43.新たな不穏
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明香は臆することなく北の御子を見返し、もう一度頷く。御子の双眸は高嶺のことを誇りに思うと同時に、悲痛と葛藤に満ちていた。
「高嶺は自分に関して欲を持たず、期待もせず、望むこともない。圧倒的な『持つ者』である自分は与える立場であり、何かを求めるべきではないと知っているのです。自身を毀誉褒貶されても、ただ無表情に受け止めるのみでしょう。……それでも、天威師にも心はある」
知っている。
明香は高嶺の顔を思い浮かべた。精巧な芸術品のように整った容貌が崩れることはなく、その双眸は常に内を読ませぬ漆黒で塗り固められている。
だが、よくよく見れば、時折その中には喜怒哀楽の片鱗が煌めいているのだ。
「天威師とて時に喜び、悲しみ、傷付きもする。怪我をすれば痛い。けれど天威師でない者は、高嶺の隣に立って寄り添うことができない。天威師とそうでない者は、見ている世界が、立っている場所が、自身の在り方が、万事が根本的に違うからです」
天威師とそうではない者は、文字通り異なる次元を生きているのだ。それは愛で超えられるものではない。青みを宿す双眸が、明香を真正面から捕らえた。
「だからこそ、皇女はどうか高嶺に添ってあげて欲しいのです。天威師であるあなたは、高嶺と同じ域に……対等な領域に立てる。そして何より、高嶺は唯一『家族』にだけは強請ったり欲を出すことがあります。あなたなら、高嶺を真皇族ではない『ただの高嶺』にしてあげられる。その上で妻として共に歩むことができます」
「共に歩む――」
「はい。良き伴侶、良き家族、良き同志として手を携え、同列の立場で。高嶺を心から笑わせ、喜ばせ、そして泣かせてあげて下さい。あなたならきっとそれができる」
――どうかお願いいたします。
そう言って、御子は深く頭を下げた。
「頭を上げて下さい。もちろんそういたします。私はまだまだ未熟ですけれど……太子殿下は、それにあなたも、もう私の大切な家族なのです」
僅かに目を見開いて、御子が顔を上げる。
「ですから、正直に申し上げますわ。私は、太子――いえ、高嶺様のことをとても慕わしく思っております」
言ってしまってから、自分は何故こんな場所で愛の告白をしているのだろうかと思いつつ、もはや引っ込みが付かなくなって続ける。
「だからずっと隣におります。将来はたくさんお強請りして、逆にたくさん我儘を言ってもらえるような、そんな関係になりたいのです」
ここは皇宮には隣接しているものの皇宮の敷地からは外れるため、白珠の――そして高嶺の天威は張り巡らされていない。聞いているのは目の前の御子だけのはずだ。
「あるがままの高嶺様と一緒に進んでまいります。その心と共に。高嶺様はいつでもどこでも私の高嶺様です。私は高嶺様と結ばれたことがとても嬉しいのです」
言い切ると、御子は微かに瞳を潤ませたように見えた。
「ありがとう……」
細い手がそっと明香の肩に置かれる。
「あなたが高嶺の妻になってくれて良かった」
「そんな、それはこちらの台詞ですので」
明香が慌てて手を振ると、御子は不意に瞳を曇らせた。
「――しかし、申し訳ありません皇女。私はまずあなたの方をこそ気遣うべきでした。市井から皇室に入られ、一身に期待と重圧をかけられながら日々精一杯の中で励んでいらっしゃる。むしろ、高嶺にあなたのことをしっかり支えるように言うのが筋ですね。にも関わらず不躾なお話をしてしまい、失礼いたしました」
「いいえ。すごく家族想いでいらっしゃることが伝わってきて、心が温かくなりました」
「皇女はお優しいですね。何か辛いことや悩み事があれば、万一良からぬことを言われた際には、すぐに太子殿下にご相談下さい。私でも構いませんよ」
「ありがとうございます。皆様お優しいので何も心配はしておりません」
(ただ……ちょっと苦しいことは、あるけど)
一瞬下がった明香の視線を見逃さなかったのだろう、御子がすかさず声を重ねてくる。
「どうなさいました。やはり何か?」
「その……」
明香は言葉に詰まった。御威を持たない御子には話しにくいことなのだ。
「――今度高嶺様に話してみます」
「ああ、それがいいでしょうね」
御子はあっさりと納得して引き下がってくれた。明香は続けて言う。
「それから。ここでお会いしたことは、蒼月皇陛下にも太子殿下にも秘密にしていただけないでしょうか。お話の内容がその――こ、告白のような台詞も言ってしまいましたし、少々恥ずかしいと言いますか……いずれ時機を見て私が自分でお伝えいたしますので」
御子が小さく噴き出した。唇に指を当てて頷いてくれる。
「分かりました。では今少しの間、本日の逢瀬は二人だけの秘密にしましょう」
「ありがとうございます」
明香はほっと肩の力を抜いた。そして御子を見つめ、ぽろりと胸の内を零す。
「あなたのお顔は高嶺様とよく似ておいでです。もちろん陛下とも。やっぱりご家族なのですね」
「ええ、私も高嶺も母親似ですから」
御子はころころと笑った。
「――ところで、皇女殿下は何の本をお借りに?」
そして、話が一区切りついたところで雰囲気を戻すことにしたのか、図書館の話題を振ってきた。
「あ、気分転換に、都の有名な菓子や名産品の紹介本を何冊か」
食い意地が張っているようで恥ずかしかったが、素直に本を見せる。例の漫画を持っていなくて良かった。
