23.太女はただの庶子となる
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本日2話目の更新です。
6時頃に一つ前の話を投稿しています。
肌が切られるような沈黙の中、松庵が静かに言った。
「太……西の御子殿。何か言うことはございますか? 反論があればどうぞ仰せ下さい。逆に認めるのであれば、これが最後の機会かと」
ついに太女と呼ばれなくなったことに、花梨の肩が小さくはねる。
「っ……わ、私は……私は、悔しくて……」
大きな瞳が潤み、ぼろぼろと涙がこぼれた。絞り出すような声が紡がれる。
「陛下と高嶺お兄様は、三千年ぶりの全き天威師にまでなって最上を極めているのに。他の皇族方も立派な天威師なのに。なのに私は……どんなに頑張っても徴は僅かも出なくて……惨めだった、ずっと見返してやりたかった」
握り締めた拳が震え、美しく整えられた爪が皮膚に食い込んでいる。
「そんな時、あの宴に招かれて……帰る前もう一度神器を見たくて広間に寄ったら、誰もいなかったの。それで、少しくらいならと思って神器に手を伸ばしてみたら、簡単に取り上げることができたのよ」
花梨の従者たちは荷物の確認や帝国を出る手続きなどをしていたため、一人庭を見ながら時間をつぶしていた時のことだったという。
「だから、魔が差して……。この神器を持てば私も強い御威が使えるようになるんじゃないかって。罪悪感はあったわ。でも、今のままじゃ死ぬまで蔑まれる……皆私のことを見下して馬鹿にしているんだって思ったら、誘惑に勝てなかった」
強大な力を持つ神器に触れていると、他責の念と自己の正当化が急劇に膨らんでいったのだ。
「つまり――太子殿下の綸言の通りであるとお認めになるのですね」
どこか冷淡な口調で松庵が言う。いつも纏っている暖かな雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。
「……」
花梨は俯いたまま返事をしない。だが否を唱えない時点で、それは無言の肯定も同然であった。
「何と愚かな」
突き刺すような鋭さと重さを持った声音で呟き、松庵は続きを促す。
「――それで? 手中にした神器を隠し持ち、この国に帰って来られたと?」
その口調は淡々としていたが、決して逃げやごまかしを許さない強さを持っていた。
(松庵様……)
彼はこのような厳しい面も持っているのかと、明香は二の腕を抑える。鳥肌が立っているのは冬の寒さのせいではなく、松庵の放つ峻厳な気迫のせいだ。花梨も怯えるように身を竦ませ、消え入りそうな声で言葉を継いだ。
「神千国に帰った後、神器を布から出して初代様のようになりたいと祈ったの。そうしたら神器が体の中に入って……おじい様に習ったから知っていたわ。神器を使う資格がある者は、その神器を自在に体内に出し入れできるようになるって。その通りになって興奮したのよ。金日神様の神器を手に入れた私は全き天威師で日神様の愛し子だって……」
松庵が苦々しい眼差しで溜め息を吐き、首を横に振った。花梨は涙声で続ける。
「私の気は緋色になっていたし、体から扇を出して振ってみたら日神様しか持たない金色の神威が出たから、余計にそう思ったの。だから、神器の気配を感じて見に来た神官たちに、天威に目覚めて日神様から神器を賜ったと言ったのよ」
扇から神布を外して発動させたため、抑えられていた神器の神威が解放され、神官たちが気付いたのだろう。
「そうしたら皆に手放しで褒められたわ。気持ちよかった、嬉しかった。すごく嬉しくて……これで私は一番偉い全き天威師になったんだから何でも我が儘を言って良い、それは当然の権利だと思ったの……」
初代と同じ色に染まった己の気、手中にした扇から放たれる金色の輝き、周囲からの称賛に満ちた言葉と眼差し。それらは、今まで徴が出ずに苦しんでいた花梨の心に、甘い味を覚え込ませてしまった。
高嶺がふっと嘆息し、頷いた。
「そなたが覚醒した時、私と蒼月皇陛下は共に儀式で皇宮におらず、戻ってから初めて神器を確認した。そなたが神器を取り出したのは寝室であったゆえ、陛下も詳細を把握できなかったのだ」
皇帝白珠は皇宮全体に天威を張り巡らせ、発生する事象を掌握している。しかし、手水場や湯殿、個人的な住居の私室、そして寝室など、個人の尊厳が護られるべき場所は天威を外し、視聴しないようにしている。当然ながら、必要な事態が起こらない限りは、衣の中を透かし視ることもしていない。
花梨は、衣の奥に隠した状態で皇宮に持ち込んだ神器を、私人として与えられた宮の寝室で初めて取り出した。それゆえ、白珠もその経過を窺い知ることはできなかったのだ。
「急報を受けた私たちが駆け付けた時点で、既に皇宮は大騒ぎになっており、神託のことも広まってしまっていた。叔父上と叔母上、従弟妹たちも公務で不在であったしな」
知らせを受けた白珠と高嶺が戻った時には、既に皇宮の外にまで花梨の覚醒と神託の件が広まり、三千年振りだ初代の再来だと都中がお祭り騒ぎになった後だった。
神千国においては、日神の神格を得た全き天威師は初代以来誕生していなかったのだから、皆の感動もひとしおであったのだ。
(あれからしばらくは毎日祭り祭りで皆浮かれまくってて、うるさいって義兄様が不機嫌だったなあ)
そして、ふと疑問に思う。
(神器を盗まれた宴の主催者は、花梨様が犯人だと思ってなかったみたいたけど。神器が無くなった直後に覚醒した花梨様のことを、本当に少しもおかしいと思わなかったのかな)
新たな全き天威師の誕生は帝国でも話題になったはず。宴で日神の神器が無くなったのと入れ替わりに、その宴に出席した者が日神として目覚めた。時期が合いすぎているが、それでも花梨を疑わなかったのだろうか。
(神託のことも同時に広まったから、それで納得しちゃったとか?)
