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25.もふもふと心臓発作

ご覧いただきありがとうございます。

「それでは、我々は外に控えております」


 緋色の祭壇が整えられた広間に、高嶺と明香、それに松庵を残し、神官たちは退室した。南の祭祀の間は天井が吹き抜けになっている。

 上を向くと、ごろごろと不穏な低音を鳴らす雷雲が暗い空一杯に広がっていた。蒼穹を埋め尽くす黒い雲は神々の忿怒の神威、時折走る稲妻は怒りの咆哮だ。


「…………」


(これ……ほんとに下界がぺしゃんこにされちゃうかも)


 明香が唾を飲み込みながら空を見上げていると、不意に祭壇の上の空間がぐにゃりと歪み、褐色の大きな鳥が現れた。大鷲のように巨大なその鳥は、何故か左の翼を閉じている。


(何、あの鳥?)


 凝視する明香の胸が、不意に()()()と鼓動を打った。まるであの鳥に引き付けられるかのような心地になる。驚いて胸に手を当てる明香の側で、祭壇の最終調整をしていた松庵が小さく目を見開き、鳥に向かって跪拝した。高嶺も一つ瞬きして同様に拝礼する。

 聖威師だけでなく天威師までが共に頭を下げるなど、間違いなく普通の鳥ではない。そう考えた時、ふと義兄から習ったことを思い出す。


(ひょっとして神獣?)


 神獣は神使の一種だ。普段は天界にいるが、神託を届ける際などに地上に降りて来ることがある。


(でも神託を届けに来たんじゃないっぽい? 何も喋らないし)


 ならば、地上に留まっている神獣か。神獣は地上が気に入れば、すぐには天に帰らずしばらく住み着き、相性の良い人間に幸や富を与えてくれると言われていた。泰斗いわく、皇帝を始めとする皇族や神官たちの強力な御威が満ちた皇宮は居心地が良いらしく、天の遣いで降りて来た神獣が時たま居残ってぶらぶらしていることがあるそうだ。

 そこまで考え、はっとした。


(そうだ――皇宮には、初代皇帝が使役していた神獣が今も皇家を加護してるって噂がある)


 その神獣は、初代皇帝・緋日皇の天威により生み出された形代だという。初代の遺志に応じ、三千年の時を経た現在でも皇家のために力を貸していると囁かれていた。


(まさかあの鳥が初代様の……)


 明香が注視していると、宙に滞空していた鳥は右翼を翻して祭壇に降り立つ。そして、閉じていた左翼をそっと開いた。大切にしまっていた宝物を取り出すかのように優しく広げられた左の翼の中から、もっふりとした黄土色の毛玉がころころ転がり出て来た。


(あ、動いてる。動物だ。猫? 子犬? ううん違う、何だろう…………猫みたいな大きさでふかふかの毛の、馬みたいな生き物?)


 そうとしか表現できない不思議な生物が、短い四本の脚をちょこまかと動かして祭壇を駆け下りて来る。背中を中心に柔らかなふわふわの毛が生えており、大きくて丸いつぶらな瞳は深い漆黒だ。

 微かに息を呑む高嶺の膝に頭と体を()り付けたその生物は、松庵にも擦り寄ってからとてとてと明香の方にやって来た。


(うわぁ、可愛い)


 ふんわりした毛並みですりすりされ、明香は寸の間緊張を和らげて目尻を下げる。祭壇に留まっている褐色の鳥は、鷹揚に構えたままだ。

 やがて黄土色の生き物は明香から離れ、ちょこちょこと祭壇を昇り、鳥の下に戻って行った。鳥が柔らかな仕草で左翼を広げるとその中にもぐりこんだが、再び閉じられた左翼と胴体の間からひょっこりと顔だけ出している。

 そちらに向かって一度さらに深く頭を下げた高嶺が、「御前失礼いたします」と言って跪拝を解き、立ち上がった。


「神官長、そなたも待機を」


 命令を受けた松庵は、やはり鳥たちに対して再度平伏した後、身を起こした。


「承知いたしました。儀式のご成功をお祈りしております」


 最後に高嶺と明香にも深く頭を下げ、慣れた仕草で衣を捌くと広間を去る。去り際、頑張れと言わんばかりの目で明香を見ていった。

 ――そして、しんと静まり返った空間で、明香は恐る恐る高嶺に聞いた。


「……あの、これから何をするのでしょうか」


(というか殿下、着替えなくていいの? こういう時って儀式用の衣を着るんじゃないの?)


