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短編(シュール)

便器を耕す

作者: 鞠目

「おれたちが来た時、ここはまだ何もなくて寂しい土地だったんだ」

 毎週日曜日の夜。夕飯を終え、母が後片付けを始めると決まって父は私に自分が若かった頃の話をする。

「父さん、その話もう何十回も聞いたよ?」

 無駄だとわかっているけれど、私は苦笑いしながら父に指摘をする。

「まあそう言うなよ。そんなに長くないって知ってるだろ」

 絶対に話すのをやめない父。

「そうよ、あんた後片付け手伝わないんだから父さんの話ぐらい聞きなさい」

 台所から大きな声で痛いことを言う母。

「わかった。ちゃんと聞くわよ」

 諦める私。いつもの流れだ。こうして父の昔話が始まる。




 おれたちが最初にやってきた時、ここには本当に何もなかった。辺り一面更地。未開発の土地だった。

 幸い大きな湖がすぐそばにあったから水には困らなかった。でも、水以外は何にもなくて生活はとてもじゃないが豊かとは言えなかった。

 初めは食糧の確保も苦労した。不毛な土地だ。探せど探せどなかなか何も見つからない。せっかく見つけてもあっという間になくなってしまう。何日も何日も水だけで飢えを(しの)いだ。

 水があったからおれたちは生き残れた。でもこの水にも何度も苦しめられた。雨が降ればすぐ洪水になり何もかも流しちゃまった。せっかく作った畑が何度も駄目になったもんさ。

 そりゃあ、何度も故郷に帰りたいと思った。でも、おれも母さんも、それに一緒に移民してきた87人の仲間たちも新しい国を作ることを諦めなかった。


 おれたちはまずがむしゃらに土地を耕した。少しでも多くの食糧を確保するためだ。流されても流されてもとにかく根気よく畑を作り続けた。そしてなんとか飢えを凌げるようにした。

 食糧に少し余裕ができるとすぐにおれは何人かを集めて壁を作り始めた。どれだけ畑を作っても流されていては意味がない。おれは洪水にも耐えられる頑丈な壁がいると考えた。

 最初は分厚い壁を立てようとした。分厚い壁ならどんなものでも防げると考えたからだ。でもダメだった。

 この辺りの土地は地盤が硬く鋼材を地中深くまで打ち込むことができなかった。試しに可能な限り深く鋼材を打ち込んで壁を立ててみたが強度がなく、洪水になるとあっさり流されていった。

 おれたちは考えた。なにか方法があると信じて何度も試行錯誤した。ありとあらゆる素材や形を試した。そしてその結果辿り着いたのが今の壁なんだ。

 特殊加工で作った軽くしなやかで丈夫な線材。その線材をたくさん地面に植え込んだ。数えきれないほどの線材を植え込み、そして下からフェンスのように編み上げることで壁を作った。

 線材一本一本じゃ何の役にも立たない。でも、壁の範囲を広げながら何層にも重ねることで抵抗力を強めた。そうすればきっと水にも押し流されないようになると信じて。

 最初はそんなもので丈夫な壁ができるわけがないと決めつける奴もいた。非難もされた。そんなことをするぐらいならもっと生産的な仕事をしろとも言われた。

 でも、壁の範囲が広がり洪水の被害が小さくなるにつれてそんな声は小さくなっていった。そしてそれに反比例するように一緒に壁を作る仲間が増えた。

 あの時の頑張りがあるから今のこの暮らしがあるんだ。集落や農作地を壁で囲むことでおれたちは洪水に怯える必要がなくなった。農作地を守ることができるから食糧にも困らない。豊かさの背景には誰かの努力があるんだ。

 今も壁は広がり続けている。人口も増え集落もどんどん大きくなっている。特に大きな問題が起きている気配もない。この国は順調に成長している。

 しかし、油断してはいけない。この世に変わらないものなんてないのだから。いつ何が起こるかわからない。もしかしたら全てを失う日が来るかもしれない。

 でも、ここは最初何もない土地だったんだ。もし全てを失ったとしてもそれは最初に戻るだけだ。おれたちは何度でも立ち上がることができる。だから、もしどんなことが起きたとしても諦めるな。

