11.太子高嶺の来臨
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花梨がはっと手を止めた。
「何ですって?」
同時に、場を支配する圧力をものともせず、深紫色の衣を纏った長身の青年が、大勢の随身を従え広場に入って来た。どこか既視感のあるその姿に、明香の目が釘付けになる。
まるで奇跡のごとき造形美を誇る容貌。細身の体に女性と見まがうような儚げな顔立ち、僅かに憂いを帯びたような眼差し。吸い込まれるような深さを持つ漆黒の双眸が、底の見えぬ奥行きを湛えている。
「太子殿下」
青年――高嶺が歩みを進めるごとに、場を支配していた花梨の神器の圧がかき消されていく。同時に、既に跪いていた泰斗と、倒れたままである蘭、鈴、連を除き、花梨も含めた全員が一斉に跪拝した。
高嶺の纏う君主の気迫が、決して礼を失することを許さない。
言葉も無く、動作も無く、威嚇も無く。ただそこに『在る』、それだけで自ずと全てを額ずかせ従わせる、覇者と王者と奇跡の具現。
まさに至高の神の権化を思わせるその存在に、皆がただひれ伏した。
(太子殿下……この方が。蒼月皇陛下と同じで、生きながら伝説化した次期皇帝)
高嶺が打ち立てた業績と高名は数知れない。常からの政をはじめ、各地域への援助と改善指導、属国同士の諍いの調停、災害現場への支援、主要街道の増築、農作物の品種改良など、あらゆる面から国を押し上げ続けている。
(御威関連でもぽろぽろ武勇伝が出てくるもの)
千名以上が乗った大型船が海洋の真ん中で座礁した際は、大海を真っ二つに割って陸までの避難路を開き、全員を救出した。
強力な台風が発生した際には、国に上陸する前に押し戻して進路を変えさせ、海上で散らして無害化した。
皇国と帝国、属国の多数地域で同時に幾柱もの神々が荒神となった際は、各地域の対処部隊の総指揮を同時並行で全隊分行い、神々の暴走を的確に鎮めて人類と世界全体を救った。
逆に、山火事が起きた際に山中に取り残された木こり一人を助けるために駆け付けたこともある。
――たった一人のためにも、何百何千何万人のためにも、さらに多くの世界中の人々のためにも、平等に惜しみなく動く。
(天威師は皆そうなんだよね)
蒼月皇白珠や帝国の橙日帝、帝国の太子たち、その他の皇族と帝族も、高嶺と同様ないし同等の業績を数え切れないほど積み上げており、やはり生ける伝説と化している。先代以前の皇帝や皇族、帝族たちも同じくだ。
(そういう活躍が全く聞かれない太女殿下の方が例外っぽいし)
神秘的なまでの気迫を纏う高嶺を見つめると、胸がぎゅうっと締め付けられるような心地になり、次いで心臓が高鳴り始めた。
(え、何この感じ)
下げた視線の先にある地面が揺れるような感覚と共に、頰が熱くなる。
「……」
高嶺は切れ長の鋭い瞳で泰斗を捉え、無言で眉を跳ね上げた。
「全員楽にせよ」
厳かな声に、全身に震えが走る。
(これが皇族のお声――)
皇家の者の瞳と声、そして纏う気には相手を魅了する力があると言われる。その瞳に見つめられ、その声で囁かれ、その気を浴びた者は、立ちどころに骨抜きとなって言うことを聞いてしまう。
(太女殿下はこんな風に相手を惹き付ける力は発されてないよね…)
高嶺の言葉に従い、皆は礼を解いたが、そのまま地に膝を付けて畏まったままでいる。その中で太女としての矜持か、花梨は震えながらも立ち上がり、太子から許しが出たことで跪拝の姿勢から解放された泰斗もよろよろと起立した。泰斗の口の端からパタパタと鮮血が滴り落ちるのを見て、明香も慌てて立ち上がって支える。
「義兄様、動いちゃ駄目だよ」
その様子を一瞥した高嶺が、感情の無い目で花梨を見た。
「……事情はあらかた把握している。この皇宮には私の力が満ちている上、そなたの騒がしい怒鳴り声も響いていたのでな」
日の光すら吸い込んでしまいそうな双眸にひたと見据えられ、花梨が気圧されたように身を硬くした。
「自分の注文が受け付けられなかったからと癇癪を起こし、真皇族の特権を振りかざして残虐非道な極刑を命じ、細工職人にとって命にも等しい指を斬ると脅し、赦免を盾に服従を強制し、果てには圧倒的な力で束縛して神器で幾度も打ち据える」
すらすらと述べられる行いは、改めて聞くと相当に横暴なものだ。
「これが上に立つ者の振る舞いか。あまつさえ、年頃も変わらぬ娘から正論で説教されるとは嘆かわしい。真皇族は国法を超越する権限を持つが、ゆえにこそ独裁者になってはならぬ」
だが、強張っていた花梨は負けじと顎を上げて高嶺を睨む。
「違うわ、この無礼者たちが悪いのよ。私は日神様の愛し子で太女なのよ」
「それが何だと言う。ならば私は闇神様の寵児、そして太子だ」
ぴしゃりと返し、高嶺は控えている武官たちに視線を移した。
