37.割り切れない
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ティルがうーんと伸びをしながら話題を戻した。
「……まぁそんなわけで、天威師は元々自分の中に神格を持っている。極端に言えば、俺は至高神様方の加護と愛が無くなっても、何の影響も不都合もなく紺月神のまま――つまり至高神のままでいられる」
天威師は先祖返りを起こして至高神として生まれた存在であり、至高神全員からの寵愛と護りを受ける。ただし、地上にいる間は、己の神格に対応する至高神の加護を前面に押し出している。
その中でも強靭な器を持ち、完全な先祖返りを起こして生まれた稀有な存在が全き天威師だ。
「通常の天威師の場合は、神に還った時に先祖返りが完全なものになって、神格も本来の至高神のものに昇華される」
通常の天威師は不完全な先祖返りの状態で生まれるため、人間でいる間の神格は本来のものではなく一段下がる仮の神格に抑えられている。そして神に還る時、先祖返りが完全となり、本来の神格が解放されて真の神威が顕現する。陽神の神格は日神に、朏神の神格は月神に、暗神の神格は闇神に昇華され、正真正銘の至高神となるのだ。
「でも、擬帝族と擬皇族は違います。彼らはただの霊威師か聖威師。神に愛想を尽かされて矢寵すれば、御威も神格も失う」
神ではなくただの人間として生まれた皇家と帝家の者が、強い霊威を有して霊威師になったり、至高神以外の神に愛されて聖威師になることもある。彼らのことを擬皇族あるいは擬帝族と呼ぶ。彼らは血筋の上では緋日皇と翠月帝の子孫であっても、神々の基準では至高神の末裔とは見なされない。
白珠は宥めるようにティルに語りかける。
「だが、天威師とて地上にいる間は人間として生きている。そのことは忘れないようにしなさい。自身を過信せず、秩序と理を尊重し、常に謙虚さを持たなくては」
ティルは帝国初代皇帝・翠月帝と同じく月神の神格を得ている面でも注目されている。いわば帝国における太祖の再来だ。だが、幼い頃からの教育と本人の資質により、花梨のように有頂天になることも調子に乗ることもなかった。
真摯な白珠の言葉に、ティルはくくっと肩を揺らした。
「あのですね、もう何度も申し上げてますけど、帝家は皇家みたいに慎ましくないんです。己が持つもの得たもの有するもの、全て使って一つでも上の序列にのし上がる。それが帝国の性なんですよ」
これはティルが傲慢なのではなく、帝国では当たり前の考え方だ。
――とはいえ、帝国民とて優しさや愛情はきちんと持っており、相手が皇国民であれば比較的柔らかな態度で話し合いによる解決をしようとする。そのため、両国の者が共生しても上手くやっていけることが多い。
「ティル、行儀が悪い。下りなさい」
卓に座ったまま話す我が子に白珠が苦言を呈すると、ティルは柔らかな眼差しをきゅっと細めてにっこり笑った。
「ねぇ母上、俺は家族が大大大好きなんですよ。帝国でも過激な奴は、自分の上にいる者や反抗する者は身内だろうが女子ども老人だろうが関係なく叩き潰そうとしますけど、俺はそうじゃない。だから――俺の行動につど文句を言われる母上を笑って受け入れてるでしょ?」
天に浮かぶ月と同じ形になった双眸が、ひたと白珠を見据える。
「今日ここでのやり取りで、あなたは何回俺に意見しましたか? はい以外の発言を、何度仰いましたか? そんなこと、本来ならたった一回行うだけでも許し難い。あなたが俺の母でなかったら今頃どのように料理してやっているかなぁ」
「ティル」
静観していたラウが、白珠を背に庇う形でするりと割り込んだ。
「今の発言は脅迫とも取れる。母上への無礼は許さぬ」
涼やかな眼差しで弟を射抜くと、体を反転させて白珠に相対し、胸に手を当てて優雅な所作で礼をした。
「母上、申し訳ございません。どうか御身の慈悲深さに免じて、ティルの愚言をお許し下さい。後で私からしかと言い聞かせますゆえ」
ティルが唇を尖らせて反論する。
「ちょっとちょっと兄上、話は最後まで聞いてよ。俺は今の後こう続けようとしてたんだよ。でも母上だから、片手の指どころか両手の指で足りないくらいの回数小言を仰っても笑って流しますよ、って。ね、全然脅しじゃないじゃん?」
だが、ラウは顔色一つ変えずに弟を一蹴した。
「知ったことか。どのような言い方をしようとも己が母に対する物言いではない。口に出した時点で失敬だ。親に対する礼儀を弁えろ、愚弟」
「お堅いねぇ。城で権謀術数合戦やってるんじゃないんだよ。家族間での軽口や冗談が分からないなんて、とんだ堅物兄貴だなぁ。実は全身鉄でできてるんじゃない?」
ラウが瞳に剣呑な輝きを閃かせてティルに向き直る。
「鉄の拳に殴り飛ばされてみるか?」
ティルも双眸を鋭く光らせ、面白そうに唇の両端を吊り上げながら卓から降りた。
「お、やるの? いいねいいね! 遊ぼうよ――黈日神となら楽しい遊戯ができる」
「やめなさい」
白珠は溜め息を吐きながら割って入ろうとした。傍目から見れば一触即発状態だが、実のところ息子たちは全く本気ではない。何故なら瞳が真っ青なままで、僅かな赤みすらも帯びていないからだ。
だが、天威師にとっては小さな戯れでも、城内にいる他の者たちにとってはそうではない。息子たちの間に割り込もうとした瞬間、視界が歪んだ。強い目眩と脱力感が全身を侵食し、足元からふらついて体勢を崩す。
