36.息子たちとの語らい
ご覧いただきありがとうございます。
新たな皇宮と帝城は、国境線上に作られた扉で繋がっている。先を歩くラウに続いて皇宮の中にある一枚の扉をくぐれば、その向こうは既に帝城――帝国だ。
内装や装飾の趣ががらりと変わる。行き交う人々は大体が金髪碧眼であり、白珠たちを認めると即座に壁際に寄って帝国式の礼を取った。
開放的で伸びやかな皇宮と違い、帝城は重厚な砦のような造りになっている。入り組んだ廊下をしばらく進むと、やがて一つの部屋に通される。
「どうぞお入り下さい」
促され、重い足を踏み入れた室内には大きな居間が広がっていた。褐色の鳥がふわりと肩から飛び立つ。
「橙日帝……父上はもうすぐいらっしゃいますから、少し待っていただけますかぁ?」
「分かった」
ティルの言葉に頷いた白珠は、窓の外を眺める。この部屋からも月が見えた。覆い隠すように白雪がちらちらと待っている。ラウとティルも横に並んで共に空を見上げる。ややあって、ラウが呟いた。
「今夜は月が美しゅうございますね。まるであなた様の如き優美さですよ――母上」
白珠は何も返さずに目を細める。この二人の青年……ラウとティルは、白珠の実子だ。金髪碧眼の容姿をしていたことから帝家の者として父帝に引き取られた。共に全き天威師であり、親の贔屓目を除いても外見・中身共に非常に優秀な子どもたちだ。
「ラウ、世辞など要らぬ。今宵の月など今にも消えそうに細いではないか」
人の目があるところでは、親子兄弟であっても互いを陛下や太子と呼ぶ。それ白珠たちの間での取り決めとなっている。だが、部外者の耳目が届かぬ室内では家族内での呼称に戻す。
「その儚さこそ趣があって良いと思いますが。ああ、けれど少し雲がかかれば、簡単に隠れてしまいそうだ。ティルが母上と共に月見ができればと言っておりましたが、もう少し大きくなってからの方が良いでしょう」
するとティルが軽く首を傾げる。
「嫌だよ、俺は今夜月見がしたい気分なの。満月を出しちゃえばいいじゃん?」
白珠は即座に己の三男を止めた。
「ならぬ。月の満ち欠けは世界を形成する法則の一部。この世の秩序を私心で操作するなどならぬ」
言われたティルは数回瞬きし、朗らかに笑う。
「あっはっは! 母上は相変わらず真面目ですねえ。でも俺は天威師です。至高神の一角たる紺月神ですよ。秩序や因果律なんて簡単に凌駕する」
吸い込まれるように深い海色の碧眼が、ぎらりと煌めいた。
「俺たちは至高神様方の末裔なんだから。ほら、例えば擬帝族と擬皇族と比べたって、根本から違うんですよ。ねぇ、兄上」
同意を求められ、ラウが億劫そうに流し目をくれた。整った唇を開いて続きを告げる。
「ああ。真帝族と真皇族は、擬帝族と擬皇族とは全く異なる存在だ」
聖威師はいずれかの神に愛されることで神格を賜る。だが、天威師――真皇族と真帝族は違う。
「真帝族と真皇族は、与えられずとも最初から神位を己の最奥に持っている。至高神と同じ無上の神格を。……何故ならば、真帝族と真皇族は至高神の末裔であるから。至高の神は我らが祖神」
日神と月神であった初代皇帝たちの子孫という意味では、皇家と帝家の血を引く者は全員が至高神の末裔だ。しかしラウとティルが言う『末裔』とは、そういう意味ではない。
ティルが歌うような口調で言う。
「――太古の昔、人と神が分かたれてから遥かな歳月が流れた頃。西と東の天界で至高神様同士が番われ、それぞれの末裔となる二柱の神が顕現された。西の天界では男神様が、東の天界では女神様が。二神は東西の狭間で出会い、恋に落ち、双子の兄妹神を授かった。その兄妹神は東西全ての至高神様方の末裔であり愛し子であり、翠月神と緋日神の神格をお持ちの至高神様であられた」
すらすらと紡がれるのは、太古に遡る皇家と帝家の起源だ。
――神代の時代、神と人は地上で共存していた。
人は神の支配下に入る代わりにその庇護を得ていたが、ある時、神の指示や助言無く自分たちの力で世界を作って行きたいと望むようになった。
神はその意思を尊重して天界に昇り、以後は人の世となった地上への介入を最小限に留めることとした。
「緋日神様と翠月神様がお生まれになられた時、地上では戦が連続し、心身共に荒廃した人々は遠い存在となった神への尊敬を忘れかけていた。ゆえに天の神々は怒り、人間を見限り――世界ごと滅ぼすことにされた」
実のところ、神々はとうに人間にも世界にも愛想を尽かしているのだ。至高神は達観しているが、四大高位神以下の神々は既に地上を見限りかけている。
「その決定に御心を痛められた緋日神様は、何とか人類を助けたいと思われた。そこで神格を抑えて地上に降り、世界を平定して、人間の神への信仰を復活させることにされた」
