42.思いがけない出会い
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講義がなくなった明香は自分の宮に戻った。その後は、夕方以降の予定を繰り上げで終わらせたことで時間が空いた。そういう時は自習に充ててきたが、今日に関しては休むようにと高嶺から念押しされている。
「夕食まで仮眠を取られますか? もう一度散策に出られるのもよろしいかと」
同じく今日は明香を休ませるようにと言われた佳良が提案してくれる。
「……では、読書をしようかしら。実は国営図書館に行きたいと思っていたのです。自分で本棚を見て読みたいものを選びたいの。でも、いきなり行くのは難しいならばやめておきます」
「図書館であれば皇宮から目と鼻の先ですので、問題ないかと思われます。皇族方もお忍びでご利用される施設ですから警備も手厚いですし、先方も柔軟に対応するでしょう」
一応高嶺にも念話で確認すると、図書館に先触れを出してからであればいいと了承が出た。
佳良が図書館の上層部に念話を繋いで確認したところ、了承の返事が来たため、明香は数名の女官のみを連れていそいそと皇宮を出た。
貴人が顔を隠すための綾絹をかぶり、扇をかざして皇宮の門を出ると、すぐに図書館が見える。
(ほんとに近いなぁ)
特別な案内や出迎えの必要はないと伝えていたため、館内に入っても大仰な歓待はなかった。入口近くに待機していた重役と思わしき者が、さりげなく目礼して来たくらいだ。
「殿下、私たちはこちらで控えております。ごゆっくりお選び下さいませ」
「ありがとう。それほど時間はかからないと思います」
(やった、ありがとう佳良様!)
一人でゆっくり選ばせてくれるらしいと悟った明香は、さっそく書棚がある場所に出る。高貴な身分の者も大勢利用する図書館であるため、顔を隠した装いも浮くことはない。
(何を借りようかな~。あの漫画とか?)
例の、高嶺も知っている漫画本だ。架空の国の王女が主人公の恋物語。
唯一の王位継承者である黒髪黒目の王女は、敵国の間者から何度も命を狙われる。だがそのたびに、友好国の王子が助けに来てくれる。金髪碧眼のその王子は白馬に乗って颯爽と現れ、鮮やかな剣さばきで敵を倒し、危機に陥った王女を救出するのだ。
きらきらとした光が見えるように甘い美貌の王子は、王女にめっぽう優しい。王女が泣いていれば即座に現れて紳士的な言葉をかけながら涙をぬぐってやり、王女が腹を空かせていれば甘い菓子と温かい紅茶を持って駆け付け、王女が気落ちしていれば柔らかな羽毛の掛布にくるんで城から連れ出し、一緒に白馬に乗せて綺麗な花畑に連れて行ってくれる。
もはやただの付きまといか一周回って誘拐犯になっているが、王子があまりにかっこよく描かれているため、誰もそこを突っ込まない。
(いや、漫画を借りるわけにもいかないか。――それに……あの王子様より高嶺様の方がかっこいいもの)
じんわり熱くなる胸を押さえて微笑み、いくつか本を選びながら書棚を回り込む。
「……あ」
そこに人がいた。
(あの時の――)
一目見て分かるほど気品のある佇まい。奇跡のように整った優し気な顔立ちに左目の泣きぼくろ。青みかがった黒眼。胸元で輝く柘榴の首飾り。
花梨と一悶着起こる直前に会った青年だ。
(やっぱり高嶺様に似てる……)
青年が振り向き、明香に気づくと軽く目を瞠る。
「紅日皇女」
目が合うと、胸の奥がトンと鳴り、こそばゆいような感覚が走った。初めて会った時も感じたものだが、その時より少し強くなっている気がする。
「御子様、ご本です」
「お探しのご本です、御子様」
藤色の飾りを付けた白装束の童子と童女が、両手に本を抱えて早足に青年の元へと歩いてきた。
(御子様?)
