12.怒れる太女
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高嶺が僅かに目を見開き、一瞬だけ上を見やる。泰斗もちらりと陽光を見た。
「……いきなり飛び出したり割り込んだりして来て、あなた何なのよ。というか誰なのよ。神官みたいだけど……見たことがないわね」
少し冷静になったのか、花梨が今更ながら疑問を目を向けて来た。じろじろとこちらを眺め、「ま、まあ顔はそれなりにいいみたいだけど、私に比べれば全然よね」と訳の分からないことをぶつぶつ言っている。
明香は義兄から叩き込まれた作法と挨拶、失敗時の謝罪方法を大急ぎで思い出しながら跪拝した。
「……両殿下にご挨拶いたします。このたび徴が現れたため、神官見習いとして神官府に登録されました斎縁明香でございます。……先ほどは己の身分を弁えず、畏れ多くも太女殿下に対して不躾な発言をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。寛大なお慈悲を持ちまして、なにとぞお許しいただけますようお願い申し上げます」
現状に合わせて即興を混ぜたので不安だが、何とか様にはなっただろうか。
(さっきのはさすがに無礼過ぎたよね……相手は太女殿下だし)
間違ったことを言ったとは思っていない。しかし、理不尽だろうが不合理だろうが、皇族が黒だと言えば白いものでも黒になり、晴れだと言えば雨が降っていても晴れになる。それが皇族が頂点に立つ国の現実だ。そのことが理解できる程度には、明香の理性は回復していた。
(また太女殿下の怒りが再燃して、死罪よ! とかなったら……)
むくむくと懸念が湧き上がり、嫌な汗をかいていると、高嶺がぽつりと呟く。
「……やはりそなたが日の女神か」
だがその声は余りにも小さく、明香たちの耳には届かぬまま風に溶けて消えた。一方、挨拶を聞いた花梨は目を瞠る。
「もしかして鶏と喧嘩して覚醒した新人ってあなたなの?」
(うわ~……)
自分の覚醒の経緯は相当広まっているらしいと、明香は内心で頭を抱えた。この一週間、神官府を歩くたびに、先輩の神官たちがヒソヒソと『あれが鶏と格闘して徴が出た新入りらしいよ』『あの子、鶏と大喧嘩して霊威が目覚めたんですって』と話す声が聞こえてくる。
そして、腫れ物に触るように遠巻きに見つめられるので、開き直って笑いかえす度胸もない明香にとっては結構辛い。こちらを嫌悪したり見下しているわけではなく、ただ純粋に困惑しているだけのようだが。
(私だって好きでそうなったわけじゃないのに)
テアとミアからもらった菓子を配れば仲良くなるきっかけがつかめるかと思ったが、花梨の衝撃波を喰らってどこかへ飛んで行った菓子箱は、きっと中身ごと原型を留めていないだろう。
(そうだ、お姉様たちからいただいたお菓子、また駄目にしちゃった)
帝国の分庁に行った時、会ってもらえたら謝ろうと心の片隅で考える。
(ていうか、私の話って皇族の方々にまで届いてるんだ……)
二重の意味で肩を落としていると、じっとこちらを見ていた高嶺が口を開く。
「楽にせよ」
許しが出たので跪拝を解くと、花梨が泰斗と明香を見比べた。
「斎縁と言ったわね。……兄妹なの?」
「……太女殿下に申し上げます。私どもは義理の兄妹でございます。私はゆえあって斎縁家の養子にしていただきました」
(ああ、聞かれちゃった。苗字を言わないわけにはいかないんだから仕方ないけど)
この世界では、苗字――つまり家名を持たないのは皇国の真皇族と帝国の真帝族だけだ。世界の頂点に立つ天威師は比類無き別格の存在であり、全ての系譜を超越した枠外に位置づけられるので、家名によって他の門流と区別する必要が無いためである。
真皇族と真帝族以外では、擬皇族と擬帝族も含め貴族から平民まで全員が苗字を持っている。
(斎縁の名は極力出したくなかったのに)
嫌な予感を裏づけるように、花梨の瞳が嫌な光を放った。
「ふうん……私を拒否する男の義妹ってことね。――そう、新入り神官なの。いいわ、とっても親切にしてあげる。そうだわ、泰斗が言うことを聞かなかった罰を、代わりにあなたに受けてもらおうかしら」
泰斗が初めて顔色を変えた。明香も固まる。
(え……)
「やめろ、太女」
冷ややかな声で高嶺が言う。
「太子の名において、皇帝陛下と私の許可なく斎縁泰斗と明香を罰することを禁ずる。不当な扱いも厳禁だ」
