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26.皇女は神の声を聴く

ご覧いただきありがとうございます。

 ぐんと引っ張られるような感覚と共に、明香の意識が上昇する。見上げる天井へ――外の大気へ――高き空へ――そしてさらにその上へ。遥かな天界にて怒れる、神々の下へ。

 姿は見えない。だが、声は聞こえる。確かにそこにいることが分かる。


『あの愚かな娘が』

『許さぬ。決して許さぬ』

軽佻浮薄(けいちょうふはく)な愚女に天誅を』

神罰牢(しんばつろう)だ、神罰牢に落とせ』


(ひいぃ……って、神罰牢!?)


 神々の怒声を聴覚に詰め込まれて震えあがった明香だが、さらに聞き捨てならない単語に呆然となる。


(ちょっと待って、神罰牢って――神様の牢獄だよね!?)


 神が落とされる神のための地獄。主に上位神の怒りを買った下位神が投獄されるが、稀に、神々を強く怒らせた人間も入牢の対象になることがある。


(人間用の地獄なんか楽園に感じるほどの苦痛で、許されるまでの時間もものすごく長いって習った……)


 通常、御威を持たない人間は死後新しい生を得て生まれ変わる。だが、生前の行いによっては、転生の前に天国や地獄と呼ばれるところで一時を過ごすこともある。そして地獄に落ちた場合には、そこでの償いを終えてからでなければ転生できない。神罰牢行きになってしまえば、人間の地獄よりもずっと辛い責め苦を遥かに長い時間受け続けなければならないのだ。


(そんな、それはあんまりにも……!)


 それは酷すぎるのではないか。花梨は確かに目に余る言動を繰り返したが、大量虐殺や国家転覆級の悪事を働いたわけではない。神罰牢は重すぎると思った。

 だが、それは人間側の言い分であり、神々には関係ない。神々にとっては、日神の御子を詐称したことは極刑級の凶行であったのだ。その怒りが想像以上に深く大きいものだったことに慄然となる。

 だが、藍色の光が明香を励ますように瞬いたことで、何とか冷静に戻った。


(太子殿下――)


 同時に神々の怒号がはたと鳴りやみ、一瞬にして空間が静まり帰った。


(あれ? 皆急に黙っちゃった)


『……皇女様?』


 と、神の一人が恐る恐る声を上げた。


(え?)


 今までの荒々しい声音ではない。慕わしさと尊敬の念に満ちた声だった。


『そこにおられるのは皇女様ではありませんか?』

『本当だ、姫君様だ!』


 刺々(とげとげ)しい憤嘆に満ちていた気配が霧散し、うそのように友好的で丁寧なものに変貌する。


『皇女様、我等の如き下々の神に御心を飛ばしていただけるなど』

『何という誉れ。望外の喜びにございます』

『皇女様!』


 歓喜と歓待の思念に、圧倒されそうになる。


(び、びっくりした! いきなりそんな――ってあれ? ちょっと待って、これ……私、神様全員に皇女って認められてる? そんなはず……まさか……まさか、私本当に皇族だってこと!?)


 いくら信じられずとも、初代の佩玉が発光した事実に加え、四大高位神と高嶺を筆頭にあまねく神々にここまでの反応を見せられれば、流石にこれ以上否定することはできない。


 ――自分は皇女。神託の御子で、天威師で、日神の寵児。


 精神を襲う凄まじい衝撃に、地上に残したままの身を震わせた明香に、鳥の中から這い出て来た黄土色の生き物が再び駆け寄ると、その膝にちょこんと頭を乗せた。ふくふくとした毛並みの感触が心地好く、大嵐が吹いている心にぽっと余裕が生まれる。


(あれ、この感触どこかで――)


 頭の隅でそんな思いが沸き上がるが、考え込んでいる場合ではないのですぐに意識から放り出す。


 ――か、神々の皆様っ!