「よろしゅうございますね、美味しそうなものを見ると気分も上がります。都には美味しいものがたくさんございますよ」
(そういえば、御子様の方は何をお探しだったのかな)
そっと視線を巡らせて童子と童女が持つ本を見た明香は、うっと息を詰まらせた。
「盆栽の楽しみ方」「詰め碁の極意」「効率のいい昼寝の方法」「第二の人生を豊かに」――そんな文字が表紙に並んでいる。まるで隠居後のご老人だ。
(し、渋い……! いや、趣味は人それぞれだけど――御子様ってまだ20歳でしょ? いくら日陰の存在だからって趣味まで枯れなくても)
もちろん盆栽や囲碁が好きな若者もいるので一概には言えないのだろうが、あれだけの腕があるのだからまた工芸品を作ればいいのにと思ってしまう。
「……そ、そうですわ。先日拝見いたしましたのよ、皇宮の広場にある龍の彫刻の噴水。あれはあなたが作られたそうですね。とてもお綺麗でした」
「ああ、あれは私の自信作なのです。西の御子がちょうどあの広場で暴れましたが、運良く壊れずに済んだようで」
御子はすぐに食いついてきた。
「もう何年も前の作品ですが、皇宮の庭師が定期的に手入れして下さっているようです」
嬉しそうな様子を見て、明香もつられて微笑む。
「きっと蒼月皇陛下のご意向でしょう。あれほど素晴らしいものなのですから」
(えーと、御子様は今20歳でしょ。あれは12歳の時にお作りになったっていうから……)
「お作りになられてからもう8年ほどになるのでしたかしら」
20歳から12歳を引くというごく簡単な計算だったが、御子はふわりと笑って否定した。
「いいえ、それほどは経っておりませんね。あれを作ったのは5年前です」
「――え?」
明香は思わず聞き返した。
「お作りになったのは5年前なのですか?」
「はい。草葉に隠れて見えにくいのですが、噴水の台座の下方に制作年が彫ってあります」
(そ、そうだったっけ)
御威を発動し、使えるようになったばかりの遠見を駆使して視覚を広げ、皇宮を俯瞰する。義兄と訪れた広場を視ると、あの日と変わらずに龍像の噴水が鎮座していた。細長い台座の根元に焦点を凝らすと、確かに字が彫り込まれている。制作日と題して、現在から5年前の日が刻まれていた。
(ほんとだ。……てことは――義兄様が間違えた?)
信じられない。細かいことまできちんと覚えているあの義兄が。
驚愕しながらも北の御子に謝罪する。
「まあ、私の勘違いでしたわ。失礼いたしました」
御子は気を悪くした様子もなくにこやかに応じる。
「いいえ、いいのですよ。実はあれと同じものをもう一つ作っておりまして、そちらは8年前に製作したのです。皇宮の特別区にありますので、そちらと混同されたのではないでしょうか」
そう述べた時、童子と童女が御子の袖を引いた。
「御子様、そろそろお時間です」
「お早く、御子様」
「あぁ、もう時間ですか。残念、もう行かなくては」
仕方なさそうに眉を下げた御子が、明香に微笑みかける。
「それでは皇女、そろそろ失礼させていただきます」
「お話しできて嬉しかったですわ」
「私もです。またお会いしましょう」
柔らかく言った北の御子は、そろってぴょこんと礼をした童子と童女を連れて明香の前を辞した。
一人になった明香は、書棚の脇に立ち尽くしたまま呆然とした。
(待って、特別区にもあれと同じ彫刻があるの? でも私、特別区にはまだ行ったことない。だから混同なんかするはずない。8年前ってのは義兄様がそう言ってたからで――)
もしや、と、ある考えが脳裏をよぎる。泰斗は特別区にある彫刻の方を見て、そちらと記憶違いしたのではないか。
(特別区は皇家の秘宝や秘伝書がたくさん保管されてるから、皇族以外は立ち入れないはずなのに……おかしくない?)
心の奥でずっととぐろを巻いていた不安が、一気に頭をもたげて胸中を駆け巡った。すっと血の気が引き、背筋がぞくぞく粟立つ。
あの雪景色の中、自分が次の皇帝だと言って笑っていた泰斗。
(……何か、まずいかも。嫌な感じがする。やっぱり、あの日の夢を陛下と高嶺様に伝えなきゃ。ただの夢だったなら笑い話で済むけど、そうじゃなかったら)
だが、大急ぎで皇宮に取って返せば、周囲の人々に何があったのかと思われる。できるだけ自然な態度で佳良たちのところに戻り、持っていた本を借りると、すぐに図書館を出る。何でもない顔をして宮まで帰ると、さっそく本を読むと言って人払いをした。
(お二人に念話して、お会いしたいって言おう。今、大丈夫かな)
考えながら、事前に渡されていた白珠と高嶺の予定表を出して確認し――愕然とする。
(えっ、夕方から新城で橙日帝陛下方と深夜まで会談で……そのまま帝国に外泊される!?)
よりにもよって、両者共に泊まりがけの公務中であった。会談中ならば迂闊に念話もできない。
(どうしよう……あ、でも高嶺様は明日こっちに戻られる)
茶会があるためか、高嶺は翌日にはこの旧宮にとんぼ返りすることになっていた。
(朝には帰ってくるのか――じゃあ午前中に話せばいいかな。お忙しいから時間取っていただけるといいんだけど)
決定すると、すぐに何をどう話すかを考えていく。
(何でもっと早く言わなかったんだって怒られるかな。きちんと謝らなくちゃ)
寝台に腰掛け、明香は思考の海に沈んでいった。
ありがとうございました。
次話から本格的に帝国分庁編に入って行きます。




