41.名前で呼んで
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本話で散歩は一区切りです。
(花梨様、今どうしておられるんだろう)
今までも心の片隅で気にはしていたが、じっくりと考える余裕がなかった。
「太子殿下、お話が変わってしまうのですが――花梨様……西の御子の件はお聞きしてもよろしいでしょうか? どのようになるのか気になりまして」
花梨の犯した罪は大きく重い。神器の窃盗と濫用、天威師の僭称、日神の御名の利用、臣民への無体。さらには自らの軽率な言動により神々の怒りを買い、危うく全柱荒神化・皇国壊滅の危機という事態まで引き起こしかけた。
(法典とか今までの判例に照らせば、多分命をもって贖う、ってことになるよね……)
神が怒りを鎮めてくれても、花梨の罪自体が消えるわけではないのだから。明香の瞳から悲壮な気配を感じたか、高嶺が苦笑する。
「法に則れば当然極刑だ。だが、こたびは神々も巻き込んだ特殊な事例であるゆえ、特別措置としてあえて命を奪うことはしない方向で考えている」
「え?」
「すぐに処刑して楽にしてやっては、神罰牢行きを持ち出すほどお怒りになっていた神々は仕置きが足りないと思われ、西の御子の魂を地獄に落とすだろう。良くて下層の地獄、悪ければ当初の予定通り神罰牢だ」
(あ、そういう考え方もできるのか……)
「ゆえに、西の御子は厳しい環境で生かしておく。人界で罰を与えられ、それにより既に十分償ったということになれば、神々の心象も上向きになろう。死後さらに地獄に落とされる可能性は低くなり、すぐの転生が叶うはずだ。仮に地獄行きになってしまったとしても、生前に一定の責めは負っているということで、上層の地獄で済むだろう」
人界での刑は、長くとも寿命が来るまでの期間で終わる。それでは足りずに地獄行きになったとしても、上層であれば比較的軽い責めで、短期間で出られる。だが、下層の重い地獄行きになれば責め苦の内容は格段に苛烈になり、出られるまでの期間も遥かに長くなる。神罰牢になれば苦痛も入獄期間もさらに長大になってしまうだろう。
長い目で見れば、人界で真面目に無期刑を勤め上げた方が遥かにましなのだ。
「むろん、民にも広く周知する。本来は人界にて極刑を受けた後、神罰牢に落とされるはずであったが、神々のお慈悲により今回だけは私たちに処遇をお任せいただけた。ゆえに、神の代わりに罰を与えるため、あえて生かしておくのだと」
それにより、今後模倣犯や気の緩みなどが出ないよう手綱を締めるのだという。何だ死罪にならないのか、と足元を見られないように。
明香は息を吸い込んで、高嶺の漆黒の双眸を覗き込んだ。
「私もできることはやります。まだまだ未熟ですし、迷ったり甘いことを言ったり色々してしまうかもしれませんが、でも、殿下と一緒に頑張りますから」
一息に言い切ると、ぱちぱちと瞬きした高嶺はふと微笑んだ。
「……ありがとう。西の御子については、そなたにも随時報告や相談をする。共に悩み、考えて行こう」
「はい」
「――そうだ、話題を変えるが明日は茶会だな。黈日太子殿下と紺月太子殿下も心待ちにしておられる」
続けて言った声音が若干明るいものに変わる。兄上ではなく太子という地位で呼ぶのは、ここが外だからだろう。
「帝国の太子方にはまだお会いしたことがないのですが、蒼月皇陛下や太子殿下と同じくお美しい方々なのでしょうね」
明香もその言葉に便乗し、自然と話を切り替える。帝国の太子の美貌は評判だ。噂を鵜呑みにするつもりはないが、忖度をしない泰斗でさえ手放しでその容姿を認めていたので、本当に美しいのだろう。高嶺も自慢気に頷いた。
「外見的には、黈日太子殿下は橙日帝陛下に、紺月太子殿下は帝国の先帝陛下に似ておられる」
「先帝陛下というと……皓暗帝陛下ですか。太子殿下のお祖父様ですよね」
「ああ。私が幼い頃に昇天されたが、可愛がっていただいた。孫たち全員を大切にして下さる優しいお方でな、珠歩兄上も殊の外懐いておられた」
「しゅほ?」
初めて出た名に明香が聞き返すと、高嶺は若干慌てたように目だけで周囲を見回した。
「しまった、名前で呼んでしまった。今のは聞かなかったことにしてくれ。外で家族を名で呼ぶと蒼月皇陛下に注意される。……よし、言い直そう。皇家の北の御子は、帝国の先帝陛下を非常に慕っておられた」
蒼月皇陛下に聴かれたかな、と、いたずらが見つかった子どものような顔で呟いている高嶺に、明香はふふっと笑いそうになる。
(殿下ったらこんな顔もなさるんだ。北の御子様のお名前も分かっちゃった。へえ、しゅほっていうのかー)
もう少し聞いてみたいが、今は北の御子については引きずらない方がいいだろう。そう考え、無難な返答をする。
「先帝陛下――皓暗帝陛下は愛情深い方だったのですね」
帝国の先代皇帝は、輝くばかりの皓の気を持ち、闇神に愛され、闇神に準じる暗神の神格を持つ天威師であった。
だが、皇家と帝家の秘伝や真実を知った今では、本当に寵を受けていたのは至高神全員からだったのだと分かる。先祖返りを起こした真帝族は、全ての至高神から深く愛されるのだから。
