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本の中の世界

作者: まっきー

「今年の年末はすることないな…」

そんな事を去年も言っていた気がする。

一見悲しいように聞こえるかもしれないが、これも社会のせいだ。去年の初め頃、新型ウイルスが他国で広まっているというニュースをのんびり眺めていた。それがしばらくして国内へと広がり、気づけば自分にも影響が出始めた。通っている大学はオンライン授業に切り替わり、友人と遊びに行くことも周囲からは白い目を向けられ、あまり外出はしなくなった。

こんな調子であっさり一年が経ち、僕の生活はどんどん中身のない生活へとシフトしていった。

朝起きて、支度をして通学をし、バイトをして帰るような生活は、ほとんどは家の中に集約されてしまった。オンラインになった授業は布団の中で完結するし、外出もバイトと食品の買い出し以外にはしなくなった。

今年の年末はすることないな、なんて言っていた記憶はあるが、まさかそれから一年も経っているなんてとても怖い話だ。いかに自分がスカスカな日々を過していたのか思い知らされる。

そんな事を思い出しながら大掃除を着々と進め、一人暮らしの部屋はすっかり綺麗になった。カーテンを開ければもう外は暗くなっている。


大晦日の醍醐味といっても過言ではない大型お笑い番組が始まった。番組が始まる前までに大掃除を終わらせたおかげで、僕は今テレビの前にこたつをかまえ、ちょっと豪勢な夕食と共に番組を楽しんでいる。

今日のミッションはクリアしたのだから、年越しまでのこの貴重な時間を贅沢する権利はあるはずだ。僕は番組を楽しむことにした。


CMに入った。目の前の夕食はもう全て食べ終え、後は大晦日の番組を堪能するだけなのだが、何かモヤモヤしている自分がいる。

このままでは去年と同じだ、何か違うことをしなければ、という衝動に駆られる。せめて大晦日だけでも、このつまらない生活に変化を起こせないものか。

そして考えついたのが、読書、である。

日頃から読書は好きで、家にいることが多くなったこのご時世では、暇を持て余した僕の一番の相手となった。週に一冊を古本屋で買っていたら、知らない内に家の大部分を占める自体になり、今日の大掃除の難敵ともなってしまったが。

僕の考えついた作戦は、まず携帯やテレビを消し、家の時計は全て伏せ、自分と時間という概念を乖離させる。

次にこたつへ入り、三時間程で読めそうな厚さの本を一冊手元に置く。そして、読書用の照明を手元を照らすように付ける。すると、読書を終えた頃には来年が始まっていて、一つの作品を読み終えた満足感と共に、今年という退屈な年を忘れて新しい年を迎えるという、完璧な読書空間が完成する。

本の収納されている棚を前に腕組み、直感で一冊を抜き取った。そして準備を整え、僕は現実から物語の世界へと足を踏み入れる。




僕は西洋の探偵だ。

探偵といっても、ホームズのような名探偵ではなく、自営業で迷い猫を探す程のしがない探偵だ。

広告は街の電柱にする貼り紙のみで、あまり繁盛しているとは言えない毎日を送っている。

ある日電話で依頼が入り、古い洋館の整理を手伝うことになった。探偵とはあまり関係がないのだが。

洋館の主が亡くなり、僕と、洋館の相続人や使用人を含めて八人がかりで遺品の整理をすることになった。依頼人は洋館の相続人の一人娘。ミステリー小説を読むのが好きで、一度探偵に会ってみたいと思っていたらしい。それに、今回の膨大な遺品整理はいい機会だとして、街を探し回って僕に連絡をよこしたのだそうだ。僕がその役目を負っていいものかと思ったが、探偵を名乗る身として、ミステリーに憧れる女性の夢を壊してはなるものか、と腹を括って洋館へと足を踏み入れた。

…結論から言うと、殺人は起こった。小説の世界では当たり前のことだが、いざ現実となると身が引き締まる。

どんなに貧相な探偵であっても、洋館と遺産というキーワードが揃ってしまえば、目の前の事件から逃れることはできないようだ。その後二日に渡って事件は続き、事件を解決するまでに、三人、最初は相続人から始まり、専属の料理人、さらには相続人の娘の夫までもが悪夢の矛先となる結果となった。こういう話にはよくある突然の嵐が原因で洋館までの道が塞がれ、警察の介入と救助が遅れたことも、この事件の災いのひとつだろう。

目を背けたくなるような空間だったが、その事件犯人は案外あっさりと判明した。その洋館の老執事だ。

老執事は洋館を乗っ取ろうとしていたらしく、相続人と料理人を手にかけることは計画していたらしい。しかし、同じ考えを持つ者が一人いて、自分の犯行に勘づかれた。それが相続人の娘の夫だった。取り引きを持ち掛けられ、それに乗じて上手く排除したかに思えたが、そこで証拠を残してしまい、僕に事の全てを暴かれてしまった。というのが話の顛末である。


無事に事件を解決することができ、遺品の整理もその後何とか終わらせることができた。思わぬ災害のおかげで、思ったより収入は良かったが、その時の依頼人がなぜか今僕のデスクの前で事務をしている。

助手になったのだ。洋館も売り払い、あての無い生活に臨む最初の一歩として、僕の下で働きたいと言ってきた。これからを歩む前向きな申し出を断ることはできず、僕が面倒を見ることになった、という次第だ。

今日は新しい依頼もなければ、継続している調査もない。いわゆる暇な日、出勤日ではあるが休みのようなものだ。

助手は、自分の机に「美吉莉」という名前と、端に「助手」と彫られたプレートが置かれていることに何だか嬉しそうで、先程からずっとそれを見てニヤニヤしている。

彼女の好きな小説に出てくる探偵の助手の名前だそうだ。コードネームみたいでいい、と言っていたが、彼女は探偵のことを一体どんな存在だと思っているのだろう。

僕の方はというと、洋館を整理していた時に入った書斎で気になった本の中で、今から読む本を選んでいた。美吉莉が助手になり、書斎にある本は好きにしてくれていい、と言われたので、気になる本はほとんど僕の事務所へ持ってきていた。

今日は良い読書ができそうだ。数冊選んできた本の中から一冊を手に取り、物語の世界へ足を踏み入れる。



ふぅ。凄い話だった。映画を見終わった時ようなため息が出てしまうほどに。定番ミステリーではあるが、だからこそのワクワクが楽しめた。

時計を見ると、時間は一時を回っていた。途中で、除夜の鐘の音が聴こえていたはずだが、探偵になっていた僕の耳には入ってきていない。

渇いた喉を水で潤し、朝の神社参拝に備えて、僕は眠りについた。



パタン。と小さな音をたてて、その物語が終わったことを自分に知らせる。悲しい別れをする男女、でもどこか美しく、人間の美しさを感じた。ハッピーエンドではないけれど、不思議と心が洗われて優しい気持ちになれる話だった。

本を机に置くと、目の前では美吉莉も読書を始めていることに気づいた。彼女の机にも数冊の本が積まれている。今日は彼女も、いくつかの世界を旅するつもりのようだ。

それなら僕も、と、自分の机に目をやる。選んだ本はまだ数冊ある。

僕は次の世界へ行くことにした。

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