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33.皇女の宮へ

ご覧いただきありがとうございます。

前話が短かったので、すぐの投稿です。

 


 ◆ ◆ ◆



 夢を見ていた。


 本当の両親だと信じていた彼らの後を歩きながら、楽しげに笑う自分たち。

 近所に住む世話好きなおばさんが、にこにことそれを見守っている――そう、彼女はいつも自分たちの様子を見ていた。そういった人は周りに大勢いた。

 何かにつけて構ってくれた物知りなおじいさん、よく遊んでくれたお兄さんお姉さん、勉学を教えてくれた教師、行きつけの店の従業員……数多の人々がずっと自分たちのことを見守り、教え諭し、心身の土台を作り、歪まぬよう導いていた。


「ああ、今日もいい天気だ」

「この子たちが外に出るといつも快晴になるもの。ご近所の帝国の方たちからは、お天気ちゃんって呼ばれてるのよ」

「ああ、あの帝国人のご家族か」


 両親が青空を見上げながら話している。近所の帝国人の家族ーーおそらく、リィおじさん、サァおばさん、フーくん、エリちゃんのことだろうと見当が付いた。四人ともよく遊んでくれるのだ。


「この子たちが生まれた時はずっと晴れの日が続いたなぁ」

「それで名前を決めたのよね」


 仲睦まじく微笑み合った両親が、こちらを向いた。


「おいで、――」


 実の父親だと思っていた人がこちらに手を伸ばす。


「――、あなたもいらっしゃい」


 実の母親だと思っていた人も、優しく名を呼んでくれる。


「はぁい」


 自分は……自分たちは、その緩やかな囲いに覆われた世界に何の疑いもなく、屈託無い笑顔で駆け出した。しっかりと繋いだ手を仲良く揺らしながら。



 ◆ ◆ ◆



「お父さん、お母さん……」


 両親の懐に飛び込もうとした勢いのまま、明香は目を開いた。視界がぼやけ、流れ落ちる暖かい滴がしとどに頬を濡らしている。今日のおやつはなぁに、と聞こうとした舌が、見慣れぬ室内を見て止まる。


(ここ、どこ……? お父さんとお母さんは?)


 未だ脳裏を巡る幸福の残像の中を揺蕩(たゆた)っていると、脇に控えていた若い神官が数人、素早く動き出した。


「まあ、お目覚めでございますか。紅日皇女様」

「よくお休みになられておいででした」

「殿下、お疲れはいかがでしょうか。今お茶をお淹れいたします」


(こうじょ? ――皇女!)


 紅日皇女。殿下。

 その単語を聞いた瞬間、脳裏に閃光が走ったかのごとく朝からの怒涛の記憶がよみがえる。


 四大高位神の降臨。

 自分の出自と立場。

 天の神々との対話。

 皇帝白珠への拝謁。

 ……太子高嶺の吸い込まれるような漆黒の瞳と温かな腕。


(そうだ……皇女は――紅日皇女は、私だ!)


 頬を叩かれたように意識が現に引き戻される。

 明香が周囲を見回すと、白を基調とした部屋の上等な長椅子に寝かされ、体には柔らかい毛布がかけられていた。


「こちらは神官府の休憩室でございます」


 様子に気付いた神官の一人が、茶の用意をしながら説明してくれた。


「すぐに佳良様をお呼びいたします。何かご用がございましたら私どもにお申し付け下さい」


 (にわとり)呼ばわりで遠巻きにしていた時とは打って変わり、非常に丁寧な態度だ。その変容に唖然としていると、僅かな衣擦れの音が耳に入った。

 一人の小柄な少女が部屋に入って来る。


「皇女殿下のご様子はどう?」


 桜桃のような唇から、鈴を転がすような声が漏れる。まだ十代前半に見える、あどけなさの中に淑やかさを忍ばせた少女だ。流れるような黒髪に金銀玉を連ねた瀟洒(しょうしゃ)な髪飾りを付けている。凛とした目元からは、年少の姿に見合わぬ知性と意思が感じられた。


「大神官様」


 神官たちがそろって深く頭を下げる。


(……大神官!? 神官府で一番偉い人!?)


