90話
「え、何それ。あんただけ狡い！！」
こちらとら能力と呼べるものなんてなんも持っていない世俗的で平凡な人間。同じように転生したイナンにだけ特殊能力が付属されてるなんて……
「私も能力欲しい！！」
イナンに掴みかかるように文句を言うが、イナンは困ったように眉を下げている。
「そうは言うけど、俺にはどうすることもできないでしょ？神じゃないんだから」
最もなことを言われ、不貞腐れたように頬を膨らませながらその場にしゃがみ込んだ。
神様も随分と残酷な事をしてくれる……
そう思いながら恨めしそうにイナンを見つめていると、イナンも同じように隣にしゃがみ込んできた。が、その顔は思い詰めたように険しい。
「……自慢気に言ったけどさ、力なんて持ってた所で碌な事ないよ……」
「え？」
よく聞こえず聞き返したけど、イナンは笑顔で「なんでもないよ」と言い切るので、これ以上詮索されたくないのだろうと思って黙っていることにした。
「じゃあ、この国に災厄が訪れるってのも本当なのね？一体何があるって言うの？」
「……詳しくはまだ分からない……けど、この国にいる以上は厄からは逃れられない」
嘘を言っている様子は無い。だが、未来を見透せるイナンが分からない災厄とはなんだ……？
腕を組んで考え込んでいると
「姉さん、俺と一緒にこの国を出よう！？」
「はあ！？」
あまりにもにこやかに言うもんだから一瞬耳を疑ったが、どうやら聞き間違いじゃなかったらしい。
「異世界で会えたなんて運命だと思わない？俺と一緒に行こうよ！！昔みたいにさ。今度は俺が姉さんを護るから」
まあ、昔を知っている者と出会えたのは奇跡だと思うし、このまま別れるというのは寂しいとは思うが、この国を出るかどうかの話となれば穏やかじゃいられない。
（ここには大切な家族がいるのよ）
どのような災厄が訪れようと、この国から自分だけが逃げるような事はしたくない。逃げるぐらいならその災厄とやらと対峙するぐらいの覚悟はある。
「申し訳ないけど……」と言葉を口にしたところで背後から嫌な気配を感じ、サァーと全身の血の気が引く音が聞こえた気がした。
「こんな夜更けに未婚の男女が二人きりで密会とは、些か褒められたものではありませんね」
振り返るとそこには眼鏡を光らせたエルスが、満面の笑みでこちらに話しかけてきた。ただ、その目は完全に座っている。
「くくくっ、あかんなあ。あの眼鏡、相当お怒りやで？」
「ルド！！」
他人事のように笑いながらトンッと、私の肩に乗ってきたのは豹の姿のルド。
ルドに言われなくとも、空気を圧迫くするような威圧感でどれだけ怒っているかは検討はつくわ……
「お嬢様、言い訳は後ほど聞くことにします。とりあえず、その者から今すぐ離れてください」
エルスは射殺さんばかりの視線を向けてくる。こういう場合、黙って従うが得策だというのが世の常。
そう思ってイナンから離れようとしたが、それを阻止するかのようにイナンが立ちはだかった。
「……なんのつもりですか？」
エルスは殺気を隠すこともせずイナンにぶつけるが、この程度で臆する奴ではない。
胸を張り堂々とした態度で口を開いた。
「たまたま出合わせたとはいえ、夜分にお嬢様をお借りしたのは謝罪いたしましょう。今宵は月が美しくて時間を忘れてしまいました」
丁寧な言葉と共に深々と頭を下げた。中身がハーデスであることが分かった今、私はこの行動に驚きを隠せない。
（あのハーデスが他人に頭を下げるなんて……！！）
私の知っているハーデスは自分勝手で我儘で思い通りにならなければ癇癪を起すような子だった。本当に手を焼いて、何度怒鳴り散らしたか分からない。そんな子が、自分の過ちを認め謝罪するなんて……！！
子供の成長を目にしたようで、歓喜深さに思わず目頭が熱くなった。
「それが理由になるとでも？」
「おや？いけませんか？」
「当たり前です。貴方は屋敷の者ではありませんので、勝手な行動は控えていただきたい」
客人に対しての言葉ではないが、エルスはイナンを敵認定しているので言葉も自然ときつくなるのだろう。
しかし、私は見てしまった。エルスの言葉を聞いた瞬間ほくそ笑むイナンを……
「おかしな事を……私の行動は把握しているでしょう？なんせ、至る所に監視用の魔道具が設置されてますからね」
「「──ッ！！！！」」
この言葉に驚いたのはエルスだけではなくルドも驚いている。
「気づいてないと思っていました？使用人達も監視しているのですから、ちゃんと見張っていてくれないと。私が勝手な行動が出来るという事は、抜け目があるということですよ？たかが一人監視できないとはね……正直、ガッカリですよ」
嘲笑うかのように言うと、エルスは悔しさと怒りを滲ませながらイナンを睨みつけている。
まさかエルスが言い負かされるとは思わず驚いていたが、ルドも耳元で「あいつ、何もんや……」と呟いていた。
「元お守りしてた子です」とは言えず、顔を引き攣らせて黙ってる事しか出来なかった。
「では、私はこれで失礼しますね」
そう言いながら踵を返したイナン。私の横を通りすぎる時「またね」と一言言うと、その場から姿を消した。