(ご逝去の際に先祖返りが完了されて、今は完全な至高神に――闇神様になられてるはずだけど。光を反射して輝く白雪みたいな気をお持ちだったはず)
思いを巡らせながら、ちらりと高嶺を見る。
(白って言えば……原初の闇神様の気は漆黒なんだよね。髪も目も衣装も黒一色だけど、たまに雪のように真っ白なお姿で顕れることもあるって伝記に書いてあった)
黒と白は対極にある色のはずだが、神もたまには気分転換でもしたくなるのだろうか。だが、明香の胸の内を知らない高嶺は、先帝の話を続ける。
「蒼月皇陛下も先帝陛下とは大変仲睦まじくなさっていらした。実の父娘のように仲が良くてな、蒼月皇陛下は先帝陛下の宝玉であった」
「そういえばそんな話を聞いたことがあります」
白珠の母にして先皇・黒曜は先帝の双子の妹なので、血縁的には先帝と白珠は伯父と姪の関係になる。さらに、舅と嫁という面では義父と義娘でもある。
また、先帝と先皇は諸事情により共に正室を置かなかった。しかし皇帝に正室がいないことは好ましくないため、やむを得ず互いを正室待遇としていた。
「先帝陛下も先皇陛下も、互いの子は自分の子として育てると決めていらしたんですよね。だから先帝陛下は蒼月皇陛下とそのご弟妹の養父となられて、先皇陛下も橙日帝陛下とご弟妹の養母となられた……」
結果的に、先帝を父、先皇を母とし、橙日帝と白珠とその弟妹たちが子女かつ兄弟姉妹となる家族関係にあったという。その意味では、橙日帝と白珠は義理の兄妹でもある。
「ああ。先帝陛下はもちろん、帝家の方々は皆優しい。むろん太子殿下方もだ。茶会では気楽に話せばいい」
「でも私、空気が読めないところがあるので、うっかり失言してしまわないか心配で……」
真帝族は人間にも人界にも帝位にも興味はないのだという。真皇族を愛し尊重するという一心のみで帝国を統べ、神々を抑えているに過ぎない。
(真帝族は、本当は真皇族を引きずってでも祖である至高神様の元に還りたがってるんだよね。至高神様方も同族をこよなく愛しておられるから、私たちの帰りを待ちわびてる)
至高神たちはもろ手を挙げて己が末裔たちの帰還を歓迎する。真帝族が人界を見限って途中で還って来ようとも、真皇族が志半ばで地上を去ることになろうとも、優しく迎え入れてくれるという。緋日神ですらその例に漏れないらしい。
至高神は同族しか愛さない。地上と人を慈しむ緋日神の心情は、いわば愛玩動物に感じる愛着に近く、親子兄弟などの身内に抱く親愛とは決定的に違うのだ。
「案じずとも、帝国の太子殿下方は家族には寛大だ。少々の失言など笑って流して下さる」
己の兄への尊敬と思慕を乗せた表情で言ってから、高嶺は気遣わし気に眉を下げる。
「少し散策するだけのつもりだったが、長くなってしまったな。疲れも溜まっているようだし、今日の講義は休みにしよう。明日の茶会は大丈夫か? 体調が優れなければ日程をずらしていただくが――」
「い、いえ大丈夫です! 明日が楽しみです」
(前日に延期の連絡なんて失礼すぎるよ!)
慌てて頷いた明香に、高嶺は軽く首を傾げる。
「そうか? ならばいいが――無理はしないように」
「はい。明日は帝国からお迎えが来て下さるのですよね。みっともないところを見せないように頑張らないと。私はしっかりしないといけないから」
自分に言い聞かせるように、明香は繰り返した。茶会は皇宮内にある帝国の分庁で行われる。太子たちは御威を使って帝国本国から転移して来るそうだ。
(お茶会の前にテアお姉様とミアお姉様が分庁を案内して下さるんだよね)
分庁を訪れることが初めての明香のために、帝国式の建造物や庭などを見学させてくれるらしい。
「深刻に考える必要はない。身内の集まりだ。明日に備え、この後はゆっくり休め」
「はい」
(殿下の講義がなくなったってことは……夕方まで時間が空いたんだ。安心成分も補充できたし、久しぶりの自由時間が取れるかも)
降ってわいた幸運に、明香は笑顔で頷いた。
「……それから」
高嶺が一瞬口ごもってから続ける。
「明日の茶会は内輪の会であるゆえ、互いに名前で呼び合うことになると思う」
(あ、確かに……家族としての集まりだって聞いたし)
「そうですね。帝国の太子殿下方をお名前でお呼びするのは畏れ多いですけど……お許しがいただければそれでもよろしいかと」
若干緊張しつつも同意した明香に、高嶺はやや早口で言った。
「その時は、私のことも名前で呼んでほしい。……いや、茶会だけでなく――できれば今後は、私的な場ではずっとそうしてほしいのだが」
「名前でお呼びするのでしょうか」
言いたいことを察した途端、心臓が小さな鼓動を上げる。
「ああ」
「分かりました……私のことも、名前で呼んでいただけますか?」
「もちろん」
高嶺が身をかがめ、明香の耳元に唇を寄せると、そっと囁く。
「明香」
優しい声で呼びかけられ、甘い感情と共に胸がときめいた。正確には今は私的な時間ではなく、ここは外なので、こうしてこっそり囁いたのだ。明香も少し背伸びをして高嶺に顔を寄せ、口を開いた。小さな照れくささと少しのくすぐったさと共に、愛する者の名を舌に乗せる。
「はい、高嶺様」
高嶺が嬉しそうに笑う。明香と高嶺は、そのまま顔を見合わせて微笑み合っていた。
ありがとうございました。




