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29.蒼月皇白珠

ご覧いただきありがとうございます。

 遥か下の地上にまで突風が届く。


「…………!」


 凄絶なまでの神威が、遠のきかけていた明香の意識を引き戻した。四色の光は龍から離れると、うろうろとその周囲を旋回する。龍が光に向かって恭しく頭を垂れると、名残を惜しむように揺らめきながら、少しずつ上昇し、天高くに消えて行った。

 蒼き龍は光が天の果てに消えるまで見送った後、真っ直ぐに急降下し地上に――南の広間の前にある庭に向かって降りて来る。


「――陛下」


 呟いた高嶺がさっと立ち上がると、広間を飛び出して小走りで庭に出た。肩には黄土色の生物を乗せたままだ。褐色の鳥も祭壇から飛び立ち、高嶺に続く。

 明香を始め神官たちも後に続き、少し離れた場所に跪いて様子を伺う。龍は瞬く間に地上付近まで降り――長大な体が輝き、縮小する。

 鱗が剥がれるように、虹色と蒼の煌めきが無数の欠片となって周囲に飛び散った。空の蒼と海の蒼――空を海に落として溶かし込んだような、二つの蒼が調和する色が、澄み切った水晶のように煌めく。

 虹色の光も綺羅星のごとく輝き、まるで天の川が地上に落ちて来たような壮麗さだった。

 心から敬愛し平伏したくなるような、絶大な天威。


 ――そして全ての光が収まった時、すらりとした痩躯が佇んでいた。


 男物の淡い縹色の衣に、横髪だけ垂らして後ろで結い上げた長髪。はためく裾から覗く手首は細く、肌は抜けるように白い。鳥肌が立つほどに蠱惑的で幻惑的な容姿は、怖気(おぞけ)を振るう美しさだ。

 切れ長だが優しさを感じさせる瞳を含め、高嶺とよく似通った面差しをしている。

 明香は無意識の内に嘆息した。胸の奥が()()と小さく疼く。


(何て……何て、綺麗な方)


 線の細い整った顔立ちを見て心から思う。絵に描いたような男装の麗人だ。明香が今まで会った中では、テア以上に男装が似合う女性はいないと思っていたが、その認識を改めなくてはいけないかもしれない。

 風の声によると、夫である橙日帝が自身の前以外で白珠が女の格好をすることを疎んじているため、普段は装いも言葉遣いも男のものにしていると聞いたことがある。テアの中性的な喋り方は白珠を手本にして習得したのだと、本人がこっそり教えてくれた。


(この方が蒼月皇陛下――月神様の御子……)


 月神は、光と闇、昼と夜の双方を司る。夜は闇の中で煌々と輝き、昼は白銀の姿で太陽と共に静かに天に浮かぶ、それが月だ。ゆえに、月神は日神と闇神のどちらとも親和性が高いという。神代の時代に金日神と黒闇神が痴話喧嘩を起こした際は、銀月神が両者の仲立ちをしたこともあったようだ。


(――ん?)


 思考を巡らせていた明香は、寒色に彩られた白珠の周囲に、場違いな暖色がちらつくことに気が付いた。


(あの鳥……2羽いたの?)


 褐色の鳥が、大きな翼を羽ばたかせて白珠に纏わり付き、じっと見上げていた。だが、高嶺に追随した鳥は別にいる。瓜二つの鳥が2羽、白珠と高嶺の周囲を舞っていた。()()()と明香の胸が鳴る。


(あ、また……何だろう)


「陛下!」


 首を捻っている間に、高嶺が白珠に駆け寄った。美貌の皇帝は、走り寄って来た息子を一瞥する。そして、パァンと乾いた音を響かせてその頰を張り飛ばした。褐色の鳥が2羽揃ってぴょんと体を跳ねる。


(…………!)


 思わぬことに息を詰める明香の耳に、魂の最奥まで染み渡るような透き通った美声が響いた。


「愚か者。神の御前にありながらむざむざと西の御子の愚行を許し、よりにもよって四大高位神様をご不快にさせるとは。そなたはそれでも太子か」


 玲瓏たる声が、正論ではあるが厳しい言葉を紡ぐ。


「大変申し訳ございません」


 高嶺は打たれた頰を抑えもせず、即座に両手を胸に当てて跪拝した。


「西の御子は即座に拘束し、手足も口も使えぬよう取り押さえておくべきであった。あれの愚かさはそなたもよく理解していたはずゆえ、なおさらだ。そうであろう」

「陛下の仰る通りにございます」


 気のせいか、肩の上に乗った黄土色の生き物まで一緒に頭を下げているように見える。玉響(たまゆら)の如き白珠の声に思わず聞き惚れていた明香だが、我に返ると内心で高嶺を擁護した。


