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35.蒼き皇帝の憂鬱

ご覧いただきありがとうございます。

皇帝視点で暗めの内容です。

 


 ◆ ◆ ◆



(……今宵は繊月(さいげつ)ですか)


 部屋の窓から夜空を見上げ、針のように細い二日月を瞳に映す。窓越しに見える月は、まるで血濡れた細剣の切っ先のようだ。


『ピィ、ピィ』


 心配気に肩の周りを飛び回る褐色の鳥に、弱く微笑みかけて言う。


「大丈夫です。それより、白湯を持って来ていただけますか?」


 本当に欲しいのは白湯ではないが、口には出さない。


『ピッ!』


 鳥はパサパサと翼をはためかせて部屋を出て行った。


「――蒼月皇陛下、帝家の太子様方がお見えになられるとの先触れが届きました」


 入れ替わりに部屋の外から掛けられた声に、蒼月皇(そうげつこう)白珠(はくじゅ)は無表情で入り口に視線を向けた。

 ここは国境近くに新設された新たな皇宮だ。既に、従来の皇宮よりもこちらで政務をこなす方が多い。


「承知した。到着されたらこちらに通せ」


 簡潔に告げると、かしこまりましたという返事が届く。


(帝家……皇家に命令できる唯一の家)


 白珠の形良い唇が歪む。書棚から取って来た書物を卓に置いて俯くと、横髪がはらりと流れ落ちた。


(皆は知らない。深く秘されている事実……帝家が皇家を縛る力を持つことを)


 皇家の者の声や眼差し、心が帝家を魅了するように、帝家は皇家を支配する力を有している。帝家の者の言葉や視線、意思に、皇家は逆らえない。


(帝家がその気になれば、皇家は一方的にされるがままとなる。初代陛下の頃からずっとそうなのです)


 この支配は、初代皇帝の時代から三千年もの間続いているものだ。真皇族の場合、擬帝族あるいは帝家の庶子の支配は撥ね付けられる。しかし、相手が真帝族であったならば、抵抗する術はない。


(完全に逃れるには神になるしかない。けれど神に戻れば、もう地上にはいられない。本末転倒です。……帝家の力で支配された皇家の者は、まな板の上の魚。どれだけ虐げられても、無体を働かれても、手も足も出ない)


 不意に、優越と情欲に満ちた醜い声が脳裏に蘇る。


『お前を俺の宝玉にしてやろう』

『この栄誉を有り難く思え』


「う……」


 白珠は口元を手で覆った。

 閉ざされた記憶の汚泥(おでい)から、腐臭に満ちた苦い思い出が浮上した。



 ◆ ◆ ◆



 ――炯々と輝く赤い瞳が、捕らえた獲物を嬲る獣のような淫虐さを放ってこちらを見据えている。

 両手は後ろに回し指の一本も動かすな、と命じられれば、自身の手指はその通りに動いた。舌を噛むなとも命じられたため、自害もできない。

 白珠の瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。少しでも不興を買えば容赦なく殴打されたため、体は全身傷だらけで腫れている。小さく震えながら泣き崩れる姿を眺め、低い笑い声が響く。


『細く愛らしい身体だ』

『俺好みに躾けねば』

『じっくりと育てて行くとしよう』


 下卑た手が衣の中に入り込み、おぞましい動きで体を弄る。


 ――どうかおやめ下さい。

 ――お願いです、許して下さい。


 落涙しながらの哀訴とそこから発される魅了の力は、彼に流れる帝家の血を煽り、逆に嗜虐的な欲情を掻き立ててしまった。正気をどこかに置き去ってきたような赤眼が、恍惚を帯びてとろける。


『ああ、何と心地の良い』

『いいぞ、もっと(さえず)れ。懇願しろ』

『今後は俺に服従するんだ』


 無遠慮な指が這い回るたび、白珠の喉から悲痛な絶叫が迸る。


 ――いやああぁぁぁ!!


