後編
後編です。
思えば、最終下校時刻よりも前に帰路につくなんて何年ぶりだろう?
いや、それを言ってしまえば与えられた仕事を途中で放り投げて帰宅なんて、多分人生初なんじゃないだろうか。
しかし、あまり悪い気はしなかった。
心のどこかでは「ああ、しわ寄せが明日以降に来る」なんて考えていたが、でも「まあいいか」と思えるだけの余裕も同時にあった。
「……楽しいな」
気が付くと、俺はどこか楽しげな足取りになっていた。
夕日に照らされて赤く染まる商店街、夕飯の買い物に来ているおばちゃんたち、部活帰りの中学生──。
見知っているはずの帰り道には、目新しい光景が沢山広がっていた。
──ああ、こんな景色も見逃していたのか、俺は──
そんなことを考えているうちに、なんだか、どんどん自分のやってきたことがバカらしく思えてきた。
──俺は、どこで間違えたんだろうか──
後ろ向きな気持ちになりながら電車に乗る。
最寄り駅まで十数分、電車に揺られているうちに、自分が佐倉に会いたがってることすら、なんだか妙に恥ずかしいというか、どうして俺はそんなことをという気分になってきてしまった。
最寄り駅の改札を通り過ぎる頃には、放課後の教室をしらみつぶしに探したり、職員室まで佐倉の居場所を聞きに行ったりした自分の行動が、恥ずかしいを通り越して犯罪なんじゃないかくらいの気分にすらなっていた。
「……佐倉の方も、迷惑か」
学業的な面がどうか知らないが、きっと彼女の方が俺なんかよりよっぽど上手く青春をしていることだろう。
そんな彼女にとって、今の俺はひょっとしたら“つまらない”人間に映るのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
なら、今佐倉に会ったところで何を話す?
何を話せるんだ、俺は。
「……どうも、今日の俺はダメだな……」
どんどん深く、醜くなっていく思考の沼からなんとか自我を引っ張り上げ、これ以上考えないようにしようと思い直す。
ポケットに入った短冊のことなど、忘れてしまおう。
そんなことを考えているうちに、あっという間に俺は自宅前にたどり着く。
しかしそのまま帰宅する気にならず、なんとなく佐倉の家の前にふらふらと吸い寄せらるように歩いていく。
佐倉の家には明かりが灯っていた。
こうして外から家を見ただけでは、彼女が今家にいるのか判断のしようがない。
「……帰るか」
相も変わらず、俺は何をやっているのだろう。
ふうと小さくため息をつき、今度こそ帰ろうと踵を返した───先に、佐倉が立っていた。
*
「……隼人くん?」
「さ、くら……」
キョトンとした顔で俺のことを見つめる佐倉。
間違いない。彼女だ。
見た目はだいぶギャルっぽく変わっているが、それでもどこか昔の面影もあり、一発で彼女だと気づくことができた。
「どうしたの、うちの前でぼーっと突っ立っちゃってさ」
「あ、えーと……いや、なんとなくな」
「ふーん」
不思議そうに首を傾げる彼女は、学校指定の制服ではなく、ヒラヒラした私服を着ていた。
先生の言っていた通り、どうやら学校には本当に来ていないようだ。
「……」
「……」
それにしても、さっきまで散々彼女を探し回っていたくせに、いざ実際に佐倉を前にすると何を話したものかわからず、気まずい時間が2人しかいない夜道に流れる。
「……明日、七夕だな」
十数秒の沈黙の末、俺がようやくひねり出したのはそんな発言だった。
「そう、だね」
「……」
ぎこちなく返事を返す彼女を見て、ああ、散々言われてきたことは、まさにこういうところなんだろうなと、改めて自分に嫌気が差しかけたその時、佐倉は「ふふっ」と不意に吹き出した。
「ど、どうした?!」
「いや、ごめんごめん。隼人くんがあんまり真面目な顔で“七夕だな”なんて言うもんだからさ、面白くて」
「そ、そうか」
楽しそうに笑う彼女を見て、ひとまず胸を撫で下ろす。
そこから佐倉と盛り上がるのは簡単だった。
「かなり久しぶりだね、隼人くん」
「そうだな。いつぶりだ……?」
「えーっと、中学生の時ぶり?」
「いや、流石にそれはないだろ」
「でも、割とそれくらいの時期から話してなかったよ、私達。隼人くん、生徒会長やってるんだって?」
「ああ、一応な。よく知ってるな」
俺が彼女に関心を抱かなかったように、てっきり佐倉の方も俺のことなんて一切知らないものとばかり思っていたが。
「友達が言ってたの聞いたの。クソ真面目でつまんないやつだって」
「……ぐうの音もでない」
「だから、今日ここで“七夕が”なんて言われたときは驚いちゃったよ。隼人くん、そんなこと言うんだなって」
「いや、それは書記の子が……」
──俺をつまらないって。
そう言いかけて、咄嗟に言葉を飲み込む。
せっかく佐倉と楽しく話していたのに、不意に嫌なことをまた思い出してしまった。
すると、そんな俺の内心を察したように佐倉は「……何かあったの?」と聞いてきた。
「……いや、大したことじゃない」
「でも、隼人くん、今凄い顔してたよ。例えるなら……“俺はなんて詰まんない人間なんだろう”みたいな?」
