16.四柱の最高神
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神官たちが間髪入れずに跪拝する。一人動じぬ様子の松庵だけは、一拍遅れてゆったりと礼を取った。
「…………」
その中で一人突っ立っている明香は、ただ目を見開いて震えていた。
――これは恐れではなく、畏れだ。心臓を直接鷲掴みにされるほどに強い、畏敬の念だった。
心を奪い去られるように美しい赤、青、黄、緑の光は、時に絡み合い時に並列しながら揺らめき、部屋を満たすようにして煌々と輝いている。
(わ、私も、跪拝しなきゃ……)
この光は、最大限の礼を尽くして敬わねばならない相手だ。それが本能で理解できる。だが、見えない鎖に体中を締め上げられたように指一本も動かせない。非礼を詫びようにも、喉がカラカラに乾いて声が出ない。そもそも、こちらから話しかけることなど許されないだろう。
そしてもう一つ、尊崇の念とは別に、ある意思が込み上げるのを感じた明香は、それがどういう思いであるかを理解した瞬間、全力で否定した。
(有り得ない。そんなこと有り得ない、絶対に)
――あるわけがないのに何故、と、混乱が胸中を満たす。
神官たちは礼を取ったまま微動だにせず、呼吸音の一つすら漏らさず息を潜めている。
「……ぁ……」
その中でこぼれ出た明香のかすれ声は、静まり返った室内で思いのほか大きく響いた。
まずい、と血の気が引く思いに捕らわれていると、黄の光がゆらりと大きく膨れ上がり――おもむろに言葉を発した。
『はっ。何か御用でしょうかな、紅日皇女様』
荘厳ではあるがどこか親しみやすさを孕んだ、男性の声音だった。
「――え?」
思わず間の抜けた声を発した明香は、蒼白な顔をさらに青ざめさせた。跪拝する神官たちの気配が緊迫したのを感じる。
『声が聞きたいと仰っていたではありませんの』
次は緑の光が大きくなり、澄んだ女性の声を発する。続いて赤と青の輝きも。
『紅日の姫君様のお呼び出しなれば、我等が来なくては』
『して、御用向きは。何なりとお申し付けを』
よく通る男性の声と、淡々とした女性の声が交互に響いた。どの声も怖気を感じるほどの威厳に満ちているのに、同時に優しさを内包している。
「あ、あの、私……」
(どういうこと? 呼び出しって……まさか、さっきのお声を聞かせてっていうあの言葉のこと?)
明香が返答に詰まっていると、跪拝したままの佳良が口を開いた。
「偉大なる四大高位神様方にご挨拶申し上げます。矮小な身で尊き方々の御言葉を拝聴できますこと、恐悦至極にございます」
(……し、しだ……っ!?)
数秒後に意味を理解し、明香は戦慄する。
四大高位神――至高神に次ぐ大神たる地神、水神、火神、風神の四柱だ。この世界どころか次元そのものを創生したとされる原初神であり、至高神以外のほぼ全ての神々と森羅万象を統べている。至高神が余りに異次元すぎて完全に別格で考えられているため、この四柱が実質的な最高神となっている。
(何でそんな、最高位の神々が)
一方、四色の光は途端にその声音を固くした。朗らかな口調であった赤の光が、一転して冷たさを帯びたものになる。
『我等は今、紅日皇女様と話していたのだが』
『聖威師ごときが我々の会話を遮るのか』
緑光も斬り付けるような威圧と共に言い放つ。押しつぶされそうな圧迫感がごうと渦を巻いた。骨がきしむような重みに、明香は思わずよろめき、礼を崩さない神官たちも何人かが胸を抑えた。
「大変申し訳ございません、過ぎたことを申しました」
空気が凍り付く――ひび割れて砕ける寸前の玻璃のような危うさの中、佳良は即座に陳謝する。その様に、明香は申し訳なさといたたまれなさでいっぱいになった。
(ごめんなさい、私のせいだ……)
例え相手が神でなくても、許しなく目上の者の会話に割り入るのは礼儀にもとる。明香ですら分かる理屈なのだから、佳良自身も重々承知していたはずだ。それでも、明香の窮状を助けようと声を上げてくれたのだろう。
(何で、何でこんなことに。どうしよう。どうしよう……)
そもそも何故、四大高位神がそろいもそろって声を落として来たのか。この場の全員が跪いているが、ごく限られた高位の神官しか声を聞き取れないのではなかったのか。明香に向かって話しかけているように見えるのはどういうことなのか。
(確かに神様方にお声を聞かせて下さいって呼びかけたよ? でも私なんか、まだ徴が覚醒したばかりの見習いなのに……いきなり最高神様のお声が聞けるはずないよ。これは何かの間違い……というか紅日皇女って何? 誰? 私に向かって仰ってるの?)
