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13.虹色の世界で

ご覧いただきありがとうございます。

 ――高嶺がいつの間にか、明香たちでも武官でもない別の方角を見ている。

 思わず視線の先を追うと、遠のいて行く庭でいきり立つ花梨となだめるお付きの者たちが見えたが、高嶺の見ている方向はそこからずれているように感じた。


(何を見て……あ)


 少し離れたところに、波紋柄の淡緑衣を纏ったあの泣きぼくろの青年がいた。花梨が乱発した攻撃には巻き込まれなかったのか、汚れや怪我はない綺麗な姿だ。どこか冷たさを宿す青みがかった目を、じっと花梨たちの方に向けている。


(太子殿下?)


 あの青年が気になるのだろうかと思ったところで、はたと気が付く。


(太子殿下とあの人、よく似てる)


 高嶺を見た時に抱いた既視感の正体が分かった。あの青年と容貌が似ているのだ。思わず二人を見比べようとした時、ぐったりと腰かけていた泰斗が呟くように言った。


「ごめん……僕の厄介ごとに巻き込んだ」


 その声に我に返ったか、高嶺が一つ瞬きし、ついと青年から目を逸らした。同時に輿が道を曲がったため、青年も庭も見えなくなる。明香は慌てて泰斗に視線を向けた。


「ううん、義兄様は悪くないじゃない。私こそごめんなさい、義兄様が乱暴されてたのにずっと見てるだけで何もできなくて……栄生さん達も大丈夫かな」


 可憐とすら言えるほどに整った容貌が内出血で青や赤に腫れ、あちこちから血がにじんでいるのを正視すると、胸が締め付けられるように痛む。


「そんなことないよ、あんなに頑張って庇ってくれたんだから。栄生たちも大丈夫だよ。――神器の攻撃を受けたからちょっと()()()()になっただけ」


 後半は小声だったので、明香には聞こえなかった。軽くない怪我をしているというのに、何故か嬉しそうな様子で微笑んでいる義兄を訝し気に見る。


「でも……これから大丈夫かな。太女殿下をかなり怒らせちゃったから……獣を入れた檻に放り込むとか言ってたし」


 義兄に向けた不安の言葉だったが、答えたのは高嶺だった。


「太女の威勢がいいのは口だけだ。根は小心者、本気で獣に食わせるなどできるはずがない。死罪や指を斬るというのも口だけだろう。むろん言われた方は大きな恐怖を感じる上、付き人が真に受けて命令を実行する可能性もある以上、口先だけであったから良いということにはならないが」


 そして、ふっと瞳をなごませて頭を一振りする。


「そなたたちの今後のことは心配無用だ。斎縁当主には皇帝陛下という後ろ盾が付いている。明香、そなたは――私が後見になる。そうすれば花梨も迂闊なことはできない」


(太子殿下が後見に!?)


 明香は慄いた。状況を考えれば有り難い申し出なのだろうが、余りにも畏れ多すぎる。適切な返答を考えるものの、今までの人生の中でも、義兄と佳良から受けた講義でも、『太子の後見を失礼のないよう的確に断る作法』など習っていない。


「い、いえ、そのようなご恩情は私などにはもったいなく……」


 窮してモゴモゴと返事をする明香だが、高嶺に聞いている様子はない。


「そなた、先ほど日を出したな」

「え、日? ……あ、いえ、日でございますか?」

「ああ。太女の力を弱めようと太陽を隠したが、そなたが出した」


 空が曇った時のことを言っているようだ。


(怒りに任せて雲を呼んだたわけじゃなかったんだ)


「天威師様同士はお互いの力を抑えられるのですね」


 納得した明香の言葉に、高嶺は鼻を鳴らした。艶めく濡れ髪が、ほっそりとした首筋にさらりとかかる。このような細い肢体でありながら武術にも別次元の域で秀でているというのだから、まさに人は見かけによらない。


「未熟な太女が相手だったから通用した手だ。力を使いこなせていれば、日が出ていようが出ていまいが関係ない。神の加護と神威は己の内に在るのだから。現に私は、朝昼夜を問わず常に同じように力を使うことができる。仮にあの場にいたのが皇帝陛下であられたなら、月を消しても無意味だっただろうな」


 花梨の底が知れる、と呟き、ぐっと明香に顔を近付ける。


「私が抑えていたというのに、どうやって日を出した?」


(ち、近い近い!)