 高嶺が纏う衣は質の良いものなのだろうが、おそらく普段用だ。


「簡単だ。祭壇の前で跪き、神に祈る。お怒りを解いて下さいと。それだけだ」

「はぁ……。ええと、専用の衣とか、特別な動きとか、決まったお祈りの言葉とかは……」


 鳥の翼の下から顔を覗かせている黄土色の生き物が、じっと明香を見た。


(あ……)


 明香はふと、自分の態度が素に近いものになっていることに気付く。


(そうだ、言葉遣い……こんなとこ義兄様に見られたら怒られちゃう)


 笑顔で重々しい圧を放って来る泰斗を思い出して冷や汗をかいていると、高嶺が口を開いた。


「無い。本来は祭壇も飾りも必要ないのだ。体裁も必要ということで用意しているだけに過ぎない。極端な話、そこらの道端で夜着を着て寝転がりながら、あけすけな口調で語りかけても良い。真皇族ならばそれでも許される。――案ずるな、神は真皇族を決して傷付けない」


(いや私、そもそも皇族じゃないと思うんですけど。私だけ怒られるかもしれないの? そしたら殿下、助けて下さいますよね? 私をここに引っ張り込んだの殿下なんですから)


 明香の胸中などお構いなしに、高嶺は祭壇の前で跪拝し、その姿勢のまま目を閉じた。先ほどの言は極端な例を示しただけで、きちんと礼を取るようだ。


「西の御子は徴を持たぬただ人であるゆえ、地上において人間の方で裁かせていただきたいと頼み込むのだ。()()()()()()その方法が使える。そなたも好きな体勢で、好きなように祈ればいい。自身の心の示すままに」


(好きなようにって言われても……)


 恐る恐る高嶺の斜め後ろに控え、同じように膝を付く。だが、神に語りかけたり目を閉じる勇気はなく、跪拝したままそっと様子を窺った。


(大丈夫……大丈夫、殿下がいらっしゃるんだから)


 すると、目の前にある高嶺の背から、虹を纏った藍色の光が立ち上る。


(太子殿下の天威だ)


 高嶺は闇神の寵児であり、自らも藍闇神の神格を持つ。闇神は静寂と休息を司る夜の神だ。人は夜を迎えると、(しじま)に満ちた闇に護られながら、昼の活動で高ぶった心身を安らかにして休ませる。そうすることで次の活力を蓄え、朝日が昇ればまた進み出すことができるのだ。


(原初の闇神である黒闇神様は、深い漆黒の気をお持ちだなんよね。古い文献には、たまに雪をまぶしたような白いお姿で顕れることもあるって書かれてたけど……。興奮した心と体を落ち着かせて休ませて下さる力をお持ちなんだから、気を逆だてる神様方を宥めるには打ってつけの神性のはず)


 そう自分に言い聞かせる。予測を裏付けるように、高嶺の天威からまさに圧倒的な深さと大きさを誇る波動が放たれ、ほっと安心した――その時だった。


「ぅっ……!」


 いきなり高嶺が苦し気な声を上げ、体を(かし)がせる。藍色の光がふっとかき消えた。


「殿下!?」


 慌てて床を蹴って駆け寄ると、高嶺は苦悶の表情で胸を抑えていた。


「どうなさったんですか!?」

「じ、持病の心臓発作が……いたたた、心臓が!」

「え……」


(殿下、持病なんてあったの!? 天威師なのに!?)


 視界の隅で、祭壇にいる鳥ともふもふ生物がずるっとこけているのが見えた気がしたが、気にしている余裕はない。


「だ、大丈夫ですか! 誰か呼びましょうか!? そうだ、薬、薬は今お持ちですか?」

「無い」

「な、無いぃー!?」


(ど、どうしたら……持病なら常備薬とか持ってるものじゃないの!?)


 今までの診断記録と治療用の霊具が揃っているだろう医療府に駆け込んだ方が良いか。いや、外に控えている神官たちを呼んで治癒を依頼した方が早いのではないか。というか、高嶺自身の天威で治療できないものなのか。

 一瞬のうちに様々な思考が脳裏を巡る。と、高嶺が明香の手を掴んだ。


「わ、私は発作で神に語り掛けられるほど集中できない……そなたがやってくれ」

「――は?」


(やるって何を?)


 ――まさか。


「もう時間が無い……頼んだ……」


 がくりと脱力した高嶺が寄りかかってくる。


「え、ちょ……い、いやあああああ――!!」


 必死にそれを支えながら、明香は心の底から絶叫した――色々な意味で。


「むりむりむり、私むり、儀式なんかできないよどうしたらいいですか!?」


 言葉遣いも礼儀も放り出してまくし立てると、腕の中の高嶺が薄目を開けて弱々しく言った。


「人間死ぬ気でやれば何でもできる……頑張れ……」

「いやできませんよおぉぉ!! そんないきなり言われたって!!」


 涙目で半狂乱になりかかる明香の頬を、高嶺の手がするりと撫でる。


(……あ……)


 そのたった一動作で、混乱の極みにあった感情が嘘のように鎮まっていった。


「落ち着け、そなたならできる。私が誘導する」


 藍色の光が細い糸状となって明香を取り巻いた。


ありがとうございました。

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