27.見守る者たち
ご覧いただきありがとうございます。
◆ ◆ ◆
虹色を帯びた紅朱の光の柱が、南の広間の天井を抜けて天に突き立っている。分厚い雲が退けられ、青色を取り戻した空がきらきらと輝いていた。柱から溢れる光の欠片が、風に乗ってひらりひらり宙を舞う。
皇宮を行き交う官吏や女官、武官たちが、突如そそり立った光に瞠目している。落ちて来た煌めきの一片をうっとりと眺めている者もいた。
皇宮の敷地にある高い楼閣の頂上に立ち、泰斗は天を貫く光の柱をじっと見上げていた。その顔はやや疲労の影を帯びている。皇宮にて花梨に諫言したことで、大いなる神々から少しばかりお仕置きを受けたのだ。干渉しすぎだと。
「若君」
後ろに控える従者たちの中から、栄生が静かに呼びかけると、泰斗はぽつりと呟く。
「見えるか――輝かしき女神の御稜威だ」
「はい」
愛しい光をみていると、疲れた心が瞬く間に洗われ、回復していくようだった。
「何と美しい」
押しいただくかのように右腕を伸ばせば、風に運ばれて来た花弁がふわりとその手に収まった。だが、泰斗が握り締めると、溶けるように大気に消えてしまう。
「……そなたは私の光だ、明香」
空になった手のひらを名残惜し気に見つめ、泰斗は宙を舞う花びらに強い視線を送った。
「明香――私の妻」
◆ ◆ ◆
「ああ、良かった。上手く行ったようですね」
呟きが風に溶けて消える。皇宮から屹立する光の柱は、この都の城下街からでもよく見えた。
「神々が鎮まりました。あの子は本物です」
冬にも関わらず、吹き抜ける風は春風のように温かい。日の女神が放つ天威の賜物だ。
「本物が良い子で安心しました」
道中には大勢の民が佇み、光を凝視している。恐慌状態に陥らないのは、蒼月皇が治めるこの地で万一が起こるはずがないという不動の信頼があるからだ。
「大きな混乱が起こらなくて良かったですねぇ」
安堵しながらひとりごちた時、脇に控えている7歳くらいの童子と童女が、くりくりとした目でこちらを見上げた。
「御子様、戻りましょう」
「もうお戻りを、御子様」
そろいの白装束に藤色の房飾りを着けた童子たちは、口々に言いながら袖を引いてくる。
「もうちょっとだけ、だめですか?」
小首を傾げた時、中肉中背の女性が現れた。緩く結んだ髪に愛嬌のある黒い瞳で、40代半ばほどの外見をしている。
「し……御子様、そろそろ皇宮にお帰り下さい。これから騒がしくなるでしょう」
一瞬こちらの名を呼びかけたもののすぐに呑み込んだ女性が、諭すように言う。明香が彼女を見たならば、『あ、おばさんだ。ひっさしぶり~!』と叫ぶことだろう。明香の家族が斎縁家で雇用されるよう仲介し、徴が出た際は真っ先に騒ぎ立てて神官を呼ばせたのは彼女だ。
「ほら御子様、お早く」
「はいはい、分かりましたよ。民衆が混乱状態になっていないか様子を見に来ただけですから。……はぁ、皇家に生まれるというのも面倒なものです。ちっとも自由に動けやしません」
再び促されたので仕方なく頷き、愚痴を零しながら皇宮を見上げる。胸元の朱色の首飾りが、きらりと陽光を反射した。
――波紋柄の緑衣に、左目の下の泣きぼくろ。青みがかった瞳を持つ青年は、身軽な動作でひょいと地を蹴って皇宮へと走り出した。
◆ ◆ ◆
皇宮にある帝国の分庁。
天を貫いて屹立する紅朱の光を指しながら、金髪碧眼の官吏たちが帝国語で会話している。何名かは確認のため、皇宮に向かった。そしてその騒ぎの裏で、女官たちも分庁内を駆け回っていた。
「……殿下! 太子妃殿下!」
「お二人そろって一体どこに行かれたのでしょう」
「念話してもお返事がありませんわ」
「なぜ誰もお側についていなかったのです」
「申し訳ありません、少し目を離した隙に……」
――その慌てた声は、分庁の建物の屋上にいる女性たちにはっきりと聞こえていた。天威師として常人ならざる聴覚を持つ彼女たちは、しかし、声を意に介すことなくじっと光を見つめる。
「やっとお目覚めか。私たちの可愛い義妹はとんだねぼすけだ」
腰に細身の剣を差し、帝国の騎士の格好をしている長身痩躯の麗人が笑う。
「あら、テアお姉様はもっとお寝坊さんでしたわよ?」