 漆黒の瞳が放つ深い吸引力に、吸い込まれそうになる。胸の奥が引き絞られるように痛むような気がした。全身が熱を持ち、ドキドキと鼓動が速まる。


「いや、どうやってと言われ……仰られましても。出たと言ってもほんの一筋だけですし、私がしたことはくしゃみくらいで」

「私が抑えた太陽を、くしゃみで呼び戻したということか」


 ひえっと明香は顔を引きつらせた。


「ご、誤解です! きっと偶然です、何かの拍子に殿下のお気が逸れた瞬間と被ったのだと思います。ただでさえ鶏と決闘して覚醒したと騒がれているのに、くしゃみで日を呼んだなんて噂まで立ったらもう皇宮を歩けません! 私は見ての通り、特に取り柄も特徴もない平凡な人間なんです」


 泣き出しそうな顔での切実な訴えに、泰斗が神妙な顔をし、高嶺は僅かに鼻白んだ様子で身を離した。


「……そうか。だが、そなたは平凡か? 一目見て分かるほど美しいぞ?」

「そうだよ、明香はものすごく綺麗だよ」


 さらに泰斗まで口をそろえて言う。


「ありがとうございます。そう言っていただけますと光栄です」

「……」


 全く本気にしていない明香に、高嶺と泰斗は複雑な顔をした。絶世の美貌を持つ義兄やテアとミアが間近にいる環境に身を置き続けていた上、高嶺や花梨など同様に美しい者が続けて現れたため、美的感覚と基準が大幅に狂っていることに本人だけが気付いていないのだ。


「明香」


 冷や汗が止まらない明香を見て、泰斗が懐から出した手巾を渡してくれる。


「ありがとう」

「髪も乱れてるから後で直した方がいいよ」

「うん……でも、私より義兄様と栄生さんたちを治療する方が先だよ」


 そこで高嶺が口を挟んだ。


「斎縁家の者たちにはしかるべき処置を施すゆえ、案ずることはない」

「は、はい」


 頷きつつ、明香は横目で泰斗を見た。明香との会話に割り込まれると、この義兄は途端に不機嫌になるのだ。それだけでなく、心配性なのか明香に近づく男を蛇蝎のごとく嫌悪する。

 ――だが予想に反して、泰斗は表情を変えずただ高嶺に一礼しただけだった。


(良かった、そりゃ太子殿下に噛みつきはしないよね。さっき殿下がかなり接近した時だって何も言わなかったし)


 内心で胸を撫で下ろしている明香に、急ににこやかな笑顔になった泰斗が言う。


「ああそうだ、明香。君の言葉を聞いてたけど、動揺したり焦ったりした時にちょこちょこ素の話し方が出ているよ。僕と話す時は普通の口調で良いけど、気の張る相手に対しての言葉遣いには常に注意してね。まあ今回に関しては、太女殿下と一悶着なんていう事態だったから仕方ないところはあるけど……十分気を付けるように」

「は、はい」


 義兄の厳しい指導を思い出した明香は、反射的に背筋を伸ばして頷いた。

 と、高嶺が軽い口調で言った。


「……ところで、視ている限り花梨は問題なく落ち着いた。大人しく宮に戻っていくようだ。となれば、いつまでも日を隠しておくわけにはいかない。太陽は人間の生活に必要なものだ。――そなた、出してみるがいい」

「――はい?」


 息をするようにとんでもないことを言われ、一瞬理解が追い付かない。


「先ほどと同じようにすれば良い。何、簡単なことだろう」


(いやどこが!? ていうかあなたが雲を退かせればいいだけじゃないですか!)


 心の中で絶叫する明香である。


「お、畏れながら太子殿下、申し上げているように私にそのような芸当は」

「そなたは自分の力に気付いていないだけだ。そなたの中には太陽の力がある。そなたこそが日神の再来だ」

「あの……何を仰られているのか、ちょっと意味が分からないのですが……」


 皇族にこのような言い方は不敬だと思いながらも、つい心の声が出てしまった。後で義兄に笑顔で怒られるかもしれない。

 不意に、こちらに体を寄せていた高嶺が身を離し、つと居住まいを正した。すうと背筋を伸ばし、唇を引き締めて明香を見据えた瞬間、それまでとは全く違う超然とした気迫が満ちる。