 身を裂かれるような切なさを帯びた悲鳴すら、彼にとっては頻伽(びんが)の歌だった。欲を滴らせる赤い眼が三日月の形に歪む。


『お前には今から、俺の子種を与えてやろう。たっぷりとな。せいぜい俺を悦ばせ、出来の良い有能な子を一匹でも多く産むが良い』


 寝台にうつ伏せに捩じ伏せられ、衣服を剥ぎ取られた。今から自分の身に起こるであろうことが察せられ、絶望で視界が黒く染まる。

 帝家の支配という圧倒的な暴威の前に、誇りも矜持も叩き折られて嗚咽を漏らす白珠に、赤眼の悪魔は得意げな顔で勝利宣言を告げた。


『皇家は帝家の所有物。お前はこれから、ただ俺の奴隷としてのみ生きるのだ。一生な』



 ◆ ◆ ◆



 ガタリと音を立て、白珠は椅子から転がり落ちた。卓の上にあった書物を巻き込みながら床に倒れ込む。目まぐるしく回る醜悪な記憶に、胃の奥から不快感が込み上げる。


(気持ちが悪い……)


 体の奥からせり上がる感情に、ぎりりと拳を握り締めた。これは渇きだ。体が渇いている。どうしても欲しているものがある。


(皇家の体とは……何とままならぬものか)


 およそ三千年にも渡って皇家を捕らえる支配。だが、同じくらいに厄介なものがもう一つある。そのことに意識が向いた瞬間、全身の気怠さがずっしりと増した。


(別のことを考えなくては。何か別の)


 深呼吸して気を鎮めていると、記憶の(あわ)いから光が射した。


『我が最愛の宝玉。私の全てを賭してあなたをお護りする』


 ごく薄い金髪をなびかせ、優しい声で告げる穏やかな面差しが浮かんだ。春の陽気を浴びた湖水のように淡い碧眼が、涼やかな光を放ってこちらを見ている。


『我が姫』


 包み込むように紡がれた囁きを思い返しながら、白珠は胸の中で甘やかに彼の名を呼んだ。


(――ヴェル様。私の唯一の夫)


 帝家の者は、己が心から大切に想う者を宝玉(ほうぎょく)と呼称する。かけがえの無い至宝と認識する存在にしか使わない、特別な呼び方だ。決して、愛玩奴隷を虐げるために使われるものではない。


『お前を俺の宝玉にしてやろう』


「……っ」


 再び這い上がって来た汚辱の残像を懸命に振り払う。起き上がる気力もなく床に蹲っていると、パタパタと羽を揺らしながら褐色の鳥が戻って来た。背に白湯の入った器を乗せている。


『ピ? ……ピ、ピーッ!?』


 そして倒れている白珠を見付けると目を見開き、高速で飛んで来た。はずみで器が落下し、飛沫を散らしながら粉々に割れる。透明な滴が虚しく床に飛び散るのを眺め、白珠は思った。


(……違う、これではない)


 喉は渇いている。だが、それ以上に体が渇いていた。耐えがたいほどに。通常の水分では癒せない渇き。


(『蜜』が欲しい)


 はっきりと心の声に出して認めた――認めざるを得なかった。悔しさとやるせなさが激流のように心を支配する。

 蜜――正式名は天蜜(てんみつ)といい、帝家の者のみが生成することができるもので、気体や液体、固形物や粉末など様々な形で具現化される。そして皇家の者は、その天蜜を定期的に摂取しなければ動けなくなるのだ。


(初代陛下の頃よりずっと、皇家は帝家に生命線と補給線を握られ続けている)


 再度苦い記憶が蘇り、白珠は目を閉じた。脳裏で嗤笑(ししょう)を浮かべる赤い瞳。

 ――赤い悪魔はあの時、渇いた白珠に天蜜を与えてくれなかった。出した蜜をこれ見よがしに目の前でちらつかせ、動くなと命じ、苦しむ様を見て楽しんでいた。床に零した蜜を、這いつくばって舐めさせることすらした。

 心を引き裂くように痛む記憶を無理矢理に押しやり、ゆっくりと息を吐く。


(皇家は代々、ずっと帝家から天蜜を送り続けてもらって来た。そうしなければ動くこともままならない)