一瞬首を傾げかけた明香だが、はっと瞠目する。
(って、まさか――)
「……し、しゅほ、さま?」
擦れた小声が、喉の奥から僅かに漏れた。御子は高位の者全般に使う呼称であるから、皇家の者ではなく貴族かもしれない。しかし、この青年は高嶺に似ているのだからーー。
童子と童女に目をやっていた青年が、きょとりと瞬きして明香の方を見た。
「はい、そうですが」
発された返事を聞いた明香は目を見開き、ごくりと生唾を飲み込む。
(や、やっぱり北の御子様だ! そっか、だから高嶺様と似て――でもまさかここでお会いするなんて)
北の宮に幽閉されているという噂は間違いだったらしい。では、彼の目が青みがかっているのは、帝家の血だろうか。素早く頭を回転させ、青年――北の御子への返事を考える。
「不躾にお呼びして申し訳ありませんでした。あなたのことは太子殿下からお聞きしたのです」
太子の単語が周囲に聞こえないよう、声を潜めて答えたものの、すぐに不安になる。
(いや待って、この言い方じゃ誤解されちゃう? 高嶺様が故意に御子様の情報を喋ったように聞こえるかも)
訂正しようと再度口を開きかけるが、御子の方が早かった。ふんわりと破顔し、こちらも囁き声で言う。
「ああ、そうだったのですね。藍闇太子が」
不快そうな様子もなく微笑む御子を見て訂正の言葉を飲み込み、ほっとする。
(あ、怒ってはいない感じ? 良かった)
「皇女も本を探しにいらっしゃったのですか。供の者は?」
「数冊くらい自分で持てますわ」
当然だと返すと、くすりと笑い声が返ってくる。正面から明香の目を見返してくる眼差しは堂々としており、庶子として生きる諦観や卑屈さは感じられない。
「西の御子とは大違いですね。彼女は、神器を得てからは箸より重いものは持たなかったと聞きます」
皇女となればそちらの方が普通なのだろうか。
北の御子は機嫌よく続ける。
「あなたが西の御子に説教した時は、私も胸がすく思いがいたしましたよ」
そうだった、と明香は思い出す。この御子は、花梨と明香が大喧嘩をした現場に居合わせていたのだ。
「私は西の御子が好きではないのです。皇家の品位も気概も感じられぬゆえ」
柔らかな目元に険をにじませ、御子が呟く。今までの穏和なものから打って変わった、軽蔑と嫌悪を含んだ冷たい口調だった。
「こたびの処遇とて最大限に恵まれた方でしょう。本来は神罰牢に落とされるところを、たった百年に満たぬ地上での償いで代替できるのですから」
神罰牢の苦痛は筆舌に尽くし難いものだ。人間が落ちる最下層の地獄ですら、最も軽い神罰牢と比べれば天国に感じるほどだという。入牢者は発狂することもできず数千年、数万年、あるいはそれ以上の期間を過ごし続けなくてはならない。
花梨も本来はそうなる予定だった。だが、地上での無期刑に変更されたのだ。奇跡のような大逆転の救済である。眉を寄せていた北の御子は、すぐに元の優しい雰囲気に戻る。
「けれど、それについてはまぁいいでしょう。私も神罰牢行きは流石に酷だと思っておりましたので。……そうだ、話は変わりますが皇女。込み入ったことかもしれませんが、一つお伺いしたいことがございます」
「何でしょうか?」
ひそひそと話しながら、二人してそっと通路の隅に移動する。幸いというべきか、今のところこの一角に人の気配はない。お付きと思われる童子と童女も、くりくりとした目を左右に走らせて周囲に気を配ってくれているようだ。
「藍闇太子とはいかがですか? 随分と仲睦まじいようですが」
そっと落とされた問いに、明香は瞬きした。自分たちの話が皇宮の中で広まっているのだろうか。
(仲良しだって広まってくれるのならいいのかな?)