 今までが君主の風格に相応しい凛烈な威厳であったのなら、これは遥か天に座する神が放つ尊き神威だ。


「っ…………」


 圧倒されて言葉も無い明香に、厳かな言霊が突き刺さる。


(なんじ)、至高の神の寵児。この世に生命と活力をもたらす光の女神の申し子よ。我らはそなたの目覚めを待っていた」

 滔々(とうとう)と告げる高嶺の声に宿る力に、急に意識が引きずられる。


(何……何言ってるの……)


「私の目を見ろ。そなたと共に在る者の目を」



 ◆ ◆ ◆



 ――気付けば輿の上にいたはずの明香は、淡い虹光に満ちた空間を漂っていた。

 全てが虹色で満たされた中で、金銀白黒とその他様々な彩りの輝きが水晶の欠片のようにきらきらと煌めいている。大地も草木も空も何もない。ただ優しい光だけが波のようにうねりを上げていた。

 余りの事態に、明香は思考が追いつかず恐慌状態になりかける。


(ここは――どこ)


 だが、慌てふためく意識の表層よりもずっと奥にある深淵から、魂が告げた。

 いや、違う。思い出せ。知っている。自分は知っている。

 この暖かな絶域を。

 神がいます天よりもなお上の場所。自分のいるべき場所、還るところ――還るべきところ。

 心の最奥から突き上げる衝動に、涙が零れた。

 明香と――それに()()()()


(誰?)

(太子殿下じゃない。私と一緒に泣く、あなたは誰)

(どこにいるの?)

(もしかして私の中にいるの?)

(――ずっと、一緒にいたの?)


 自分ともう一人が泣いている。

 虹色の(ゆり)かごの中にはらはらと舞い落ちる、金と白の羽根に銀と黒の鱗。

 魂の奥が蠢く。燦然と世界を照らし出す太陽のように、熱く大きな力が噴き出して迸る。


 場を埋め尽くす虹光が揺れ動き、金色の輝きを纏った人影が現れた。まだ十代前半頃の若い女性だ。地に届くほど長い髪を結い上げた、凄絶なまでの花顔(かがん)を持つ絶世の美女だった。霞のように薄い衣を重ね、ふわりと翻る領布(ひれ)を纏っている。


(この方は――)


 明香の胸中に、例えようもないほどの懐かしさと慕わしさが込み上げた。まだ少女とも言える外見の女性は、ただただ圧倒的な慈悲と優しさを宿した目で明香に微笑むと、両腕を広げて抱き締める。


『ああ、よく……よくぞ来てくれました。ようやく会えた――我が愛し子よ』


 玉を振るような声で囁かれ、母に抱かれたような安堵と歓喜が心を覆い尽くす。


(私は、私は……)


 その時、涙で曇った視界の中、虹の輝きで満たされていた世界に、まるで導のように藍色の波紋が煌めいた。高貴さと妖絶さを昇華させたような美しい波動が、明香の周囲で爆ぜる。

 ドクリと心臓が跳ね上がり、頰を打たれたような衝撃が走った。次いで襲い来る、胸が締め付けられるような切ない感覚。先程高嶺を見た時に感じた、狂おしいほどの感覚だ。


(これは……)


 直感的に悟る。魂の一番深い部分が教えてくれる。


(これは――私の運命……私が添う御方……)


 明香から放出された閃光が弾け、紅と朱の輝きが螺旋を描いて混じり合う。凄まじい閃光は奔流となって空間を覆った。


 視界が真っ白になり、明香の意識もその輝きに染め抜かれて砕け散った。



 ◆ ◆ ◆



「明香! 明香!」


 懸命に呼びかける声が聞こえ、明香はとろりと半眼を開いた。茫洋とした瞳が、分厚い雲を割って差し込む夕焼けの光と、こちらを見つめる高嶺と泰斗を映し出す。空が宵に染まる前の最後の輝きのように、真っ赤な夕日が煌々と辺りを照らしている。

 いつの間にか、輿の上に戻っていた。いや、あの虹色の空間への移動は、果たして現実にあったことなのか。


「明香、大丈夫!? しっかりして」


 泰斗が肩を掴んで呼んでいる。その後ろから高嶺も覗き込んでいた。


「ああ――」


 歓喜と感涙が押し寄せ、二つの意思が一つに重なる。


(私の伴侶――)


 唇から感極まった思慕が溢れ出た。


「我が、()(きみ)……」


 そこで、明香の意識は完全に途切れた。


ありがとうございました。

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