「母上!」
瞬時に睨み合いを止めたラウとティルが、素早く身を翻して支えてくれる。
「母上、どこかお加減が?」
「具合が悪いんですかぁ?」
息子たちの声を聞きながら、白珠はぼんやりと考えた。
(体の感覚が鈍くなっている――このままでは動けなくなってしまう)
天蜜を摂取したのは数日前であり、不調が出るにはまだ早い。だが、心身を激しく損耗するような状態に陥った場合は、通常の量と頻度で蜜を摂取するだけでは間に合わなくなる。
(四大高位神様方の神罰を受けたことで、精神的にも身体的にも著しく消耗してしまったから……)
「どうぞこちらに」
ラウが室内にある長椅子に白珠を座らせた。
「あの娘の件もございます。お疲れが溜まっていらっしゃるのでしょう」
「そうそう、あの馬鹿娘どうしてます?」
毛布を持って来て白珠におおい掛けながら、ティルがふんわりと微笑んだ。いきなり重要な話題に切り込まれ、白珠は物憂げに俯く。
「……西の御子は処遇が正式に決まるまで静殿に幽閉している」
「静殿? って貴人を収監する上等な牢獄でしたよね。馬鹿娘にはもったいないなぁ」
「西の御子とて皇家に生まれた身分だ。……かなり苦しんでいるな、蜜が相当不足している」
皇宮の内部に意識を傾けると、貴人用の獄に繋がれた花梨が天蜜不足で苦悶している姿がくっきりと脳裏に浮かぶ。
「西の御子への今後の天蜜はどうするか聞いても良いだろうか」
白珠は天蜜が不足した際の苦しみを自らの身で体験している。紅涙を絞り喉が裂けんばかりに絶叫しても、僅かの気晴らしにすらならない――あらゆる希望が全てこそげ取られたように凄惨な辛苦だった。
ゆえに、花梨の状況をどうしても割り切れない。お前の行いの結果だと、一片の情も無く切り捨てるのは胸が痛んだ。固唾を飲んでラウとティルの言葉を待っていると、当の二人は思案気に顔を見合わせた。
「規定分の蜜はお送りしているはず。しかるに足りないということは、あの娘は今、精神的に不安定なのでしょうか」
「ああ。皇家の者は心や体が追い詰められれば、常より遥かに多くの頻度と量で天蜜が必要になる。今の西の御子はおそらく、通常の十倍の回数と量を摂取しなくては保たない」
「……十倍……」
棒読みで復唱するラウの横で、ティルが腹を抱えて笑い出した。
「じゅ、じゅーばい!? ははは、どんだけ動揺してるんですかあの馬鹿娘。十倍って大喰らいすぎでしょ。あっはっは!」
日頃からよく笑う三男は、今も何かが心の琴線に触れたのか、けらけらと笑い声を上げている。目尻に涙を浮かべている弟を呆れ顔で見ながら、ラウが礼儀正しく続ける。
「外的な要因もあるのでしょう。あの邪気の……しかし、本人の意思で踏み止まることはできたはず。実際に心を強く持ち流されなかった者を、私たちは知っているではありませんか。それができなかったのはあの娘の自業自得でございます」
それはそうだと、白珠は素直に頷いた。
(やはり怒りは深いのですね)
「あの娘に対して、我等は情も思い入れも全くございません。母上におかれましては、我等の胸中をどうかご理解賜りたく、お願い申し上げます」
「兄上の言う通りですよ〜。天蜜が足りなくなっただけなら、すんっっっごく苦しくなるだけで死ぬわけじゃないんですから。完全に渇き切ったら死んじゃうから、そこまでいかないように注意してさ。後は自害しないようにと、気が狂わないようにだけしとけばいいじゃないですか」
いっそ無邪気にすら思える表情で、ティルがあっけらかんと言う。大方予想通りであった返答に、白珠は項垂れた。凄まじい渇きで目の前が真っ暗になる。真皇族の渇きは、真帝族が創り出す高濃度かつ高純度の天蜜でなければ癒せない。気配を消して室内の枠に停まっていた褐色の鳥が、ピィと一言鳴いた。
「――母上?」
「もしかして天蜜が足りないんですかぁ?」
ラウとティルの様相が一変する。二人して白珠に手をかざすと、気体として創生された天蜜が注ぎ込まれた。途端に、全身に歓喜と活力が満ち溢れた。貪るように天蜜を取り込む白珠の唇から、弱々しい吐息が漏れる。
「もしや、ずっと我慢なさっておられたのですか。何とお労しい」
「馬鹿娘の身代わりで四大高位神様の神威を受けたんでしょう、だから消耗したんですよ。言って下さればよかったのに。遠慮して溜め込むのは母上の悪い癖ですよ」
口々に優しい言葉がかけられる。干からびていた体があっさり満たされていく安堵に、堪え切れずぽろりと言葉が零れ落ちた。
「もっと……」
「承知いたしました」
「母上にならいくらでも~」
快く了解した息子たちが、さらに蜜を注いでくれる。胸の奥が罪悪感で軋んだ。自分が溢れんばかりの天蜜を与えられている間に、その恩恵から切り捨てられた花梨は苦しんでいる。やがて白珠が満たされると、息子二人は手を下ろした。
「……あ、父上の気配が近付いて来る。謁見やっと終わったみたいですねぇ」
「母上、父上がお越しになられました」
ティルとラウが入り口の方を見た。出迎えるつもりなのだろう、我先に扉に歩み寄る。褐色の鳥が翼をはためかせて舞い上がった。
(私もお迎えを)
軽くなった体を起こして長椅子から降り、白珠は先を行く息子たちの背を見つめた。圧倒的な強者である我が子たちの頭からは、もはや花梨のことなど綺麗さっぱり消え果ててしまっただろうと、そう思いながら。
ありがとうございました。
次話から主人公視点に戻ります。




