102.秘される名
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効果は劇的であった。にこやかだったテアとミアは、凄まじい形相に変じて眉をつり上げる。顕著な怒りの反応に、明香は額を覆った。
(あぁ、お姉さま方の逆鱗に……)
「うるさいのはお前だ、私たちとて好きでこんな名になったわけではない!」
テアが碧眼をうっすらと赤く染めて怒鳴る。
「こんな、書くたび見るたび溜め息を吐きたくなるような……くそっ、あのアホ爺め! やはり死ぬ前に一度殴り倒しておけばよかった!」
「同感ですわ。ええ本当に、悪趣味な迷惑爺が無理やり酔狂な名を付けてくれやがったおかげで、大きな迷惑ですわ」
(うん、まあね……大切な秘め名が丸出しだもんね)
明香もそっと同意した。テアとミアの名は、真っ当な感性を持つ帝国人ならば付けない類のものなのだ。何かの琴線に触れてしまったか、姉妹はそのまま切々と嘆きをこぼした。
「秘め名――シークレットネームは帝国の重要な文化だぞ! 大切な者だけに呼ぶことを許す特別な名なんだ。なのにあの爺、普段使いするファーストネームに入れやがって!」
「私たちのフルネーム、サテアーネ=テアとラミアーナ=ミアですわよ。有り得ませんわ。これではファーストネームを呼ばれるたび書くたびに、秘めておくべきシークレットネームを公開しているようなもの」
(お姉様方、可哀想に)
半べそのように言い募る二人に、明香は心の中で合掌した。斎縁家にいた頃から、何度も聞かされ続けてきた不満と愚痴だ。
「それもこれもあの爺が――ノルギアスの先代大公がしゃしゃり出て来たせいだ!」
「自分の奥方と私たちのお母様が姉妹であるから、自分は私たちの姻族だとか何とかおほざきになって、強引に名付け親になったのですわ」
テアとミアが生まれた時、先代大公テイヤーは祝いを述べるという名目で姉妹の父母の元に参じ、『自分は御子にとっては義叔父となるため、近しい親族だ。ゆえに、ぜひ自分が名付け親になりたい』と主張したという。将来、御子が御威に覚醒して帝族となれば、名付け親として箔が付くからだ。
父母はテイヤーの勢いに押し負ける形で頷いてしまった。そして同時に、一抹の懸念を抱いたそうだ。当時はまだそこまで醜悪な本性を露出させていなかったテイヤーだが、一つだけ変わった特徴があった。
名前について、『特別で大事な名であるからこそ、シークレットネームは秘めるのではなく堂々と開示するべき』という独自の持論を持っていたのだ。だが、それは父母や成長した姉妹がきっぱり断ればいいと思い、楽観視してしまったという。
かつて斎縁家に遊びに来たテアとミアが、明香を愛でながらぐちぐちと悲嘆を零していたことを思い出す。
『父母からは何度も謝られたよ。まさかファーストネームの中にシークレットネームを含ませるとは思わなかった。本当にすまない、とな』
正式に名付けを委任したため、その権限で命名の担当部署に先に書類を提出されてしまい、事後報告で聞かされて仰天したそうだ。
『シークレットネームを秘することは慣習であり、明文化されているわけではありません。ファーストネームに入れてはならないという法律もありませんから……担当部署も拒めなかったそうですわ』
『おかげで、私たちは陰で秘め名晒しと呼ばれているんだぞ。天威に目覚めてからは正面きって言われることはなくなったが、庶子だった頃は辛かった』
『シークレットネームは、大切な方に呼んでいただく以外では、重要な儀式や高位者との会話くらいでしか使うことがありませんのに。そうそう、あの爺の娘もメイリーアン=リーア・ノルギアスというのが正式な名前ですのよ。メイリーアンがファーストネーム、リーアがシークレットネームですわ。とんでもない名前を付けられてしまったこと』
憤懣やるかたないといった様子で語っていた姉妹を回想し、明香は今更ながら同情してしまった。
帝国人にとって秘め名は特別なものであり、許していない者に呼ばれることは大きな屈辱となる。ただし、戸籍票や国民台帳などの公的な名簿には、秘め名も含めた正式名が記載されるため、知る手段はいくらでもある。
ゆえに、許されていない者があえて相手の秘め名を呼ぶことが、その者に対する勝利と征服の証になる場合もあるのだともいう。
(お姉様方、本気で改名を考えてらっしゃるんだよね)
横ではテアが相変わらず吼えている。