 神官長のさらに上に座し、神官の最頂点に立つ者。思わぬ状況に驚愕している明香に気付くと、部屋に足を踏み入れた少女は即座に跪拝した。


「殿下、お目覚めになられたのでございますね」


 咄嗟に反応を返せない明香の前で、少女は澄んだ声を響かせる。


「恐れ多くも紅日皇女殿下にご挨拶させていただきます。私は蒼月皇陛下よりこの神官府の統括役を拝命しております、宗基(そうき)恵奈(けいな)と申します。皇女殿下の御休み処に立ち入りました無作法を平にお詫び致します」


 少女の名乗りを聞いた明香は、泰斗に叩き込まれた知識と街で囁かれている評判を掘り返した。


(宗基家――神千国で最上位の名家)


 神千国の貴族は、大分類すると一位から六位までに分けられる。宗基家は最高位の一位に君臨する大貴族であり、臣下の中では最も高貴な家柄だ。また、御威を持てなかった皇家の庶子が嫁入りあるいは婿入りする先の一つでもある。皇家は滅多に血族を外に出さないが、古より仕え続けている権門には庶子を下賜することがあるのだ。


(だけど、当代のご当主はもんのすごーく評判が悪い。担当の土地の管理は部下に任せっ放しで、たくさん問題を起こして何回も処分を受けてるみたいだし)


 裏金や贈賄のやり取りは常習、周囲への暴言暴力は日常茶飯事、さらに下の者への無体な振る舞いに家の力や権威を利用した利己的な行動も目立つのだという。


(それでも臣下一の名門だってことは変わらないけど。特に大神官様は()()。天威師に次ぐ御威を持ってるんだよね)


 御威を持つ者を最も多く輩出する皇家の血が入れば、自然と子孫も御威に恵まれやすくなる。宗基家は皇家に次いで高い御威を持つ者が生まれることが多い名門中の名門なのだ。


「……面を上げて下さい」


 動揺の中、それでも何とか言葉を絞り出せたのは、泰斗に叩き込まれた徹底教育のおかげだ。跪拝を解いた恵奈が案じるように眉を下げた。


「殿下、お加減はいかがでございますか? 昨日の西の御子との一件から始まり、本日まで様々なことが重なられたと聞き及んでおります。殿下におかれましては、さぞやお疲れが溜まっていらっしゃることでしょう」


 憂いを帯びた表情で告げる、その話し方や仕草の一つ一つが美しい。間の取り方、抑揚、僅かな所作などの全てに、生まれながらの気品と威厳が滲み出ているようだ。加えて、現大神官は特別な存在として真皇族の次位に位置する立場にいる。


「ありがとう。おかげ様で仮眠を取りましたので問題ありません。大神官、のお気遣いに感謝します」


 様を付けそうになるのを必死で自制しつつ、明香は何とか無難な答えを返す。同時に、恵奈の放つ圧倒的な上位者の圧に怯んで醜態を晒さなかったことに安堵した。

 いついかなる時でも、自分が相手より高い立場になった時にも堂々と在れるように、と義兄から授けられた教えは、骨の髄まで染み渡っていたようだ。

 と、今度は部屋の外から男性の声が響いた。


「入るぞ、恵奈」


 変にしゃがれたような、耳障りな声だった。本能的に嫌なものを感じた明香が身を硬くしてそちらを見ると、瘦せぎすの壮年の男がだぶついた衣を引きずるようにして部屋の中に足を踏み入れてきた。

 その眼を見た瞬間、明香の全身に鳥肌が立つ。男性の双眸には、滴るほどの残忍さと狡猾さ、そして吐き気が込み上げて来るような醜悪さと意地汚さが凝っていた。


(な……なに、この人)


 全身の毛穴が開くような感覚と共に、心と体と頭が一斉にがんがんと警鐘を鳴らす。

 ――目の前の男は危険だと。


「あら、お父様ったら。女性が休んでいる部屋ですから外でお待ち下さいと申し上げたではありませんか」


 恵奈が困ったように眉を下げながら、やんわりと笑う。その目の奥が冷たいように見えるのは気のせいだろうか。男性は黄ばんだ歯を剥き出すようにして薄気味悪い追従(ついしょう)笑いを浮かべた。


「会話が聞こえたものでな、もう目覚められたのであればわしも入っていいかと思うたのだ」


(いや、だとしてもまずは入ってもいいか聞くでしょ)


 明香は内心で抗議する。こちらは先ほどまで熟睡していて、まだ起きたばかりだったのだ。もしも寝乱れた姿であったり、衣が着崩れていたらどうしてくれるつもりだったのか。

 そんな思いに構わず、男性は跪拝した。


「初めてお目にかかりまする。宗基家当主、宗基豪栄(ごうえい)と申します」

「……」


 咄嗟にどう返したものか分からず、明香は無言で男性――豪栄を見つめた。恵奈が父と読んでいたことから、おそらくそうであろうと思っていたが……。


(この人が、評判最悪な宗基家の現当主)


 こうして実際に対面してみると、確かに酷評されるのもやむなしと納得してしまうほどのおぞましい邪気を感じる。さり気なく室内に視線を巡らせると、同席していた神官たちも嫌悪や忌避感を示すように眉を顰め、絶妙に距離を取っていた。


