冷静に聞いていた佳良が眉根を寄せる。そして、視線を虚空に向けて数瞬彼方を見つめ――確かに、と呟いて明香に目を向けた。
「――殿下。宮の入り口に帝家の使者の方がお越しだそうです。本日の茶会の迎えだと」
「え?」
(うそ、もう来たの!?)
明香は目を見開く。迎えが来る予定の時刻まではまだかなりあるのだが。
「――少々、いえ……かなり早いのでは?」
「はい。急に時間が変わったのでしょうか。こちらには何も連絡は来ておりませんが」
佳良も難しい顔で首を捻っている。
「使者の方は、今日のために帝国の太子妃殿下から賜ったという小物をお持ちだそうです。また、帝城の関係者に身分証として支給される飾り玉もお持ちのようで」
その飾り玉は、神官証と同様、偽造や複製を防止する術がかけられている特注品なのだという。
「使者の方に応対している者は過去に帝国と外交を行う部署にいたことがあり、実際に飾り玉を見たことがあるそうで、本物で間違いないとのことです」
佳良の後ろで、それを伝えたのであろう若い女官が小さく頷いている。ということは、使者は本物なのだろう。
「念のため、霊具で帝城に連絡しようとしたところ、上手く通信ができないようです。今しがた私が念話を試みても同様でございました。おそらく、四大高位神様の神使が複数同時に降臨されておられる影響で、皇宮内の御威の波長が一時的に乱れているものと思われます。となりますと、帝城から時間変更の緊急連絡が来ていたものの、こちらに届いていなかった可能性もあるかと」
佳良が虚空を見ていたのは、念話を試していたためだったのだ。いかがいたしましょう、と問われた明香は急いで頭を回転させた。
(私なら念話できる? ――いや、無理っぽい)
白珠や高嶺であれば、御威の乱れなどものともせずに天威を発動できるだろう。だが、同じ天威師でも、目覚めたての明香にはまだ無理だ。現に、先程までは高嶺と話せていたが、今もう一度念話しようとすると何かに遮られるように天威が乱れてしまう。構わずに力押しでいけば可能かもしれないが、万一暴発でもしてしまえば目も当てられない。
(つまり、外とは連絡が取れないから……仕方ない)
腹を決めて指示を出す。
「……帝国の太子妃様のご使者を待たせるわけにはいきません。お通しを」
「畏まりました」
若い女官がすぐさま部屋を出て行く。
(うっわぁ、早めに支度しといて良かった!)
内心で冷や汗をかいている間に、室内が手早く整えられる。程なくして、再び若い女官が戻ってきた。
「皇女殿下、帝国の使者の方をお連れいたしました」
目礼して告げ、一歩下がると、入れ替わりに女官の後ろから帝国の衣をまとった金髪の女性が進み出てきた。
「――!」
瞬間、胸の奥を突かれたような衝撃が走った。心臓を押し潰されるような感覚に呻き声を上げそうになる。
(ぅ……な、なに?)
だが、その荒波はすぐに退いて行った。一体何だったのかと内心で動揺するが、強いて気持ちを落ち着かせ、女性に目を向け直す。
(この人が使者……)
その女性は、一言で表せば非常に美しい顔立ちをしていた。見事な金色の髪が、室内に差し込む陽光に反射して煌めいている。緑の目は上質な翡翠を溶かし込んだようで、とても綺麗だ。帝国の者は金髪碧眼が多いが、時折緑の目を持つ者も生まれるのだ。
(若いなぁ、私より年下に見える)
外見的に見れば、女性というよりもまだ少女だ。とはいえ、特段不自然には思わない。
皇国でも帝国でも、御威が強い者や実力がある者であれば若くして要職に就くこともある。恵奈がいい例だ。
さらに、強力な御威を持っていれば老いることがないため、若々しい姿をしていても実はご年配ということもある。……佳良のように。
加えて、高位貴族の子女が行儀見習いを兼ねて宮城に上がり、皇族や帝族の近くに仕えて所用を承ることもある。
「ご使者殿、ようこそお越し下さいました。……ただ、予定の時刻よりいささかお早いようで」
佳良が流ちょうな帝国語で金髪の女性に話しかける。
「こちらの宮の入り口でも同様に言われました。大変申し訳ございません。こちらと連絡の行き違いがあったようで、お伺いする時間が正しく伝わっていなかったようですの」
女性が丁寧な口調で謝罪した。彼女を見ていると、何故か心臓が締め付けられるように痛む。まるで、大きな悲しみに泣き暮れている時のようなしくしくとした刺激が胸を襲うのだ。
これは何だろうと思いつつも、言われた言葉の意味を考える。
(行き違い? ってことは、やっぱりこっちに連絡が届いてなかったのかも?)
ここは穏便に、という念を込めて佳良を見つめると、彼女は心得たように微かに頷き、最低限の言葉だけを短く返した。
「まあ、左様でございましたか」
金髪の女性は申し訳なさそうに目を伏せて首肯する。そして明香の前に進み出ると、衣の裾を摘んで腰を落とし、帝国式の礼を取る。
「お初にお目にかかります。帝国よりの使者として参りました、アーネリア・サンドルと申します。このたび皇女殿下をお迎えする大役を賜りました」
美しい皇国語で発された挨拶に、訛りは一切見られなかった。
(そうそう、アーネリアさんていう人が迎えに来てくれるって、打ち合わせでも言われた)
アーネリアが、懐から帝国の手巾――いわゆるハンカチと呼ばれるものを取り出して見せる。その布地には、帝国の帝女であり太子妃であるテアとミアの紋様が刺繍されていた。
「今回のお役目を拝受いたしました際、妃殿下方より直々に賜ったものでございますわ」
「確かに帝女殿下方の紋章ですね。天威も感じます」
手巾を受け取って確認した佳良が頷く。
「こちらもご確認願えますでしょうか。帝城や帝室の関係者のみに配布されるものでございますの」
続いて提示された薄緑色の玉も丁寧に確認し、小さく首肯する。
「確かに。帝城の方々がお持ちの飾り玉は、私も幾度か拝見したことがございます。こちらは間違いなく本物です」
「ありがとうございます」
実際に証拠を確認できたことで、佳良の雰囲気が僅かに緩んだ。それを察したか、アーネリアが安堵の表情に変わる。
明香は精一杯鷹揚な笑みを浮かべた。
「――どうぞ楽になさって。お迎えをありがとう、アーネリア殿。今日のお茶会が楽しみで、身支度なども早めに終えていましたの」
一瞬迷ったものの、ここは皇宮で身分も自分の方が上であるため、皇国語で話す。
(早く来たことは気にしないで、もう準備はできてるから、って伝わったよね?)
「……有り難きお言葉にございます。私が皇女殿下を、帝女殿下方のもとにご案内させていただきたく存じます」
「分かりましたわ、よろしく」
外では今も四大高位神の神使たちが柑橘狩りに精を出しているだろう。だが、明香の宮から分庁までの道には柑橘の樹は植えられていないため、神使に鉢合うことはないと言われていた。神使から接触してくる可能性がないわけではないが、四大高位神の方が真皇族に迷惑をかけてはならぬと厳命しているようなので、その点もおそらく大丈夫とのことだ。
(……よし、じゃあ行きますか!)
明香は一呼吸置いて気合いを入れ、佳良たちとアーネリアを伴って宮を出た。
胸の奥の痛みは、まだ続いている。
ありがとうございました。




