表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

 自分の部屋を貰ってから、もう四年になる。部屋のドアに鍵が掛けられないのだけがイヤなところだけど、対策はばっちり編み出してある。

 内開きの扉のすぐそばに、できるだけ重くなるように中身を詰めたカバンを置いておく。こうして持ち手をドアと床の隙間に挟みこんでおけば、ドアを開くときに引っかかる。それだけでドアが開くことを完全には止められないけど、お母さんは間違いなく「あれ?」とかいいながら手を止めるはず。それだけの時間を稼げれば、それで十分だった。

 我ながら完璧な作戦。なにか訊かれたら、たまたま散らかしていたってことにすればいいんだし。

 対策を済ませたら、椅子に座って、机に向かう。片手でライトをつけつつ、もう片方の手を隅っこに置かれたペン立てに伸ばす。使いやすいように一番手前に置いておいたそれは、すぐに見つかった。

 一応外の物音に耳を澄ませてから、ライトを動かして近くに持ってくる。これで準備完了。

 ──カチカチカチッ。

 聞き慣れた感触に、聞き慣れた音。もう手元を見なくたって、ちょうどいい指の動かし方が分かる。

「…………」

 左手を机の上に置く。ちゃんと袖もまくっておく。ライトに照らされて白く見える手首の内側にそっと覆いかぶせるように、構えた右手を持ってくる。

 右手の指の間から伸びるカッターの刃が、ライトの光を反射して一層強く輝く。その鋭い光に目を刺されて、眩暈のような、わたしの足元から世界全体が回っているような、不思議な感覚に包まれる。

「………っ」

 刃を、皮膚に添える。一瞬氷を当てたみたいに冷たくなったけど、すぐにわたしの体温に隠されて分からなくなった。

 右手がぴくっと震える。カッターの刃がまた光って、少しだけわたしの手首を窪ませた。

「……ふ……ふっ」

 少し。また少し。もう少し。

 指が震えるたび、窪みが大きくなっていく。そのさまを、瞬きの仕方も忘れて見つめる。

 本当は、少し怖い。

 けどそれ以上に、はやくこの続きが見たい。

 はやく。はやく。はやくはやく。もっとはやく。

「──あっ、」

 ずっと小刻みに震えていた右手が、ふとした拍子に一際大きく跳ねた。そのはずみでカッターの刃も大きく動いて──手首に、二センチくらいの線を引いた。

 できたっ。

 急いでカッターの刃をしまって、それでもペン立てに戻すまでは待ちきれなくて、机の端に適当に投げ捨ててから、手首についた薄い線を見つめる。

 けど、しばらく見ててても、なんの変化もなかった。それでも指で線の周りを摘まんでみると、じわじわと赤色が滲み出てくる。もっと強く摘まむとどんどん溢れ出てきて、とうとう赤い液がぷっくりと手首の上でドームを作った。

「ふふ……ふふっ……」

 やっとできた赤いドームを、上から見下ろしたり、横から眺めたり、下から見上げたりしてみる。一通り見てしまうと、今度は指先でつついてみる。何度目かでドームが崩れて、なかからどろっとした血が溢れ出してきた。きっと、こういうのを『堰を切ったように』っていうんだろうな。

 血は手を伝って、何滴かは机に落ちる。その様子を見てると、だんだん笑いだしちゃうのを抑えきれなかった。

 もちろん、最初は痛い。一番痛いのは、血を出すために手首を抓っているとき。

 怖さだってある。カッターで自分の皮膚を切り裂くなんて、何度やっても怖くて、やるのに時間がかかってしまう。

 それでも。ここ数か月の間、わたしは自分で自分の手首を切っている。こういうの、リストカットっていうんだっけ。わたしがこんなことをしてるって知ったら、きっとみんな驚く。お母さんなんか、「なんでこんなことをするの!?」って詰め寄ってくるに違いない。

 理由? そんなの決まってる。

 だって、安心するから。こうすれば、わたしだけはちゃんとした、生きてる人間だって実感できるから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 表現や感情の揺らぎがリアル [一言] 難しい言葉をそんなに使わずにこんなに引き込まれる小説は初めてです。 まるで自分が体験しているかのように感じました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