「何よさっきから、この娘の味方ばかり! ちょっと顔が良いからって、こんな鶏女の贔屓をするの!?」
高嶺を睨み付ける花梨の台詞がぐっさりと突き刺さり、明香は胸を抑えた。
(に、鶏女……)
高嶺が鋭い目で花梨を見た。
「口を慎め。太女だからと言ってどのような発言でも許されると思うな」
「別に悪口を言ったわけじゃないわ、鶏と真剣な大立ち回りを繰り広げた挙句に徴が出た女、というのを略して鶏女と言ったのよ! 間違ってないでしょう!?」
だが、負けずに喚いた花梨の言い分に瞬きし、数秒考えた後で真面目な顔のまま頷いた。
「……確かにそれは間違っていない」
――そこはうそでも否定して欲しかった。
内心で項垂れる明香に、しかし、高嶺はすぐに続ける。
「だが、言われた方は傷付くだろう。言葉は繊細なものだ。上手く使えば相手を勇気づける力となるが、扱い方を誤れば心を切り裂く刃となる。ゆえに間違っていなくとも、相手を傷付けることを言ってはいけない。例え間違っていなくとも」
二回言った。火花を散らす高嶺と花梨を、明香が虚ろな目で見た時。
足音が響き、数十名の武官が大きな輿を三基担いで駆けて来た。そのうちの一人が高嶺の前に膝をつく。
「太子殿下、輿がご用意できました。怪我人は医療府にお運びしますか?」
「ああ、ご苦労。斎縁当主と怪我人を中へ。この者たちは私と陛下が抱える職人とその家人ゆえ、私の宮へ運べ」
「承知いたしました」
命を受けた武官たちが泰斗に手を貸し、輿の一つに乗らせた。次いで栄生と章波、そして蘭と鈴と連をそれぞれ残り二基の輿に運び込む。
「そなたも来い」
泰斗と同じ輿に乗り込んだ高嶺が、明香を見て言う。
「ええ!?」
(太子殿下と同じ輿になんて乗れるはずないじゃない)
泰斗は状況が状況なので特例で許されただけだ。凍り付いた明香の視界の端に、同じく絶句している花梨が映る。だが、高嶺は頓着しない。
「早くしろ。……ここに残れば太女に何をされるか分からぬ。先ほどの不敬罪で殺されたいのか」
なら徒歩で付いて行きます、と返そうとした明香だが、輿の近くに控える武官が咳払いしたのを見て言葉を飲み込んだ。
――いいから黙って言うことを聞け。
武官の雰囲気と目はそう言っていた。
「は、はい……」
(うそでしょ……)
断ってはいけないと悟った明香は、へっぴり腰で輿に乗り込んだ。
「それでは太女、この後は必ず謹慎せよ。付き人に八つ当たりをすることは許さぬ。もしそのような真似をすればさらに罰を追加するゆえ、覚えておけ。――出せ」
高嶺が号令をかけると、太子が乗っているからか、怪我人に配慮してか、輿は極力揺らさぬように持ち上げられて進み出す。
「――このアバズレが!」
いきなり背後で上がった怒声に振り向くと、我に返ったらしい花梨がものすごい目で睨みつけていた。
「何であんたが太子と泰斗と同じ輿に乗るのよ! そこは私の場所よ!」
一閃した金の扇から絶大な波動が迸り、激流のようにこちらに放たれた。しかし、隣に座す高嶺が面倒くさそうに手をヒラリと振ると、それはあっけなく霧散して消える。
「っ……許さない……絶対許さないから!! 覚えていなさい!!」
唇を噛み、目を血走らせて吠える花梨を、青ざめた明香は呆然と見ていた。
(これ……完全に目を付けられちゃったんじゃ)
高嶺が静かに言う。
「大丈夫だ、太女に手出しはさせない」
そして再度手をかざすと、藍色の波動が矢のように一直線に花梨の胸に吸い込まれた。すると、花梨が急に勢いを失くしてふらつく。高嶺は輿の側に追随する武官たちに矢継ぎ早に指示を出す。
「鎮魂の天威を花梨に打ち込んだ。ほどなくして鎮まるだろう。だが下手に刺激はするな。今は日が出ていないゆえ、力は多少弱まっているが油断してはならぬ。念のため治癒霊具を多めに用意し、治癒や回復を得手とする神官を待機させておけ。体だけでなく心の傷を癒せる者もだ。私も遠視の力で様子は視ておく。重傷者が出そうになれば再度行く」
「承知致しました」
応えた武官が、何名か列を抜けて別方向へ走り去っていく。明香は内心でほぞを噛んだ。
(太女殿下は何とかなりそうだけど、義兄様と栄生さんたちはひどい怪我……。高位の神官様に義兄様を治してもらえないかな。私が御威を使いこなせていればささっと皆を治癒できたかもしれないのに。でも太子殿下の宮に運んでもらえるみたいだし、治して下さるかも)
そろりと高嶺を見た明香は、あれっと目を瞬いた。
ありがとうございました。