(太子殿下はちゃんと対処しようとされてたよ。でも、変な光に巻き付かれて止められちゃったから……)


 だが、結果論ではあっても四大高位神の機嫌を損ねたことは事実であり、それこそが問題なのだということは分かる。ならば、ここできちんと叱責せねば皇帝ではない。高嶺は太子なのだからなおさらだ。

 ――だがその瞬間、高嶺を見下ろす白珠と、少し視線を上げた高嶺が寸の間目を見合わせた。たった一瞬の交錯だったが、互いの間で何か通じ合うものがあるような眼差しだった。


「……!」


 明香の中に、理屈では言い表せない直感のようなものが走る。


(もしかして――陛下は分かってらっしゃる?)


 高嶺を縛り付けた黒い光のことも含め、全ての経緯と事情を把握しているのではないか。だあえて表明せず、高嶺の見通しと動きが甘かったということにした。当事者である高嶺自身とも即興で協力し合いながら。


(考えすぎかな。でもあの黒い光、誰にも見えてなかったみたいだし、太子殿下も何も仰らなかったし……外には言えないことなのかも)


 しかし、仮にそうだとするならば、何故明香は視認できたのだろう。


(皇族だけに見えるとか……?)


 考えている間にも、白珠は滔々(とうとう)と言葉を紡いでいく。


「本来であれば厳罰ものとはいえ、そなたを罰したところで、今後の国政に支障が生じ無辜(むこ)の民にしわ寄せが行くだけ。我が国にとって得にならぬゆえ、罰は与えぬ。太子としての失態は太子としての政務で返せ。それが(あがな)いだ。今後は一層国のために尽くすが良い」

「承知いたしました。お慈悲に感謝いたしますと共に、神千国の確固たる安寧と益々の栄華のため、今後はより深くこの身を捧げる所存にございます。このたびはご迷惑をおかけいたしましたことを重ねてお詫び申し上げます」


 殊勝に告げる高嶺だが、白珠は眉一つ動かさない。面を被ったように表情が抜け落ちた顔で、文書を朗読するが如く淡々と言う。


「口先だけの陳謝など聞きとうない。以降の行動で示してみせよ。今はまだ玉座の主は我が身である。ゆえに太子たるそなたの不始末は全て私に責があるため、こたびは私が介入を行った。それだけのこと。自身が真に玉座に昇る時を見据え、こたびのことを肝に銘じ、二度目は決して無きようにせよ」

「畏まりました。綸言(りんげん)をしかと胸に刻みます」


 返事を聞くと、白珠はおもむろに明香に向き直った。


「皇女明香――神託が告げし御子よ」

「はい!」


 いきなり呼びかけられた明香は、びくんと肩を跳ね上げる。そこに浴びせかけるように、鮮烈な玉声が放たれた。


「至高の神の愛し子たる我が同胞。よくぞ皇宮に戻ってきた」


(え……う、うそ)


 皇帝から直接お言葉を投げかけられた。


(こ、答えなきゃ。早く答えないと。でも、なんて言えばいいの?)


 全身から血の気が引き、ひっと喉が凍り付く。この場面においては白珠への対応を間違えてはいけないと、直感が告げる。

 松庵や高嶺に対しては、彼らの性格や雰囲気、場の流れなどもあり、何だかんだで多少砕けた態度を取ることもできていた。

 だが、今この状況で、この相手にそれは許されない。本能がそう警鐘を鳴らした。頭が真っ白になりかけた時、視界の隅を、もふもふの塊を乗せたままの高嶺が掠めた。


(そ――そうだ、作法、義兄様に教わった作法……!)