 信じられないが、自分が本当に皇女なら、神々にお願いしなければならない。怒りを解いて下さいと。都を消し炭にされるわけにはいかないのだから。花梨だって、何とか神罰牢行きは逃れさせてあげたい。


(日神は光と活力を司る太陽の神。神様方の荒んだ心も憤激も全部照らして、明るい前向きな活気に変えられる、はず……!)


『はい、皇女様』


 那由多(なゆた)の神々が一斉に唱和する。


 ――お願い致します、どうかお怒りをお鎮め下さいませ!


 渾身の訴えに、神々の気配が困惑を帯びる。


『皇女様、それは』

『至高神様が軽んじられたのです』

『許せませぬ』


(――んん?)


 口々に告げられる言葉に、明香は先ほども抱いた違和感を感じ、しばし考え込んだ。


(この言い方……神様方が怒ってらっしゃる一番の理由って……)


 ――神と正面から向き合い、その気持ちを考えるんだ。

 ――自分の心の示すままにすればいい。


 義兄と高嶺の助言が蘇る。そして答えを見つけた時、何かがすとんと落ちたような気持ちになった。


(……ああ、そっか)


 ――皆様はお優しいのですね。


 神々の困惑がさらに深まる気配がする。


(私、人間側に立ってたから……天罰を受ける側の気持ちで、ずっと考えてたから……どうしよう怖いとしか、思わなかった。神様は自由奔放で、人間みたいに感情豊かで、怒らせたら天罰とか災害とかどんどん落としてくる、そんな印象だった)


 だが、それは神のほんの一面に過ぎなかった。


 ――皆様は、至高神のために怒ってくれているのですね。


 花梨が自分たちを侮辱したという怒りではない。人間たちが花梨に踊らされたことへの怒りでもない。

 花梨の行いにより、至高神の面目が潰されたと思って詰っているのだ。至高神は神々にとってすら絶対の存在であるとされる。そんな至高神の愛し子を詐称する偽者がのさばっていたのでは、気分を害する神も多かったはずだ。

 気位の高い至高神であれば、余計なお世話だと一蹴するかもしれない。自分たちの格式はそのような些事(さじ)で堕ちなどしない、やたらと騒ぎ立てる方が見苦しいのだと、そう言うかもしれない。

 だが明香は、自分たちが慕う存在のことを心の底から想いやって声を上げる神々のことを、不快だとは思わなかった。


(私が本当に天威師なら、信じられないけど私も至高神だってこと。この神々は私のためにも怒ってくれていたんだよね)


 ――私たちのためにこんなに声を上げてくれて、ありがとうございます。すごく嬉しいです。


『こ、皇女様……』


 神々の間にさざ波のような感嘆が走る。


 ――私は生まれてから今まで市井の中で育ちました。けれど、自居にて神をお祀りし、度々祈りを捧げることはありました。神々は私のすぐ近くに在ったのです。


 多様な神々が混在する神千国で、斎縁家は全ての神を祀っていた。それは、皇女の可能性がある明香を神々と親しませるためであったのかもしれない。


 ――神々を想いながらお祈りする中で、ずっと考えてきました。この神千国を護って下さっている神々は、どのような方々なんだろうと。お優しい方なのか、勇敢な方々なのか、温かな方なのか、自分なりに想像していました。


 自分の住む国を守護してくれる神様だ。誇りに思える神であれば良いと、幼心に思っていた。気まぐれだったり、自由気ままで一種の子どもっぽさを持っていたり、怒らせると怖い部分があったとしても――それ以上に気高く偉大なものを兼ね備えている姿を思い描いた。


 ――今こうして感じることができている皆様は、とても慈悲深く、思いやりがあって、ご立派な方ばかりです。自分がとても大事にしている存在のために迷わず声を張り上げる、情の深い神々です。


 いつの間にか、自分と別の誰かの声が重なっている。別の誰か――自分の中にいる()()()()が、共に声を上げている。


 高嶺の光が、ふわふわの毛が、自分たちを激励するように寄り添ってくれているのを感じる。


(ああ……心を傾ければ、こんなにも強く激しく伝わってくる)