隣にいる、華奢で細身の美女もくすくす微笑んだ。こちらは帝国の女性貴族が纏う、ドレスと呼ばれる衣に身を包んでいる。
「それを言われると耳が痛いな、ミア」
騎士姿の麗人が朗らかに返した時、こちらを探し回る女官の一人が、『屋上は!? 屋上庭園にいらっしゃるかもしれません』と叫ぶのが聞こえた。麗人がちっと舌打ちをする。
「残念、ばれてしまった。休憩は終わりだな。この後は今の光のことも含めて仕事がわんさか降って来るぞ、きっと」
小柄な女性がほほほと上品に笑う。
「はぁ、やってられるかっての……ですわね。大事な義妹のためですから我慢しますけれど」
ばたばたと足音が近づいて来た。暖かい陽気に包まれながら、女性たちは緩慢な動作でそちらに視線を向けた。間をおかず、数人の女官が小走りでやって来る。
「やぁ、見付かってしまったな」
麗人が軽く右手を上げ、パチンと片目を閉じて笑った。
「殿下! ああ良かった――皆様、殿下方は屋上にいらっしゃいましたよ!」
「太子妃殿下方、お探しいたしました……」
安堵の顔で近付いて来た女官たちだが、次の瞬間絶叫した。
「きゃあああ!」
「殿下のお召し物が! 御髪が!」
「何てこと!」
「尊き天威師の帝女様ともあろうお方々が!」
光の柱を見ながら呑気に庭園の原っぱで寝っ転がっていた二人は、衣も髪も乱れた上に草葉が大量に付いていた。
「すぐにお着替えを」
「次の謁見の時間はいつ!?」
「お昼寝されるのはもうお止めしませんから、せめて敷物を敷いて下さいませ!」
嘆きながら草や葉を丁寧につまみ落とそうとする女官たちを遮り、女性たちは自分の手でぱんぱんと豪快に衣をはたいて起き上がる。
「殿下、先ほど空が翳ったと思いましたらあの赤い光が」
「現在、担当部署が状況を確認しております」
「蒼月皇陛下の皇宮ですから、心配無用だとは思いますが……」
屋上から見える空を示しながら告げられた言葉には、鷹揚に頷いた。
「ああ、心配ない。これは慶事だ。それも最大級のな」
「新たな天威師が少々大きめの産声を上げているのですわ」
笑顔で答えていると、帝国の官吏が階段を駆け上がって庭園に入って来た。足早に歩み寄ると、女性たちの前に膝を付く。
「こちらにいらっしゃったのですね。申し訳ございませんが、急ぎの書類がございまして。ご署名をお願いできますでしょうか」
二人の女性は、差し出された書類にさっと目を通し、頷いて渡された筆記具を走らせる。
サテアーネ。
ラミアーナ。
達筆な文字がしたためられた書類を持ち、官吏がほっとした表情で戻って行く。それを見送った二人は、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。女官たちに聞こえないよう、ひそひそと囁き合う。
「しかし何だ。私たちの名は本当に、書くたび見るたび、溜め息を吐きたくなる名だな。秘め名晒しだぞ、有り得ない」
「ええ、ええ、本当に。何故こんな酔狂な名を付けてくれやがったのか、名付け親の迷惑害悪バカ爺に物申したくなりますの」
「ははは、私は常に殴り倒したいと思っているぞ。あのアホ爺が既に故人なのが実に惜しい。生きていたら顔面が変形するまでタコ殴りにしてやるものを」
「あらまあお姉様ったら、そんなことをしたら手が汚れますわよ。うふふ」
姉妹でこっそり話していると、女官たちが時間を気にする様子で声をかけて来た。
「太子妃殿下方、次のご予定が迫っております」
「急ぎご準備をしていただけますよう」
残念だが、もう行かなければならないようだ。
「ああ、分かっているとも」
「ええ、承知しておりますわ」
肩を竦めた二人は、最後にちらりと紅朱の光を振り返り、優しく微笑んだ。そして、また互いの顔を寄せて小声で言う。
「ともあれ、ラウ様に良い土産話ができたぞ。もっとも、もうご存知だろうが。ラウ様も痛い思いをされた甲斐があったというものだ」
「ふふ、そうですわね。私もティル様にお話ししますわ」
明香がお姉様と読んで慕う姉妹たち――帝家の真帝族であり、帝国太子たちの正妃でもあり、そして皇帝と太子たち同様に全き天威師でもあるテアとミアは、視線を交わして小さく笑いながら階下へ降りて行った。
ありがとうございました。