 何とか意識を繋ぎ止め、斎縁家で叩きに叩き込まれて来た挨拶の所作を根性でさらい出す。


(義兄様。助けて、義兄様)


 袖の中で汗ばんだ手を握りながら、呪文のように繰り返し唱える。そんなことをしても無駄だと、かつて講義をしてくれた泰斗は言っていた。

 一人で戦わねばならない時は、祈っても願っても頼っても、誰も助けてなどくれない。己が力で乗り越えなくてはならないのだと。

 だが、その後にふと優しい顔になってこう続けた。


『――でも、誰かを(よすが)に思うことで心が安定し、気力が蘇るなら。それなら祈ってもいいと思うよ。その人に依存するのではなく、折れそうな自分を奮い立たせる力を呼び起こすためならね』


 そう言ってくれたのだ。

 だから、呼びかける。甘えてもたれかかるのではなく、自分の足で立ち続けるために。己に力をくれる人の顔を思い浮かべる。


(義兄様、義兄様、――太子殿下)


 そしてすっと肩の力を抜き、顔を伏せたままで僅かに目線を上げた。


「……陛下にご挨拶いたします。先日より入宮いたしました、明香と申します。恐れ多くも蒼月の君におかれましてはご機嫌麗しく」


 白珠は頷き、流れる清水のように涼やかな声を浴びせた。


「面を上げよ。神の導きにより、そなたがこうして本来あるべき場に帰参したことを嬉しく思う」


(いや、そう言っていただけるのは有り難いですけど、皇宮に来ることになったそもそもの原因は鶏が……)


 言われるままに顔を上げながら、声には出さずそう考えた時。

 白珠の澄んだ双眸と視線が絡んだ。全てを見透かすような、一切の揺らぎがない眼差し。瞬間、突如としてある可能性が頭に浮かび、明香は目を見開いた。


 ――神の導き。


(まさか――)


 どこからか突然現れ、明香の徴を発現させ、気が付いたらいずこかへ消え去っていた(きゃつ)


(あれも神獣みたいなものだった、とか? あの憎たらしい鶏が? いやそんな、まさか。……でも……)


 徴が出たところから全て、神々の手はず通りだったとすれば。


(た、確か取っ組み合った時に(あいつ)の毛思い切りむしっちゃったんだけど……ううんやめよう、今は考えるのやめよう。心が折れちゃう気がする……)


 そっと決意する明香に、白珠は穏やかに続けた。形良い唇からすらすらと歓待と賞賛が溢れ出る。


「このたび知り得た事実や己の出生に関して戸惑いや驚きも多々あるだろう。しかし、私はそなたを心から歓迎していることは伝えておく。また、先程は神々の怒りを鎮めた手腕、見事であった。皇女の働きに感謝する」

「身に余るお言葉、恐悦至極にございます」

「そなたの働きなくば天の神々は荒神に転じ、(たぎ)る怒りを以って地上を焼き滅ぼしていたであろう。神々を鎮めたそなたは、この国の万物を救い、大地に生きる那由多(なゆた)の臣民の命と未来を護ったのだ」


 その言葉を聞いた周囲の者たちが一様に明香を見ると、驚きと感銘、そして尊敬の念を向けてくる。さすがは皇族だ、という歓声が聞こえてきそうだ。


(ひえぇ! いや違うのに、太子殿下が仮病で私に花を持たせて下さっただけなのに!)


 悲鳴を上げる明香だが、どうにか外面だけは取り繕った。今はとにかく、皇帝のお声に応えねばならない。泰斗から教わったことを隅々までさらい出し、優雅に礼を取る。


「皇家に連なる者として当然のことをいたしたまでにございます。民の守護と天下の平穏に尽くすは、御身の臣にして皇女たる我が身の務め。なれど私の稚拙な行為など、蒼月皇陛下や太子殿下、ならびに皇族方が積み重ねてこられたご偉業の前では物の数にも入らぬことと承知しております」

「そなたの心意気を頼もしく思う。今後もその真っ直ぐな心根のままに励むがよい」


 白珠もそれ以上称えることはなく、淡々と明香の言葉を受け入れた。国家規模や世界規模で何かを成し遂げる奇跡は、皇族と帝族の基準ではごく標準的な行為に過ぎないのだ。


「今後、分からぬことは太子に聞くが良い。そなたが心身共に不自由なく過ごせるよう、私も取り計らうつもりだ。私は新たな皇宮にいることが多いゆえ、今少しの間は会う機会も少ないかもしれぬが、そなたのことは心に留めている」

「承知いたしましてございます。また、陛下のご配慮に衷心(ちゅうしん)より御礼申し上げます」


 佳良や神官たちが、礼儀正しく受け答えする明香を驚いた顔で見ている。


(に、義兄様ぁ、教えてくれたこと役に立ってるよ! 今ものすごく役に立ってる!)


 だが、もう限界だ。早くこのやり取りが終わってくれと願っていると、白珠はこれ以上言うことはないと背を向けた。


「陛下、お待ち下さい」


 が、高嶺が声を上げたため、足を止める。さっと風が吹き、白珠の衣が翻った。


ありがとうございました。

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