 明香の存在を知ってからは、すぐにその飲食物に天蜜を混ぜさせた。もう少し遅れていれば、明香は渇いて亡くなっていただろう。


 さらに言えば、ラウは明香がそろそろ天蜜を補給しなければならない、という時機を見計らって鶏を召喚し、天蜜入りの菓子を奪って挑発した。菓子を贈ったテアとミアも一枚噛んでいたことだ。

 生来の甘味好きと真っ直ぐな性情に加え、本能の部分で無意識に渇望していた蜜を寸前でかっさらわれ、目の前でこれ見よがしに咀嚼されたため、明香は目論見通りに凄まじく感情を昂ぶらせたのだ。それこそ徴を発現させるほどに。


 天蜜というのは、皇家にとってそれほどに必要不可欠なものであるのだ。


(本当は、天蜜が余れば備蓄したいのですが……)


 だが、天蜜は7日ほどで効果が薄れていき、10日も経てばただの水や粉になってしまう。


(帝家の慈悲に縋らねば、皇家は普通の生活すら営めない。――それが()()()()()()()()()()()であるがゆえに)


 蹲ったまま歯がゆさに震えていると、褐色の鳥が白珠の前に降り立った。


『どうした。何があった』


 そのくちばしから、流暢な皇国語が漏れる。


「……少し疲れてしまって、立ち眩みがしたのです」


 振り絞るように言った時、女官の声が響いた。


「帝国の太子殿下方がご到着されました」


はっとした白珠は力を振り絞って身を起こした。扉が開き、金髪碧眼の青年二人が女官たちを従えて入室して来る。ラウとティルだ。


 ラウは冴えやかな美貌に凛とした眼差しを持ち、僅かに波打つ長髪を背中で緩く結んでいた。麗らかな日だまりのごとき金髪がさらりとなびく。瞳は晴れ渡った空と同じ淡い碧色で、遥かな蒼天に透かした水晶のように煌めいている。


 ティルは癖っ毛のある短髪で、柔和な面差しに掴み所のないふんわりとした笑みを浮かべていた。髪色は月夜に輝く満月のように鮮やかな金髪だ。そして双眸は、透明度の高い澄んだ海の色。月明かりに照らされれば、底まで見えてしまいそうな透き通った碧だ。


 付き従って来た女官たちが一礼して退室すると、帝国の次期皇帝の座を約束された二人は、白珠の前で恭しく微笑んだ。滑らかな皇国語が発される。


「ご挨拶いたします――蒼月皇陛下」


 利き足を一歩分後方に引いて利き手のひらを胸に当て、軽く頭を下げる。帝国式の礼法だ。ラウとティルはそのまま流れるような動作で跪いた。


「……面を上げよ。立ちなさい、黈日(つにち)太子殿下、紺月(こんげつ)太子殿下」

「感謝いたします」


 二人がすっと立ち上がる。そして足を踏み出すと、白珠の艶やかな黒髪を一房すくって口づけた。


「これ零しちゃったんですかぁ?」


 身を離したティルが荘厳な気配を霧散させ、床に散らばった破片と白湯の成れの果てを見て首を傾げた。


「お怪我はありませんでしたか」


 ラウが気遣わし気に聞く。


「大丈夫だ」

「ならば良うございました。――さあ、帝城に参りましょう。橙日帝陛下は急な謁見が入ってしまわれましたので、先にあなた様を私室に通しておくよう言われております」


 白珠は黙って頷くと、ラウとティルと共に部屋を出る。褐色の鳥はパタパタと羽ばたきながら白珠の肩に乗った。


「陛下」

「橙日帝陛下のお招きを受けたゆえ、帝城に参る。戻るのは明日になる。何かあれば念話せよ」


 控えていた女官たちに簡潔に伝え、散らかしてしまった茶器と白湯、書物の片付けも頼む。余計な仕事を増やしてしまったので労いの言葉も添えた。


「承知いたしました」


 歩き去る背後で、指示を拝命した女官たちが恭しく跪拝しているのを感じた。

ありがとうございました。

本話から43話まで進みが緩やかになります。

本話~37話までは皇帝視点です。

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