 まずは耕せ、そして壁を作れ。これだけは覚えていてほしい。




「本当にいい話よね」

 いつの間にか洗い物を済ませて私の隣に座っていた母はそう言って涙ぐんでいる。

「そうだろう?」

 自慢気に言う父。

「前回と一言一句変わらなかったね」

 少し呆れながら言ったのは私。自分達の体験談を何度も聞かされる立場を少しは考えてほしいと思う。私はため息をついた。

「お前な、これは大事な話なんだからちゃんと覚えておけよ。なあ、母さん」

「そうよ、父さんや母さんたちが頑張ったから今の生活があるのよ」

 二人はそう言うと顔を見合わせて「ねー」とお互いに言い合った。相変わらず仲のいい夫婦だ。

「そんなことより父さん、明日誕生日でしょう? 何か欲しいものとかないの?」

 私は父の昔話を切り上げるために話題を変えた。世界なんてそんな簡単に変わるわけがないと思う。

「そうだなあ……今は特にないかな。あ、そうだ来週の日曜日は外食なんてどうだ? 一緒に行ってみたい店があるんだ」

「外食なんて久しぶり。準備も後片付けもないから助かるわ」

 嬉しそうな母。

「いいね。じゃあ父さんの誕生祝いってことで久々に食べに行こう」

 久しぶりの外食が決まってなんだか私も嬉しくなった。そんなこんなで平和な日曜日の夜は終わっていった。




 そんな楽しかった日曜日の翌日、世界は変わった。


『ちょっとサボりすぎたかな』


 午前10時。朝市の帰り、家に向かって歩いていると突然女の声が空から落ちてきた。

 ぐわんぐわんと大きな声が辺り一面に響き渡る。耳の奥がキーンとなり、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。

 耳が落ち着くのを待ってから声の正体を探るために私は空を見上げた。そしてその直後自分の目を疑った。どこで発生したのかはわからないが、大量の泡が塊となって大きな波のように押し寄せてきていた。

 泡は私たちに逃げる間を与えることなく広がった。そして家を、街を、壁を飲み込み最後には光を遮断した。世界は闇に包まれた。

 何が起こったのかわからず私がその場を動けずにいると今度は大量の水が襲ってきた。本来なら壁があるので街に水が流れ込むことはない。なのにどうして? 状況が理解できないまま私は水に流され、そして意識を失った。


 どれぐらい眠っていたのだろう。

 目が覚めると私は湖畔で横たわっていた。どうしてこんなところに? 不思議に思いながら街のある方角を見て私は愕然とした。街が無くなっていたのだ。

 街だけではない。畑も家も壁もあらゆるものが無くなっていた。私の眼前には真っ白な更地しかなく見渡す限り誰もいない。この瞬間、生き残りは私しかいないことを何となく悟った。

 夢かと思った。こんなことが突然起こるなんて考えられなかったから。でも頭のどこかで夢ではないんだろうなとも思っていた。

 不思議と涙は出なかった。泣き叫びもしなかった。私の頭では起きたことが処理しきれず何も反応できなかった。今の私はただただ真っ白な更地を呆然と見つめることしかできない。

 何分も、いや何時間も湖畔から更地を眺めていたが世界はそれ以上何も変わらなかった。私は眺めるのをやめた。

「これからどうしたらいいんだろう」

 一人、更地に向かって問うてみた。問うたところで返事なんて期待できない。でも、なんだか問わずにはいられなかった。


『まずは耕せ』


 父の言葉が聞こえた。私は慌てて周りを見渡した。しかし誰もいない。湖の中も見てみたが何の気配もない。

 まずは耕せ、そして壁を作れ。昔話をするたびに父は最後に言っていた。そうだ耕さなきゃ。私は耕さなくちゃいけない。


「お誕生日おめでとう」


 もういない父に向かって私は呟いた。それから耕す場所を決めるために私は真っ白な更地に向かって足を踏み出した。


トイレ掃除、サボるとすぐにできるんですよね

黒ずみが

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[良い点] ∀・)なるほどネタバレになりますが、物語の擬人化が見事に為されていた作品でした。ただ読むだけではわからないですが、そんな人でも最後まで読めばわかる。とても優しい親切設計にして、ノリの良さと…
[良い点] 面白かったです! 後書きを読むまで全然、気付きませんでした。 まさか、彼ら家族や村人の正体がトイレの……だったなんて(笑) 後書きを読んでから読み返すと、あ、なるほど!と伏線に気付いて…
[一言] なるほど、あのくろずみにはそんなドラマが! いつもピカピカの便器には、こんな苦労をしている者たちが沢山住んでいるんですね! 個人的に重曹とクエン酸のコンビが最強ですね。 黒ずみと染みには重…
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