人が神への畏敬の心を取り戻せば、神の怒りも和らぐであろうという判断からだ。
「けれど、神は人間の営みに干渉しないことになっていたゆえ――神ではなく人間として人の世を統べることにされた。神格を己の奥深くに抑え込んだ緋日神様は東の地に降り立ち、世界の東半分を統一して神を崇拝する皇国を作り、初代皇帝となられた」
――その皇国こそが神千国である。
世界が危ぶまれる状況の中、至高神たちは事態を静観する方針だったため、人に同情した緋日神は例外中の例外であった。
「緋日皇陛下は至高神であらせられる。神格を抑えていてもそれは変わらない。そして、そのような尊き御方が庇護する国を滅ぼすことはできない。ゆえに神々は、人間を滅亡させることを取り止めるしかない」
そこまで言ったティルは、すぐに続きを紡ぐ。
「でも、それで助けられるのは東だけですからね。東西を共に統べることはできない。西と東は分かれていないといけない――遥か遠き昔に、原初の至高神様方がそう決めたから」
何よりも大きな力を持つ至高神たちは、気性が大変に激しく怒りやすい面を持っている。その怒りは世界どころか次元の全てを消し飛ばすほどだ。しかも一柱の至高神が怒った際に、同じ神格を持ち同じ世界を司るもう一柱の至高神がいた場合、共鳴して共に怒り出してしまうという特性を有していた。
ゆえに世界を東西に分け、同一の神格を持つ神が同じ世界を管轄しないよう分担することにした。一柱が怒ってももう一柱が冷静ならば、少なくとも怒りが倍になることはないからだ。
(神にも個性や個体差があり、同じものを司る神でも緋日神、橙日神、紅日神など微妙に神格が異なる。唯一、原初の至高神と最高神は同一の神格を持つ神が二柱ずつおり、だからこそ東西に分かれたのです)
それは神々なりの配慮だったのだろう。
(ゆえに緋日神様は、東西の世界どちらもご自分が統一するわけにはいかなかった)
東と西で別々に国を建てたとしても、その設立も統治も運営も同じ者が行うのであれば、神々からすれば実質的に東西の――世界の統合と見なされかねない。不要な危険を避けるためにも、西は西で統べてくれる者が別に必要だった。
結果、緋日神が頼ったのは兄の翠月神であった。
「そこで緋日神様の兄神であられた翠月神様も、妹に懇願されて渋々ながら共に地上に降り、大陸の西半分を制覇して神を敬うミレニアム帝国を作り、初代皇帝になった。そうしたら神々は西にも手を出せなくなって、世界は助かった。でも、ほんとは今もまだ人間に怒ってますからねぇ、神々は」
だからこそ、何かにつけて神罰を落とそうとするのだ。薄笑いで述べる三男に、白珠は首を横に振って反論した。
「いいや、完全に見捨て切ってはおられないはずだ。世界には今もまだ、皇家と帝家以外にも霊威師と聖威師が生まれている。神々が本当に人間を見限り尽くしたならば、ただ人の中には徴を発現する者は誕生しなくなるはず」
「うん、それはそうですね」
ティルはあっさりと認めた。
「神は神なりにこの世界と人間を愛している。慈悲も情もあるんでしょう」
干渉は最小限と言いつつ、何だかんだで人間へ助力したり神託を下ろしたりなどもしているため、愛着が根こそぎ消えたというわけではないのだろう。
「帝国と皇国ができて三千年になろうとしています。神々への信仰が復活してから幾千夜の星が巡り、天の怒りも随分と薄まった。このままさらに遼遠の年月を重ねて行けば、いつか再び、人を想う神の愛情が怒りを上回る日が訪れるかもしれません」
なお、神の怒りを解くことは、人間自身が己の言動を用いてやり遂げなければならないと定められている。従って、皇家と帝家は積極的に動けない。神々に人類を許すよう働きかけたり、神の怒りによる世界危機という真相を公開したり、神々の許しが得られやすいよう人間たちを誘導したりすることは禁止されている。
許されているのは、あくまで対症療法や応急処置を行うことと、神を敬うという基本的な理念を維持することだけである。
「けれど今の段階では、まだまだ怒りの方が強い。真帝族と真皇族の面目を潰さないために自粛しているだけですから、俺たちがいなくなれば即座に人間を滅ぼすでしょう」
酷薄な笑みで続けるティルの言葉は間違っていない。その証拠に、神々は何かと理由を付けて神罰や天誅を落とそうとするのだ。
「だからこそ、人類と世界を存続させたいならば、翠月帝陛下と緋日皇陛下の血を継ぐ天威師が皇帝位を継承していかなければならない。神の怒りが消えるその日までは」
初代皇帝たちが、両国に組み込まなかった国もほぼ必ずどちらかの属国としたのはこのためだ。完全に独立した国であれば天威師の威光が及ばないため、神々はたちまちそこに住む人間たちを滅ぼすだろう。
ありがとうございました。