「察しが良すぎて怖いな……」
ふふっと笑う彼女を見て、まあ話してみてもいいかと思い直す。
それから俺は、佐倉に「ここじゃなんだから」と、彼女の家の庭に案内された。
何故庭に、と内心首を傾げていると、佐倉は「アレがあるからさ」と言って庭の隅を指さす。
そこには、立派な七夕飾りを纏った笹が1本、夜風に吹かれて揺られていた。
「せっかくの七夕だもん、ね?」
その一言をキッカケに、俺は今日あったこと、それから今までのことを全て洗いざらい彼女に話して聞かせた。
俺がいかに自分がダメな人間か、自己嫌悪で死にそうになりながら話している間中、佐倉はただ「うんうん」「そうだね」と、否定も肯定もせず、ただ黙って俺の話に耳を傾けていてくれた。
これ以上話すことがないと思えるまで話し終わると、佐倉は俺の手を取って、ただ一言「頑張ったね」と言った。
「周りのみんなが隼人くんのことをどう思ってたのは人それぞれだし、隼人くんが自分のことを今まで責め続けてきたのも、ひょっとしたら正しいことなのかもしれない。隼人くんは“誰か”にとってはつまらない人で、ノリが悪い人だったのかもしれない」
「……」
「でもね」と佐倉は言葉を続ける。
「私にとっては、隼人くんは変わらず、あの日のカッコいい隼人くんのままだよ」
「あの日の、俺……」
「そうだよ。頑張ることはカッコいいし、頑張ってる隼人くんはカッコいいんだよ。まあ、私はバカだからさ、生徒会の仕事とかはよくわからないし、その書記ちゃんの言うところの“みんなが求めてる物”は隼人くんの理想とは違うのかもだけど、でも、私にはそれでも隼人くんがカッコいいんだってことはわかるよ」
「……こんな、俺でもか」
「そんな隼人くんだから、だよ。だから、今日私のところに来てくれたんでしょ?」
「そう……なの、かもしれない」
ポケットに入った短冊をぎゅっと握り締め、俺は答える。
「……七夕なんてさ、ここ数年気にしたことなかったんだ」
「うん」
「でも、今日はずっと心が七夕に振り回されてる気がする。そんで振り回されてるうちに、佐倉に会いたくなって、今ここまで来た」
「うん」
段々、自分でも何を言ってるのかよく分からなくなってくる。
それでも、佐倉は笑って「1年に1度しか織姫に会えない、彦星みたいに?」と言葉を返してくれる。
「……少し、元気出たよ。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。私も、久々に隼人くんに会えてよかったよ」
佐倉と肩を並べて夜空を見上げると、佐倉が小さな声で「明日、晴れるといいね」とささやいてくる。
「ああ、そうだな」
ふと、今年は生徒会室でも、今以上に盛大に七夕を祝うイベントでもやるかと、そんなことを考える。
「……せっかくだし願い事、書くか」
「うん、そうだね」
縁側に置いてあった短冊を手に取ると、佐倉が俺のポケットに入った短冊を目ざとく見つけ出す。
「あれ、隼人くんそれは?」
「いや、これは……書記に押し付けられてな」
「へえ、もう短冊書いてたんだ。で、なんて書いたの?」
「いや、ま、まあ色々な……」
さすがにこれは見せるわけには……と思った瞬間、佐倉は「えいっ」と素早く短冊をポケットから抜き取る。
「あ、ちょ」
「なになに~? “佐倉に会えますように”……?」
「…………」
どうしたものかという表情の俺に、あからさまにニヤついて見せる佐倉。
「あっれー? これ、短冊に書くようなことじゃないと思うんですけど~?」
「……い、いいだろ、別に。その時はそれがいいと思ったんだよ」
「でも、もう叶っちゃったね」
「……」
「新しいの、書かなきゃね?」
ニヤニヤしたまま短冊を押し付けてくる彼女から、不機嫌に短冊とペンを受け取り、今度は佐倉に見えないようにして願い事を考える。
「あーちょっと! 隠さないでよ!」
「この流れで隠さないわけないだろ! それを言うなら、お前こそなんて書くんだよ」
「私? 私はねー……“学校でまた隼人くんに会えますように”、かな?」
「……っ」
不意打ちのその発言に、俺はただ「そうか」としか返せなかった。
「でー? 隼人くんにはー?」
「……教えない」
「ウソつき! ケチ! ロマンチスト!」
「最後のはおかしいだろ」
そんなことを言い合いながら、さて、何を書こうかと改めて考える。
しばらくそうして佐倉とじゃれているうちに、1ついい願い事を思いつく。
そうだ、これでいこう。
「願い事、決めたわ」
「おっ? どんなー?」
「……ヒミツ」
「えー!!」
ぶすくれる彼女を尻目に、俺は短冊に小さく願い事を書きこんだ。
「……明日、晴れるといいな」
たまにはそんなことを願うのも悪くないなと、そんなことを想いながら。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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他にも(幼馴染ものを中心に)色々書いてますので、よかったらそちらも読んでみてください。
では、またどこかで。