そう思いつつ、言葉を選びながら答える。
「皇族の夫婦における普通がどういうものか、まだ分からないのですが――それなりには親しくなれたかと思います」
そう話すと、北の御子はほっとした表情になった。
「それは良かった。藍闇太子は――高嶺は欲や我儘というものを滅多に見せませんから」
「そうなのですか?」
「ええ。高嶺は1歳を迎える直前に全き天威師として覚醒し、この国中の期待を背負って生きてきました。万事を恙無くできて当たり前、それを大前提としてごく自然に課されていたのです」
御子の瞳がじんわりとした痛みを帯びる。
「些細な言動も目線の一つも綺羅星の如く注目され、針の穴ほどの手違いを犯せばそれだけで周囲が処罰され、誰かの命が失われ、人々の生活が脅かされ、神にも影響を及ぼし、人類や世界そのものが危険に晒される。そんな環境の中でずっと生きてきた」
悲しみを含んだ声は、心底から高嶺を案じているものだった。
「高嶺の初公務は、1歳になると同時でした。属国の一つが高位神数柱の激怒を買い、壊滅寸前であったところを救いました。たった一人で複数の荒ぶる大神と相対し、冷静に話をして鎮め、その後の国家再建も的確に差配した。もちろん蒼月皇陛下が後ろで監督しておられましたが、ほぼ高嶺の単独でやり切ったのです」
それは高嶺の逸話として有名なものだった。
皇家と帝家に関しては、1歳の子に政務や公務をやらせることに問題はない。霊威師と聖威師の場合、覚醒により知能と頭脳が向上しても、思慮や情緒といった心の面は未熟で場合こともあるが、天威師は別格なのだ。天威に目覚めた者はその時点で精神的に成熟し、真皇族・真帝族としての責任が生じる。
至高神の末裔として、老若男女関係なく同じ責務を背負い同じ使命を果たすのだ。
「それを皮切りに、高嶺は常に求められる以上の成果と実績を上げ続け、己が背負う全てに対して期待を超えて応えてきました」
人間や地上に落とされる神罰を代わりに受け、満身創痍となることも日常茶飯事なのだと、御子は静かな口調で告げた。
「神々は真皇族と真帝族に敬意を払って下さいます。しかし、感情が昂られた拍子に荒々しい神威を放って来ることや、地上に天誅を下されることもあります。そのような時は、真皇族と真帝族が身を投げ出してその神威を受け止めるのです」
明香の脳裏に、初めて会った際の白珠の姿が蘇った。あの時の白珠は、四大高位神が放った皇国を焦土と化す威力の神罰を、全てその身に受けたという。防御や回避はできない。それは神が下された神威を拒むことになり、不敬とされるからだ。
「高嶺も以前、地上に向けられた高位神の天誅を身代わりで浴びました。全身を袈裟斬りされた状態になり、両目が潰れ、両耳と両腕と右足が根元から吹き飛び、臓器が体外に飛び出す大怪我を負ったのです」
血飛沫や肉片が周囲に飛び散り、それは凄惨な光景だったそうだ。
「けれどあの子は顔色一つ変えず、左足だけで立ったまま神との対話を継続して鎮め、配下に的確な指示を出し続けた。襤褸雑巾のような姿で、体中から血を噴き出しながら――ただ目の前の神に心を傾け、民や国土への被害を案じていました。自身の傷は天威で瞬時に全快できるため、気にかけることはないのです」
「――はい」
その場面を想像すると、胸が抉られるように痛む。そこまでしなくてもいい、と叫びたくなる気持ちを抑え――明香はゆっくりと頷いた。
(高嶺様はご自身のなさるべきことを正しくなされた。それが真皇族の務めだから)
斎縁家にいた頃から、泰斗に教えられてきた。
上位者は強い立場と大きな力を持つ分、有事の際は己が有する権能や優位性の全てを駆使し、文字通り身を粉にしてでも事態の解決に尽力しなければならない。
それを常に心に留めているようにと。
高嶺も講義で同じようなことを言っていた。
人間は神の力に抗えず、神威により傷付いた体は霊具を用いても治癒できないこともある。一方、真皇族は神罰に耐えられる器を持ち、神威により負った傷すらも修復することができる。
ならば何も迷うことなどない。真皇族は己が全てを以って神を平らかにし、国と臣民を守るべきなのだと。
(歴代の真皇族と真帝族は皆、自身の使命を遂行してきた。私だって)
その事実を理解し、受け止め、己が事として落とし込み昇華できるよう、明香は導かれてきた。泰斗や高嶺、それに周囲の大勢の者たちが、そのように育んでくれた。
それを酷いとも、都合のいいように育てられたとも思わない。仮に明香が拒絶するならば、あるいは耐え難いほどに苦しむならば、過酷な務めを拒み天に還ってもいいように、白珠たちは用意をしている。それが高嶺の言葉の端々から伝わるのだ。
(私は還らないよ。高嶺様と一緒にいたい。高嶺様と一緒なら乗り越えられると思うから)
明香も遠からず、白珠や高嶺と同じような内容の公務を行うことになる。今はまだ簡単かつ安全なものしか割り振られていないが、いずれは。
その覚悟は自然と身に付いていた。
ありがとうございました。