あるいは、神器を探すのに必死で皇国の話題など聞き流していたのだろうか。高嶺は無表情のまま、温度の無い言葉を返した。
「例えどのような事情があったとしても、己の欲に負け、思い上がったのはそなたの落ち度だ。一時の優越感と自己満足に呑まれ、皇家の者としての在り方を忘れるなど言語道断。――御威に目覚めておらずとも己の本分を貫き、矜持と信念を守り通した方もおられる。皆が皆、そなたと同じではない」
冷たさや無慈悲さは無い、ただ正論を述べているだけの言葉だった。
「神器を使う前に、持ち出してしまったことを告白して誠心誠意謝罪する道もあった。今までその心身に叩き込んで来た心構えを思い出す機会もあった。今一度、自身の在り方を省みる時間もあった。周囲の諫言に真摯に耳を傾け、態度を改めることもできた」
立ち止まる機会、引き返す機会は幾多も与えられていたはずなのだ。
「だが、そのどれをもせず、ただ神器を我がものとし、偽りの力に酔って増長したのはそなた自身だ。その振る舞いで多くの者が傷付いた。そなたが己の手でやったことだ。生じた非も責も、自らで負わねばならない」
花梨は床にへたり込み、両手で顔を覆って甲高い悲鳴を上げる。胸の奥に突き刺さるような、悲痛な叫び。周囲から向けられる刃物のような視線から、必死で己が身を護ろうとするかのようだった。
(この子はきっと、ずっと悩んで悩んで、追いつめられて追いつめられて……その果てに手にした魅力に抗えず、道を外れてしまったのかもしれない)
喉に何かが使えたような息苦しさが明香を襲う。だが、この場を取り仕切っている高嶺は構うことなく淡々と言った。
「他と比べるものではないだろうが、当代の皇宮は従来よりは相当に穏やかだ。庶子であっても絹の衣を纏い、品数の多い食事が供され、皇宮に宮を与えられ、皇家に連なる者であるという立場と尊厳は保証された今は、格段に恵まれている」
そして鋭く号令をかける。
「皇家の西の御子、天麗花梨は帝国最高峰の神器を無断で持ち出し、私欲により悪用した。また、畏れ多くも日神様の御名を利用し、天威師を詐称した。さらに周囲の忠告に耳を傾けず、身勝手な振る舞いにより、本来守るべきはずの臣民を傷付けた。これら全て、皇家の者としてあるまじき振る舞いである」
(てんれい?)
花梨には苗字はないはず、と一瞬疑問に思った明香だが、すぐに納得する。
(あ、そうか……天麗って、擬皇族と皇家の庶子が名乗る苗字だ)
苗字を持たないのは真皇族のみであり、そこに擬皇族と庶子は含まれない。虚飾が剥がれ、太女どころか皇女ですらなくなった花梨は、もはやただの庶子に逆戻りしたということだ。
「藍闇太子の名において西の御子を幽閉し、しかるべき処罰を与える。罪人を拘束せよ」
速やかに駆け込んで来た武官たちが、うなだれた花梨の両腕を掴んで立たせ、外に連れ出す。それ以上一言の弁明もなく、花梨は連行された。もはやただの扇に成り下がった元神器を、最後まで手放せずに未練がましく握り締めて。きらきらしく飾り立てられた鳳凰の衣と金の簪が、すっかり萎れてしまった体に纏わりつき、憐れすら催す姿であった。
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