「最高神様方へのご無礼を、私からも心よりお詫び申し上げます。なにとぞ寛容な御心にてお慈悲を賜りたく」
松庵が佳良を庇うように叩頭すると、神々の気配が心なしか動揺したように震えた。
『はっ……まぁ、この聖威師は末端とはいえ我々の同胞ですゆえ』
『えぇ、大目にみてあげるとしましょう』
黄の光と緑の光が慌てたように言うと、圧がふわりと和らいだ。呼吸が楽になるのと同時に、冷や汗が噴き出て来る。
(色からして、きっと黄色いのは地神様だよね。赤が火神様、青が水神様、緑は風神様……。佳良様は鷹神の加護をいただいていて、鷹神様は地神様と風神様に属する。だから鷹神様に愛される佳良様も多分地神様と風神様の眷属に含まれるから……庇ってくれたのかな)
それに佳良は聖威師、つまり自らも神格を持つ神だ。末端でも同胞というのはそういうことだろうと、明香は解釈した。
――この異常な状況下にありながら、それだけ冷静な思考と判断が下せている意味――圧倒されていると感じていても、実際は四大高位神が放つ神威に耐えられているのだということには、気が付かなかったが。
その時、不意に表が騒がしくなった。
「殿下――」
「ここで待て」
大勢の足音と話し声が聞こえたかと思うと、高嶺が扉を開け放って足早に入室して来る。見えない重しが無くなったかのように、空気がふっと軽くなる。彼の放つ絶大な気迫が、場を支配していた四大高位神の神威すら中和していくようだった。
(太子殿下!)
明香は安堵で涙が出そうになった。佳良を始めとする神官たちも、一様に肩の力を抜いたのが視界の端に写る。
『これは藍闇太子様』
『お元気そうで何よりでございます』
『来て下さいましたのね』
『そのように急がれずとも』
黄、青、緑、赤の光が口々に声をかけた。その口調と声音は、とても丁寧で穏やかなものとなっている。高嶺は素早く前に進み出ると、優雅な所作で衣の裾を捌いて跪拝した。
「賢くも世界の一切を司られます上つ神々に、神千国太子高嶺がご挨拶申し上げます」
黄と緑の光が膨らみ、地神と風神の上機嫌な声が響く。
『これはご丁寧に、痛み入ります』
『どうぞ楽になさって下さいませ』
口々に言われた高嶺は礼を解き、床に片膝を付いたまま恭しく頭を下げた。
「お慈悲に感謝いたします」
だがその直後、不意に顔を上げて視線を揺らした。僅かに険しさを帯びた顔であらぬ方を見遣り、眉を寄せる。
「……」
『藍の若君様、そう畏まられることはございません』
『藍闇の太子様は至高の神の一柱であらせられるのです』
水神と火神も柔らかく声をかける。高嶺が視線を戻し、如才なく応じた。
「恐縮でございます。……上つ神々よ、このたびはどのようなご用向きでしょうか」
風神が涼やかに、火神が力強く答える。
『紅日皇女様からのお呼びでございます。声を聞かせて欲しいと』
『紅の姫君様がご招請されるならばお答えせねばなりませぬ』
「左様でございましたか」
(え……殿下は今のお言葉の意味が分かったの? 紅日皇女って……)
顔色一つ変えず相槌を打つ様子に、明香は内心で疑問をぶつけるが、当然ながら答えはない。地神の含み笑いが響いた。
『相変わらず藍の若君様は真面目であらせられる。紅の姫君様はもっと気さくに我々に接されておられますのに。若君様もどうかお立ち下さいませ』
その言葉で、明香は自分が跪拝せず終いだった上に、今も立ったままであることを思い出した。
(しまった、何て無礼なことを……)
最初は跪拝しなければと思った。だが――不意に別の思いが湧き上がって来たのだ。全く正反対の意思が。
自分はこの神々に膝を付く必要も頭を下げる必要もない、という有り得ない考えが。二つの思考が拮抗し、圧し掛かる神威も相まって身動きが取れなくなった。
高嶺が落ち着いた声で返す。
「誠に失礼をいたしました。紅の皇女は覚醒したばかりのため、己の神性を上手く制御し切れておりませぬ。私がよく指導いたしますゆえ、どうか寛大なお慈悲をもちましてお目こぼしいただけますれば」
四色の光が膨らみ、神々が笑う声が聞こえた。風神と水神が言う。
『確かに、ご自身の内に秘める神威で私たちの神威を相殺されていらっしゃいましたわね。ですが、それくらい構いません』
『藍闇太子様の律儀さと紅日皇女様の気さくさを足して割ったくらいがちょうど良いのではありませぬか。藍と紅は対照的な性格であるようですが、では黇と朱は――』
カランと音が響き、水神の声が遮られた。
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