「すぐに輿を手配しろ。怪我人を複数運べるよう何基か用意せよ」
「はっ」
武官の一人が素早く敬礼し、走って行った。
(義兄様、顔色が悪い……)
明香はそっと泰斗の様子を窺う。顔から血の気が引いて真っ青になっている分、殴打により赤くなった箇所が痛々しく目立っていた。思わず唇を噛んだ時、わなわなと拳を震わせた花梨が叫んだ。
「何よ人を悪者のように扱って! 男妾にしたいと思うほど気に入っていたからまだ優しくしていたのよ? なのに断ると言ったのよ!」
ピタリと高嶺が止まった。ゆっくり、ゆっくりと花梨に目を向けなおす。周囲の気温が一気に氷点下まで下がったように感じた。
「……男妾」
一段低くなった声が響くのに呼応するように、分厚い黒雲が空を覆った。ざあぁと日が翳り、光が遮られて世界が薄暗くなる。
「ひっ……」
青ざめた花梨を、底冷えするような声が射抜いた。
「そうだな……こたびのそなたの言動は天威にて視ていたが、それも衝撃的であった。……いつからだ。この者に懸想するなど、一体いつからそのようなふざけたことを」
冴え冴えとした瞳で睥睨された花梨は、気圧されたように口をつぐんでいる。返答が得られないのを悟った高嶺が、花梨を見たまま言った。
「……斎縁当主、直答を許す。いつからだ」
抑揚のない声で問われた泰斗は、目を伏せて答える。
「――恐れながら太子殿下に申し上げます。数ヶ月前に皇帝陛下の散策にお供させていただいた際、太女殿下とお会いし、お言葉を賜ったことがございました。その後、お気に召していただいたという主旨の手紙をいただきましたが……お戯れと思い、本気にしておりませんでした」
桁違いの威圧に皆が圧倒される中で、驚くほどに平静を保った声だった。
「そうか」
高嶺は一度頷き、感情を削ぎ落とした声で言う。
「この者は皇帝陛下の専属職人だ。欲しければ陛下に直談判することだな。そして下の者への言動をもっと考えろ。この半年で既に何百回も言い続けているだろう。――さて、私は陛下より、そなたへの処遇に関する裁量権をいただいているゆえ、しばし謹慎を命ずる。万事控えめに慎ましく過ごし、自身の宮から出るな。解除の時期は追って知らせる」
そのやり取りを聞きながら、多少落ち着いて来た明香は、高嶺の言葉にぽかんと口を開けた。
(半年で何百回も言われてるの?)
花梨が天威師として覚醒したのはまさに半年ほど前だ。
(それって……ほぼ毎日の割合で注意してるんじゃ……)
いや、高嶺とて毎日皇宮にいるわけではない。視察や行啓で留守にする日もあるだろう。それを踏まえて半年間で数百回ということは、一日に何度も注意を受けている可能性が高い。
高嶺の、圧倒的を通り越して神秘的ですらある気迫を頻繁に受けながら、それでも己を省みず短気を起こし続けているのだとすれば、ある意味凄いことなのではないだろうか。
(でも考えてみれば、太女殿下が全き天威師として覚醒された時は国中がお祭り騒ぎで、そりゃもう祝日という祝日を全部集めたくらいの盛り上がりだったのに――たった半年で不評が出るんだから、それほど素行に問題があったんだよね)
不意に、皇家は御威を得られない者を冷遇するという花梨の言葉を思い出した。花梨が注目を浴びるようになったのは、天威に目覚めてからだ。それまでは、御威を持たぬ庶子として話題にもならず、住居としている宮の位置から『西の御子』と呼ばれるだけで名も知られていなかった。
何かと自分が全き天威師であり太女であることを鼻にかける花梨は、遅咲きで覚醒するまで、どのような生活を送っていたのだろうか。思いを巡らせる明香を余所に、花梨が挑戦的な目つきで高嶺を見た。
「はっ、せいぜい謹慎が精一杯なんじゃない。当然よね、私は神千国では三千年振りに生まれた日神なのよ。しかも気の色は初代様と同じ緋色、神託が告げし初代様の再来。そんな私に厳罰を与えるなんて、誰にもできないのよ」
勝ち誇った顔で宣言され、しかし、高嶺は表情を変えない。
「その驕りを捨てろと言っている。己の振る舞いを見直し、取るべき言動を再考しろ。――むろん、天威師にも喜怒哀楽や感情、各々の意思はある。ゆえに、個我の全てを抹消し私の面を一切合切捨てよとまでは言わぬ。しかし、それに近い状態になるよう心がける必要はある」
迷いなく言い切る高嶺の瞳に揺らぎはない。とうの昔に覚悟を決め、それを当然として生きてきた者の眼差しであった。
「今一度我が身を省みて己が本分を見つめ直せ。そなたに言うことはそれだけだ」
高嶺と花梨が睨み合った時。
「ハ……ハックシュン!!」
場違いなくしゃみが響いた。明香だ。
「あ……ごめんなさ……申し訳ありません。鼻がムズムズしてしまいまして」
(皇宮って花が多いからなぁ)
くしゃみと同時に、雲に覆われていた空から一条の光が差した。
ありがとうございました。