「畏れながらご紹介させていただきたく。私の父でございます」


 恵奈が改めて補足する。だが、実の父であるはずの男に向けた双眸は、やはり冷ややかな温度で凍えていた。


「――そうですの。よろしく」


 明香は懸命に友好的な態度を保ちながら、豪栄との間に防壁を作るように毛布をさり気なく胸まで引き上げた。


「はっは。都は今、本物の日神の御子姫が出現したという話題で持ちきりにございます。かくいうわしも、ぜひ殿下に一言だけでもご挨拶したく、飛んできたのです」


 どうやら自分のことでかなりの騒ぎになっているらしい。あれだけ大きな光の柱を立てたのだから、当然かもしれないが。白珠と高嶺が上手く説明してくれているのだろうか。

 恵奈が豪栄に向かって微笑んだ。


「お父様、ご挨拶もできたのですからもうよろしいではございませんか。お父様がいらっしゃっては皇女殿下がおくつろぎになれませんわよ」


 すると、豪栄はわははと品のない笑い声を上げた。


「それもそうか。ま、わしの崇高な威厳が皇女殿下すらも緊張させてしまうのは如何(いかん)ともしがたいゆえ、仕方あるまい」


(何でそうなるの。そもそもあなたから威厳なんて感じませんけど)


 むしろ下品極まりないという嫌悪感しか湧いてこない。豪栄は上機嫌で恵奈の頭を撫でた。


「皇女殿下を萎縮させてはお可哀想だ。では、わしはこの辺りで退散いたしましょうぞ。恵奈、お前も共に帰るのだ」


「はい、お父様」


 恵奈は嫌がる様子も見せず撫でられるままになりながら、ふふっと笑って淑やかに頷いた。

 ――その眼差しは絶対零度に凍て付いていたが。

 そして、今後ともよろしくお願い申し上げますという挨拶を述べると、豪栄と共に退室して行った。


(よ、良かった……帰った)


 せっかく仮眠で回復した気力が一気に削がれ、明香は長椅子に倒れ込むようにして崩れ落ちた。おかげで、入れ替わりで到着した佳良と松庵を驚かせ、今日はゆっくり休むようにと皇女の宮に移されることになった。



 ◆ ◆ ◆



 明香に用意された宮は、全体的に上品ながらも可愛らしさを感じる装飾が施された造りになっていた。皇女に相応しい高価な内装と、美麗な調度品が揃えられている。


(うわぁ、毛布ふっかふか)


 体が沈み込むような寝台の中に埋もれながら、一つ寝返りを打つ。宮に到着するなり、もう少し仮眠を取った方がいいと寝室に押し込まれたのだ。


(ここの備品て誰が用意してくれたんだろう?)


 大の大人が何人も寝転がれそうな広い寝台には、ぬいぐるみ兼抱き枕がいくつも置いてあった。熊や兎、猫などの動物型から、何故か芋虫のようなもそもそした形のもの、そして色とりどりの丸型や四角型まで、様々な種類の抱き枕が並んでいる。


(にしても……眠れるかな。さっき結構寝ちゃったし)


 宮に付いた時に出迎えてくれた大勢の使用人は、寝室の中までは入って来ない。一人きりの空間で手足を伸ばし、全身の力を抜くと、ふわりと体が浮き上がるような感覚に陥った。


(あ……杞憂だったみたい)


 これはすぐに眠れると直感し、そっと目を閉じる。多少仮眠を取った程度では疲れは取れなかったようだ。


(またお父さんとお母さんの夢見れるかなぁ)


 もう会うことは叶わない家族だが、夢の中でならば彼らとの思い出に浸ることができる。そう考えた時、ぽんと泰斗の顔が浮かんだ。


(……義兄様。そう、義兄様だって大事な家族。義兄様の教えがなかったら、今回の場面を切り抜けることなんてできなかった)


 皇帝と対面し、直に会話する中でボロを出さずに乗り切れたのは、泰斗から徹底した礼儀作法の教育を受けていたおかげだ。それがなければ確実に御前で失態を犯していただろう。


(義兄様の教えに助けてもらった。何度も何度も助けてもらったよ。ねぇ義兄様、知ってたの? 私が皇女だって。皇帝陛下に協力してたの? ……どこまで、知ってたの)


 直接聞いてみたい。また話がしたい。


(陛下の専属なんだから、皇宮に来た時に会えないかな)


 少し前までは毎日見ていた泰斗の顔を思い描く。


(義兄様――会いたいよぉ)


 心の中で泰斗を想い……そして、順調に心身を侵食してきた睡魔に促されるまま、意識を手放した。


ありがとうございました。

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