 神々が至高神へ向ける、狂おしい程の思慕と尊崇と畏敬の想いが。自分はそれを受け止め、神々と真摯に向き合わなければならない。それが自分が遂行すべき役目なのだ。そう思い至った瞬間、己の中で息を潜めていた力が、真の目覚めを示すように胸の奥で渦巻くのを感じた。

 大きな、大きな力だ。太陽のような強さと輝きを宿す力。

 明香は息を吸い込んだ。


 ――私は、この国が好きです。この国で暮らす人々も好きです。そして、この国を護って下さる神々も好きです。ですから、皆様の怒りで国や民が傷付けば、それはすごく悲しいことです。傷付ける方も傷付けられる方も、私がとても大切に想っている存在ですから。


 懸命に語りかけられる言葉に、神々が陶然とした気配で聞き入っている。明香の魂から放たれる紅の輝きは、憤怒の深淵で荒んでいた神々の心を陽だまりのように暖かく照らし出し、優しく丁寧に溶かす。

 そして、その紅と併せて煌めく朱色の光が、深い傷をも癒す変若水(おちみず)のごとき柔らかさをもって、共に神々を宥めていった。


 ――ですから、どうかお怒りを解いて下さいませんか。私は、国民にも神にも、できる限り笑顔で、楽しい気持ちでいて欲しいのです。国にはもっと豊かになって欲しいのです。


 理想論だとしても、そう望むことは間違いではないと思う。皆が下を向いて暮らしている国よりも、笑顔が多い国の方が士気も活気も上がり、文化と暮らしは発展していくだろう。


 ――花梨さ……皆様が怒っておられる娘の処遇については、皇族が誠心誠意対処して参ります。また、彼女は徴を持たぬただ人ですので、地上にて人間の法で裁きたく思います。皆様には、どうかそれを見守っていただきたいのです。


 自分たちを信じて、天から見ていて欲しいと訴えかける。自分の中にいるもう一人と心を合わせて。

 鮮やかな紅朱の光が弾け、天界を丸ごと抱くように広がった。虹色の光を帯びたそれは、あまねく神々の魂までをも照らし出した。


 ――皆様はこれだけ声を上げてくれた。その真心で、私は十分すぎるほどに満たされました。皆様の気持ちが、私はとても嬉しかった。本当に嬉しかったのです。ですから、もう十分です。


 もう怒らなくて良いのだと、神々に告げる。もう満足したと、あなた達の想いはよく分かったと。


 ――なにとぞお願い申し上げます、もうお怒りにならないで下さい。


 万感の想いを込めて放った言葉に、神々が静かに息を吐いた。明香が真っ直ぐに向ける光の波動が神々を包み、吹き荒れる激情の茨から棘を摘み取っていく。怒りという名の袋小路に閉ざされていた神々の心が、眩い光に導かれて解放される。


『ああ、我等が尊き女神よ』

『あなた()がそうまで仰るならば、あの娘のことは地上に委ねましょう』

『姫君様を悲しませぬためならば、怒りの矛くらい幾らでも収めてみせますとも』

『明るき光の御子は我々の光にございます』


 姿無き神々が一斉に平伏したのが、見えずとも理解できた。


『光の女神の意に従いましょう。至高の御方々に幸あらんことを』


 その言葉と共に、視界が光に包まれ――パァンと玻璃が砕けるような音と共に、明香の意識は急降下した。


(っ……うそ、落ちるっ……!)


 息を詰めた時、脳裏に褐色の翼が閃いた。一気に落下しかけていた感覚が、その翼に導かれるように持ち直し、浮遊する。


(祭壇にいた鳥……)


 凛とした強大な波動が、沈みかけた明香の意識を支えてくれる。


(大きい。熱い。何て力強い……)


 ()()()()()()と心臓が脈打った。先導するように下へ下へと舞い降りる鳥の残像に誘われるように、明香の意識もゆっくりと地上へと引き戻されて行った。


ありがとうございました。

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