「いや、それ以前にあの爺が付けた名というだけで吐き気がする!」
「宗基家のご当主。あなたはあの爺……こほん、先代のノルギアス大公とは親交があったそうですわね。今の品の無い発言といい、やはり類は友を呼ぶということでしょうか」
ミアが冷めた目でちらりと豪栄を見遣った。
「言うに事欠いて、太子殿下方の出自を疑うような言葉を吐くなど。恥をお知りなさいませ」
ローアンも呆れたようなため息を漏らして追随する。
「太子殿下方は四名とも、間違いなく橙日帝陛下と蒼月皇陛下のご実子ですよ。……大体あなた、自分が何をしたか分かっているのですか。外を見てみなさい、今どんな状況になっているか」
目を見開いた豪栄が、慌てて殿舎の入り口に駆け寄る。そして、緋に染まった光景を見て愕然とした。
「は……何だこれは……」
白珠が豪栄からやや離れた場所に立ち、静かに言う。
「そなたが引き起こしたことだ。歪んだ神威を放つ神杖を持ち込み、この聖域をかき回した。おかげで緋日神様の神器が狂い、暴走したのだ。そなたの探し物の一つがな」
綺羅が白珠を庇うように前に出た。その氷のような眼差しは、永樹に扮していた時とは似ても似つかない。
「お前の目的は、その神杖の穢れを中和することだな。杖と同じ波動を持ちながら清らかさを保っている、緋日神様の別の神器を求めてここに来たんだろう」
遷都が終われば、全ての神器が披露される大饗が開かれる。その際、ここまで無惨な姿になった神器を公開するわけにはいかないためだ。綺羅は厳しい表情で問い詰める。
「歴代の真皇族方が至高神様から賜ってきた神器は、貸し出されている一部を除けば、平時は特別区に保管されている。その杖の力で時間を止めたお前は皇宮に入り、さらに特別区に侵入した。緋日神様の神威を宿す神器ならば、真皇族にも通用すると思ったのか?」
そこで、ミアがうふふと笑った。寒気がするような笑みだ。
「特別区も含めた皇宮は、陛下の天威で見張られております。怪しい動きをすればすぐ露見しますし、穢れた神器を持って入った時点で、その様子を把握されてしまうでしょう。だから入宮の前に、陛下も含めた全ての時間を止めようと考えたのですわね」
浅はかな考えだ。例え至高神の神器であろうと、天威師たる真皇族と真帝族には通用しない。神格を抑制していても、天威師は己自身がその至高の神なのだから。現に、西の金日神の神器を手にした花梨は、高嶺の力で軽くあしらわれていた。
(神器が天威師にも通じるなら、いくら忠臣の家でもそんな簡単に貸し出したりしないよね。少し考えれば、陛下に神器は効かないかもって思い付きそうなのに)
遷都の日が決まったことで焦り、最低限の判断力すら無くなってしまったのだろうか。
「首尾よく別の神器を見付けて杖を浄化し、退宮した後で時間停止を解除すれば、自分が皇宮や特別区に入ったことは誰にもばれないと思ったのでしょう」
ミアの推測に、豪栄は小さく唸ったきり言葉を返さない。どうやら図星のようだ。ローアンが小首を傾げて続ける。
「あなたが目を付けていたのは、おそらく二つ。一つは、緋日神様が連れていたとされる神獣の核。この核も神器の一種ですから。もう一つは、始まりの神器」
どちらも、緋日神がまだ地上に降りる前、天界にいた頃に創ったものだ。地上に降りている間は神格を抑制しているため、神威は制限されて不完全な天威となることから、神器を創ることはできない。
神獣や神器を創ることができるのは、完全な力である神威だけだ。
「その二つは、共に同じ場所で保管されています。特別区の真ん中にある、黄金を散らした殿舎の祭壇の中。皇家の縁戚である宗基家には、そのことが伝承されていたはず。だからあなたは殿舎に乗り込み、祭壇を漁った」
だが、神器が効かず、時間停止の中でも動けていた白珠たちにあえなく見付かり、今に至るのだろう。
テアが憐れむような眼差しで言う。
「だが、お前の目論見は外れた。至近距離で神杖の穢れに接触したことで核が暴走し、中の神獣が荒れ狂ってしまった。核の澄んだ気を浴びせて濁った神杖を清めるつもりが、逆に核の方に穢れが侵食してしまったんだ」
(え?)
その台詞に、明香は目を瞬かせた。
(中の神獣がって……初代陛下の神獣は核の中にいるの? じゃあ――陛下の側にいるあの鳥は?)
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